学位論文要旨



No 215659
著者(漢字) 野村,聡幸
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,トシユキ
標題(和) 後退物体上の圧縮性境界層流れに対する遷移解析
標題(洋) Transition Analysis of Compressible Boundary-Layer Flows over Swept Bodies
報告番号 215659
報告番号 乙15659
学位授与日 2003.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15659号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保田,弘敏
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 教授 藤井,孝蔵
 東京大学 助教授 李家,賢一
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
内容要旨 要旨を表示する

後退翼上の三次元圧縮性境界層は流れ方向の不安定性と横流れ不安定性を受ける。これらの不安定性によって境界層中で擾乱が増幅し、乱流遷移を引き起こす。そして、境界層が乱流となることで摩擦抵抗が増大する。横流れ不安定性は横流れ速度分布が変曲点を持つことに起因するが、この不安定性は高後退翼上では流れ方向の不安定性よりも強力で、しかもより上流で生じる。よって、境界層を層流に保って摩擦抵抗を小さくするには横流れ不安定性を抑制することが不可欠である。この摩擦抵抗の小さい層流翼を設計するツールとして、擾乱の増幅を見積もって境界層遷移を予測する計算コードが切望される。

本研究では圧縮性境界層遷移予測システム (Nomura 2000, 2001, 2002) を開発した。このシステムはNavier-Stokes(NS)コードと独自に定式化された線形parabolized stability equations (PSE) に基づく安定性解析コードからなる。図1に遷移予測システムのフローを示す。物体まわりの圧縮性流れをNSコードで計算し、収束した流れから境界層を抽出する。時間安定性コードと空間安定性コードを使って初期擾乱を探索し、空間進行コードでその擾乱を空間進行させる。各位置で得られた擾乱の空間増幅率を積分してN値とし、その値に基づいて遷移開始を判断する。

マッハ数3.5で後退円柱を使って行われた遷移計測試験 (Creel et al. 1986)を参考にして、遷移予測システムの検証を行う。まず格子密度がNS解とPSE解に与える影響を調べ、次にPSEの外部境界と正規化条件がPSE解に与える影響を調べる。さらに遷移予測システムが案験でオイル・フローを用いて観察された横流れ定在波を捕捉できるか調べる。その結果、PSEの外部境界を排除厚さの30倍の位置に設定し、壁面から外部境界までに含まれるセルが約200個、境界層中に含まれるセルが約100個の格子密度で、擾乱の運動エネルギーに基づく正規化条件を用いた場合に、横流れ定在波のN値のカーブがほぼ収束することがわかった。また、遷移予測システムから得られた最も増幅する横流れ定在波の波長が、前縁から90°位置で0.0524インチであり、実験で観察された波長のo.04インチとまずまず一致する。以上から、遷移予測システムは遷移に支配的な擾乱の捕捉が可能であると言える。

PSEは非平行流を扱うことが可能で、従来の線形安定性解析で使われてきた平行流近似は不要である。そこで、後退円柱の付着線境界層でfirst-mode waveの最大空間増幅率を遷移予測システムで計算すると、平行流近似を用いて得た値 (Malik et al. 1988) の約4倍となった。また、遷移予測システムに平行流近似を適用して計算した横流れ定在波の空間増幅率は、近似をしない場合よりも大きくなった。平行流近似はfirst-mode waveの空間増幅率の過小評価に、また横流れ定在波の空間増幅率の過大評価につながる。よって、平行流近似をしない遷移予測システムは従来法よりも高精度であることがわかる。一方、平行流近似は質量流束変動の振幅分布と位相分布にはほとんど影響を与えないこともわかった。

後退翼境界層を解析対象として遷移予測システムの実用形状への適応性を調べる。マッハ数2で航技研ロケット実験機の15.7%半裁模型を使って遷移計測試験が行われた(杉浦ら2000)。主翼上面に貼られたホット・フィルムにより境界層遷移が検出されたものの、どんな擾乱が境界層遷移を引き起こしたのかわかっていないし、自然層流翼設計によって横流れ不安定性が抑制されたのかもわかっていない。そこで、遷移予測システムを使って実験機模型の主翼上の境界層で様々な擾乱の空間増幅を調べる。その結果、横流れ不安定性の影響を受けるfirst-mode waveが横流れ擾乱よりも増幅することがわかった。これは前縁近傍の加速境界層に関しても言える。実験で検出された境界層遷移はこのfirst-mode waveの増幅によって引き起こされたと考えられる。しかも、大きく増幅するfirst-mode waveの波数ベクトルは横流れ速度の最大絶対値が現れる側の反対を向くこともわかった。しかし、設計迎角に近い迎魚2.7°で横流れ不安定性は抑制され、結果としてfirst-mode waveと横流れ擾乱の増幅も抑制される。実験機主翼に採用された自然層流翼設計が摩擦抵抗低減に極めて有効であることがわかった。実験機模型の主翼上の境界層に関して得られた上記の結果は遷移予測システムの優れた形状適応性を示している。

後退円柱上の横流れ定在波に関する結果と、実験機半裁模型主翼上で横流れ不安定性の影響を受けるfirst-mode waveに関する結果から、横流れ不安定性が支配的な場合の遷移開始のN値4.6を得た。しかしながら、流れ方向の不安定性が支配的な場合の遷移開始のN値は、大きな外乱のために実験データとの比較から定まらなかった。横流れ不安定性と流れ方向の不安定性の両方に対し、信頼できる遷移開始のN値は今後の解析の積み重ねで得られるであろう。この点を除けば、本研究で得られた結果は遷移予測システムが優れた空力設計ツールであることを証明している。

圧縮性境界層遷移予測システム

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)野村聡幸提出の論文は「Transition Analysis of Compressible Boundary-Layer Flows over Swept Bodies(後退物体上の圧縮性境界層流れに対する遷移解析)」と題し、本文5章及び付録1項から成っている。

超音速航空機の性能向上のためには、全抵抗のうち約30%を占める摩擦抵抗の低減が必須である。摩擦抵抗は機体まわりの流れが層流から乱流に遷移すると大幅に増大するので、乱流遷移を遅らせるとともに、正確な遷移予測に基づく機体設計が要求される。超音速機の主翼は大きな後退角を有するので、そのような物体上の流れの遷移予測が重要となる。

後退角を有する物体上の境界層では、圧力勾配の方向と外部流線の方向が異なるため、主流方向と垂直方向に横流れ (cross flow) が生じる。元来、主流方向の境界層は粘性不安定性 (Tollmien-Schlichting instability)と変曲点不安定性 (inflectional instability) のため遷移するのが通常であるが、横流れがあると、その速度プロファイルでは変曲点が生じるので、変曲点不安定が起こる。これを横流れ不安定性 (cross flow instability) と呼び、後退角が大きい場合には、主流方向の不安定より卓越する。このような理由から、超音速機のように後退角の大きいデルタ翼面上では横流れ不安定性の影響が大きく、そのメカニズムを解明することは機体設計上重要な意義を持つ。

上記の観点から、著者は、後退角を持つ物体上の圧縮性境界層の横流れ不安定性による遷移を予測するために、薄層近似したナビエ・ストークス(thin-layer Navier-Stokes: 以下NSと呼ぶ)解析コードと、独自に定式化した線形放物型安定性方程式(Parabolized Stability Equations :以下線形PSEと呼ぶ)に基づく安定性解析コードを組み合わせた遷移予測システムを提案した。このシステムの妥当性の検証を後退円柱に対して行ったあと、独立行政法人航空宇宙技術研究所で計画されている小型超音速実験機NEXSTの翼面上の遷移予測に適用することにより、一般的な後退物体上の遷移予測に見通しを与えることとした。

第1章は序論で、本研究の背景を述べ、後退角を持つ物体上の圧縮性境界層の遷移解析の必要性と、eN法や直接数値シミュレーション (DNS) 法による従来までの研究との比較について言及した。このことにより、本システムは横流れ不安定性による遷移だけでなく、各種不安定性による遷移を予測することに有効であることを述べ、本研究の目的と意義を明確にしている。

第2章では、本遷移予測システムの基礎となっているNS解析コードと線形PSE解析コードによる遷移予測システムを構築している。このシステムでは、まず、物体まわりの圧縮性流れをNS解析コードで計算し、収束した流れから境界層を抽出する。次に線形PSE解析コード中の時間安定性コードと空間安定性コードを用いて初期擾乱を探索し、空間進行コードでその擾乱を進行させる。物体上の各位置で得られた擾乱の空間増幅率を積分してN値とし、その値に基づき遷移開始を判定することとしている。

第3章では、マッハ数3.5の圧縮性流中におかれた後退円柱に関するCreelらの遷移計測実験結果を参考にして、著者の提案する遷移予測システムの妥当性を検証している。まず、数値解析に用いる格子密度がNS解と線形PSE解に与える影響を調べ、次に線形PSEの外部境界と正規化条件が線形PSE解に与える効果を調べている。さらに本遷移予測システムが、上記実験で観察された横流れ定在波を捕捉できるかどうかを調べている。その結果、適切な格子密度と外部境界の設定、さらに擾乱エネルギーに基づく正規化条件の使用により、本遷移予測システムから妥当な解が得られることがわかった。また、遷移予測システムで得られた最も増幅する横流れ定在波の波長が実験で観測されたそれとほぼ一致することから、本システムによる予測の妥当性を示した。

著者の提案する安定性解析は非平行流を扱うことが可能であり、従来の線形安定性解析で用いられてきた平行流近似は不要である。後退円柱の境界層にこれを適用したとき、平行流近似が第1モード波 (first-mode wave) の空間増幅率を過小評価し、かつ横流れ定在波の空間増幅率の過大評価をもたらすことから、非平行流での扱いが必要であることを示している。

第4章では、著者の提案する遷移予測システムを前記小型超音速実験機NEXSTの主翼面上の流れに適用し、遷移計測実験結果と比較することにより、その適用可能性を検討している。実験機翼面上の境界層におけるさまざまな擾乱の空間増幅を調べた結果、横流れ不安定性の影響を受ける第1モード波が横流れ擾乱よりも増幅することが明らかになった。しかし、設計迎角に近い迎え角2.7度では横流れ不安定性は抑制されるので、結果として第1モード波と横流れ擾乱の増幅も抑制され、実験機主翼に採用された自然層流翼設計が遷移を遅らせるために有効であることを示している。

第5章は結論で、上記各章における考察の総括を行い、著者の提案した遷移予測システムは後退角を有する物体上の圧縮性境界層に対して有効であることを、後退円柱および超音速実験機の主翼に対して示し、これに基づき、超音速航空機の主翼設計に役立たせることを示唆した。

付録では、本研究で用いた線形放物型安定性方程式(線形PSE)の定式化について述べている。

以上要するに、本論文は後退角を有する物体上の圧縮性境界層の遷移を予測するために、NS(ナビエ・ストークス)解析コードと線形PSE(線形放物型安定性方程式)に基づく安定性解析コードを組み合わせた遷移予測システムを提案し、その妥当性を後退円柱まわりの流れで検証するとともに、小型超音速実験機NEXSTの翼面上の遷移予測に適用することにより、一般的な後退物体上の遷移予測を可能としたものである。このことは、将来型超音速航空機の設計に指針を与えるものであり、その成果は航空宇宙工学に貢献するところが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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