学位論文要旨



No 215660
著者(漢字) 安川,清一
著者(英字)
著者(カナ) ヤスカワ,セイイチ
標題(和) リアルタイム並列システムPIMと鉄道システムシュミレータへの適応
標題(洋)
報告番号 215660
報告番号 乙15660
学位授与日 2003.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15660号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,英彦
 東京大学 教授 石塚,満
 東京大学 教授 相田,仁
 東京大学 教授 坂井,修一
 東京大学 助教授 古関,隆章
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、大規模制御システム構築上の課題を抽出し、課題を解決する為に、リアルタイム並列システムPIM及びアプリケーション開発用言語Paracellを開発・提案し、大規模制御システムである新幹線運行管理制御システムCOMTRAC用シミュレータのプラットフォームに適用し、シミュレータ構築過程と稼動実績とからPIM適用の効果と課題を検証、結果を分析評価検討し、今後の研究の方向を示すことである。

このCOMTRAC用シミュレータのアプリケーションプログラムは、プログラミング経験の無いユーザ(鉄道会社)のスタッフが大半を作成した。リアルタイム並列システムのソフトウェア作成・デバッグはエキスパートプログラマにとっても難しいとされている。本シミュレータのように、リアルタイム並列システムのエンドユーザプログラミングを可能にしたのは、PIMの定周期同期動作によりプロセス間の同期やリアルタイム性の確保に気を使う必要が無く、英文法を基礎としたParacell言語が特段の学習無く使うことができ、且つ書かれたプログラムを誰でも読むことができ、Navigatorと呼ぶ開発環境の持つエディタ、コンパイラ、デバッガ機能が使い易くできている為である。

大規模制御システム構築上の課題として、ソフトウェアの量と質、予測可能性、新制御論理事前検証、システムの動的試験、リアルタイム性の確保、が挙げられる。これらの課題を解決するには、被制御システムの高精度リアルタイムシミュレーション(シミュレータ)が有用である。しかしながらシミュレータ構築自身が制御システム構築と同じ課題を抱えているだけでなく、シミュレーション精度とリアルタイム性と言う相反する要件が加わることもあって、従来は原子力、航空宇宙と言った限られた分野でしか普及していなかった。

本論では、大規模制御システムの実例として新幹線運行管理システムCOMTRACの試験と試験用シミュレータを取り上げ、その課題が試験範囲の制約、検証範囲の制約、訓練範囲の制約、簡略モデルとシミュレータ自身の妥当性保証の制約、シミュレータのコスト制約、にあることを明らかにした。

この観点から、シミュレータプラットフォーム一般の現状と課題を調査検討し、既存のプラットフォームでは要件を満たせないことを明らかにした。

COMTRAC用シミュレータの要件から制御システム試験用シミュレータの要件として一般化し、シミュレータ妥当性検証容易性、リアルタイム性の保証、規模・性能の予測可能性、分散開発、オンライン変更・追加・削除、短期集中開発、システム挙動再現性、ソフトウェア生産性、デバッグ容易性、エンドユーザプログラミング、を挙げた。

制御システム構築及び制御システム試験用シミュレータの要件に対応するプラットフォームとして、並列実行環境PIM、並列プログラミング言語Paracell、並列システム開発環境Navigatorを開発した。PIMシステム開発に当たっては、リアルタイム性の保証、ソフトウェア危機への対応、大規模システム開発への対応、を主眼に、年々安価高性能になるハードウェアを潤沢に使い、ソフトウェアを単純明快なものとする、と言う設計・実装方針で開発した。一般に難しいとされている並列システムのプログラミング、デバッグ、チューニング、等の問題を解消することを狙いとしている。

このPIMシステムを、先に述べた制御システム試験シミュレータに要求される課題に対応するものとして、提案した。本論ではPIMシステムの応用を鉄道運行シミュレータに絞っているが、他に自動車塗装ラインのリアルタイムエキスパートシステム直接制御と言う制御システムへの応用例もあり、PIMの主たる応用範囲はシステム制御分野に於ける高機能コントローラと制御対象のリアルタイムシミュレーション(シミュレータ)である。

PIMシステムは次に列挙する制御システム試験用シミュレータプラットフォーム各要件を満たす。システム規模に左右されないリアルタイム性の保証、被制御実システムと同じ入出力インタフェースを備え、制御実システムとオンラインで使用できること、被制御実システムのあらゆる実際に生じうる挙動を再現できるモデル、前記のモデルで組合せ爆発を起こさないこと、プロトタイプによりフルシステムの規模と性能が容易に予想できること、システムの規模が1台のコンピュータの容量を越える時、容易に複数台による分散処理が可能なこと、ソフトウェア、ハードウェアの追加/変更が容易であること、試験対象の制御システムより短期安価に開発ができること、段階開発ができること、バグが入り込みにくく、且つ摘出し易く、モデルの正当性の検証が容易なこと、ユーザ(要求仕様)とアプリケーションソフトウェア製作者が共通の言語を使えること、並行事象をそのままモデル化、プログラミング、並列処理できること、である。

PIMは、逐次処理の並列化を行って処理の高速化を狙う一般の並列コンピュータと異なり、制御システムのように元々並行動作している事象をそのままParacell言語で記述し、PIM実行環境でそのまま並列処理を行うことにより、制御アプリケーション開発を容易にし、且つリアルタイムを保証することを狙いとしている。この実現の為に、PIMシステムは、OS、言語処理系、デバッグ用ツール類、全てが並行処理を前提に設計実装されている。

Paracell言語は、シンタックスが英語と簡単な数式であるので、コーディングされたプログラムを誰でも理解することができる。アプリケーションを良く理解しているドメインエキスパートが直接コーディングできる。プログラム制御を行わないルールベース言語(宣言型言語)Paracellによるコードの処理時間は、変数の状態によって変化しない。割込処理、GOTO、Jump、Branch、ループ、サブルーティン、の無い体系であり、プログラム制御が無いので処理時間の変動が少なく、無限ループに陥ったり、思わぬルーチンに入ったりと言うことが無い。プログラムメモリとデータメモリの完全に分離されており、データをプログラムと誤認したり、データとしてプログラムを誤って書き換えたりすることが無く,暴走が無い。

PIMに接続されたワークステーション上で動作する開発環境Navigatorは次に列挙する特徴を持っている。構造化システム分析(フローチャートレス)、インクリメンタルParacellコンパイラ、オンライン・タイル(プログラムモジュール)単位オブジェクトコードダウンロード、オンライン・タイル追加/削除、オンライン・グローバルメモリデータ変更、ソースコードレベルデバッグ、である。

PIM/Paracell/NavigatorシステムをCOMTRAC用シミュレータ構築に適用した。シミュレータ要件としては、列車運転設備条件を忠実に模擬し、ダイヤをもとに列車走行条件を考慮した列車群走行を忠実に模擬し、運転設備故障或いは車両故障に起因する異常状態を容易に発生することができ、ダイヤ乱れ時の列車群走行状態を忠実に模擬し、これら全てのシミュレーションを実時間(必要に応じて倍速)で行えるものとされた。

上記のように設備・列車走行を忠実にモデル化し、列車群の運行をランカーブ(加減速)精度でリアルタイム(必要に応じて倍速)でシミュレーションし、制御システムとオンライン接続し、ダイヤ乱れ時を含めてあらゆる列車群の挙動を24時間連続(又は必要に応じて中断・再開)再現或いは創発することによって、新制御方式検証、システム試験、指令員訓練、改正ダイヤ検証、新設備事前検証、等多目的に使えるものとなった。

COMTRACシステム開発・試験・運用の各段階でのシミュレータの役割は、システム設計検討段階(新制御論理検証、投資判断)、総合試験(PRC−CTC中央装置−CTC駅連動装置−ATC−軌道回路−列車、と言う複雑な構造とダイナミックな動きの試験)、現車試験(モニタラン、コントロールラン)の前に現車試験並み及び現車試験以上の乱れ時まで含めた網羅的試験、運転指令員訓練、改正ダイヤ検証、追加設備事前検証、である。

PIMの鉄道運行シミュレータ適用の理由と効果は次のように整理できる。どんな複雑な制御方式及び設備であっても、稼動可能な実物或いはその設計さえあれば、PIM上で再現できる。(プログラミング上の困難が無い)実物に即したオブジェクト指向でプログラミングでき、タイミング競合の問題を考慮する必要が無い。システム規模・精度に左右されないリアルタイム性が保証されている。即ち、モデル内容等の変更・追加などがあってもリアルタイム性が保証される。シミュレータの妥当性検証容易、即ち、実物に即したモデルが実時間で動作するので、挙動の妥当性を判断し易い。プロトタイプ製作でフルシステムのシステム規模・性能が予測できる。分散開発ができるので、開発要員集中投入による短期開発が可能であり、被試験システム完成前にシミュレータ完成できる。オンライン変更・追加・削除ができ、バグ修正に、従来コンピュータでは必要な停止・再立上げが不要であり、再立上げに必要な数十分が不要である。デバッグ時間の大幅削減によりソフトウェア生産性が高い。トラッカ等各種ツール完備しており、オンライン変更能力により効率的デバッグができる。規模・精度・複雑度の段階的開発容易で、手戻りが非常に少ない。C言語などの1〜2年の訓練期間に対し、即日コーディング開始可能である。エンドユーザによるシステム構築・増強・保守が可能。被試験システムとのオンライン接続がEthernet TCP/IPにより容易である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「リアルタイム並列システムPIMと鉄道システムシミュレータへの適用」と題し、7章と付録からなる。鉄道システムなど大規模制御システムの構築には、その詳細な試験のために高精度なシミュレータが必要であるが、従来のシミュレータ作成手法ではテストの変更に対する柔軟性や実システムとの対応精度が必ずしも十分でなく、また作成に大きなマンパワーがかかるという問題があった。本論文は、シミュレータの記述方式とそれを動かす処理系に対して新たな方式を提案しその効果について論じたものである。

第1章「序論」は、研究の背景、目的を述べるとともに、本論文の構成についてまとめている。

第2章「制御システム開発と試験用シミュレータの現状と課題」は、制御システムの実例として新幹線運行管理システム、コムトラックを取り上げ、従来の試験用シミュレータの問題点を分析し、次世代シミュレータにおける要件について述べている。また、一般のシミュレータプラットフォームをも各種取り上げその利害得失を分析している。

第3章「制御システム試験用シミュレータの要件」では、前章のコムトラック試験用シミュレータの要件を一般化して、制御システム試験用シミュレータの要件としてまとめている。すなわち、シミュレータ妥当性検証容易性、リアルタイム性の保証、規模・性能の予測可能性、分散開発、オンライン変更・追加・削除、短期集中開発、システム挙動再現性、ソフトウェア生産性、デバッグ容易性、エンドユーザプログラミングを挙げている。

第4章「リアルタイム並列システムPIMの提案」は、この論文で提案しているリアルタイム並列システムPIM、そのアプリケーション言語Paracell、開発保守環境Navigatorについて述べたもので、数多くのセルと呼ぶ仮想プロセッサが共有メモリを介してデータの授受をおこなうモデルを用いている。この上でParacell言語で書かれたタイルと呼ぶプロセスを実行するのであるが、ポイントは、逐次処理を並列化するのではなく、制御システムのような元々並行動作している事象をそのままParacell言語で記述しPIM実行環境でそのまま並列処理するという点にあり、そのためPIMシステムは、OS、言語処理系、デバッグツールなどすべてが並列処理を前提に設計・実装されている。動作の記述は離散時刻に沿って行なわれ、ある時刻tのデータを用いて、次の時刻t+1におけるデータ値を定めるという形を取る。処理もその形に沿って行われ、各セルが時刻tのデータ値を順次読み込んで時刻t+1のデータ値を計算後、順次共有メモリに書き込み、全セルの処理が完了すると次の時刻の処理に進む。

第5章「新幹線運行管理システムシミュレータへの適用と評価」は、前記PIMシステムを新幹線運行管理システム、コムトラックに適用した例について述べたもので、コムトラック開発(1999年のフェーズ7)と運用の各段階、すなわち、新制御論理検証や投資判断などのためのシステム検討段階、総合試験、現車試験の前に行われる運行乱れ時まで含めた網羅的試験、運転司令員訓練、改正ダイヤ検証、追加設備事前検証、という多くの目的に合わせて開発を行った結果を述べている。その結果、列車運転設備条件や、ダイヤをもとに列車走行条件を考慮した列車群走行を忠実に模擬可能で、運転設備故障或いは車両故障に起因する異常状態を容易に発生することができ、ダイヤ乱れ時の列車群走行状態を忠実に模擬できることを示すとともに、これら全てのシミュレーションを実時間の数倍速で行えること実証した。これによって、新制御方式検証、システム試験、指令員訓練、改正ダイヤ検証、新設備事前検証等、PIMシステムが多目的に使えることを示している。

第6章「結果の検討と今後の研究課題」は、PIMシステムが制御システム用シミュレータ構築上与えた効果と残された課題を考察したもので、本システムは、プログラミング上の困難が少なく、実物に即したプログラミングにより並列システムタイミング競合の問題も少なく、リアルタイム性の保証、シミュレータの妥当性検証容易、プロトタイプ製作でフルシステムのシステム規模・性能が予測できる、分散開発ができる、オンライン変更・追加・削除が可能、バグ修正に停止・再立上げが不要、エンドユーザによるシステム構築・増強・保守が可能などの特徴を挙げている。また、今後の課題として、セルのサイズ拡張、異常値の処理、フレーム周期の高速化、などを挙げている。

第7章は「結論」である。

以上、これを要するに本論文は、大規模制御システム構築のための試験用高精度シミュレータ構築を容易にするリアルタイム並列システムPIMを提案し、実際の大規模なシステムに適用してその有効性を示したもので、電気工学上貢献するところ少なくない。

よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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