学位論文要旨



No 215668
著者(漢字) 渡邉,和俊
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,カズトシ
標題(和) 3-メチル-1-フェニル-2-ピラゾリン-5-オン(エダラボン)の脳保護作用機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 215668
報告番号 乙15668
学位授与日 2003.04.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15668号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山本,順寛
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 畑中,研一
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

脳卒中は日本人の死亡原因の第2位であり、このうち脳出血による死亡率は激減したが、脳内の血管が閉塞して虚血状態となる脳梗塞による死亡率・有病率は日本社会の高齢化に伴って年々増加している1)。さらに麻痺や失語症など重篤な後遺症を起こすことが多く、患者のQOLを低下させ、家族にも介護等の多大な負担を要求するため、有効な治療法の開発が強く望まれている。

脳梗塞の病態においては、活性酸素種によるラジカル的な生体内物質の酸化反応が脳虚血時の神経細胞死の主要因子の1つとされている2,3)。そこで旧三菱化学社(現三菱ウエルファーマ社)ではラジカル消去作用を有する化合物が脳保護作用を有する薬剤になりうると考えて開発研究を行い、2001年6月に脳梗塞急性期治療薬としてラジカット注(一般名:エダラボン、図1)を上市した。本研究ではエダラボンの薬効発現に対する作用機序に関する研究を行なった。

エダラボンの構造活性相関について

フェノール類のラジカル消去作用に着目し、ケト−エノール平衡によってヒドロキシル基が結合する芳香化した複素環になりうる化合物がフェノールと同様のラジカル消去作用を有するものと考えられ、(図2)。種々の化合物が合成され、3−メチル−1−フェニル−2−ピラゾリン−5−オン(エダラボン、図1)が活性化合物として見出された。活性の向上を目指して置換基の最適化を行ったところ、脂溶性置換基の導入により脂質過酸化抑制作用が向上し、親水性置換基の導入により活性が低下した。In vivo試験等によりエダラボンを開発化合物として選択した。

エダラボンの抗酸化作用

前項で見出されたエダラボンの抗酸化作用について詳細な検討を行なった。

エダラボンとペルオキシルラジカルの反応生成物の時間変化の検討では、主要反応生成物として4,5-dione 7およびOPB 9が同定され、少量の中間生成物としてBPOH 8が確認された。他のラジカル種を用いた場合でも同様のラジカル反応生成物が確認され、エダラボンのラジカル消去はラジカル種によらず、また消去後はOPBに変化することが示唆された。

上記の検討よりエダラボンのラジカル消去機構は図3のように考えられる。

ラジカル消去における活性種はエダラボンアニオン 4と考えられ、4よりラジカル(X・)に電子が移動してアニオン(X-)に還元し、自らはエダラボンラジカル 5になり、溶存酸素が付加してエダラボンペルオキシルラジカル 6に変化後、さらに4,5-dione 7に変化する。7は未反応のエダラボン存在下で平衡的にBPOH 8を生成するが、単独では加水分解されてOPB 9に変化する。従ってラジカル消去後の反応生成物はラジカルの種類によらずOPB 9であると考えられる。

反応途中で生成するエダラボン由来ラジカルは共鳴安定化により反応性が低下していると考えられ、モデル化合物を用いた分子化学計算においても活性酸素ラジカルより反応性ははるかに低いことが示されている4)ことから、エダラボン由来ラジカルによる脂質成分からの新たな脂質ラジカルの誘起はないと考えられる。

さらにエダラボンのダイズホスファチジルコリン(PC)リポソーム膜に対する抗酸化作用に対する検討を行ない、既知の抗酸化物質と比較した(図4)。水溶性ペルオキシルラジカルに対しては、エダラボンはビタミンC(VC)と同等の抗酸化作用を示し、両者の共存により一層強い作用が示された。脂溶性ペルオキシルラジカルに対しては、エダラボンはビタミンE(VE)と同等の抗酸化作用を示し、両者の共存により一層強い作用が示された。エダラボンは水溶性、脂溶性いずれのラジカルに対しても抗酸化作用を示したことから、エダラボンはリポソーム膜や膜表面付近に存在し、水相及び脂質相双方のペルオキシルラジカルを消去していると考えることができる。さらにエダラボンの共存によりVE、VCが通常作用が弱い水溶性及び脂溶性ペルオキシルラジカルに対しても完全にPCリポソームの酸化を抑制し、エダラボンは細胞系においても極めて良好な抗酸化作用を発揮する可能性が示唆された。

エダラボンの代謝物の合成

エダラボンの主代謝物と推定されていたグルクロン酸抱合体と硫酸抱合体の合成を行なった。グルクロン酸抱合体の合成はジクロロメタン中トリフルオロメタンスルホン酸銀 (I)の存在下で2-α-ブロモ-3,4,5-トリアセトキシグルクロン酸メチル 12とエダラボンを反応させ、加水分解して脱保護を行うことにより合成した。硫酸抱合体はエダラボンを三酸化硫黄−ピリジン錯体で処理することにより合成した。合成した各代謝物は生体より得られた各代謝物とその分析化学的なデータが一致したことにより構造が同定された。

エダラボンには互変異性体が存在するので代謝物についても異性体が存在する可能性がある(図6)が、X線結晶構造解析の結果より得られたグルクロン酸抱合体はO-グルクロン酸抱合体13であり、C-グルクロン酸抱合体14やN-グルクロン酸抱合体15ではないことが明らかとなった。また2-位の立体配置はβ-体であることもわかった。

脳梗塞モデルにおける酸化ストレスマーカーの変動及びエダラボンの作用

血漿中モノ不飽和脂肪酸が四塩化炭素投与ラット肝障害モデル5)や生体内での金属の蓄積を起こすLECラットモデル6) などのラジカル障害モデルにおいて有用な酸化障害マーカーであることに着目し、ラット中大脳動脈(MCA)閉塞再開通モデルを用いて脳梗塞における酸化ストレス障害について検討した。さらにエダラボンの14日間投与に対する薬理学的効果を考察するためにエダラボンの本マーカーに対する影響を検討した。同時に薬理学的な指標として神経症状・運動機能障害に対するエダラボンの反復投与による改善作用を評価した。

酸化ストレスマーカーとして総遊離脂肪酸に対するパルミトオレイン酸(16:1) 、オレイン酸(18:1)の割合(%16:1, %18:1)に注目したところ、対照群では閉塞再開通後1〜5日目(%16:1)、1〜14日目(%18:1)に有意に上昇した(図7)。これは虚血再灌流による膜脂質中の高度不飽和脂肪酸の酸化による減少を補うために細胞中の脂肪酸不飽和酵素が活性化して18:1、16:1への変換が進行し、細胞死により血流中に漏出したためと考えられる。またこの実験より虚血再灌流障害は14日間まで継続することが明らかとなった。

一方、エダラボン単回投与群、14日間連続投与群における上記マーカーへの作用では、%16:1については単回投与群、反復投与群いずれの場合も上昇が有意に抑制されたが、%18:1については反復投与群でのみ有意な上昇の抑制がみられた。上記の結果よりエダラボンは酸化ストレスマーカーの上昇、すなわち虚血再開通後の脂質過酸化障害の抑制を示唆すると同時に、反復投与によりより広範囲な改善がもたらされることを示唆している。

さらに薬理学的な指標として神経症状・運動機能障害に対する改善作用によりエダラボンの反復投与の効果を評価した。神経症状では反復投与群でのみ有意な改善が認められた。運動機能障害については四肢協調運動障害を測定するRota-rod実験では反復投与群にのみ有意な改善が認められ、全身運動障害を測定するsuspension実験においては、反復投与群の方がより早期より改善が見られ、エダラボンの効果は反復投与においてより有効であることが示された。

阿部康二、「脳梗塞急性期治療の進歩:エダラボンの臨床」、大友英一編著、医薬ジャーナル社、pp 10-21, 2002Kontos HA, Circ. Res. 57, 508-516, 1985Schmidley JW, Stroke, 21, 1086-1090, 1990Ono S et al., J. Phys. Chem. A 101, 3769-3775, 1997Yamamoto Y et al., Redox Report, 2, 121-125, 1996
審査要旨 要旨を表示する

本論文は2001年に脳梗塞急性期治療薬として製造承認を取得、上市された3−メチル−1−フェニル−2−ピラゾリン−5−オン(一般名:エダラボン)の脳保護作用機序を明らかにすることを目的としたものである。

序論ではエダラボンの適応疾患である脳梗塞のこれまでに治療法とその限界についてまとめている。脳梗塞に伴う病態の進展には虚血−再灌流により発生する活性酸素・フリーラジカルが深く関与し、特にフリーラジカルが引き起こす脂質過酸化の抑制が重要であることを強調している。したがって、ラジカル消去作用活性をもつ薬剤が開発できれば、従来の治療法の欠点を克服しする新たな脳梗塞急性期治療薬になりうると述べている。

第1章では in vitro 脂質過酸化抑制作用を指標として活性化合物として見出されたエダラボンの構造活性相関について述べている。置換基の最適化としてエダラボンの1−位、3−位、4−位部分の変換が行われ、その結果いずれの置換位置においても脂溶性置換基の導入により in vitro 活性の向上が見いだしている。In vitro IC50 値と化合物の脂溶性を示す指標である clogP 値には良好な相関関係があり、またin vitro 試験における活性化合物に関しても至適clogP 値が存在することを示唆している。

第2章ではエダラボンの抗酸化作用機序について述べられてる。ペルオキシルラジカルとの反応溶液のpHに依存すること、エダラボンとラジカルの主要反応生成物が3−メチル−1−フェニル−2−ピラゾリン−4,5−ジオン(4,5-dione)および2−オキソ−3−(フェニルヒドラゾノ)−酪酸(OPB)であることを明らかにしている。さらに他のラジカル種でも同様の結果を与えたことから、エダラボンのラジカル消去に対する反応活性種エダラボンアニオンであり、またその消去機構はラジカル種によらずラジカルへの電子供与であり、最終生成物はOPBであることを結論している。さらにエダラボンのダイズホスファチジルコリン(PC)リポソーム膜に対する抗酸化作用の検討より、エダラボンは水溶性、脂溶性いずれのラジカルに対しても良好な抗酸化作用を有し、またエダラボンはVE、VCの共存によりほぼ完全にPCリポソームの過酸化を抑制することを明らかにし、エダラボンは生体内で極めて良好な抗酸化作用を発揮する可能性が示されている。

第3章ではエダラボンの主代謝物であるグルクロン酸抱合体と硫酸抱合体の合成法が述べられている。得られた合成品と生体試料から得られた試料が同一であること、さらに合成されたグルクロン酸抱合体のX線結晶構造解析の結果より代謝物はO-グルクロン酸抱合体であることを明らかにしている。

第4章ではエダラボンの神経症候改善作用と酸化ストレスマーカーの検討について延べられている。現在用いられている酸化ストレスマーカーは個体差間のばらつきや煩雑な測定法のために使用に限界があることから、脳梗塞における酸化傷害を血液を用いて簡便に判断する酸化ストレスマーカーが望まれている。種々のマーカーが検討されたが、総遊離脂肪酸に対するパルミトオレイン酸(16:1)、オレイン酸(18:1)の割合(%16:1、%18:1)のみが有用であったことを示している。さらにエダラボンの単回投与よりも1日2回14日間投与の方が、この酸化傷害マーカーの上昇を抑制できたことを明らかにしている。単回投与よりも1日2回14日間投与の方が神経症状・運動機能障害を示す指標の改善にも有効であったことを確認している。

以上のようにエダラボンの構造と薬剤活性との相関、抗酸化反応の作用機序、代謝物合成、脳障害の評価に有用な酸化ストレスマーカーの発見など、今後の活性酸素・フリーラジカルが関与する病態の改善薬の開発に有用な知見が得られており、医学・薬学・工学分野の発展に貢献すること大である考えられる。

よって本論文は博士(工学)に学位請求論文として合格と認められる。

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