学位論文要旨



No 215630
著者(漢字) 沖,明男
著者(英字)
著者(カナ) オキ,アキオ
標題(和) 同時多項目診断ヘルスケアチップに関する研究
標題(洋)
報告番号 215630
報告番号 乙15630
学位授与日 2003.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15630号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀池,靖浩
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 助教授 霜垣,幸浩
 東京大学 助教授 吉田,亮
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、極微量の血液から日々の健康状態を診断する「ヘルスケアチップ」の創製に関する研究である。ヘルスケアチップとは、半導体微細加工技術を用いて2cm角の石英あるいはpoly(ethylene terephthalate)(PET)フィルム上に断面30〜100μmのマイクロキャピラリを形成し、そこへ無痛針を用いて採血した1μL以下の極微量血液を導入して血液分析するマイクロキャピラリチップのことである。1μL程度の血液から多項目を同時に診断する血液分析マイクロチップといったものは現存していない。その理由としては、単なる従来の血液自動分析装置のスケールダウンだけでは解決しない問題があると考えた。例えば、血液サンプリングは非常に重要な問題であり、現在市販されている簡易型の血液検査装置においても注射器と注射針を使った採血作業をせざるを得ない。あるいは小型血糖測定装置で行うように微細針で皮膚に穴を開けて滲出する血液を採取する方法も、血液量が1μL以下になってくると水分の蒸発により血液成分濃度が濃くなる恐れがあり適当ではない。したがってヘルスケアチップを創製するためには従来とまったく異なる採血方法を研究する必要がある。その他に解決すべき課題として(1)血液をガラスや高分子板でできたマイクロキャピラリー内に注入したとき、血中たんぱく質、赤血球や血小板など血球がキャピラリ内壁に付着、凝固してキャピラリを塞ぐことを防ぐための、キャピラリ内壁の生体適合化(2)血球がセンサ部に付着して感度の低下等をまねかないよう血漿と血球との分離(3)微量血液をマイクロキャピラリに注入し、搬送するためのマイクロポンプ(4)血液中の数千種類におよぶ血液成分の中から目的とする健康マーカのみを選択的に検出する高選択性マイクロ化学センサ、(5)マイクロチャンネル内ではレイノルズ数が小さいため一般に液体の流れは層流となることが知られている。したがってマイクロキャピラリ内での血漿と試薬の混合(6)高感度比色測定、等が挙げられる。本研究の目的は、これらの課題を解決するとともに、それにより確立した要素技術をもとにチップを集積化し、微量血液からpH、Na+、K+、Ca++などの電解質濃度や肝機能診断に欠かせないGOT、GPT、γ-GTPなどの酵素活性といった各種の健康マーカを測定することである。本論文では以下に述べる章構成により、得られた結果について報告している。

 まず第1章で本研究の背景と目的、本論文の構成について述べた。第2章ではプロトタイプのヘルスケアチップを石英で作製しその基本的な特性を評価した。マイクロキャピラリパターンを深さ30μmまでドライエッチングする際に生成する穴欠陥の問題をエッチングガスの混合比を最適化することにより解決した。マイクロキャピラリ内壁を生体適合化するために2-methacryloyloxyethylphosphorylcholine(MPC)ポリマーをコートした。生体適合性を評価するために、まず石英表面にMPC)ポリマーをコートし血清タンパク質の吸着をFourier transformed infrared attenuated total reflection(FTIR-ATR)により測定したところ、コートしていない関栄養面よりも明らかにたんぱく質の吸着が少ないことが分かった。また血清をマイクロキャピラリ内へ電気浸透流ポンプで注入したところ、MPCポリマーをコートしたマイクロキャピラリは血清が詰まりにくく、マイクロキャピラリ内壁においてもその生体適合性の効果を発揮することが分かった。血清をマイクロキャピラリ内に電気浸透流ポンプを用いて注入する時、血清中の成分が電気泳動しないよう、またIon Sensitive field effect transistor(ISFET)センサの絶縁破壊を避けるために電気浸透流ポンプを下流側に配置した。この電気浸透流ポンプを用いたところ900Vで400Paのポンプ圧力を得た。

 第3章ではヘルスケアチップを、(1)安価(2)使い捨て可能(3)大量生産可能とするため、PETで作製した。マイクロキャピラリのマスターとなる反転パターンは第2章でのべた石英微細加工技術を用いた。石英反転パターンをドライエッチングする際の穴欠陥生成の問題を改善するために、電圧の印加方法を工夫しエッチングガスの混合比の最適化することで穴生成をなくした。PETで作製したマイクロキャピラリの内壁をMPCポリマーでコートしたところ、赤血球の吸着を抑える効果があり、石英マイクロキャピラリの場合と同様に生体適合性の効果があることを確かめた。さらにMPCポリマーをコートしたISFETは血清の長時間の浸漬に対しても感度の劣化が見られなかった。またPETチップに埋め込んだISFETで、極微量の校正液中のpH、Na+、K+イオン濃度を測定した。

 第4章においては、無痛針の作製方法と無痛針による採血を試みた。痛みを感じることなく採血できるように、針は外径100μmのステンレス微細管で作製した。針先端をChemical mechanical polishing(CMP)で先端を10度に研磨し、さらに先鋭にするためにリン酸溶液中で電界研磨した。この作製した無痛針で実際に採血したところほとんど痛みを感じることはなかった。電気浸透流ポンプは一般的に1〜数kVの高電圧を印加しなければならないが、人体への影響をなくし装置の携帯性から考えて低電圧化することが必要であった。そこで10V程度の電圧で動作する低気浸透流ポンプを作製しポンプ能力を測定した。そのポンプカは採血するのに十分な圧力であることが明らかになった。マイクロ化学センサのイオン感応膜の密着性を良くするために、センサと感応膜の中間にpolyHEMAの層を形成した。またイオン選択性を高めるためNa+、K+イオンセンサの感応膜を構成するイオノフォアとアニオン排除剤の比率を最適化した。それによりNa+イオンセンサはK+イオンに対して約1000倍、K+イオンセンサはNa+イオンに対して約100倍の高選択性を示し、血液中のこれらのイオン濃度を測定が可能になった。無痛針、低電圧電気浸透流ポンプ、高選択性マイクロ化学センサを集積し、ヘルスケアチップを試作した。試作したヘルスケアチップを図1に示す。またこのチップを実際に操作し、Na+、K+イオン濃度を測定した。

 第5章では、体内免疫機構に関係の深いリンパ球をマイクロキャピラリチップ内で電気泳動させ分離することを目的としたT、B細胞分離チップにおいて、キャピラリやリザーバ内で電解液のpH変化の問題があったため、そのpH変化の抑制する方法を検討した。ひとつは電極に塩橋を用いる方法でもう一つはpH変化した電解液を中和する方法であった。両方法はいずれも有効に機能することが分かり、マイクロ電気泳動チップにおいて必ず直面する問題に解決策を提示することができた。

 第6章ではγ-GTP、GOT、GPTを測定することにより肝機能を診断できるチップの作製をした。測定光学的に比色法により測定した。マイクロチャンネル中で、試薬と血漿を遠心力により混合するミキサーチップを用いて1分間でほぼ均一に混合した。キャピラリの内壁を撥水処理した比色測定チップを作製した。光源からの光はキャピラリ内を全反射して伝達し、より効率的に光検出器に到達する構造のチップを作製した。γ-GTP、GOT、GPTの三項目について検量線を作成した。γ-GTPは反応終了後の吸光度を測定するエンドポイント法で、GOT、GPTは酵素反応速度を吸光度で測定するレートアッセイで測定した。そして最後に第7章では本研究において得た知見についてまとめた。

図1 試作したヘルスケアチップ

審査要旨 要旨を表示する

 21世紀に入り我が国では急速な高齢化が進み、医療費の急増をもたらしている。その結果、高齢者医療費は全医療費の3分の1を占め、国家財政をも圧迫する深刻な状況になっている。その問題の一解決策としては、高齢者がいつまでも健康で生活し働けるよう、健康は自らが管理し、病気を予防する社会を早急に作り上げることが肝要であると考えられる。本論文は、半導体微細加工技術を用いて、在宅で極微量の血液から日々の健康状態を診断できる「ヘルスケアチップ」の創製を目指している。本論文は7章からなる。

 第1章は序論であり、本研究の背景として、エレクトロニクスとバイオテクノロジの両技術の間に存在する深い溝を埋め、両技術を融合することが新しい学問・技術、新産業の創出をする上で重要であると述べている。また健康管理上の血液分析の重要性、従来の血液自動分析装置の概略、μTAS(Micro Total Analysis System)と微量血液分析との関連性、ヘルスケアチップを創製する上で開発すべき要素技術について、そして本研究の目的、学問的意義について述べている。

 第2章では、石英板でヘルスケアチップを試作しその基本特性を評価している。特にマイクロキャピラリ内壁を生体適合化するには2-methacryloyloxyethylphosphorylcholine(MPC)ポリマーをコートすることが有効であることを、FTIR-ATR(フーリエ変換赤外分光)測定、血清注入によるキャピラリ寿命測定、血清注入速度測定から確かめている。また血清をマイクロキャピラリに注入するために電気浸透流(EOF)ポンプを用いているが、ポンプをセンサであるISFET(イオン感応電界効果トランジスタ)の下流に配置することによりセンサの電気的ダメージをなくすようにしている。

 第3章では、ヘルスケアチップを安価で使い捨て可能とするためにPET(poly(ethylene terephthalate))で作製しその評価を行っている。マイクロキャピラリ反転パターンを石英で作製しているが、NLD(磁気中性線放電)によるエッチング時に発生した穴欠陥生成を、エッチングガスと電圧印加方法を最適化することで解決している。またMPCポリマーをPET製ヘルスケアチップのマイクロキャピラリ内壁にコートし、赤血球の吸着を抑制する効果があることを確かめている。

 第4章では、無痛針、石英製低電圧駆動EOFポンプ、高選択性イオンセンサをヘルスケアチップに組み込み、それを実際に動作させている。無痛針は外径100μmのステンレス管の先端をCMP(化学的機械研磨)により10度に研磨し、その後リン酸溶液中で電界研磨しさらに先鋭化して作製している。EOFポンプの駆動には通常は1〜数kVの高電圧が必要とされるが、マイクロキャピラリの中央部に狭ギャップ構造を形成することにより、10Vと極めて低い電圧で血液を搬送するのに十分な圧力を示している。センサのイオン選択性を向上させるためにイオン感応膜中のイオノフォアとアニオン排除剤の混合比を最適化したところ、Na+センサではK+イオンに対して1000倍、K+センサにおいてNa+イオンに対して100倍の高選択性を得ている。試作したヘルスケアチップで、採血から測定まで一連の動作を示している。

 第5章では、マイクロ電気泳動チップにおける電圧印加時のリザーバ・ウェステ内電解液のpH変化について述べている。本チップのリザーバ・ウェステまたはキャピラリ内にISFETを組み込み、電解液が電圧印加時間と共にpH変化していく過程を詳細に測定している。本チップ内のpH変化を抑制する方法として(1)マイクロキャピラリ両端に挿入した塩橋電極を通じて電圧を印加すること(2)電解液を中和しながら電圧を印加することを提案し、チップを作製、評価している。このpH変化の問題は高集積化マイクロ電気泳動チップにおいて本質的であり、その有効な解決策を示している。

 第6章では、微量血液から肝機能診断上重要なγ-GTP、GOT、GPTを比色法を用いてこれらの活性度を測定できるマイクロチップについて述べている。一般的にマイクロ流路内では層流が支配し、液体同士の混合は困難であるが、遠心力を利用した混合チップを用いて血漿と基質緩衝液を揺動させ60秒で均一に混合している。マイクロチップ上での比色測定では、断面500μmx500μmの測定用チャンネル内壁をテフロン樹脂でコートすることにより測定光が全反射して試料中を効率的に伝搬するようにしている。このマイクロ比色チップで成人正常値のみならず、異常値領域においてもγ-GTP、GOT、GPTの測定に成功している。

 第7章は総括である。

 以上要するに、本論文は在宅医療、その場診断等に必要不可欠な極微量採血と重要マーカの検出に関する要素技術を開発、評価している。またマイクロ電気泳動チップにおける新しい分析方法を提案しており、バイオデバイス工学への貢献が大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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