学位論文要旨



No 215634
著者(漢字) 岩田,依子
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ヨリコ
標題(和) 酵素の三次元構造に基づく阻害剤の相互作用解析と設計に関する研究
標題(洋)
報告番号 215634
報告番号 乙15634
学位授与日 2003.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15634号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 夏苅,英昭
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨 要旨を表示する

1.アルドース還元酵素阻害剤の設計

 アルドース還元酵素(AR)はグルコースをソルビトールに変換する酵素であり、糖尿病での高血糖状態ではARで生成されるソルビトール量が増え、細胞外に出にくいことなどから細胞内に蓄積され、細胞障害を誘起し、糖尿病合併症が発症すると考えられている。このことから、AR阻害剤が糖尿病合併症治療薬として開発されてきている。そこで新しい阻害剤を見つけるべく、ARのX線結晶構造を基にした阻害剤の設計と合成を行った。

1-1.蛋白質三次元構造における、His、Asn、Gln側鎖のflipの有無とHis側鎖の水素付加型の評価

 ARのX線結晶構造を利用するにあたり、His、Asn、Gln側鎖のflipの有無とHis側鎖の水素付加型の評価を行った。その理由としてはARのX線結晶構造において、リガンド結合部位に位置するHisの1つがflipしている可能性が考えられたからである。そこでこれらの推定を行うために、簡便で効果的な方法を開発した。本法をtrypsinなどに適用した結果、従来法と同等以上の結果を与えることがわかった。

1-2.三次元データベース検索と複合体モデリングによる阻害剤設計

 上述のように構造確認を行ったARのX線結晶構造のリガンド結合部位を基に、試薬(ACD)の三次元データベース検索をItai等によるADAM&EVEプログラムにより実施した。検索ならびに構造の絞込みにより36種の化合物を購入して生物活性を調べた。その結果、10種の化合物に15 ?g/mlで40%以上のAR阻害活性が確認された。阻害活性の最も強かった化合物1(インドメタシン)をリードとして最適化を行った。化合物の設計にあたりTrp20の側鎖との水素結合およびLys21、Pro23などとの疎水性相互作用を考慮した。その結果IC50が0.21 ?Mという最も強力な化合物2が得られた(図1)。それは親化合物である化合物1と比較して約20倍の活性増強であった。本結果は、三次元データベース検索とそれに続く設計と合成による新規なAR阻害剤の発見の最初の例であると思われる。

1-3.de novo designの手法による阻害剤設計とその合成

 リガンド結合部位にフィットすると考えられる構造を自動構築するLEGENDプログラムがItai等により開発されており、それを用いてARのX線結晶構造のリガンド結合部位にフィットする200個の化学構造を構築した。それらを類似構造に分類するとともに、コンピュータグラフィクスを用いた検討から代表化合物を選択した。合成の容易さも考慮してその中の2つの設計化合物3, 4と、設計構造5に非常に近い2つのアナログ6, 7を合成した(図2)。その結果、それら化合物はIC50が17〜91 ?Mという活性を示すことがわかった。このように少数の化合物を合成し、合成化合物すべてにAR阻害活性がみられたことは、効率的に阻害剤合成が行えたことを端的に示すものである。また、本研究は標的構造に基づいたde novo designにより、薬物開発のリードと成りうる非ペプチド性の新規阻害剤が得られた初めての成功例と考えられる。

2.MAP kinase p38とピリジルピロール系化合物の複合体モデリング

 MAP kinaseは細胞内シグナル伝達経路において重要な分子であり、MAP kinase p38阻害剤はIL-1?、TNF-?の炎症性サイトカインの産生を抑制することが知られている。一連のピリジルピロール化合物のMAP kinase p38阻害活性は、中心骨格がイミダゾール環と異なるものの類似の全体構造を有する既知化合物8(SB203580)よりもIC50 = 0.007〜0.054 ?Mとかなり強力であった(図3)。そこでピリジルピロール化合物とSB203580のkinaseとの相互作用に関して知見を得るために複合体モデリングを実施した。イミダゾール環とピロール環の骨格による結合様式に違いはみられず、それら環上の芳香族置換基の特徴的な相互作用は共通であった。一方、スルホキシ基のアルキル側鎖部分については、それらと相互作用するkinaseのアミノ酸残基を特定した。ピリジルピロール化合物の1つであるアジド化合物9の置換基-SORのO原子はArg173、Lys152と水素結合し、アジド基はAsp150、Ser154と静電的相互作用をしていた。これらの相互作用を考慮にいれることは、今後の阻害剤の構造修飾につながるものである。

3.ゼラチナーゼ活性ドメインのホモロジーモデリングと阻害剤との複合体モデリング

 ゼラチナーゼは血管の基底膜を破壊して癌転移を引き起こすことが知られ、その阻害剤は癌転移阻害剤になり得ると考えられている。ゼラチナーゼはX線結晶構造解析されていなかったが、その活性ドメインと〜56%のホモロジーがあるコラーゲナーゼは解析されていた。しかし当初コラーゲナーゼのX線結晶構造座標は公開されていなかった。そこでC?トレースのステレオ図からC?の三次元座標を計算するプログラムを開発した。本法により構築したコラーゲナーゼの構造からホモロジーモデリングによりゼラチナーゼAモデルを、後に公開されたコラーゲナーゼのX線結晶構造からゼラチナーゼBモデルを構築した。そのモデルを基に阻害剤とのドッキングスタデイを実施し、相互作用様式を考察した(図4)。アミド型阻害剤10のゼラチナーゼAとのドッキングでは、コラーゲナーゼ複合体結晶構造中の他のアミド型阻害剤と同様の結合様式が得られた。ヘキサヒドロピリダジン型阻害剤11はゼラチナーゼBのGly179、Leu181などとの主要な水素結合および疎水性相互作用はアミド型と同様になることがわかった。またS1'サブサイトが細長く疎水性であることは、P1'のアルキル鎖が長くなるにつれ、阻害活性が上昇することと一致するものであった。スルホンアミド型阻害剤12は、アミド型阻害剤などと若干異なるものの、最近報告された他のスルホンアミド型阻害剤の複合体モデルにおける結合様式と基本的に一致していた。

図1. 化合物1からの構造変換(阻害活性値)

図2. LEGENDによる設計化合物ならびに合成化合物

図3. 阻害剤の構造と活性(IC50)

図4. ゼラチナーゼBモデルと各阻害剤の相互作用の模式図

疎水性相互作用は波線で表示した。極性相互作用は点線で表示し、原子間距離も示した。

審査要旨 要旨を表示する

 医薬品の開発において,酵素の三次元構造に基づく阻害剤の相互作用解析と設計,そして関連する方法の構築の研究は重要である。本論文では,アルドース還元酵素,MAP kinase p38とゼラチナーゼについて,三次元構造データに基づく阻害剤の設計と方法の開発の研究をまとめたものである。

 アルドース還元酵素(AR)の阻害剤は糖尿病合併症の治療薬となり得ると考えられる。研究では,まず,ARの三次元構造に基づいて阻害剤の設計と合成を行った。構造データを利用する際には,His,AsnとGlnの側鎖のflipの有無とHis側鎖の水素付加型の評価が必要なことから,簡便で効果的な評価プログラムを開発した。ARの三次元構造におけるリガンド結合部位を標的として試薬の三次元構造データベース検索を行なって718種の化合物を選び出し,そのなかから36種の化合物に絞り込んでAR阻害活性を調べた。阻害活性が高いものが10種得られ,そのうちIC50が10 ?M以下のものが3個であった。最高の活性を示した化合物1(図1)は,興味深いことにインドメタシンであった。これをリード化合物として構造の最適化を行ない,IC50が0.21 ?Mと強力な化合物2を得ている。

 リガンド結合部位にフィットすると考えられる構造を自動構築するLEGENDプログラムを利用したde novo設計法によりAR阻害剤を200種設計し,相互作用エネルギーの評価を経て代表的な化合物を30個選択した。そのうち,図2に示すように設計化合物3と4と,設計構造5によく似た化合物6と7を合成した。合成化合物すべてにIC50が17〜91 ?MのAR阻害活性が確認された。これは,標的構造に基づくde novo設計が,非ペプチド性の新規AR阻害剤のリード化合物を与えることを示す初の例である。

 IL-1?やTNF-?の炎症性サイトカインの産生を抑制するMAP kinase p38の阻害剤について,研究では,その三次元構造に基づいた各阻害剤との相互作用解析を行っている。こうして得られた一連のピリジルピロール化合物のMAP kinase p38阻害活性はIC50が0.007〜0.054 ?Mであり,中心骨格がイミダゾール環と異なるものの,類似の全体構造を有する既知化合物(SB203580)に比べても強力であった。これは,本研究の相互作用解析が阻害剤の構造修飾に有用であることを示すものである。

 ゼラチナーゼは,IV型コラーゲンから構成される血管の基底膜を破壊することにより癌転移を引き起こすことが知られており,その阻害剤は癌転移阻害剤になり得ると考えられる。ゼラチナーゼのX線結晶構造解析は未だ行われていないため,その活性ドメインと約56%のホモロジーを有するコラーゲナーゼの三次元構造を研究では採用した。コラーゲナーゼの座標データが未公開であったため,C?原子をプロットしたステレオ図からC?座標を算出するプログラムを開発し,コラーゲナーゼの構造を再構築した。ホモロジーモデリング法によりまずゼラチナーゼ構造Aを,後に公開されたコラーゲナーゼの構造から同様にゼラチナーゼ構造Bを構築した。双方の構造に基づくドッキングで見い出したアミド型阻害剤が,コラーゲナーゼ複合体の結晶構造における他のアミド型阻害剤と同様の結合様式をとること,ヘキサヒドロピリダジン型阻害剤はゼラチナーゼの主要なアミノ酸残基と水素結合を形成すること,疎水性相互作用はアミド型と同様になることを提示している。スルホンアミド型阻害剤は,最近報告された他の類似のスルホンアミド型阻害剤の複合体モデルにおける結合様式と基本的に同一であることも指摘している。このように,本論文は,アミド型,ヘキサヒドロピリダジン型,スルホンアミド型の阻害剤の結合様式を比較し,阻害剤開発に向けた構造活性相関解析への有用な知見を提供している。

 本論文の研究では,X線結晶構造解析による酵素の三次元構造に基づいて,三次元構造データベース検索とde novo設計法を適用することにより,新規なAR阻害剤が得られることを示した。MAP kinase p38では,酵素と阻害剤の相互作用を三次元構造に基づいて解析し,阻害剤の構造修飾の有用性を示した。ゼラチナーゼでは,ホモロジーモデリングによって三次元構造を構築し,阻害剤の相互作用解析と結合様式比較による構造活性相関解析を展開した。これら研究の過程では,酵素の三次元構造に基づく阻害剤の相互作用解析と分子モデリング設計に有用なプログラムを開発した。よって,本論文は,蛋白質の構造生物学,計算化学と創薬科学の面から薬学の進歩に貢献するものであり,博士(薬学)の学位の授与に値するものと認められる。

図1. 化合物1からの構造変換(阻害活性値)

図2. 設計化合物3‐5と合成化合物6と7

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