学位論文要旨



No 215640
著者(漢字) 元島,英雅
著者(英字)
著者(カナ) モトシマ,ヒデマサ
標題(和) 苦味低減効果を有するアミノペプチダーゼに関する研究
標題(洋)
報告番号 215640
報告番号 乙15640
学位授与日 2003.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15640号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 チェダーチーズ、ゴーダチーズ、あるいはカマンベールチーズなどの産業的に極めて重要なチーズにおいて、しばしば苦みの欠陥が見られ、熟成後、製品で苦みが発生すると、食品としての価値を低下させ、経済的にも大きな損失につながる。これは、チーズ中に蓄積される苦みペプチドが主要原因であることがすでに解明されている。それ故、これを解決することは、産業的にも重要な課題である。本論文は、カゼインの加水分解物の苦味を効率的に低減する効果のあるアミノペプチダーゼ、特に、高度好熱性細菌Thermus aquaticus YT-1株(ATCC25104)のアミノペプチダーゼT(以降AP-Tと略称することがある)と乳酸菌Streptococcus thermophilus YRC 001株(よつ葉乳業保存菌株)のリシルアミノペプチダーゼ(アミノペプチダーゼN、以降AP-YRCと略称することがある)に関して研究を行ったものである。AP-Tに関しては、その遺伝子の塩基配列の解明、他のアミノペプチダーゼとの相同性、苦味の低減効果、AP-T処理によるカゼイン加水分解物の低アレルゲン化について研究した。また、リシルアミノペプチダーゼに関しては、その精製酵素の性質、遺伝子の塩基配列の解明、苦味低減効果の確認、乳業用乳酸菌株での発現系の構築について研究した。

1)アミノペプチダーゼT

 皆川らは70℃以上の温度でも増殖可能な高度高熱性細菌であるT. aquaticus YT-1から新規のアミノペプチダーゼを精製し、アミノペプチダーゼTと命名した(AP-T)[Minagawa et al., Agric. Biol. Cem. 52,1755-1763(1988)]。皆川はその性質を詳細に決定し、本酵素は耐熱性の極めて高い分子量48,000の同一のサブユニットからなる2量体酵素で、金属依存性であることを見いだした。皆川はAP-Tがカゼインのエンドペプチダーゼ特にトリプシン分解物の苦みを効果的に低減することを発見し、それが苦味ペプチドを分解するためであることを明らかにしている[Minagawa et al., J. Food Sci., 54,1225-1229 (1989]]。しかし、AP-Tは全くの新規の酵素で他の酵素との類縁関係が分からなかった。

 第1章と第2章では、それぞれAP-Tの精製と遺伝子のクローニングについて述べた。AP-TのN-末端側のアミノ酸配列からプローブを合成し、AP-T遺伝子を含む約5.0kbのHindIII断片をクローニングし、AP-T遺伝子の全配列を初めて決定した(DDBJ/EMBL/GenBank登録番号:D00814)。AP-T遺伝子は408アミノ酸をコードしており、GTGが開始コドンであった。サブユニットの推定分子量は44,820であった。また、Bacillus stearothermophilus NCIB8924で報告されていたアミノペプチダーゼII(APII)とN-末端アミノ酸配列15残基のうち、7残基が一致し、相同性があることが明らかとなった。その他の既知のタンパクとの相同性は無かった。

 第3章ではAP-Tの大腸菌での発現について述べた。部位特異的変位法を用いて開始メチオニンをコードするGTGをATGに置換し、AP-T遺伝子上流部分を削除し、pKK223-3由来のtacプロモーターのS/D配列の下流に開始コドンを連結した。IPTGで誘導し、発現させたところ、大腸菌でタンパクとして約5%程度の生産に成功した。以上についてはMotoshima et al., Agric. Biol. Chem., 54,2385-2392 (1990)で報告した。第4章ではT. thermophilus HB8株(NCIB11244)からAP-Tと相同のタンパク質(AP-Th)の遺伝子(D13386)と、B. stearothermophilus NCIB8924株のAPII遺伝子(D13385)の配列を決定した。AP-Th遺伝子はAP-T遺伝子と同様に408アミノ酸をコードしており、AP-Tと86%の相同性があった。一方、APII遺伝子は413アミノ酸をコードしており、AP-Tと43%の相同性があった。これらの酵素の1次構造は他の既存のアミノペプチダーゼとは相同性がなく、孤立したファミリーをなしていることが明らかとなった。現在では世界的にアミノペプチダーゼTファミリーとして認知されており、MEROPSデータベースにおいてもクランMX、ファミリーM29として独立して扱われている。以上についてはMotoshima et al., Biosci. Biotech. Biochem. 61, 1710-1717 (1997)で報告した。

2)リシルアミノペプチダーゼ

 皆川らの報告からLeu-MCAに対する高い活性を有する菌は、苦味ペプチドに由来する食品の苦みを低減する可能性が高いことが明らかである。しかし、高度好熱性細菌のAP-Tは食経験がないという点で、チーズ製造等に直接用いるには障害がある。それ故、同じ発想に立って、チーズスターターに用いられている乳酸菌株280株から、アミノペプチダーゼ活性が高い株をスクリーニングした。その結果、よつ葉乳業保存菌株S. thermophilus YRC001が非常に高い蛍光基質Leu-MCA (L-Leucine 4-Methyl-Coumaryl-7-Amide)に対する分解活性を有していることが明らかとなり、苦味低減効果が期待された。そこで、YRC001株から本活性を指標にアミノペプチダーゼを精製した。本酵素(AP-YRC)はモノマーの酵素で、SDS-PAGEで約9万、ゲル濾過で約10万であった。広い基質特異性を有し、特にリシルペプチド、あるいはロイシルペプチドを良く分解した。活性に対する至適温度とpHは35℃でpH6.5であった。EDTA、o-phenanthroline及び、PCMBが活性を阻害し、メタロペプチダーゼであった。AP-YRCは、トリプシン処理した還元脱脂乳の加水分解物に作用させると有意に苦味を低減した。そこで、精製した酵素のN-末端配列と内部アミノ酸配列を利用して全遺伝子を含む2,940bpのXbaI断片をクローニングした。遺伝子は849アミノ酸をコードしており、推定分子量は96,434であった。AP-YRCのアミノ酸配列は、既知のリシルアミノペプチダーゼ(アミノペプチダーゼN)と高い相同性を有しており本酵素はリシルアミノペプチダーゼであることが分かった(DDBJ/EMBL/GenBank:D38040)。以上については.,Biosci.Biotech. Biochem.に掲載予定である。第6章において、AP-YRCに苦味低減効果があることが明らかになったので、AP-YRC遺伝子をチーズ用乳酸菌に組み込んでチーズを製造することを目標に乳酸菌での発現系の構築を行った。乳酸菌の一種Lactococcus lactis subsp. lactis biovar diacetylactisには、一般に広くクエン酸プラスミド(citrate plasmid)と呼ばれるプラスミドが存在している。このプラスミドは何代にも渡る植え継ぎにもかかわらず、安定に維持されている。それ故、クエン酸プラスミドをベースに構築したベクターを用いて、アミノペプチダーゼ遺伝子発現ベクターを作製し、乳酸菌で発現すれば、安全で、食品として利用できる高アミノペプチダーゼ生産乳酸菌が得られると考えた。まず、L. lactis subsp. lactis biovardiacetylactis NCIMB10484株からクエン酸プラスミドpCT484を分離し、λZAPIIファージベクターでクローン化した後、Stretptococcus sanguis由来のエリスロマイシン耐性遺伝子を導入して乳酸菌-大腸菌シャトルベクターpSS7を構築した。pSS7にAP-YRC遺伝子を導入して、大腸菌由来の配列を除去したpSLAP6を構築した。pSLAP6で乳業用のL. lactissubsp. lactis及びL. lactissubsp cremoris株を形質転換し、エリスロマイシンの選択圧下で形質転換体を得た。どの株も不和合性の問題なく形質転換でき、選択圧がなくてもプラスミドは比較的安定であった。形質転換体はYRC001株に比べて強いもので約4倍のアミノペプチダーゼ活性があった。以上の結果から、S. thermophilusのAP-YRC遺伝子はLactococcus属で容易に高発現し、実用性が示唆された。しかし、エリスロマイシンの選択圧なしで、citP(クエン酸透過能)あるいはAP-YRC(アミノペプチダーゼ活性)を指標として形質転換体を選別しようと試みたが形質転換体を得ることはできなかった。

3)AP-Tを用いたカゼイン加水分解物の呈味性の改善と低アレルゲン化

 第7章において、全カゼインのエンドペプチダーゼ分解物をAP-Tでさらに処理した場合の、苦味の低減とその免疫学的性質について詳細に検討した。サチライシン、サーモリシン、あるいはトリプシンで調製した全カゼイン加水分解物では、特にトリプシン分解物が極めて苦味が高かった。これらの加水分解物を、AP-Tで分解し、官能評価したところ、苦味は有意に低減した。サチライシン加水分解物とサーモリシン分解物は低い抗原性を有していたが、トリプシン分解物は抗原性が高かった。トリプシン分解物をAP-Tで処理すると、抗原性が効果的に低下した。AP-Tで処理すると免疫原性も顕著に減少することが示された。AP-Tで処理すると牛乳アレルギー患者の血清中に存在する特異的IgE抗体に結合する抗原の量が減少した。それ故、AP-T処理は、苦味を低減して風味を改善すると同時に、カゼインのアレルゲン性を低減できることが示された。

 以上のとおり、苦味低減効果のあるアミノペプチダーゼという観点で、高度好熱性細菌のアミノペプチダーゼTおよび乳酸菌のリシルアミノペプチダーゼの研究を行った。本研究の結果、アミノペプチダーゼTファミリーという新しい酵素ファミリーとして世界的に認知されるに至った。また、乳酸菌のリシルアミノペプチダーゼの精製とクローニングを行いその構造を決定した。本遺伝子は、乳酸菌の食品用ベクターの開発に最も利用しやすいもので、実用化が期待される。また、プロテアーゼ処理によるタンパクの低アレルゲン化は知られているが、特にアミノペプチダーゼによる苦味低減と低アレルゲン化という新しい手法に関して予備的な知見を得ることができた。今後の研究の発展が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 チェダーチーズなどの産業的に極めて重要なチーズにおいて、しばしば苦みの欠陥が見られ、製品で苦みが発生すると、経済的にも大きな損失につながる。これは、チーズ中に蓄積される苦みペプチドが主要原因であることがすでに解明されている。それ故、これを解決することは、産業的にも重要な課題である。本論文は、カゼイン加水分解物の苦味を効率的に低減する効果のあるアミノペプチダーゼ、特に、高度好熱性細菌Thermus aquaticus YT-1株のアミノペプチダーゼT(AP-T)と乳酸菌Streptococcus thermophilus YRC 001株のリシルアミノペプチダーゼ(AP-YRC)に関して研究を行ったものである。

 緒論で本研究の背景と意義について概説した後、第1章においてAP-Tを精製し、N-末端アミノ酸配列を確認している。第2章においてAP-T遺伝子をクローニングし、全配列を初めて決定した。AP-T遺伝子は408アミノ酸をコードしており、2量体のサブユニットの推定分子量は44,820であった。アミノ酸配列は、B. stearothermophilus NCIB8924株のアミノペプチダーゼII(APII)との相同性が示唆された。第3章では、部位特異的変異の手法を用いて、大腸菌でAP-Tを生産することに成功した。

 第4章ではAP-Tと相同性があるThermus thermophilus HB8株のアミノペプチダーゼ(AP-Th)遺伝子と、B. stearothermophilus NCIB8924株のAPII遺伝子の配列を決定している。この結果、AP-Tはこれらの酵素と共にアミノペプチダーゼTファミリーを形成していることを示した。

 第5章では、AP-Tと同様に苦味低減効果が期待できるアミノペプチダーゼ(AP-YRC)を乳酸菌YRC001株から精製し、性状を決定し、クローニングした結果について述べている。AP-YRC遺伝子は849アミノ酸をコードしており、推定分子量は96,434であった。AP-YRCは性状とDNA配列から、リシルアミノペプチダーゼであることが明らかとなった。精製AP-YRCをトリプシン処理した還元脱脂乳に作用させると有意にその苦味を低減した。

 第6章においては、AP-YRC遺伝子をチーズ用乳酸菌に導入するために、乳酸菌での発現系の構築を行っている。Lactococcus lactis subsp. lactis biovar diacetylactis由来のクエン酸プラスミドをベースにアミノペプチダーゼ遺伝子発現ベクターを構築し、各種の乳業用Lactococcus株を形質転換した。どの株も不和合性の問題なく形質転換でき、選択圧がなくてもプラスミドは比較的安定であった。形質転換体はYRC001株に比べて約4倍のアミノペプチダーゼ活性があり、その実用性が示唆された。

 第7章においては、カゼイン加水分解物に対するアミノペプチダーゼ処理の免疫学的な影響を知るために、全カゼインのエンドペプチダーゼ分解物をAP-Tで処理した場合の、苦味低減とその免疫学的性質について検討している。サチライシン、サーモリシン、あるいはトリプシンで分解した全カゼイン加水分解物では、特にトリプシン分解物が極めて苦味が高かった。これらの加水分解物を、AP-Tで分解し、官能評価したところ、苦味が有意に低減した。サチライシン加水分解物とサーモリシン分解物は低い抗原性を有していたが、トリプシン分解物は抗原性が高かった。トリプシン分解物をAP-Tで処理すると、抗原性が効果的に低下した。AP-Tで処理すると免疫原性も顕著に減少することが示された。AP-Tで処理すると牛乳アレルギー患者の血清中に存在するIgE抗体に結合する特異的抗原の量が減少した。それ故、AP-T処理は、苦味を低減すると同時に、カゼインのアレルゲン性を低減できることが示された。

 以上、本論文は、苦味低減効果を有するアミノペプチダーゼという観点で、高度好熱性細菌のアミノペプチダーゼTおよび乳酸菌のリシルアミノペプチダーゼの研究を行ったもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク