学位論文要旨



No 215638
著者(漢字) 水町,功子
著者(英字)
著者(カナ) ミズマチ,コウコ
標題(和) 合成ペプチドを用いた食品タンパク質の抗原構造の解析
標題(洋)
報告番号 215638
報告番号 乙15638
学位授与日 2003.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15638号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 高度に多様化したB細胞レセプター(抗体)とT細胞レセプターによる抗原特異的認識に始まる適応免疫応答は、病原菌、寄生虫、ウイルスなどさまざまな外敵から身を守る重要な生体防御反応である。しかし、一方で増加の一途をたどっているアレルギーや自己免疫疾患では、適応免疫応答のもつ強力な防御機構が、宿主に重大な傷害を与えている。従って、感染防御のためには免疫系を活性化し、望ましくない免疫応答は抑制するという免疫応答の調節・制御が重要な課題となっている。花粉などの環境抗原、食品抗原、組織・移植片などに対する免疫応答は、他の免疫応答と同様に抗原特異的であるにもかかわらず、その治療方法は免疫抑制剤の投与など非特異的な抑制方法が主流である。しかし、このような方法は、あらゆる免疫応答を抑制することから、感染症などの危険にさらされやすく、抗原特異的な免疫応答抑制方法の開発が強く望まれていている。そのためには、まず抗原特異的認識機構の分子レベルでの解明が重要であり、マウス等の実験動物を用いた基礎的情報の集積が必須となっている。

 本研究では、食品抗原によって引き起こされる過剰な免疫応答である食品アレルギーの制御につながる基礎的知見を得るため、牛乳アレルゲンのβ-カゼイン(β-CN)、β-ラクトグロブリン(β-LG)及び鶏卵アレルゲンのオボムコイド(0VM)について、マウス、家兎及び山羊の3種の実験動物と合成部分ぺプチドを用いて詳細な抗原構造解析を行った。

 第1章では、ウシのβ-CNの抗原構造について解析した。まず、ウシβ-CNの全領域をカバーする20種の合成部分ペプチドとマウス、家兎および山羊から得た抗β-CN抗血清を用いて、ウシβ-CNの一次構造依存型のB細胞エピトープ領域を明らかにした。抗体の特異性は種に特徴的であったが、共通して認識される領域が存在した。すなわち、マウスにおいては80-95、143-158および195-209残基目、家兎においては1-16残基目、ヤギにおいては100-115残基目がそれぞれ最も強く認識される領域であり、1-16、100-115、121-136および143-158残基目は3種の動物に共通して認識された。また、マウス及び家兎からの抗β-CN特異抗体はリン酸化領域に対しても特異性を示した。さらに、抗体結合に重要なアミノ酸残基は多くの場合、7〜9残基程度に限定化された。

 抗原に感作されているB細胞を活性化し、抗体産生細胞へ分化させるには、T細胞からのシグナルが必須である。T細胞の応答は、MHC分子に結合した抗原のぺプチド断片の認識に始まるが、その認識にはMHC分子が大きな影響を与えている。そこで、H-2ハプロタイプの異なる近交系マウスと合成ペプチドを用い、そのB・T細胞エピトープ解析を行った。C3H/He(H-2k)マウスは100-115、143-158及び164-189残基目、BALB/c(H-2d)マウスは1-16、80-95及び143-158残基目、C57BL/6(H-2b)マウスは1-16、80-95、143-158及び175-189残基目をドミナントなB細胞エピトープ領域として認識した。T細胞エピトープ領域については、C3H/Heマウスは111-125及び164-199残基目、BALB/cマウスは1-16、41-55及び185-199浅墓目、C57BL/6マウスは80-95残基目を認識した。

 次に、牛乳が経口摂取されることを考慮し、牛乳を飲水として自由摂取させた時のβ-CNに対するB・T細胞応答に解析し、上記で得られたエピトープ解析結果と比較した。その結果、牛乳の経口投与によりβ-CN特異抗体産生量は低下したが、ドミナントなB細胞エピトープ領域に対する抗体産生が低下すると同時に、抗体産生の抑制を免れる領域も存在した。一方、β-CNに対するT細胞増殖応答は短期の牛乳経口投与では抑制されず、むしろ活性化される場合があった。これには、マウスβ-CNとのホモロジー、β-CNの消化性、牛乳中に存在する免疫賦活因子などが関係していると考えられた。

 第2章では、ウシβ-LGの抗原構造を解析した。最初に、ウシβ-LGの合成部分ぺプチド16種とマウス、家兎及び山羊に免疫して得られた抗β-LG抗血清を用いてB細胞エピトープ解析を行った。3種実験動物の認識するウシβ-LG上のB細胞エピトープ領域は、β-CNと同様に個体差はあるが動物種に特徴的な認識パターンを示した。すなわち、マウスは22-36残基目の他、32-56、72-86、119-133及び149-162残基目、家兎はすべての個体が149-162残基目を認識する他22-56、72-95、100-113及び119-143残基目、山羊は42-56残基目を強く認識し、その他22-46、52-86、119-143及び149-162残基目を認識した。このうち、22-56、72-86、119-133及び149-162残基目は3種の実験動物に共通して認識され、これらの領域は32-46残基目を除きすべてβ-LGの立体構造上折れ曲がり構造部分を含んでいた。

 以上のエピトープ情報を基に、加熱によって変性した抗原に対する免疫応答を調べた。加熱変性β-LGを近交系マウスに免疫して得られた抗血清と合成ペプチドを用いた解析から、加熱処理温度によってβ-LG上のB細胞エピトープ領域は変化し、新た認識される領域が複数存在することが示された。これは、β-LGの立体構造が加熱によってルーズになり、より一次構造が認識されやすくなったことが示唆され、食品抗原の低アレルゲン化を図る上で極めて重要な情報と考える。

 経口的に摂取されたβ-LGに対する免疫応答を明らかにするため、牛乳又はβ-LG水溶液を飲水の代わりにBALB/cマウスに連続的に与え、β-LG特異的抗体応答及びT細胞応答を調べた。β-CNと同様に、抗体応答とT細胞応答はともに顕著に抑制されたが、新たに認識される領域も認められ、経口投与抗原により活性化を受ける部分も存在すると考えられた。

 β-LGのB細胞エピトープ情報を基に、一部アミノ酸を置換し、抗原性の低減化を試みた。家兎及びマウス抗血清とアナログペプチドによる詳細な解析の結果、ドミナントなB細胞エピトープ領域149-162残基目のうち161残基目のヒスチジン(H)が抗体結合に必須であることを明らかにし、Hをアスパラギン酸に置換した変異β-LGをバキュロウイルス-昆虫細胞系で作製した。変異β-LGはペプチド149-162特異抗体との反応性の低下が認められ、また変異β-LG免疫抗血清中のぺプチド149-162特異抗体量は低下した。以上から、アレルギー反応に関与するエピトープ領域の一部置換により、抗体応答を制御できる可能性が示された。

 第3章ではニワトリOVMの抗原構造について解析した。すなわち、OVMの全一次構造をカバーする179種の部分ぺプチドをピンペプチド法により合成し、マウス、家兎及び山羊から得た抗OVM抗血清を用いて、OVMの一次構造依存型のB細胞エピトープ領域を決定した。各実験動物からの抗OVM抗血清とピンペプチドとの結合プロファイルは互いに類似していた。家兎は、11-19、43-54、83-96及び159-172残基目、山羊は7-14、82-96、160-172及び176-186残基目を、マウスは家兎とほぼ同様に、11-19、41-53、84-95及び160-172残基目を認識した。このうちドミナントなB細胞エピトープ領域は家兎及びマウスでは11-19残基目、山羊では82-96残基目であった。

 次にOVMピンペプチドとハプロタイプの異なる3系統のマウスを用いて、T細胞エピトープ領域を決定した。C3H/He(H-2k)マウスでは、49-93及び97-114残基目にドミナントな領域、7-21、37-48、94-96、115-123及び145-177残基目にサブドミナントな領域が存在した。一方、BALB/c(H-2d)とC57BL/6(H-2b)マウスでは、T細胞エピトープ領域は限られていた。すなわち、BALB/cマウスは100-114及び157-171残基目、C57BL/6マウスでは157-180残基目がT細胞エピトープ領域であった。また、OVMの糖鎖及びジスルフィド結合にかかわるシステイン残基がT細胞と抗原提示細胞による認識には重要でないことを明らかにした。

 OVMについても、β-CN及びβ-LGと同様に経口投与による免疫応答を調べ、顕著な抗原特異的免疫応答の抑制が起こることが明らかとなった。特に、0.1mgのOVM、1回投与によっても強い免疫応答の抑制が認められ、酸や消化酵素に抵抗性を示すOVMが寛容誘導可能な形態で消化管まで到達し、効率的に免疫応答を抑制したと結果と考えられた。

 最後に、ヒトの鶏卵アレルギー患者の認識するB細胞エピトープ領域の一部を明らかにした。OVMの全一次構造をカバーするぺプチド45種と還元カルボキシメチル化により立体構造を破壊したOVMとも結合性を失わない患者血清3検体からのIgE抗体との結合性を調べた結果、ドミナント領域は1-11、157-167及び177-186残基目、サブドミナント領域は113-123、125-135残基目であることがわかった。実験動物で得られた領域とはドメインIIIに存在する157-167及び177-186残基目がほぼ一致していた。

 本研究では、代表的な食物アレルゲンのβ-CN、β-LG及びOVMの抗原構造について、実験動物と合成ペプチドを用いて解析した。得られたエピトープ情報を基に、実際の食品摂取を考慮し、加熱による抗原認識の変化、経口投与された抗原に対する抗原認識についても検討し、その認識領域が変化することを明らかにした。さらに、抗体結合領域の一部を置換した変異β-LGによる免疫応答の修飾効果の検討から、エピトープ情報の有用性を示した。以上の成果は、低アレルゲン化タンパク質の分子設計や抗原特異的な免疫応答制御につながる基礎的知見として意義深いものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 B細胞やT細胞によって認識される抗原分子の構造(エピトープ)に関する知見は、抗原分子の認識機構の解明や抗原構造を利用した免疫応答制御方法の開発に極めて重要である。しかし、免疫応答は抗原の性質や宿主側の因子によって影響されることから、認識エピトープに関するタンパク質に普遍的な共通構造は明確にされていない。

 本論文では、食品抗原によって引き起こされる過剰な免疫応答である食品アレルギーの制御につながる基礎的知見を得るため、牛乳アレルゲンのβ-カゼイン(β-CN)、β-ラクトグロブリン(β-LG)及び鶏卵アレルゲンのオボムコイド(OVM)について、マウス、家兎及び山羊の3種の実験動物と合成部分ペプチドを用いて詳細な抗原構造解析を行い、抗原分子の認識における普遍性や差異について明らかにしようとした。

 緒論において本研究の背景と意義について概説した後、第1章では、ウシβ-CNの抗原構造解析を行っている。β-CNの全領域をカバーする20種の合成部分ペプチドとマウス、家兎および山羊から得た抗β-CN抗血清を用いて、B細胞エピトープ領域を明らかにした。抗体の特異性は種に特徴的であったが、共通して認識される領域も存在した。すなわち、マウスは80-95、143-158及び195-209残基目、家兎は1-16残基目、ヤギは100-115残基目を最も強く認識し、1-16、100-115、121-136および143-158残基目は3種の動物に共通して認識された。また、抗体結合に重要なアミノ酸残基は7〜9残基程度に限定化された。次に食品として摂取したときの免疫応答を明らかにするため、牛乳を飲水の代わりに自由摂取させ、β-CNに対するB・T細胞認識について近交系マウスを用いて解析した。牛乳経口投与によりβ-CN特異抗体量は低下したが、ドミナントなB細胞エピトープ領域に対する抗体産生が低下すると同時に、抗体産生の抑制を免れる領域が存在した。一方、T細胞応答の十分な抑制には長期投与が必要であり、マウスβ-CNとのホモロジー、β-CNの消化性、牛乳中に存在する免疫賦活因子などが関係していると考えられた。

 第2章では、ウシβ-LGの抗原構造解析を行っている。β-LGの全領域をカバーする合成部分ペプチド16種とマウス、家兎及び山羊から得た抗β-LG抗血清を用いた解析の結果、β-CNと同様に個体差はあるが動物種に特徴的な認識パターンを示し、また種に共通する認識領域も存在することが明らかとなった。すなわち、マウスにおいては22-56、72-86、119-133及び149-162残基目、家兎においては22-56、72-95、100-113、119-143及び149-162残基目、山羊においては22-46、52-86、119-143及び149-162残基目がドミナントなB細胞エピトープ領域であった。また、加熱変性β-LGに対するB細胞認識及び牛乳又はβ-LG水溶液の経口投与がβ-LGに対するB・T細胞認識に及ぼす影響についても調べた。その結果、加熱処理温度によってβ-LG上のB細胞エピトープ領域は変化し、新た認識される領域が複数存在することが明らかとなった。さらに、牛乳、β-LG水溶液の経口投与によって、

 β-LG特異的B・T細胞応答はともに顕著に抑制されたが、新たに認識される領域も認められた。また、β-LGのB細胞エピトープ情報を基に、161残基目のヒスチジンをアスパラギン酸に置換した変異β-LGを作製し、エピトープ領域の一部置換により、免疫応答を修飾できる可能性を示した。

 第3章ではニワトリOVMの抗原構造解析を行っている。OVMの全一次構造をカバーする179種の部分ペプチドを合成し、マウス、家兎及び山羊から得た杭OVM抗血清を用いて、OVMの一次構造依存型のB細胞エピトープ領域を決定した。家兎は11-19、43-54、83-96及び159-172残基目、山羊は7-14、82-96、160-172及び176-186残基目を、マウスは11-19、41-53、84-95及び160-172残基目を認識し、β-CN及びβ-LGと同様、種を超えて認識されやすい領域が存在した。また、近交系マウスの認識するT細胞エピトープ領域も明らかにした。β-CN及びβ-LGと同様に、OVMの経口投与によりOVM特異的免疫応答は顕著に抑制され、OVMが強力な寛容原であることがわかった。さらに、OVMのペプチド45種と卵アレルギー患者血清IgE抗体との結告性を調べ、ヒトの認識するB細胞エピトープ領域の一部も明らかにした。

 以上、本論文では代表的な食物アレルゲンのβ-CN、β-LG及びOVMの抗原構造について、実験動物と合成ペプチドを用いて解析し、また、実際の食品摂取を考慮して、加熱変性タンパク質に対する抗原認識及び経口投与された抗原に対する抗原認識についても検討し、抗原認識における共通性、差異を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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