学位論文要旨



No 215643
著者(漢字) 松村,和樹
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,カズキ
標題(和) 風倒木地における山腹表層崩壊に関する研究
標題(洋)
報告番号 215643
報告番号 乙15643
学位授与日 2003.03.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15643号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 露木,聡
内容要旨 要旨を表示する

 土砂災害の多くは,崩壊・土石流によって引き起こされるが,その発生機構は複雑である.多くの場合降雨が誘因となっているが,それ以外にも斜面形状,表層土層厚,表層土強度,基盤地質,植生・土地利用等が複雑に影響している.これらの要素のうち表層土強度に関しては,風化や地震などの外力を受け,その強度が低下する場合の他に,台風などの強風で斜面上の樹木が揺すられた場合にも表層土強度の低下が起こる.

 1991年の台風19号は,典型的な「風台風」で,全国各地に暴風による甚大な被害をもたらした.特に九州北部ではこの台風による風倒木被害は甚大であった.その後,1993年の梅雨時の降雨で、大分県の築後川上流域で風倒木被害の大きい地域に山腹崩壊が多発し,その崩壊土砂が土石流となり人的被害が生じた.このときの降雨の規模は,10年超過確率程度で,過去にこのような降雨規模でこれほどの崩壊が多発した事例はない.したがって,このような降雨規模で崩壊が多発したことは,風倒木の発生により,山腹表層士の強度が低下したのではないかと推定された.また,風倒とはなっていない風倒木発生地区周辺域にも多くの崩壊と土石流の発生が認められた.このことから,風倒とならないまでも樹木が強風に強く揺すられることによって,山腹表層土が擾乱され、強度が低下したのではないかと推定される.

 風倒被害に関する既往の研究は少なく,特に風倒と土砂生産に的を絞った研究は極めて少ない.そこで,本論文では,1991年の台風19号で生じた風倒木地、および同様の強風を受けたと思われる風倒木発生周辺域を対象とし,その後の1993年に発生した崩壊・土石流と風倒木の関連を解明することにより,強風による樹木の揺動が土層強度を低下させ,通常より少ない降雨で崩壊を発生させうることを実証的に明らかにするとともに,その過程で土質強度の低下エリアを同定する方法及びそのような条件での崩壊発生メカニズムならびに崩壊発生支配降雨について考察することとした.以上が本研究の目的であり,第1章の概要である.

 第2章においては,1991年9月の台風19号の全国区的な被害を整理し,特に九州北部の風倒木被害について詳述し,さらに,これまでの台風19号の特性や災害に関する研究・報告をレビューした.

 対象地域における森林の73%はスギ・ヒノキの人工林で占められ,人工林内スギが77%を占めている.風倒木の82%はスギが占めており,倒木となったスギの内,30年生以上のものが78%を占め,20年生以上のスギでは98%を占めている.現地での観察から根球径は,各樹木の植樹間隔に一致している.このことは,樹木相互の干渉で根茎の成長が抑制され,密植されて管理が行き届かない人工林は,不安定な状態になることを示していた.

 調査対象地域内において約1,500箇所の風倒木地を無作為に抽出し,その斜面縦断勾配を調べた.また,その一方で風倒木の発生と同時に生じたと推定される崩壊箇所について斜面縦断勾配を調査した.風倒木地の勾配は,約27度〜30度を中心にほぼ正規分布を示しているが,崩壊地斜面の勾配は,33度を超えると急に崩壊地が増加する傾向を示している.

 第3章では,風倒木被害が発生し,山地斜面の表層土が大きく擾乱を受け,1993年の梅雨期に崩壊・土石流が多発した大分県日田地方を中心に調査を行い,検討を加えた.対象地域に関わる4観測所の約20年間の降雨データから,1,2,3,4,5,6,9の時間雨量と日雨量の確率計算を岩井法で行った.これらの解析から,このときの5時間降雨量は,鯛生観測所で5年超過確率,大野観測所で2〜5年超過確率,黄川でも2〜5年超過確率と1993年の6月降雨は,それほど大きな降雨ではなかったと認められた.この崩壊を発生させた降雨が通常崩壊を発生させる降雨よりかなり小さいものであることを他地域の研究成果との比較で検証した.また,非風倒木地域においても多くの崩壊が発生したことは,非風倒木地においても強風の影響を受け,風倒木地と同様に表層土が擾乱を受けている箇所の存在が推定された.

 第4章では,第3章の推定を受け,リモートセンシング技術を用い,植生活力を指標として非風倒木地に存在する強度が低下した斜面の同定を行った.植生活力度と斜面の安定性との関係の検討には,対象が広範囲となるためランドサットTMデータを使用した.取り扱うバンドを定めるため,対象地域内の上野田川流域(約50Km2)をサンプルとして,現地調査結果と航空機MMSデータの照合を行いながら,非風倒木地の「健全な植生域」と「植生活力低下域」を抽出し,明瞭に分類されるバンドの組み合わせを選定した.植生の活力を明確に分離できるアルゴリズムは,バンド3とバンド4を指標に用いた{(バンド4-バンド3)/(バンド4+バンド3)}が適切であると判断された.ランドサットTMデータは,地形図上で照合した結果,平均的に1ピクセル(30m)程度のランダム方向のずれが確認された.これらのことから,解析単位としては,80%以上の風倒木地を表現でき,ランドサットデータの位置誤差を包括する90m×90mのサイズで取り扱うものとした.なお,崩壊地規模はランドサットTMデータの分解能では表現不可能なサイズのため,解析単位内の崩壊面積率で表現するものとした.

 斜面勾配の影響を避けるため勾配30°以上のデータを解析対象とし,植生活力を「健全植生域」,「活力低下植生域」,「植生消滅域」に3分類し,風倒木発生前後の植生活力低下量(ΔNVI=NVI1990-NVI1992)を用い,植生状態を3等分とした。

 この解析から,降雨量の少ない領域において,ΔNVIの増加に伴い崩壊率の増加が明瞭に認められる.一方,降雨量の多いところでは,降雨量等の他要因の影響が混在しているためか,ΔNVIと崩壊率の関係は明確ではなかった.

 これらの結果から,非風倒木地において崩壊が多発した原因が,樹木が強風に揺すられ,表層土の強度が弱体化したことにあると考えられ,非風倒木地において表層土強度の低下は,リモートセンシングで計測されるNVIの低下量で評価できる可能性が高い.

 第5章では1993年に生じた風倒木地とその周辺において発生した崩壊のデータを用いて,崩壊のメカニズムに関して既往の研究のレビューを行い,現地調査から得た知見に基づき,降雨の降下浸透が大きく関わる崩壊メカニズムに検討を加え,これらの崩壊を生じさせた支配降雨の特性を考察し,山腹表層崩壊メカニズムについて新しい概念を提案した.

 今回の対象地である風倒木地で発生した崩壊は,相対的不透水層を境界にしない同質の土層内を崩壊面とした崩壊が多発していることが確認された.そのメカニズムを支配する要因として飽和度に伴う土層強度低下に着目した.水分と土質強度の関係において,化学的反応が支配する粘土を除き,砂質土では,水分含有に伴うサクションの影響が大きいと考えられる.

 不飽和土の崩壊メカニズムモデルにおいて崩壊の発生原因は,以下のように考えられる.

(1)降雨の降下浸透による飽和度の増加で,降下浸透面でサクションが消滅,すなわち,せん断抵抗力が減少し崩壊に至る.

(2)土塊が降雨水を含むことで重量が増加し,せん断力が大きくなり崩壊に至る.

 これを概念図で示せば,次のようになる.

 次に飽和不飽和浸透流モデルを用い数値実験で降下浸透の様相を把握した.その結果,次のような現象が認められた.(1)降雨時の不飽和土層中の最大飽和度は表面に生じ,降雨強度が大きい場合には,その最大飽和度と同程度の不飽和ゾーンが下層部伝達する.(2)浸透速度は,降雨強度が大きいほど早くなる傾向が認められる.(3)降雨終了後も飽和度を小さくしながら,浸潤線が下部へ伝達する.上図と飽和不飽和浸透流解析結果から崩壊の発生は,降雨の降下浸透面がせん断抵抗力とせん断力が釣り合う深さまで達する時間と浸透面の含水状態を維持する降雨強度に支配されることになる.

 一方,テルツァーギの有効応力理論と飽和浸透流解析を組み合わせた飽和土の崩壊メカニズムで導かれる崩壊を支配する降雨は以下の式で与えられる.

 ここで,r:降雨強度,f:表層土の下位層への浸透強度,k:透水係数,hc:崩壊に必要な地下水深,L:斜面長,T:地下水位の勘案地点までの到達時間である.

 この式から,崩壊の発生は,地下水位が崩壊限界地下水深hcに達するまでの総降水量ΣRと時間Tで決定される.すなわち,崩壊発生支配降雨はその時間内の総雨量で評価できる.

 飽和理論と不飽和理論の両者において,崩壊の発生に関するメカニズム的に差異はあるが,降雨が崩壊に与える影響は,「一定時間とその時間内の雨量強度が支配的である」と言った面においては,結果的に非常に類似している.このことが飽和浸透流解析と地下水位を間隙水圧に置き換えた安定解析が支持されてきた理由の一つと考えられた.

 不飽和モデルの崩壊のメカニズムから判断すれば,急勾配斜面では,元の安全率は緩勾配斜面に比べ小さく,崩壊は小さい雨でも崩壊が生じることになる.このことは,同じ土質強度を有する斜面において崩壊が発生する場合には,急勾配斜面の崩壊深は浅く,緩勾配斜面の崩壊深は深いことになる.1993年の風倒木地に関係した崩壊の崩壊深は,斜面勾配に反比例している傾向が認められ,斜面表層崩壊に関して,今回提案した不飽和モデルの適用が良いと判断された.

 上記の考察から,山腹表層崩壊を発生させる降雨は,ある時間内における雨量強度に支配されると考え,1993年6月の風倒木地とその周辺で発生した崩壊に関して,崩壊発生限界雨量と崩壊発生急増降雨の二つのレベルにおいて崩壊発生を寄与している降雨について検討した.崩壊急増雨量と限界雨量ともに風倒木地と非風倒木地の間に明確な差は見られなかったが,この崩壊発生支配降雨は,平均雨量強度が30mm/hrで,継続時間6時間以内の総雨量と推定された.

図:(1)安定状態 (2)不安定状態

審査要旨 要旨を表示する

 台風などにより強風が吹くと、山腹斜面に風倒木の被害が発生することはよく知られている。しかも、風倒木地ではその後、樹木の根系が腐朽し、表層崩壊や土石流が発生することも防災関係者にはよく知られている。しかしながら、風倒木被害の発生直後に、通常の崩壊発生降雨量よりも少ない降雨量で表層崩壊が発生する事実や、それが風倒木地周辺でも発生している事実はほとんど知られていなかった。本研究は、風倒木地やその周辺の非風倒木地に、風倒木被害の発生直後に、通常の崩壊発生降雨量よりも少ない降雨量で表層崩壊が発生する事実を始めて実証的に明らかにすると共に、そのような非風倒木地の同定と、そのような崩壊の発生機構及びその支配雨量を明らかにしたものである。

 第1章では、上述した研究の目的と論文の構成を記述している。

 第2章では、風台風で有名な1991年の台風19号による風倒木被害を、大分県西北部地域を調査地域として精査し、(1)風倒木発生地は風が加速・集中する地形的特徴を持つ、(2)スギ人工林では風倒木の78%が30年生以上、98%が20年生以上の壮齢木である、(3)この時、累加雨量74.0mm、時間雨量28.5mmの小さい雨量で崩壊が発生している、等を明らかにした。また、詳細な風倒木発生区域分布図を作成した。

 第3章では、上述の台風19号から2年後の1993年の梅雨期に、ほぼ同じ地域に多発した表層崩壊・土石流を調査し、崩壊発生特性を解析した。まず、調査地域全体の当雨量線図を各種作成すると共に、超過確率雨量を求めた。一方で、詳細な表層崩壊発生区域図を作成した。さらに、表層崩壊発生区域を現地調査し、その斜面特性、その他を検討した。これらより、(1)調査地域と同じ全国の安山岩地域で過去に発生した崩壊の発生限界降雨の事例数例と比較した結果、時間雨量30mm、連続雨量90mmという、明らかに小さい降雨量で崩壊が発生している、(2)崩壊個数密度は小さいものの、非風倒木地区でも崩壊が発生している、(3)表層崩壊発生斜面の勾配の分布は、風倒木地区も非風倒木地区も同様の傾向を示す、等を明らかにすると共に、これらの表層崩壊は表層土の強度低下により発生しているものであり、非風倒木地においても樹木の揺動の激しい地域では表層土の強度低下が起こり得ると推定した。

 第4章では、第3章の考察結果を受けて、非風倒木地区内の強度低下斜面を、リモートセンシング技術を用い、樹木の活力度の低下から推定する方法の可能性を検討した。すなわち、まず、ランドサットTMデータを用いて、現地調査結果と航空機MMSデータで照合しながら"健全な植生域"と"植生活力度低下域"を区分できる指標が正規化された植生指数NVIであることを確かめ、次に、崩壊発生の前後で植生活性度が変化した地域を抽出し、それらと崩壊発生地との関係を検討した。その結果、降雨量の比較的少ない地域では、植生活力度が低下した地域ほど崩壊発生頻度が高いことを見出した。このことは、非風倒木地区においても、2年前の強風により樹木が強く揺すられた斜面では、それが幹や根系部を通して表層土に擾乱を与え、表層土の強度低下を招くためと考えられた。

 第5章では、このような擾乱による表層土の強度低下区域では、通常の崩壊発生限界雨量より小さい雨量で表層崩壊が発生する"メカニズム"を検討した。解析には不飽和浸透流解析と不飽和有効応力解析を用いた。その結果、急勾配斜面では緩勾配斜面より崩壊深が浅くなり、風倒木地の崩壊のデータと一致することや崩壊を発生させる限界雨量が小さくなることを明らかにし、本研究が対象とした崩壊の"支配雨量"(崩壊発生限界降雨強度及び総雨量)を、平均降雨強度約30mm/hr、継続時間6時間以内の総雨量と推定した。

 以上より、本研究は、風倒木地やその周辺の非風倒木地に、風倒木被害の発生直後に、通常の崩壊発生降雨量よりも少ない降雨量で表層崩壊が発生する事実を始めて明らかにすると共に、危険斜面の推定方法を提案し、学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51174