学位論文要旨



No 215618
著者(漢字) 荒木,武昭
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,タケアキ
標題(和) 複雑流体の相分離に対する粘弾性・弾性効果の研究
標題(洋)
報告番号 215618
報告番号 乙15618
学位授与日 2003.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15618号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 複雑流体とは、高分子や液晶などの物質群の総称であり、系を特徴づける空間スケールが大きいため、一般的に柔らかく非常に複雑な力学特性を示すことが知られている。また、分子間どうしが複雑に相互作用しあうため、様々な相転移・相分離挙動を示すこともこの系の特徴である。液晶や高分子などの混合系は工業的に重要な性質を持ち、広くその相転移・相分離に関する研究がなされてきたが、それらの多くは系の熱力学的性質に基づく研究であり、粘弾性といったような力学的性質の影響はあまり考慮されていなかった。本論文では、相分離現象に対する複雑流体特有の粘弾性、および弾性効果の影響に関して、数値シミュレーションを用いて行った研究について報告する。特に、動的に非対称な系にける相分離ダイナミクスに対する粘弾性の影響(粘弾性相分離現象)、高分子・液晶混合系の相分離現象に対する液晶弾性の影響の二つに注目して研究を行った。

2.動的に非対称な系の粘弾性相分離

 高分子溶液を深くクエンチした場合などにおいて、通常知られている相分離メカニズムでは説明できないような相分離パターンが観測されることがある。この相分離現象は、系の構成物質が持つ粘弾性が大きく寄与していると考えられ、粘弾性相分離現象と呼ばれている。本研究では、粘弾性相分離は高分子系特有の現象ではなく、コロイド分散系などを含む動的に非対称な系において普遍的に起こりうる現象であると考える。相分離初期における過渡的なゲル状態とその緩和こそが粘弾性相分離の本質であるという考えに基づき、三種類の異なる数値シミュレーション法を用いてその相分離ダイナミクスに関する研究を行った。

2.1粗視化型モデルを用いた相分離における粘弾性効果

 土井・小貫による粗視化した濃度場や粘弾性応力に関する二流体モデルを用いて、相分離における粘弾性の影響について調べた。通常考慮されてきたずり変形応力に加え、前述の相分離初期における過渡的なゲル状態を記述するよう、ゲルの体積相転移で重要な役割を果たす体積変形応力を新たに導入し数値シミュレーションを行った。その結果、実験で観測されている粘弾性相分離における少数相からなるネットワーク構造の形成過程を初めて再現することができた。また、それぞれの粘弾性応力の役割を調べたところ、体積変形応力は熱的な濃度揺らぎを抑制し、たとえ多数相であっても粘弾性の小さい相を選択的に核生成させることが分かった。一方、ずり変形応力は相分離パターンの形態緩和を遅くしネットワーク構造を保持する役割を持つ。また、三次元系で数値シミュレーションを行い、相分離構造の幾何学的特徴について界面の曲率解析などの実空間解析を用いて調べた。その結果、粘弾性相分離において形成されるネットワーク構造の特徴を詳細に調べることができた。

2.2流体粒子ダイナミクス法を用いたコロイドの凝集過程

 粘弾性相分離の発現メカニズムとその普遍性について調べるために、最も簡単な動的に非対称な系といえるコロイド分散系(Lennard-Jones粒子系)の凝集過程に関する研究を行った。コロイドの凝集過程を扱った研究はいくつかあるが、それらは粒子間の流体力学的相互作用をあまり考慮していなかった。コロイド分散系の動的非対称性を記述するためには、粒子間の流体力学的相互作用を取り入れなければならないと考え、流体粒子ダイナミクス法という数値シミュレーション法を新たに開発し研究を行った。これは、コロイド粒子を溶媒より高い粘性率を持つ液体とみなすことによって、数値計算上、最も困難である固体-液体境界条件を取り除くというモデルである。その結果、非常に効率よく流体力学的相互作用を取り入れることができるようになった。流体力学的相互作用がない場合には、粒子はクラスター状に凝集し、それが融合しながら粗大化していく。これに対して、流体力学的相互作用がある場合には、潤滑油効果によって粒子は数珠状に連結するようになる。その数珠状構造が互いに連結していくとネットワーク構造を形成する。いったんネットワーク構造ができると、凝集構造が粗大化するためにはある部分のネットワークを切らなければならず、このことは系全体の粗大化を抑制する効果を持つ。このとき、ネットワーク構造には全体が縮まろうとする内部応力が生じるが、微視的構造の連結性により収縮することはできず、ネットワーク構造が壊れるまでその内部応力が保持されることになる。この状態こそが、巨視的に見た過渡的ゲル状態であると考えられる。

2.3切断するバネモデルを用いたパターン形成

 動的非対称系において、過渡的なネットワーク構造が形成された場合、系全体がどのような相分離構造を示すかを調べるため、格子状に配置したバネを用いてその過渡的ゲル状態をモデル化し数値シミュレーションを行った。ここで、バネはその長さに依存した確率で切断し、再びつながることはないものとする。いったんある部分のバネが切断すると、その周りの力のバランスが破れ、周囲のバネは伸ばされ切断しやすくなる。その結果、バネのない領域が成長していくが、これは粘弾性相分離における粘弾性が小さい相の選択的な核生成に対応するものであると考えられる。この時間発展の様子は顕微鏡観察による粘弾性相分離におけるパターン発展の様子を非常によく再現している。また、パラメータを変えていくつか数値シミュレーションを行ったところ、粘弾性相分離の相分離パターンは大きく二つの因子によって決まることが分かった。その一つめは、核の生成頻度と成長速度の比である。核生成頻度が小さいほど、ネットワーク構造は粗く不均一なものとなる。二つめの因子は、バネのもろさによるもので核の形状に影響する。バネの切断確率があまり長さに依存しなければ、核の形状は滑らで等方的なものとなるが、逆に長さに大きく依存する場合、核の成長は異方的(直線的)になる。これは、弾性体の亀裂破壊と類似するものと考えており、実験的にも高分子溶液を深くクエンチした場合などにおいて同様の相分離パターンを観測することができる。

2.4粘弾性相分離における各モデルの関係性

 図1は、高分子系の粘弾性相分離構造の顕微鏡観察(a)と本研究で得られた3つの数値シミュレーション法による相分離構造を示したものである。図1(b)、(c)、(d)はそれぞれ粗視化モデル、流体粒子ダイナミクス、切断バネモデルによるものである。これらの数値シミュレーションは、全く異なる考え方に基づくものであるが、それぞれの間に何らかの関係性を見ることができる。実験結果を再現するためには、粗視化モデルで弾性率が初期濃度付近で大きく変化する体積応力を導入する必要があった。一方、流体粒子ダイナミクスで示されたように、相分離初期にできる遅い成分からなるネットワーク構造は巨視的に見ると過渡的にゲルとして振る舞うことが分かった。これが、粗視化モデルにおける体積応力の起源であると考えられる。また、その弾性率の濃度依存性は、単に濃度の関数というより、微視的なネットワークが内部応力により濃度が低くなった領域では壊れ、ゲルとしての性質を失ってしまうことを表している。また、切断バネモデルと粗視化モデルとの比較の結果、粘弾性相分離の相分離構造の決定要因を明らかにすることができた。その要因の一つは、溶媒リッチ相の核生成頻度のその成長率の比であり、核生成頻度が小さいほど、粘弾性相分離に特徴的なネットワーク構造は粗く不均一なものになる。これは、切断バネモデルではバネの自発的な切断確率によって決まり、また粗視化モデルでは体積応力の緩和時間により制御することができる。また、系の外力による脆さも相分離パターンにとって重要な要素であり、これはバネモデルにおいては切断確率の長さ依存性、粗視化モデルにおいてはずり応力弾性率に大きく依存することが分かった。

3.高分子・液晶混合系の相分離に対する弾性効果

 光学デバイスに用いられる高分子分散型液晶は、高分子・液晶混合系を相分離させることによって作られる。この系は、相分離と液晶化という二種類の相転移現象が競合しており、学術的にも興味深い系であるため、相図などの静的な性質に関しては多くの研究が報告されているが、その相分離構造や相分離ダイナミクスに関しては、あまり研究がなされてこなかった。現実系での相分離パターンは、その名前の通り液晶相が高分子相に分散したこの系特有のものであり、その構造は光学デバイスとしての性能に大きく影響する。そこで、まず液晶相の持つFrank弾性が、相分離構造にどのように影響するかを調べるため、数値シミュレーションを用いて研究を行った。実験データを詳しく見ると、液晶の配向場に比べ相分離界面の運動が早いことが分かる。低分子系では濃度の拡散より分子の回転拡散の方が早いことが予測されるにも関わらず、このような挙動を示すことは、この系の相分離において流れ場が重要な役割を果たしていることを表していると考えられる。そこで、本研究では、高分子・液晶混合系の相分離ダイナミクスに関して流れ場の影響を初めて導入し、その影響を調べた。図2は、数値シミュレーションによる相分離構造の組成比依存性を示したものである。いくつかの数値シミュレーションの結果、以下のことが分かった。

・液晶の弾性場は相分離構造に影響し、配向場に依存して三角形や涙形など様々なドメイン構造が見られるようになる。また、液晶リッチ相は孤立したドロップレット構造を形成する傾向が生じる。これは、液晶リッチ相が不連続な相分離構造を形成することにより、液晶場の弾性変形が小さくなるためであると考えられる。

・相分離と液晶化の競合により、二種類のスピノーダル分解が起こりうる。相分離が先に起こる場合(アイソトロピック・スピノーダル)、あまり液晶の弾性場の影響は受けず、通常の相分離と類似した等方的な相分離パターンを形成する。一方、液晶化が先に起こる場合(ネマティック・スピノーダル)、液晶場の配向状態が相分離構造に大きく影響するようになる。例えば、外場を印加することによって配向場を揃えると相分離構造もストライプ状の異方的なものとなる。

・流れ場がない場合には、液晶の回転拡散が濃度拡散より早いため、配向場は界面の形状に追従するが、流れ場がある場合には、相分離界面の運動が促進され、相分離構造の発展に遅れて液晶場の再配向が起こる。つまり、配向場は相分離構造に追従できなくなる。その結果、例えば、液晶ドロップレットの衝突・合体機構において合体後の配向場は、衝突前の配向場に依存しなくなるようになる。

・液晶リッチ混合系の準安定領域において、相分離に先立ち液晶化が十分進行する場合、液晶相の欠陥に誘起された相分離構造が形成するようになる。これは、液晶欠陥において高くなった弾性エネルギーを、等方相を集めることによって下げようとするためである。特に三次元系では、ネマティック液晶相は線欠陥を作るため、それによって非常に複雑な相分離パターンが観測されるようになる。

図1:動的に非対称な系における相分離構造。

(a)高分子混合系の顕微鏡観察、(b)に流体モデルに基づく粗視化モデル、(C)流体粒子モデルによるコロイド分散系の凝集構造、(d)切断バネモデルによる相分離構造。

図2:高分子・液晶混合系における相分離構造。

濃淡は濃度を表し、線分は配向場である。(a)高分子リッチ混合系(25%)、(b)対称混合系(50%)、(c)液晶リッチ混合系(75%)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、複雑流体混合系の相分離に対するソフトな力学的性質の影響に関する研究について述べたものである。複雑流体とは、高分子や液晶などの物質群の総称であり、一般的に柔らかく非常に複雑な力学特性を示すことが知られている。液晶や高分子などの混合系は工業的にも重要な性質を持ち、多くの相転移・相分離ダイナミクスの研究がなされてきたが、そのほとんどは系の熱力学的挙動に基づくものであり、粘弾性や弾性といった力学的性質の影響はあまり考慮されていなかった。本研究は、相分離に対する複雑流体固有の力学的性質の影響を明らかにすべく数値シミュレーションを用いて行われたものである。

 第1章の序論に続き第2章では、動的に非対称な系における相分離現象について述べている。高分子溶液を深くクエンチした場合などにおいて、粘弾性相分離現象と呼ばれる既知の相分離モデルでは説明できない特異な相分離現象が観測されることがある。本論文では、粘弾性相分離は動的に非対称な系において普遍的に起こりうる現象であり、相分離初期における過渡的なゲル状態とその破壊による応力緩和こそが粘弾性相分離の本質であるという考えに基づき、三種類の異なる手法を用い、その相分離ダイナミクスに関して研究を行っている。1つめは、粗視化した濃度場や粘弾性応力に関する二流体モデルを用いたものであり、相分離における粘弾性の影響について述べている。通常の二流体モデルで考えられているずり変形応力に加え、過渡的なゲル状態を記述するため、ゲルの体積相転移で重要となる体積変形応力が新たに導入された、その結果、実験的に観測されている少数相からなるネットワーク構造の形成を初めて再現することに成功し、また、その二種類の応力の役割を明らかにした。2つめとして、粘弾性相分離の発現機構とその普遍性について明らかにすべく、流体力学的相互作用を取り入れた流体粒子ダイナミクス法という数値シミュレーション法を開発し、最も単純な動的非対称系であるコロイド分散系の凝集過程について研究を行っている。流体力学的相互作用を考慮すると、潤滑効果によって粒子は数珠状に連結するようになる。その数珠状構造がさらに連結していくとネットワーク構造を形成する。このような構造が粗大化するためにはある部分のネットワークを切らなければならず、このことは系全体の凝集の進行を抑制する効果を持つ。この状態こそが、巨視的に見た過渡的ゲル状態であると述べられている。最後に、過渡的なネットワーク構造が形成された場合、系全体がどのような相分離構造を示すかを調べるべく、その過渡的ゲル状態を長さに依存した確率で切断するバネを用いてモデル化し数値シミュレーションが行なわれた。その結果、粘弾性相分離の相分離パターンは、核の生成頻度と成長速度の比とバネのもろさを記述する二つの因子によって決まることが示された、以上、三種類の数値シミュレーションを用いた研究により、動的に非対称な混合系における相分離現象では、過渡的ゲルが形成され、その力学的な性質が相分離パターンに大きく影響することが示された。その中で、微視的手法から巨視的手法へのそれぞれのレベルで仮定されていたモデルの物理的意味と役割について論じられている、また、この知見をもとに、粘弾性相分離を用いた任意の構造を持つ複合材料作製の可能性についても述べられている。

 第3章では、光学デバイスなどに用いられる高分子・液晶混合系の相分離現象に対し液晶相の持つFrank弾性が、どのように影響するかについての研究が報告されている。また、この系の相分離ダイナミクスに関して流れ場を初めて導入し、その影響についても研究がなされている。液晶の弾性場は相分離構造に大きく影響し、例えば、マトリックス相の配向場に依存し、三角形や涙形など様々な形状のドメイン構造が形成することが示された、また、液晶配向の欠陥に誘起された新しいタイプの相分離パターン出現の可能性について論じられている。相分離と液晶化の競合により、二種類のスピノーダル分解が起こりうる、が、その中でも液晶化が先に起こる場合には、液晶場の配向状態が相分離構造に特に大きく影響する。この結果を踏まえ、磁場などの外場を与えて配向場を制御することにより、液晶複合系の相分離構造を任意に制御することが可能になると述べている。

 上記の通り、本研究では相分離における複雑流体混合系特有の構造形成の物理的メカニズムを明らかにするとともに、複雑流体を用いた複合材料の構造制御に関しても有益な情報を与えていると考えられる。

 このように、本研究で得られた成果は、物理工学上非常に重要なものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51170