学位論文要旨



No 215677
著者(漢字) 高橋,勇夫
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,イサオ
標題(和) 四万十川河口域におけるアユの初期生活史に関する研究
標題(洋)
報告番号 215677
報告番号 乙15677
学位授与日 2003.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15677号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 白木原,国雄
 東京大学 助教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

両側回遊性のアユPlecoglossus altivelis altivelis の初期生活史の研究は、砕波帯にアユ仔稚魚が分布することが明らかにされた1985年以降、急速に進み、回遊経路や成長、食性等に関する多くの情報が蓄積されてきた。しかし、分布様式、減耗、発育過程等に未だ解明されていない問題も多く残されている。さらに、一つの水域を対象としてアユ仔稚魚の初期生活史全般にわたり、包括的に研究された例は皆無に等しい。

四国南西部を流れる四万十川の河口域では、秋から春にかけてアユ仔稚魚が大量に採集される。このことは河口域の持つ保育場としての価値の高さを示唆するものといえるが、我が国ではこのような河口域の重要性が認識されないままに開発が進められ、環境汚染が進んでいる。本研究では河口域におけるアユの初期生活史を包括的に把握するとともに、アユにとっての河口域の持つ意義を究明することを目的とした。

産卵と仔魚の流下

1983年と99年に産卵状況を、96年に仔魚の流下量を調査した。四万十川の産卵場は河口から9-14kmの間に形成されていた。日本の他の河川と比較すると、下流部の河床勾配が緩いにもかかわらず、河口近くの狭い範囲に集中して産卵場が形成されることが本川の特徴と言える。このため仔魚は河口域や海域に短時間のうちに流下することができ、仔魚の生き残りに有利と考えられた。

産卵の開始は1980年代までは10月上・中旬、盛期は概ね10月下旬、終了は12月下旬頃であった。しかし、1993年頃から1-2週間程度産卵期が遅れる傾向にあり、11月上・中旬にも活発な産卵が見られることが多くなった。

1996年群(秋から始まる一連の産卵期に由来するものを年群とした)の仔魚の流下は、96年10月27日から確認され、11月中旬に盛期を迎えた後、翌97年2月15日まで続いた。11月中旬には活発な産卵も観察され、それらは12月上旬頃にふ化すると推定された。しかし、予想に反し、実際には12月上旬前後の流下量は少なかった。この原因として、落ち鮎漁(11月16日に解禁)のために産卵場に多数の人が立ち入ることで、多量の産着卵に破損や流失が生じた可能性が示唆された。

河口域における出現と分布様式

1985年〜2000年の間に、計7年群を対象に、河口域と周辺砕波帯で小型曳き網や集魚灯等による採集を行った。河口域では前期仔魚から遡上直前の稚魚まで、様々な発育段階のアユが出現した。出現期間は10月から翌年の5月で、その盛期は11月から1月に見られた。また、出現量の季節的な変化は周辺の海域における出現状況とほぼ一致していた。

河口域で採取されたアユのうち、体長7mm以下の前期仔魚は流心部を中心に岸寄り浅所まで出現した。卵黄を吸収し終える体長7.1-7.5mmからは河口内の近底層への集積が始まった。この状態は体長10mmまで続き、その後仔魚は岸寄りの浅所へと接岸行動を開始した。接岸前の近底層への集積は、卵黄吸収後に起きる体比重の増大に伴って自然沈降のような形で生じていると考えられた。また、近底層へ集積することで潮汐流や河川流に流されにくくなるため、このことが河口域への稚魚の残留を促していると考えられた。

集魚灯によって採集されたアユ仔稚魚の体長は、岸寄りよりも流心部において大きかった。このことから体長10mm前後で一旦接岸したアユも、成長とともに次第に流心付近へと分布域を広げていると判断された。流心部へと移動を開始する体長は、概ね20mm前後とみなされた。しかし、このような回遊移動のパターンは体長に応じて画一的に生じているのではなく、ふ化時期によって異なっていた。すなわち、早生まれは接岸後短期間(約1ヶ月間)しか岸寄り浅所に滞在せず、その後直ちに流心部に移動するのに対し、遅生まれは岸寄りに長期間滞在し、そのまま河川に遡上する傾向にあった。移動様式にふ化日による差が生じる一因は、成長率の違いにあることが示唆され、低成長率の遅生まれでは流心部への分布拡大が遅れるか、または流心部に移動することなく、遡河するものと考えられた。このようなふ化日による移動様式の差違は、密度を緩和することに寄与していると推察され、生息場所としては狭い河口域を利用する際に特に有効に機能すると考えられた。

食性、成長、発育過程

体長35mm以下のアユ仔魚の平均摂餌率は、河口域で68.5%、海域で72.5%と両者に大きな差はなかった。また、河口域での主な餌生物は、海域と同様にかいあし類であった。河口域に特異的な餌生物として、ミミズハゼ属仔魚があげられ、体長25mm以上のアユに選択的に摂餌されていた。アユ仔稚魚の成長は直線で近似でき、河口域での成長は海域よりも良好であった。その理由については、河口域において餌料環境が良好であること、浸透圧調節に要するエネルギーが少なくてすむことなどが考えられた。

96年群を用い、仔稚魚期の発育過程を3つのコホート(11月、12月、1月生まれ)で比較した。鰭と椎体は体長35mmまでにほぼ完成し、これらの発育過程にはふ化時期による差はなかった。一方、体長35mm以上では、体型の変化や色素の形成過程に生まれ月による差が認められ、11月生まれのアユの体高は12月と1月生まれのそれよりも低く、色素は遅生まれほど小サイズで発達する傾向にあった。つまり、早生まれ(11月生まれ)のアユは大サイズ(体長約45mm)までシラス型仔魚の形態を維持するのに対し、遅生まれ(12-1月生まれ)は小サイズ(40mm以下)で稚魚へと移行する傾向にあった。このようなふ化月による発育過程の違いには、各コホートが体長35mm前後に達した段階での水温が関与しており、稚魚への移行サイズは遡上を開始する時期の河川水温によって決定されることが示唆された。

減耗過程

96年群を用いて、流下期から遡上期の間のふ化日組成の変化を追跡した。卵黄仔魚の流下量は、11月中旬に卓越したピークをもち、その後12月下旬から1月中旬にかけて第2のピークを迎えた。他方、河口域および海域で採集されたアユ仔稚魚(体長10mm以上)のふ化日組成には、12月下旬にピークがあり、これは流下の第2のピークと対応していた。しかし、11月中旬の流下の卓越したピークに対応する山は認められず、さらに、翌春の遡上魚のふ化日組成も同様の傾向を示した。これらの結果から、96年11月中旬に大量に流下した仔魚は、河口域や海域に流下した後に高い割合で減耗したと考えられ、そのために流下期のピークとそれ以降のふ化日のピークにズレが生じたと判断された。96年秋季は四万十川周辺の海水温が非常に高く、流下のピークが見られた11月の水温は約24℃と、アユ仔魚の生存に好適とされる20℃以下を大きく上回っていた。このような96年秋の高水温は、早生まれ(10-11月生まれ)の減耗率を選択的に高めた可能性が示唆された。

1986-2000年の間に河口域と周辺海域で採集した計6年群の仔稚魚を用い、日齢査定によってふ化日組成の年変動を分析した。86年群から92年群まではふ化日のピークは10月下旬から11月中旬に見られ、これら年群のピークは卵黄仔魚の流下のピークと一致していた。ところが、95年群以降、河口域等で採集したアユ仔稚魚のふ化日のピークは遅れ始め、96年群と99年群のピークは12月下旬頃となった。四万十川河口周辺の秋季の海水温は1980年代から上昇傾向にあり、特に94年以後は頻繁に高水温が観測されている。95年群以降にみられたふ化日の遅れの主要因が、96年群と同様な秋季の高水温による早生まれの選択的な減耗にあるとすれば、これが四万十川のアユ資源の減少をまねくと予想される。実際、四万十川のアユの漁獲量は95年以降著しく減少した後、低水準状態が続いており、ふ化日の遅れと漁獲量の減少は時期が一致している。このようなことから、近年のふ化日の遅れは、海水温の上昇と関連している可能性が高いと判断された。四万十川における産卵保護のための禁漁期は10月16日から11月15日であるが、近年では河口域や海域に生き残ったアユのふ化のピークは12月下旬となっているため、禁漁期は実質的にはほとんど機能していない。アユ資源を守るためには、禁漁期を延長し産卵親魚と卵を保護する必要がある。

生息場としての河口域の意義

河口域におけるアユ仔稚魚の成長は海域に比べて良好であり、このことは河口域がアユ仔稚魚の生息場として好適であることを示す端的な事例と考えられた。さらに、河口域に優占的に出現する仔稚魚の中にアユとニッチを共有する種は見あたらず、餌や空間をめぐる他種との競合は海域に比べると相対に小さいと考えられた。また、母川回帰が容易となることからも河口域は仔稚魚期の生息場として有利な条件を有する水域と判断された。四万十川河口域のようにアユ仔稚魚の生息条件(水温、塩分、飼料等)を満足する河口域は、本来の生息場と考えられている沿岸水域よりもむしろ好適であると言える。これまで河口域はアユにとっては回遊の際の単なる通過点として見過ごされてきたが、仔稚魚期の保育場としての重要性を新たに指摘することができる。

以上、本研究では四万十川河口域に生息するアユの初期生活史について包括的研究を実施し、これまで不明な部分の多かった本種の分布、発育過程、減耗等に関して新たな知見を得ることができた。さらに、河口域の持つ保育場としての意義についても認識を深めることができた。これらの情報はアユ資源の保全に寄与すると考えられる。今後、河口域に生息するアユ個体群の資源への寄与を定量できれば、河口域の役割をより明確にすることが可能となる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は四万十川河口域におけるアユの初期生活史を包括的に把握するとともに、アユにとって河口域の持つ意義を究明することを目的として行われた。論文は7章からなり、第1章の緒言、第2章の河口域の環境特性に続いて、第3章から第7章では以下の結果を得た。

産卵と仔魚の流下

四万十川の産卵場は河口から8-14kmの間に形成された。下流部の河床勾配が緩いにもかかわらず、産卵場が河口近くの狭い範囲に集中して形成されることが本川の特徴で、仔魚は河口域や海域に短時間のうちに流下できるため、生き残りに有利と考えられた。

96年群(秋から始まる一連の産卵期に由来するものを年群とした)の仔魚の流下は、96年10月下旬から確認され、11月中旬に盛期を迎えた後、翌97年2月中旬まで続いた。

河口域における出現と分布様式

河口域では、様々な発育段階のアユが10月から5月の間に出現した。出現量の季節的な変化は海域のそれとほぼ一致した。

体長7mm以下の前期仔魚は流心部を中心に岸寄り浅所まで出現した。卵黄を吸収し終える7.5mmからは河口内の近底層への集積が始まった。この状態は10mmまで続き、その後仔魚は岸寄りの浅所へと接岸行動を開始した。接岸前に近底層へ集積することで潮汐流や河川流に流されにくくなる。このことは河口域における仔魚の残留を促していると考えられた。

接岸したアユは体長20mm以上になると流心へ分布を広げるものと判断された。さらに、早生まれは接岸後短期間(約1ヶ月間)しか岸寄り浅所に滞在せず、その後直ちに流心部に移動するのに対し、遅生まれは岸寄りに長期間滞在し、そのまま河川に遡上する傾向が見出された。

食性、成長、発育過程

アユ仔魚の主な餌生物は、海域と同様にかいあし類であった。河口域に特異的な餌生物として、ミミズハゼ属仔魚があげられた。アユ仔稚魚の成長は直線で近似でき、河口域での成長は海域よりも良好であった。その理由として河口域は餌料環境が良好であること、浸透圧調節に要するエネルギーが少なくてすむことなどが考えられた。

発育過程を3つのコホート(11月、12月、1月生まれ)で比較した。鰭と椎体は体長35mmまでにほぼ完成し、これらの発育過程にはふ化時期による差はなかった。一方、体長35mm以上では、体型や色素の形成過程には差が認められ、早生まれ(11月生まれ)のアユは大サイズ(体長約45mm)までシラス型仔魚の形態を維持するのに対し、遅生まれ(12-1月生まれ)は小サイズ(40mm以下)で稚魚へと移行する傾向があった。このような発育過程の違いは、各コホートが経験する水温の違いが関与しているものと示唆された。

減耗過程

96年群では、卵黄仔魚の流下量は11月中旬に卓越したピークをもち、その後12月下旬から1月中旬にかけて第2のピークを迎えた。他方、河口域・海域で採集されたアユ仔稚魚および遡上魚のふ化日組成は12月下旬にピークがあり、これは流下の第2のピークと対応していた。しかし、11月中旬の流下の卓越したピークに対応する山は認められず、11月に大量に流下した仔魚は、河口域や海域に流下した後に高い割合で選択的に減耗したか逸散と考えられた。96年秋季は海水温が非常に高く、早生まれ(10-11月生まれ)の減耗率を選択的に高めた可能性が示唆された。

1986-2000年の間に採集した計6年群の仔稚魚を用い、ふ化日組成の年変動を分析した。86年群から92年群まではふ化日のピークは10月下旬から11月中旬に見られた。ところが、95年群以降、河口域等で採集したアユ仔稚魚のふ化日のピークは遅れ始め、96年群と99年群のピークは12月下旬頃となった。秋季の海水温は1980年代から上昇傾向にあり、特に94年以後は頻繁に高水温が観測されている。このようなことから、近年のふ化日の遅れは海水温の上昇と関連している可能性が高いと判断された。

総合考察

河口域では海域よりも成長率が高かったことなどから、アユ仔稚魚の生息条件(水温、塩分、餌料等)を満足する河口域は、本来の生息場と考えられている沿岸水域よりもむしろ好適であるといえた。これまで河口域はアユにとっては回遊の際の通過点として見過ごされてきたが、保育場としての重要性を新たに指摘することができた。

以上、本研究ではアユの初期生活史について包括的研究を実施し、分布、発育過程、減耗等に関して新たな知見を得た。さらに、河口域の持つ保育場としての意義についても認識を深めることができた。本研究で得られたこれらの情報はすでにアユ資源の保全と管理において新たな展開をもたらしつつある。よって審査委員一同は、本論文が農学生命科学と水産科学において学術上、応用上寄与するところが少なくないと判断し、博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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