学位論文要旨



No 215637
著者(漢字) 鈴木,邦夫
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,クニオ
標題(和) 『三井事業史』本篇 第三巻下
標題(洋)
報告番号 215637
報告番号 乙15637
学位授与日 2003.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15637号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 和田,一夫
 東京大学 助教授 粕谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、1940年8月の三井財閥本社組織の再編(三井物産株式会社による三井合名会社の吸収合併、三井総元方の設置)から第2次大戦後の三井財閥の解体までを、三井家・三井系各社の一次資料を用いて実証的に分析したものである。全体を3つの章で構成している。

 第1章「三井財閥の再編」では、財閥本社組織の2度にわたる再編(先述の1940年8月の再編と、1944年3月の三井物産株式会社の株式会社三井本社への商号変更および三井本社からの新三井物産株式会社の分離独立)、財閥家族の資金力の限界と強化策、重化学工業への投資拡大などについて、従来明らかにされていなかった様々な事実を紹介しながら論じた。とくに、所得税や相続税などの重圧に悩まされていた三井家が、持株会社である三井物産の株式を公開することで(つまり資本の封鎖的所有を崩すことで)、資金力を強化し、重化学工業部門などへの直接的な投資を拡大したことや、三井物産(→三井本社)が種々の重化学工業部門へ積極的に進出しようとしたことを全体的にかつ実証的に明らかにした。

 第2章「事業部門の動向」では、三井の金融機関(第1節)、製造会社(第2節)、商社・不動産会社・海運会社(第3節)などに関して、その経営実態を明らかにするとともに、「満州」・中国関内など外地での三井系企業の事業活動(第4節)を詳細に分析した。

 このうち、金融機関については、三井銀行が資金力の限界を克服するため第一銀行と合併して帝国銀行となる経緯や、財閥傘下企業の株式をかなり所有した住友銀行などと異なり、三井銀行は商業銀行としての姿勢を堅持しようとしたことなどを明らかにした。

 製造会社では、三井鉱山・三井化学工業・三井造船・三井精機工業などについて、各社社史には記述されていない重要な事実を記述するようつとめた。なかでも、太平洋戦争期に石炭・金属・機械・化学の各分野を網羅し、しかも東アジア諸地域に事業を展開して巨大複合事業体を形成した三井鉱山については、資金需要・資金調達、設備投資、有価証券投資、労働力構成、石炭・亜鉛・金・銅・コバルトの生産量などに焦点を当てて包括的に経営内容を明らかにした。

 商社・不動産会社・海運会社では、三井物産・東洋棉花・三井不動産・三井船舶について、やはり各社社史に記述されていない重要な事実を記述するようつとめた。なかでも、欧米市場との断絶と流通統制の強化という事態のもとで、三井物産の商品取引の内容がどのように変化したのかを、商品(石炭・鉄鋼・機械など)と地域(「満州」・中国関内など)に即して明らかにした。

 外地での諸事業について従来の研究では空白の部分が非常に多かった。実際には、日中戦争期・太平洋戦争期に飛躍的に三井系企業の会社数・事業分野が増えるが、このことさえ明らかでなかった。そのため、「満州」・中国関内・朝鮮・台湾・南方地域についてそれぞれ進出の実態を詳細に明らかにした。主な進出会社は三井物産・東洋棉花・三井鉱山であり、とりわけ三井物産は積極的にさまざまな生産分野へ進出して経営をおこなった。

 第3章「三井財閥の解体」では、三井財閥の解体に至るまでの過程を連合国軍総司令部の諸プランを追いながら明らかにし、さらに総司令部による三井物産・三菱商事への解体指令と三井物産の清算、財閥商号・商標の使用禁止問題などについて論じた。このうち総司令部の諸プランに関しては、「持株会社の解体に関する件」(1945年11月4日付。4大財閥の自発的解散を提起したもの)は大蔵大臣が作成して総司令部に提出したとされているが、その実質的な作成者が総司令部であり、しかも作成の過程で三井本社からの指摘・要望を総司令部が取り入れながら出来上がったことを明らかにしている。

 総じて本論文は、従来部分的にしか明らかでなかった、太平洋戦争期の三井財閥の中枢組織の動向や三井系各社の事業活動の実態を包括的かつ詳細に明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、1940年8月の三井財閥本社組織の再編(三井物産株式会社による三井合名会社の吸収合併、三井総元方の設置)から第2次大戦後の三井財閥の解体までを、三井家・三井系各社の一次資料を用いて実証的に分析したものである。本書全体の構成は以下の通り。

第一章 三井財閥の再編

 第一節 三井合名会社・三井物産の合併と三井総元方の設立

 第二節 三井家の資産構成

 第三節 重化学工業への投資拡大

 第四節 三井本社の設立

第二章 事業部門の動向

 第一節 金融部門

 第二節 生産部門

 第三節 流通・不動産・運輸部門

 第四節 外地における諸事業

第三章 三井財閥の解体

 第一節 総司令部の財閥解体方針と三井側の対応

 第二節 三井本社・三井家同族会の解散

 第三節 三井物産の解体

 第四節 財閥商号・商標の使用禁止問題

あとがき(由井常彦)

三井家略系図

三井事業略年表

英文資料

索引

 なお、以上の本書のうち、「あとがき」は三井文庫館長由井常彦によるものであるが、このほか添付されている資料をのぞき、本書の本編(第一章から第三章まで)はすべて著者鈴木邦夫氏個人の著作と認定されるものであり、審査委員会はこの認定に基づいて、本書本編を審査の対象の論文とした。

 本論文はきわめて実証的で綿密な叙述に徹しているため、その内容を簡明に要約することは困難であるが、以下、構成に沿って概要を示すと次の通りである。

 まず、第一章「三井財閥の再編」では、財閥本社組織の2度にわたる再編(1940年8月の再編と、1944年3月の三井物産株式会社の株式会社三井本社への商号変更および三井本社からの新三井物産株式会社の分離独立)、財閥家族の資金力の限界と強化策、重化学工業への投資拡大、本社の機能などについて、従来明らかにされていなかったさまざまな事実を紹介しながら論じたものである。とくに、所得税や相続税などの重圧に悩まされていた三井家が、これへの対応策として同族内での対立を克服しながら組織の再編を試みた経緯を詳細に明らかにしたこと、また、その結果持株会社となった三井物産の株式を公開することで(つまりそれまでの基本原則となっていた資本の封鎖的所有を崩すことで)資金力を強化し、重化学工業部門などへの直接的な投資を拡大したこと、三井物産(→三井本社)が自動車をはじめとして種々の重化学工業部門へ積極的に進出しようとしたこと、さらに所有関係が持株会社と同族とに複線化するなかで、三井家の財産保有機能、本社部門の傘下企業統括機能、傘下企業間の調整機能が三井同族組合、三井総元方、三井物産に継承されたのち、三井本社の成立を通して統括・調整機能が所有関係=財産保全とは分離されていったことなどを明らかにした。

 第二章「事業部門の動向」では、金融機関、製造会社、商社・不動産会社・海運会社などに関して、それぞれ一節を設けて、その経営実態を明らかにするとともに、「満州」・中国関内、南方諸地域など外地での三井系企業の事業活動(第四節)を詳細に分析している。

 このうち、金融機関(第一節)については、三井銀行がそれまでの傘下企業の資金を吸収して運用する機関から、預金等を吸収して傘下企業に資金供給を行うポジションに変わったこと、戦時期にかけて三井銀行の銀行業界での地位の低下が進んだこと、その結果、三井銀行は資金力の限界に直面し、これを克服するため第一銀行との合併を追求するに至ることなどを明らかにした。また、この間、財閥傘下企業の株式をかなり所有した住友銀行などと異なり、三井銀行は商業銀行としての姿勢を堅持することに努め、株式の公開に伴う本社部門の持ち株率の低下に関して三井系金融機関がこれを補完するところは少なかったことなどを明らかにした。

 製造会社(第二節)では、三井鉱山・三井化学工業・三井造船・三井精機工業などについて、これまで刊行されている各社社史の記述を補う形で戦時期の事業活動についてのていねいな実証が重ねられている。とりわけ、太平洋戦争期に石炭・金属・機械・化学の各分野を網羅し、しかも東アジア諸地域に事業を展開して巨大複合事業体を形成した三井鉱山については、資金需要・資金調達、設備投資、有価証券投資、労働力構成、石炭・亜鉛・金・銅・コバルトの生産量などに焦点を当て、包括的な経営内容を明らかにした。

 商社・不動産会社・海運会社(第三節)では、三井物産・東洋棉花・三井不動産・三井船舶が取り上げられている。ここでも三井物産が対米開戦回避工作に関わったことなど新たな事実が各所に紹介されているが、特に欧米市場との断絶と流通統制の強化という新たな事態のもとで、三井物産の商品取引の内容がどのように変化したのかを、商品(石炭・鉄鋼・機械など)と地域(「満州」・中国関内など)に即して明らかにした。また、東洋棉花が三井物産の方針転換と取扱商品分野の衰退のもとで三井物産と競合する商社活動を展開するに至ったこと、三井不動産ではその創立過程において大蔵省との課税問題に関わる交渉が焦点となったことなどを明らかにした。

 これまでの研究では十分な検討がなされないまま、その量的な拡大が漠然と指摘されてきた外地での諸事業(第四節)については、日中戦争期から太平洋戦争期に飛躍的に三井系企業の会社数・事業分野が増えることを指摘したうえで、「満州」・中国関内・朝鮮・台湾・南方地域の各地域に分けてそれぞれ進出企業の実態を詳細に明らかにした。進出の主たる担い手となったのは三井物産・東洋棉花・三井鉱山であり、とりわけ三井物産は積極的にさまざまな生産分野へ進出して経営をおこなったが、これらの事業は収益性という面では成果に乏しく、活発な事業展開の内実は惨憺たるものであったことを明らかにした。

 第三章「三井財閥の解体」では、三井財閥の解体に至るまでの過程を連合国軍総司令部の諸プランを追いながら明らかにし、さらに総司令部による三井物産・三菱商事への解体指令と三井物産の清算、財閥商号・商標の使用禁止問題などについて論じた。財閥の自発的解体に至る過程の紆余曲折を、総司令部との交渉過程を通じて明らかにするとともに、財産税の賦課が三井同族の資産に壊滅的打撃を与えたこと、財閥商社解散に関しても総司令部の方針が二転三転したこと、商号問題では三井が主導権をとって住友・三菱の協力も得て使用禁止規定の実施延期など米国側に強硬姿勢を放棄させたことを明らかにした。

 以上のように、本論文は、これまで断片的な言及にとどまり、また三井本社史などに限定され、事実についても不正確な資料に依拠した叙述にとどまっていた太平洋戦争期の三井財閥の実態を、その中枢組織の動向や三井系各社の事業活動に即して明らかにしたものである。

 本書の財閥史研究に対する第一の貢献は、三井文庫が所蔵する未公開の資料群を用いて、太平洋戦争期の事業活動を詳細に実証的に分析した点にあることは以上の紹介からも明らかであろう。わずか7年あまりの事業活動を900ページを超える大部な著作としてまとめていることからも知られるように、その記述の詳細さは、これまでの研究の水準を遙かに超えている。また、資料に関しても、三井同族会史料、三井鉱山史料、三井高陽口述筆記、三井不動産・さくら銀行(現三井住友銀行)・国税庁税務大学校租税資料室などの所蔵史料、山形県立図書館所蔵の池田成彬「日記」、個人蔵の松本季三志「日記」なども利用されており、三井文庫の未公開資料を補完するための史料の収集にも多大の努力が払われている。

 こうして収集された資料の分析を通して、本書はきわめて多くの史実の発見に成功している。たとえば、(1)戦時体制下で重工業部門の拡充を企て、日産自動車に対する影響力の増大を企図する三井と、軍部の力を利用して三井財閥の乗っ取りをたくらむ鮎川義介との駆け引きが展開したこと、(2)財閥の組織改革に関わって各所で税制上の障害が発生し、政府との入念な交渉が重ねられていたこと、(3)三井物産ニューヨーク支店の関係者が対米開戦回避のための工作に関わり、その資金として一種の秘密積立金「リザーブ」が利用されたこと、(4)戦時期の業績の評価の基礎となる収益の把握について1943年3月の納税施設法の影響を除去して把握する必要があること、(5)従来日本側が作成し財閥本社の自発的解体を明確化したとされてきた文書「持株会社の解体に関する件」の実質的な作成者が総司令部であったこと、しかもその内容は、総司令部が三井本社の指摘・要望を聴取しながら作成したものであること、(6)財閥商号の廃止問題について、その実施延期を求めるためのロビー活動が行われていたこと、など主な事項を拾うだけでも枚挙にいとまがないほどである。『三井本社史』などこれまでの研究が依拠していた資料の不完全な記述が大幅に改められたということができよう。

 こうした実証面での新たな知見のなかでとくに重要なのが、三井財閥の本社や同族内部における利害の対立や調整過程を明らかにしたことであった。三井本社の改組問題に関連して同族内部での対立が重要な陰を落としたこと、また、成立した本社部門が事業部門をどのようなかたちで統括していたのかについて具体的な議案の処理に即して明らかにしたことなど、本書は、三井財閥における支配や意思決定のあり方を描き出している。その結果、どういった議案がどういう手続きで承認されるのかの基準を明らかにするとともに、正式の議案が理事会等で決定される前に「根回し」が制度化されていたこと、そのため会議では議案が原案通り承認されるケースが多かったことなどを実証的に確認している。また、単に同族間だけでなく、特定の同族と特定の専門経営者とのつながりが内部対立に重要な意味を持ったことが示され、本社の意思決定機構は複雑な権力ゲームの渦中にあったことが指摘されるなど、これまでの財閥史研究にない具体的な姿を描いた。この本社部門の意思決定に関わる実証は本書の最も重要な学術的貢献ということができる。

 もちろん、以上のような高い実証水準に支えられた本書にも全く問題がないわけではない。とくに、三井文庫の事業史編纂事業の一環として編集刊行されたという本書の成立事情のため、これまでの研究に対する明示的な批判に関して禁欲的であり、また、限定された紙幅-とはいってもすでに900頁を超える大著であるが-のなかで、対象とすべき三井財閥の諸事業を網羅的に扱う必要があったことから、子会社の事業活動については既刊の会社史等に記載されていない事実の紹介に記述が傾いていることなどに不満が残る。

 なお、特に前者に関しては、論文の評価に深く関わる点であるため、審査委員会は口述試験において著者から財閥史研究における本書の位置づけについて著者自身の説明を求めた。これに対して、先行研究に対する実証的批判とともに、戦時経済論あるいは財閥史研究に関わる課題設定や本書の分析から導き出された結論に関する著者の説明があり、それらは本書の叙述を通して十分に生かされていると判断した。

 以上のように、本論文が太平洋戦争期の三井財閥の歴史的分析を通して、これまでの研究を越える新たな知見をもたらし、日本経済史研究の発展に貢献したことは、疑問の余地がない。従って、審査委員会は、全員一致で、鈴木邦夫氏が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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