学位論文要旨



No 215657
著者(漢字) 田上,健一
著者(英字)
著者(カナ) タノウエ,ケンイチ
標題(和) 居住環境形成過程における計画の余白に関する研究
標題(洋)
報告番号 215657
報告番号 乙15657
学位授与日 2003.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15657号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

建築計画研究は建築設計に関わる実学的側面と空間構成モデル構築等の概念的側面の両義性を有し多大な蓄積を残した。しかし、客観性に重きを置き科学的方法に立脚するという研究方法の特質から、使われ方研究が方法論の基本であった。そこでは空間と機能との因果関係に着目し、両者間の普遍的原理の発見、住み手の潜在的・基層的な要求の把握と要求実現のための計画基礎となり得ることが主眼であった。また設計の場面でも建築家等の専門家が主導権を発揮し、行為と空間とが一義的に対応した計画に誘導・規定・教導することで要求の実現を図ってきた。だが、このような環境形成過程における既成概念は、住み手の主体的で能動的な空間との関係を阻害し、環境の多様性や個別性を計画力の中に埋没させる可能性もあった。

一方で、住み手の居住環境に対する主体的な働きかけに価値を見出すアプローチは、行動と環境との間に相互に学習し得る関係を生成する相互浸透的な考え方を意味している。ここでは、いわゆる建築家が経験と感性によって計画設計した意匠性を強調した住宅建築や、匿名の居住者を想定し最適化を目指した従来の建築計画学の理論に準拠して計画設計された住宅建築とは異なり、社会の一般居住者が個人的にあるいは主体的に自己の住居に働きかけて実現した住宅建築に注目した時に、そこに存在する計画「外」計画のことを「計画の余白」と定義する。具体的には、米国統治・本土復帰等により社会システムが不安定であった戦後の沖縄という未確定社会における住宅を研究対象としている。

「計画の余白」は物理的・実存的な「空間」とそれを生み出す「プログラム」により構成されると想定されるが、ここでは居住者の自律的な居住環境の更新行為が可能となる「空間」の特に「余白空間」を研究対象の中心に据えて記述した。沖縄地域では急激な社会的変化のため計画の論理が定着せず、杜撰で無計画とされてきた。しかしそれ故、居住環境獲得のための試行錯誤が住み手により実践され、働きかけを促進するプログラムも示唆に富むものも多い。そのため多くの現地調査を基本とした。

本研究は、住み手が居住環境に働きかけを行うそのメカニズムとその手がかりにするものを解明することこそが重要であるという立場に立ち、既存の計画論理や概念とは異質である居住環境のダイナミックな変容や諸相を実証的に把握し記述することによって、「計画の余白」の有効性と可能性を計画論理との相対的な関係に基づいて考察することを目的とした。

上記に照らして、本論文は合計10章と補論により構成される。

第1章では、現代住宅を中心とする居住環境に関わる社会的・理論的背景を検討することから、問題意識を抽出し課題の位置付けを得た。そして、「計画の余白」の定義とそれを構成する空間とプログラムの概念設定を行った。

第2章では、研究対象とした沖縄地域の独立住宅を中心とし、主に第二次世界大戦以降の居住環境の系譜について考察した。、歴史的に米式・日式等の社会文化的文脈による影響を大きく受けたため、その系譜を大きく、伝統型住宅、米式住宅、混成型住宅に分類し、そのプラン・デザイン・構法・材料等に関して整理を行い、明確な計画論理が定着しなかった理由と調査対象としての妥当性について述べた。

第3章では、沖縄の一般的住宅地における居住環境の更新を分析するため、伝統型住宅を含む旧集落の発展型である住宅地を調査対象とした。ここでは、1)木造の伝統型住宅からRC住宅までの変化が約30年という短期間で急激になされたこと、2)伝統型住宅とRC住宅はプランでは続き間の存在など近似性を持ちながらもその空間構成は異なること、3)復帰後の混成型住宅では特に明確なプランの型が存在しないこと、4)そのため住宅の構造を問わず増改築行為が頻繁に行われるといった計画の余白の萌芽が見られることの予備的知見を得た。

第4章は、RC造のピロティ型住宅という特異形式に着目し、形態・計画過程及び居住実態の調査分析を通して「余白空間」のつくられ方の事例分析を行った。ここでは機能決定を先送りする「留保」という「計画の余白」の一態が実践されていた。つまり、1)時間経過に伴う住要求の変化に対応すべく余白としての空間の確保ということを主眼にほぼ住み手主導による直裁的なピロティ化が行われていること、2)そこでは様々な日常生活行為と時間経過の中で多様な余白の埋め方が実践されていること、3)コスト計画や景観形成の面では問題もあり、プログラム上のは計画者との緊密な関係が望まれること等を明らかにした。計画者は住み手がどのような計画の余白を希求しているかを把握することの重要性を論じると同時に、計画にはより自律的な行為に価値を見出すことが求められていると結論付けた。

第5章は、建設後30年程度を経た、垂直方向に増築可能という拡張型RC造独立住宅を対象として、計画環境への働きかけによる自主的増改築のプロセスの事例分析を行った。拡張性が担保されていても、1)住み手の基本的住要求の充足のためには、改変行為は1回で充足することはなく増改築は住要求の変化に伴い動的に繰り返されるが、2)プログラムや構造形式に大きく依存しており、3)住宅の基本的な機能などに問題も生じるが、住み手による試行錯誤の過程は積極的に評価されていることなどを明らかにした。今後、生活の多様化・個性化に対応するためには「計画の余白」一態としての「拡張」は住み手の主体的働きかけを誘発する有効性があることが明らかになった。

第6章では、米軍軍人用に基地外に建設された米式住宅を対象として、非住居機能への転用の実態を通して居住環境の再構築に言及した。米式住宅は住宅再生のみならず多種多様な非住居施設として転用されており、その実態から住宅が元来持つ多機能性や許容性を例証した。そして機能が消失したり変化が迫られた場合の矩形の条件を導いた。これまで既存建築の再生に関する実践の少なかった日本では未だその対処策は模索状態である。そのため、この転用方針からは今後住宅という社会的ストックを計画的かつ有効に活用していくという視点からも示唆を与えるものとした。

第7章では、米式住宅における増改築行為に伴うインタビューを資料として、「計画の余白」に対する評価を人間環境系の視点から分析することで住み手と物的環境とのトランザクションの様態を明らかにした。住み手は時間的経過に伴い、構築環境との関わり、個人的状況、社会的環境との関わりにおいて様々な働きかけを行ってきた。住み手による居住環境形成は、決して未完成から完成へと向かう一つの大きな流れのようなものではなく、無数の小さな出来事一つ一つが積み重ねられており、一つ一つに住み手が主体的に関わっていること自体を重要な価値として捉えなければならないと結論付けた。

第8章では、住み手が自律的に居住概念を拡大させていることを、計画の余白によりもたらされるセルフ・インプルーブ性を指標として示しその意義を考察した。近代主義により規定され硬直化された居住概念は分解を繰り返し、分解された機能・行為・性質等は住宅の外部に流出させられ、住宅の閉鎖化という状況を生み出した。ここでは近代社会の職住一致の分解により生まれた郊外住宅の中でセルフ・インプルーブ性有する住宅を分析した結果、1)住宅における使用の拡大、2)住宅における創造行為の拡大、3)住宅におけるコミュニケーションの拡大、の重要性の位置づけを行った。

第9章では、住み手が主体となった自律的な居住環境を持続的に維持管理するための、住宅管理に関して、住み手の直接的行為であるDIYに着目して考察を行った。DIYは住宅管理環境の一部として住み手の主体性のもとでその役割を果たしている。また、個々の住宅をその住み手のみで管理するのではなく、住み手のその時々の生活環境に応じた住宅管理環境を構築することが課題となり、住み手の主体性を支える多様な社会的支援プログラムの形成が必要となるとし、「計画の余白」を住み手が主体となって実際的に埋めていく手段の一つとして可能性を有していることを指摘した。

第10章は居住環境形成過程における計画の余白に関する結論の部分である。

調査対象住宅は、硬直化した現代の住宅計画に対して「計画の余白」という視点からは示唆に富むものであった。居住環境の自律的形成の涵養ためには、非完結・歪型であっても、住み手の主体的創り方、使い方における自由な裁量を確保するような計画の余白モデルが望まれる。これは計画の放棄ではなく、主体性を誘発するための住み手の内発的秩序づくりを支援しつつ、住み手に了解され参照されるような仮定的なビジョンを創ることである。住み手の働きかけを阻害するような硬質で固定的なものではなく、むしろ空間の生活規定性や形態の厳密性を柔軟なものとするような「留保」・「拡張」・「転用」といった可変性や未規定性を持った意図的なルーズさも必要である。今後の建築計画においては、住み手も従来のような計画によって教導・規定される対象から転換し、計画者を居住環境形成の持続的創造の協働者として位置付け、両者の特性を生かして相互作用を生成して行くことが求められる。

補論では、沖縄における建築設計競技の変遷と展開、また建築設計競技からみた社会と専門家の関わり方について補足的に考察を行った。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、居住環境に対して住み手が働きかけを行うメカニズムとその時の手がかりの解明が今後の建築計画研究にとって重要であるという視点から、既存の計画論理や概念とは異なる居住環境のダイナミックな変容や諸相を実証的に把握し記述することによって、「計画の余白」の有効性と可能性をいわゆる計画論理との相対的な関係に注目して考察し、新しい建築計画の視点を提供することを目的としている。

本論文は合計10章と補論により構成される。

第1章では、現代住宅を中心として居住環境に関わる社会的・理論的背景を検討することを通して、問題意識を抽出し課題の位置付けを行っている。そして、「計画の余白」という言葉の定義とそれを構成する空間とプログラムの概念設定を行っている。

第2章では、研究対象として選択した沖縄の独立住宅を中心に、主に第二次世界大戦以降の居住環境の系譜について考察している。歴史的に米式・日式といった社会文化的文脈による影響を大きく受けたことから、その系譜を大きく伝統型、米式、混成型に分類し、その平面型・デザイン・構法・材料等に関して整理を行い、明確な計画論理が定着しなかった理由と調査対象としての選択の妥当性について述べている。

第3章では、沖縄の伝統型住宅を含む旧集落の発展型である住宅地を調査対象として行った調査結果から、一般的住宅地における居住環境の更新を分析している。すなわち、、1)木造の伝統型住宅から鉄筋コンクリート(RC)住宅までの変化が約30年という短期間で急激になされたこと、2)伝統型住宅とRC住宅は平面型では続き間の存在など近似性を持ちながらもその空間構成は異なること、3)復帰後の混成型住宅では特に明確な平面型が存在しないこと、4)住宅の構造を問わず増改築行為が頻繁に行われるといった「計画の余白」の萌芽について予備的知見を得ている。

第4章では、RC造のピロティ型住宅という特異形式に着目し、形態・計画過程及び居住実態の調査分析を通して「余白空間」のつくられ方の事例分析を行っている。結果として機能決定を先送りする「留保」という「計画の余白」の一態が実践されたことを指摘し、1)時間経過に伴う住要求の変化に対応すべく余白としての空間の確保を主眼にほぼ住み手主導によって直裁的なピロティ化が行われていること、2)ピロティでは様々な日常生活行為と時間経過の中で多様な余白の埋め方が実践されていること、3)コスト計画や景観形成の面では問題もあり、プログラム上は計画者との緊密性が望まれること等を明らかにしている。そして計画者は住み手がどんな計画の余白を希求しているかを把握する重要性を論じると同時に、計画にはより自律的な行為に価値を見出すことが求められていると結論付けている。

第5章は、垂直方向に増築可能という拡張型RC造で、建設後30年程度を経た独立住宅を対象として、計画環境への働きかけによる自主的増改築のプロセスの事例分析を行っている。拡張性が担保されていても、1)住み手の基本的住要求の充足のためには、1回で改変行為が充足することはなく住要求の変化に伴い動的に増改築は繰り返されるが、2)プログラムや構造形式に大きく依存しており、3)住宅の基本的な機能などに問題も生じているが、住み手による試行錯誤の過程は積極的に評価されていることなどを明らかにしている。今後、生活の多様化・個性化に対応するためには「計画の余白」一態としての「拡張」は住み手の主体的働きかけを誘発するという有効性を明らかにしている。

第6章では、米軍軍人用に基地外に建設された米式住宅を対象として、非住居機能への転用の実態野分析を通して居住環境の再構築に言及している。米式住宅はその再生のみならず多種多様な非住居系施設として転用されており、その実態分析から住宅が元来持つ多機能性や許容性を例証ししている。そして機能が消失したり変化を迫られた場合の矩形の持つ条件を導いている。これまで既存建築の再生に関する実践の少なかった日本では、未だその対処策は模索状態にあるが、ここで得た転用方針は今後住宅という社会的ストックを計画的かつ有効に活用していく際の示唆を得ている。

第7章では、米式住宅の増改築行為に伴うインタビュー結果を資料として「計画の余白」に対する評価を人間環境系の視点から分析することにより、住み手と物的環境とのトランザクション(相互浸透)の様態を明らかにしている。住み手は時間的経過に伴い、構築環境と個人的状況や社会的環境との関わりの中で様々な働きかけを行ってきており、住み手による居住環境形成は、未完成から完成へと向かう一つの大きな流れのようなものでは決してなく、無数の小さな出来事一つ一つが積み重ねられてた、住み手が主体的に関わっていること自体を重要な価値として捉えなければならないと結論づけている。

第8章では、住み手が自律的に居住概念を拡大させていることを、計画の余白によりもたらされるセルフ・インプルーブ性といった指標として示し、その意義を考察している。近代主義により規定され硬直化した居住環境の概念は分解を繰り返し、分解した機能・行為・性質等は住宅の外部に流出して、住宅の閉鎖化という状況を生み出したが、ここでは近代社会の職住一致の分解により生まれた郊外住宅の中でセルフ・インプルーブ性を有する住宅を分析した結果、住宅における(1)使用の拡大、(2)創造行為の拡大、(3)コミュニケーションの拡大、の重要性の位置づけを行っている。

第9章では、住み手主体の自律的な居住環境を持続的に維持管理するための、住宅管理に関して、住み手の直接的行為であるDIYに着目して考察を行っている。DIYは住宅管理環境の一部として住み手の主体性のもとでその役割を果たしており、個々の住宅をその住み手のみで管理するのではなく、その時々の生活環境に応じた住宅管理環境を構築することが課題であるが、そのためには住み手の主体性を支える多様な社会的支援プログラムの形成が必要であり、住み手主体に実際的に埋めていく手段の一つとして「計画の余白」が可能性を有していることを指摘している。

第10章は、結論である。硬直化した現代の住宅計画に対して、非完結・歪型であってた調査対象住宅は、居住環境の自律的形成の涵養ために住み手の主体的創り方、使い方における自由な裁量を確保するような「計画の余白」モデルが望まれるが、これは計画の放棄ではなく、主体性を誘発するための住み手の内発的秩序づくりを支援しつつ、住み手に了解され参照されるような仮定的なビジョンを創ることであることを強調している。つまり、住み手の働きかけを阻害するような硬質で固定的なものではなく、むしろ空間の生活規定性や形態の厳密性を柔軟なものとするような「留保」・「拡張」・「転用」といった可変性や未規定性を持った意図的なルーズさを持ったものであり、今後の建築計画においては、住み手を従来のような計画によって教導・規定される対象から転換し、計画者を居住環境形成の持続的創造の協働者として位置付け、両者の特性を生かして相互作用を生成して行くことがを提言している。

なお、補論では、沖縄における建築設計を理解するために、建築設計競技の変遷と展開、社会と専門家の関わり方について補足的考察を行っている。

以上のように、本論文は既存の計画論理や概念に対して「計画の余白」という概念を導入して、実態調査の結果に基づいて新しい建築計画の視点を提供しており、21世紀の建築計画学の発展に大いなる寄与を行っっている。

よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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