学位論文要旨



No 215647
著者(漢字) 谷口,将紀
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,マサキ
標題(和) 選挙制度改革の研究 : 衆議院静岡県第1選挙区を事例として
標題(洋)
報告番号 215647
報告番号 乙15647
学位授与日 2003.03.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第15647号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 猪口,孝
 東京大学 教授 馬場,康雄
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 森田,朗
内容要旨 要旨を表示する

 1996年10月20日に行われた第41回衆議院総選挙は、これまで約半世紀にわたって続いてきた中選挙区制に代わって、小選挙区比例代表並立制を導入した歴史的な選挙になった。本稿は、新しい選挙制度に政治家や諸組織、有権者がどのように対応し、あるいは不適応を示したのか、検証するものである。

 本稿が直接の分析対象とするのは、衆議院静岡県第1選挙区(静岡県静岡市)である。1996年総選挙において、静岡1区では自民党陣営が3つに分裂したうえ、新進党と民主党からは現職議員が立候補し、共産党候補、さらに複数の無所属候補と、ひとつの議席をめぐって8人の候補が争い、当選者の得票率は全国300の小選挙区で最低という激しい選挙になった。本稿は、政党本位となるはずの小選挙区制でなぜ候補者が乱立したのか、そして激戦区で何が起きたのかを、本稿は、さまざまな資料、データ分析を組み合わせて明らかにする。特定選挙区を対象とした選挙政治分析にはFennoやCurtisによる古典的名著が存在する。参与観察や面接調査を重ねるという点では、本稿もこれらの伝統に則るものであるが、本稿はさらに、新聞記事や手記をはじめとする蓄積された各種歴史的資料を掘り下げ、またサーベイ・リサーチや各種統計を解析するなど、さまざまな角度から同一の分析対象にアプローチすることで、新しい選挙制度を総合的に評価した点に特徴が見出される。

 まず第I部「経緯」では、1996年総選挙に至る歴史的経緯が分析される。第1章「盟主不在」では中選挙区制下の(静岡市を含む)旧静岡1区の歴史をふりかえり、地元政界では自民党優勢であったにもかかわらず、静岡市を地盤とする自民党代議士がいなかった点が指摘される。

 続く第2章「混迷の序曲」では、1996年総選挙に対してさまざまな意味で直接的な影響を及ぼした、中選挙区制最後の1993年総選挙が分析される。そこではとくに、静岡市を地元とする非自民党の代議士が2人誕生した点が、96年総選挙にとって重要な伏線となる。

 小選挙区導入によって選挙区面積が小さくなったことによって、地方議員の国政進出が容易になったといわれる。とくに新静岡1区の場合は、静岡市単独でひとつの選挙区を構成する「一市一区」であったから、総選挙と地方政界の結びつきはより密接であった。「本命不在」と題する第3章では、自民党の候補者公認過程をめぐるこうした地元政界のプレゼンスが考察される。その結果、県知事、市長、静岡市区選出の県議、市議いずれも、候補者ないし調整者として主導権を握り得る立場にあった者が、(すくなくとも当時)存在しなかった点が明らかにされた。

 静岡1区で全国最多の候補者が乱立したのは、決して偶然の産物ではなく、いわば連鎖反応である。第4章「候補者乱立」では、静岡市以外の周辺選挙区における自民党公認の混乱が静岡1区にも及び、さらには野党陣営、無所属候補にも波紋を投げかけていくプロセスを追い、96年総選挙、そして2000年総選挙についても後日談として言及がなされている。

 第II部「分析」は、1996年総選挙における全国の最激戦区となった静岡1区で、なにが起きたのか、アクター別に分析が加えられている。第5章「政党組織」は、候補者あるいは政党組織が、どのようにして新しい選挙制度に対応したのか、公認過程や選挙組織、政治資金のあり方を探ることによって考察する。そこでの分析によれば、(共産党など旧来の組織政党を除いた)各政党の地方政党組織は、候補者公認過程や日常活動、政治資金供給や選挙運動支援において、政党本位と呼びうる役割をほとんど果たしていない。ようやく候補者公募や予備選挙などの変化も芽吹きつつあるものの、総じて見る限り、選挙区レベルでの政党公認は、候補者の選挙運動にとって「錦の御旗」という象徴的意味に止まっている。

 その一方で、候補者と有権者の中間に位置する諸組織は、よく選挙制度改革に対応したと結論付けられる。町内会や諸企業、各種団体といった非政治的諸組織の動向を分析した第6章「組織票」では、静岡1区は激戦で動員がもっとも進みそうな選挙区であったにもかかわらず、企業・団体、連合町内会のいずれも、1993年総選挙(中選挙区制で行われた最後の総選挙)よりも特定候補者との結びつきを弱めたことが確認された。

 選挙区面積が小さくなったことによって、いまひとつ注目されたのが、地方議員の動向である。第7章「地方議員」では、中選挙区時代と変わらず自民党系候補者が複数立候補した静岡1区の総選挙で、地方議員の行動に変化は生じたのかを考える。その結果、地方議員についても、小選挙区制下で所属政党が分裂した場合、全体としての動員レベルは中選挙区時代よりも劣るという演繹的な仮説が、調査データによって裏付けられた。

 第8章「有権者」でスポットライトを浴びるのは、章題のとおり静岡1区の有権者である。相次ぐ政権交代、政党の離合集散に静岡市の人々は何を考えたのか。さまざまな投票行動――投票するか棄権するか、小選挙区は誰に投票するか、小選挙区と比例代表の二票をどのように配分するか――の要因を、世論調査データを用いて検証がなされている。そこでは有権者もまた、離合集散を繰り返す政党に愛想を尽かし、無党派層を増大させながらも、一票を投じる場合には政党・政策といった要因も考慮していたことが明らかにされた。候補者乱立となった静岡1区では、政党支持や当該政党の政策公約に対する共感は、保守系無所属候補から公認候補者を区別する手がかりとなった。逆に、小選挙区で無所属候補者に投票した人は、小選挙区は候補者本位、比例代表は政党・政策本位と投票基準を使い分けた場合が多く見られた。

 政党要因、政策争点要因、候補者要因のそれぞれが投票決定要因として影響力をもっているという結論は、一見、中選挙区時代の分析結果と同じように映るかもしれない。しかし、静岡1区で立候補した8人のうち、5人までが自民党歴を有しており、中選挙区制ならば政党や政策の違いは問題にならない、保守系候補による同士討ちであった点に注意が必要である。こうした「似たもの同士」の競争であっても、政党・政策要因を有権者の投票基準たらしめるという意味では、有権者もまた、小選挙区制によく対応したのである。

 以上から明らかなとおり、有権者や諸組織は小選挙区制導入によって期待された政治のありかたを、曲がりなりにも実現した一方で、新しい選挙制度にもっとも対応できなかったのは、それをもたらしたところの政党自身であった。比喩的に言うならば、仏像を造れば、善男善女はこれを拝む。しかし、問題はそれに僧侶が魂を入れたかどうか。これが振選挙制度に対する本稿の結論であり、現実政治への問い掛けである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、1996年10月20日に行われた第41回衆議院総選挙において、この選挙に先立って1994年に導入された新しい衆議院選挙制度に、政治家、政治関連諸組織、それに有権者がどのように対応したか、あるいは不適合を示したかを、静岡県第一選挙区(静岡市)を対象として、様々な角度から総合的に考察したものである。

 日本における衆議院議員選挙制度は、大正14年(1925年)以来、敗戦直後の1946年総選挙を唯一の例外として、いわゆる中選挙制度で行われてきた。1994年に導入された小選挙区比例代表並立制度は、69年ぶりの大変革であった。大部分の候補者にとって、中選挙区から小選挙区への変更は、ゲームのルールの基本的な変更であり、選挙戦略の根本的な見直しを迫るものであった。

 1996年総選挙において、静岡一区では、自民党が三つの陣営に分裂し、新進党と民主党から現職議員が立候補し、さらに共産党候補と複数の保守系無所属候補が出馬して、一議席をめぐって8人の有力候補が争うこととなり、当選者の得票率は全国最低となった。小選挙区制度は、政治を政党本位にすることを主要な目的のひとつとしていたから、これは意外な結果であった。なぜこれほど多くの候補者が乱立したのか、激戦区で何が起きたのかという問題に、本論文は様々な角度から取り組んでいる。

 特定選挙区を対象とした選挙政治分析には、リチャード・フェノやジェラルド・カーチスの研究などが著名である。本論文は、参与観察や面接調査を積み重ねるという点で、その伝統を引きつぎつつ、新聞記事や手記、その他蓄積された歴史資料を掘り下げ、またサーベイ・リサーチや各種統計資料を解析するなど、さまざまな角度から同一の分析対象にアプローチすることで、新しい選挙制度が持った意味を総合的に評価することを試みたものである。

 全体は第I部「経緯」と第II部「分析」とからなり、第I部では1996年総選挙にいたる歴史的経緯が明らかされる。

 まず第1章では、中選挙区制下の(静岡市を含む)旧静岡1区の歴史をふりかえり、地元政界では自民党優勢であったにもかかわらず、静岡市を地盤とする自民党代議士がいなかった点が指摘される。

 続く第2章では、1996年総選挙に対してさまざまな意味で直接的な影響を及ぼした、中選挙区制最後の1993年総選挙が分析される。そこではとくに、新党ブームに乗って、静岡市を地元とする非自民党の代議士が2人誕生した点が、96年総選挙にとって重要な伏線となる。

 第3章では、自民党の候補者公認課程をめぐる地元政界の役割が考察される。一般に、小選挙区導入によって選挙区面積が小さくなったことによって、地方議員の国政進出が容易になったといわれる。とくに新静岡1区の場合は、静岡市単独でひとつの選挙区を構成する「一市一区」であったから、総選挙と地方政界の結びつきはより密接であった。しかし、静岡一区においては、県知事、市長、静岡市区選出の県議、市議いずれの中にも、候補者ないし調整者として主導権を握り得る立場にある者が、少なくとも当時は存在しなかった点が明らかにされた。

 ところで、静岡1区で全国最多の候補者が乱立したのは、決して同選挙区だけの現象ではなく、全国的な連鎖反応がその背後にあった。第4章では、静岡市以外の周辺選挙区における自民党公認の混乱が静岡1区にも及び、さらには野党陣営、無所属候補にも波紋を投げかけていくプロセスを追い、96年総選挙、そして2000年総選挙についても後日談として言及がなされている。

 第II部では、1996年総選挙における全国の最激戦区となった静岡1区で、何が起きたのか、アクター別に分析が加えられる。

 まず第5章では、候補者あるいは政党組織が、どのようにして新しい選挙制度に対応したのか、公認過程や選挙組織、政治資金のあり方を探ることによって考察されている。そこでの分析によれば、(共産党など旧来の組織政党を除いた)各政党の地方政党組織は、候補者公認過程や日常活動、政治資金供給や選挙運動支援において、政党本位と呼びうる役割をほとんど果たしていないことが明らかにされる。ようやく候補者公募や予備選挙などの変化も芽吹きつつあるものの、総じて見る限り、選挙区レベルでの政党公認は、候補者の選挙運動にとって「錦の御旗」という象徴的意味に止まっているというのである。

 第6章は、候補者と有権者の中間に位置する諸組織の動向の分析にあてられている。そして、これらの諸組織は、よく選挙制度改革に対応したと結論付けられる。町内会や諸企業、各種団体といった非政治的諸組織は、激戦で動員が進む可能性が高かったにもかかわらず、1993年総選挙よりも特定候補者との結びつきを弱めたことが確認された。

 第7章は地方議員の動向を分析している。周知のとおり、中選挙区時代には、保守系の地方議員はかなりの程度、自民党衆議院議員の下で系列化されていた。小選挙区となって、選挙区面積が小さくなったことにより、地方議員が大きな力を持つ可能性が出てきた。他方で、自民党候補者が原則的に一人であるため、系列化する必要は低下していた。そうした状況で、地方議員がどのように行動したか、アンケート調査と、多次元尺度構成法で静岡市自民党「地図」を描いて分析した結果、自民党系候補者が乱立し、地方議員は系列に分かれて争ったが、全体としての動員レベルは中選挙区時代よりも劣るという仮説が裏付けられた。系列化はなくならなかったが、勝者が一人しかいない小選挙区において敗者となることを避けるため、地方議員のコミットメントは深くはなかったのである。

 第8章は有権者に関する分析である。相次ぐ政権交代、政党の離合集散に、静岡市の人々は何を考えたのか。さまざまな投票行動――投票するか棄権するか、小選挙区は誰に投票するか、小選挙区と比例代表の二票をどのように配分するか――の要因を、筆者自身が加わった朝日新聞の世論調査データ(1995〜96)を用いて検証している。そこでは有権者もまた、離合集散を繰り返す政党に愛想を尽かし、無党派層を増大させながらも、一票を投じる場合には政党・政策といった要因も考慮していたことが明らかにされた。候補者乱立となった静岡1区では、政党支持や当該政党の政策公約に対する共感は、保守系無所属候補から公認候補者を区別する手がかりとなった。逆に、小選挙区で無所属候補者に投票した人は、小選挙区は候補者本位、比例代表は政党・政策本位と投票基準を使い分けた場合が多く見られた。

 政党要因、政策争点要因、候補者要因のそれぞれが投票決定要因として影響力をもっているという結論は、一見、中選挙区時代の分析結果と同じように映るかもしれない。しかし、静岡1区で立候補した8人にうち、5人までが自民党歴を有しており、中選挙区制ならば政党や政策の違いは問題にならない、保守系候補による同士討ちであった点に注意が必要である。こうした「似たもの同士」の競争であっても、政党・政策要因を有権者の投票基準たらしめるという意味では、有権者もまた、小選挙区制によく対応したのである。

 以上から明らかなとおり、有権者や諸組織は小選挙区制導入によって期待された政治のありかたを、曲がりなりにも実現した一方で、新しい選挙制度にもっとも対応できなかったのは、それをもたらしたところの政党自身であったと筆者は結論している。

 本論文は、次のような長所を持つ。第一は新選挙制度導入後の最初の選挙という重要な選挙を対象として、様々な角度から検討を加えた着眼のよさと総合的な取り組みである。近年の博士論文には、政治過程の一部分を切り取り、それを深く分析し、政治現象の一般化を行う傾向がある。たとえば政党組織、利益集団、投票行動をさらに細分化した研究が常である。しかし、デヴィッド・イーストンも論じるように、政治をトータルに理解するのが政治学者の理想であろう。その点本論文は、静岡一区という限定的な地域についてではあるが、そこでの政治をトータルに把握しようとしている。具体的には、静岡一区で繰り広げられてきた政治史から始まり、政党組織、利益集団、有権者の行動が総合的にとらえられている。その意味の総合性は高く評価できるところである。

 第二に、その際、高度の分析手法を適切に駆使する手腕である。総合性を目指した研究には、科学的手法に基づく仮説検証型の分析が応用しがたく、結論が印象論的になりやすいという陥穽がある。しかし著者は本論文において多項プロビット分析など最先端の統計的手法を用いて仮説検証型の分析を行い、小選挙区と中選挙区における争点や政党要因に基づく投票行動を適切に比較している。

 第三に、静岡一区という限定的なケースをあつかいながら、選挙制度改革の影響という大きな問いに、国際比較の視点を保持しつつアプローチしている点である。そこから、選挙制度改革がある程度効果をあげながら、十分な効果をあげていないという事実と、その理由を、相当程度説得的に明らかにしえたことは、学界に対する大きな貢献である。

 もとより本論文にも欠点がないわけではない。まず、静岡一区が日本全体をどのような意味で代表するのか、必ずしも明らかではないことである。候補者の乱立が、どれほど一般的な意味を持ち得るかは、十分説明されてはいない。

 また、政治家、有権者、政党などの対応の不適合は、その多くが、新制度に未習熟であることから来ているのかも知れない。つまり新制度の功罪とアクターの行動の適否を論じるには、いま少し時間が必要かも知れない。

 さらに諸外国の政党との比較について見ると、アメリカとの比較が重視されているが、ヨーロッパの政党との比較についても、もう少し書き込めばさらに厚みが増したように思われる。

 しかし、以上のような欠点は、すでに述べたような本論文の価値を、大きく損なうものではない。また出版までに改善することは、それほど難しいこととは思われない。以上の理由により、本論文は博士(法学)の学位に相応しいものであると認められる。

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