学位論文要旨



No 215687
著者(漢字) 宮川,和也
著者(英字)
著者(カナ) ミヤガワ,カズヤ
標題(和) 擬2次元有機伝導体における金属-絶縁体転移のNMR研究
標題(洋) NMR Study of Metal-Insulator Transitions in Quasi-Two-Dimensional Organic Systems
報告番号 215687
報告番号 乙15687
学位授与日 2003.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15687号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
内容要旨 要旨を表示する

それまで典型的な絶縁体と考えられてきた有機物質で金属的な挙動を示す物質が発見されたこと、それに加え超伝導となる物質の出現は科学者にあらたな問題「なぜ有機物が金属となるのか?」を提示した。その後、この問題に対して量子振動効果によるFermi面の観測などから、有機伝導体では物性を論ずる際、原子軌道の代わりに分子上に広がった分子軌道の重なりを考えることにより通常の金属と同様に取り扱えることが分かった。バンド計算の結果は実験と良い一致を見せ、金属と絶縁体の違いをハンドという観点で説明できること、さらにTMTSF系(TMTSF:TetraMethylTetraSelenaFulvalene)が起こす金属-絶縁体転移はFermi面のネスティングによって解釈されると考えられていたことから有機伝導体の物性はバンド理論を用いて理解されると考えられてきた。しかし、バンド計算からでは金属状態が期待されているのに対して半導体的な挙動を示すもの、ネスティングを起こすようなFermi面ではないにも関わらず金属-絶縁体転移を示すものが発見され「有機物はなぜ絶縁体になるのか?」という新たな疑問が生じることとなった。本論文ではこのような金属-絶縁体転移を示す有機導体の中で代表的なBEDT-TTF (BEDT-TTF: bisetylenedithio-tetrathiafulvalene)系塩に焦点を絞り、核磁気共鳴(NMR)を用いて研究した。以下に研究対象となった物質の物性について概略を述べる。

BEDT-TTF分子は図1に示すように平板状の分子である。BEDT-TTF系塩の多くは(BEDT-TTF)2Xという構造をとる。XはBEDT-TTF二分子から電子を一個受け取って-1価のアニオンとなり非磁性絶縁相を形成する。このときBEDT-TTF分子は+0.5価となるのでBEDT-TTF分子が形成するバンドは1/4-filling となって金属的な伝導層を形成する。この伝導層はBEDT-TTF分子の分子軌道を反映して2次元的な伝導シートとなっている。このシートを絶縁層X-1が挟み込む結晶構造をとるため多くのBEDT-TTF塩の電子状態は擬2次元系を舞台とする。実際、今回取り上げた物質も含め多くのBEDT-TTF塩におけるバンド計算の結果は2次元系に期待される円筒形のFermi面を基本としたものとなっている。BEDT-TTF塩ではアニオンXとの組み合わせのほかにBEDT-TTF分子の配列の仕方に自由度があり、仮に同じ組成式であっても配列の仕方によって物性が異なり超伝導や絶縁体、密度波、磁性などが出現する。分子配列とアニオンXがもたらす多様な電子状態との関連に関心が集まっている。以下では本論文で取り上げた二つの異なる分子配列の塩に話を限定する。

k-(BEDT-TTF)2X : 分子配列は図2(a)に示すようにBEDT-TTFが二量体をくみ、それが井桁のような構造をとっている。アニオンXがCu[N(CN)2]BrやCu(NCS)2の時には有機超伝導体のなかでも数少ない転移温度が10 Kを越える超伝導体となる(転移温度は前者が12 K、後者は10 K程度)。 これに対してX = Cu[N(CN)2]Brと同じ結晶構造(空間群はPnma)をとるX = Cu[N(CN)2]Cl塩では電気抵抗は半導体的な温度依存性を示し、27 Kで反強磁性が観測される。このX=Cu[N(CN)2]Cl塩に圧力を加えることにより電気抵抗の半導体的挙動は押さえられついには13 Kで超伝導となる(およそ300 kbar)。アニオンの種類や加圧によって引き起こされる金属-絶縁体転移の起源については本研究が行われる前には、それ以前に発見、研究されていたTMTCF系(C = S もしくはSe)からの推測として、Fermi面のネスティングによる密度波(SDW:Spin Density Wave)の形成、もしくは乱れの効果によるアンダーソン局在ではないかと考えられてきた。

θ-(BEDT-TTF)2RbZn(SCN)4 : θ-型の分子配列を図2(b)に示した。前述とのk-型配列との大きな違いは分子間に二量体構造が無いことである。それ故、2次元伝導バンドは1/4-fillingとなっており金属状態が予想されるにもかかわらずこの物質はおよそ195 Kで金属-絶縁体転移を起こす。静磁化率は転移温度付近では異常は見られず、30 Kあたりから急激に減少し始めることから低温ではスピン1重項状態になっていると考えられている。

目的: 電子には電荷とスピンの自由度が存在している。したがって金属-絶縁体転移に限らず物性を調べていく上でこの二つの自由度についての情報を得ることが重要となる。有機導体では電荷からの実験に比べスピンすなわち磁性からのアプローチが少なかった。これには、大型の単結晶の育成が難しいため測定は多結晶となることが多く磁気的な異方性の測定が難しいことや測定手段が限られてしまうことに由来している。NMRにおいてもBEDT-TTF分子には電子密度の非常に小さい水素(1H)サイトしかNMR信号観測可能なサイトが存在しておらず、そのサイトでの測定量は分子運動や超伝導状態での磁束の運動にマスクされてしまいこれらの現象について重要な知見を与えたが、伝導キャリアについては充分な情報が得られていなかった。そこで本論文では電子密度の大きなサイトにNMR可能な同位元素,13C,を置換することによってNMR測定を行い磁性の面から上記2物質系の金属-絶縁体転移の情報を引き出し転移の起源を明らかにすることを目的とした。

実験手法: 元素置換を行う核種は伝導キャリア密度が大きいとされるBEDT-TTF分子の中心側の炭素、もしくは硫黄サイトとなるがNMR信号の観測のしやすさ、分子合成のしやすさから中心の炭素サイトを12Cから13Cに置換した(元素置換したBEDT-TTFを図1に示す)。試料は電解法を用い作成し、NMR実験は自作もしくは市販されている装置を用いて行った。

結果と議論:k-(BEDT-TTF)2X 塩

粉末試料を用いて13C NMR測定を行った結果、絶縁体であるX = Cu[N(CN)2]Cl塩の1/(T1T)に27 K付近に発散的なピークが観測された。この発散的なピークは磁気秩序形成に伴うものである。粉末試料の実験では試料が静磁場に対してランダムな方向を向いているため磁気秩序相の磁気構造は平均化されてしまう。そこで、単結晶を用いて1H および13C NMR測定を行った結果、0.45μBという大きさの局在スピンがBEDT-TTF二量体上にある最も単純な反強磁性の構造であることが判明した。このような磁気構造をとることからX = Cu[N(CN)2]Cl塩の絶縁化の機構としてFermi面のネスティングやアンダーソン局在といったものではなく、強い電子相関によって電子が局在するモット転移と考えるのが妥当である。モット転移を起こすには系が1/2-fillingのバンドとなっている必要があるが前述したとおり系のバンドは1/4-fillingが期待されている。これに対して強い二量体化によって系が実効的に1/2-fillingとみなせるという”dimerモデル”が提案されており、実験事実は反強磁性のスピンが二量体を一単位としていることからこのモデルと矛盾していない。したがって、X = Cu[N(CN)2]Clはモット絶縁体であると結論付けられる。

これに対して超伝導となる2塩の結果はおよそ60 K付近まで1/(T1T)はX = Cu[N(CN)2]Cl塩と絶対値も含め同じ温度依存性すなわち反強磁性揺らぎの成長が観測された。この温度以下になると1/(T1T)は急速に減少し始める。しかし電気抵抗で金属的挙動が観測されている低温においてもその絶対値は観測されたシフトから電子相関の無い金属状態で期待される1/(T1T)の値(Korringa値)よりも10倍程度大きく、超伝導となる塩においても強い電子相関の効果が存在していることが分かった。これらの結果、および既に報告されている実験事実を考え合わせ図3に示すような相図を提案した。電子相関をあらわすオンサイトクーロン(U)とバンド幅(W)の比U/Wがこの物質群の金属と絶縁体を分けておりそこがモット転移点に対応している。

超伝導相についても単結晶を用いてNMR実験を行った。通常、磁場下での超伝導体におけるNMR緩和率には準粒子の寄与に加え磁束の運動による寄与が含まれる。特に擬2次元系ではこの磁束の運動による寄与が無視できない。ただし試料の超伝導層が静磁場と平行になったときにはJosephson 磁束という状態が実現されこのときには緩和率(1/T1)への寄与が非常に小さいか無いものと考えられている。そこで静磁場と平行になるように試料を配置し、X = Cu[N(CN)2]Br塩では1H NMR測定を利用し平行条件からのわずかなずれにこよる磁束の運動の寄与を差し引いた。X = Cu(NCS)2塩では1H NMR測定の静磁場に対する角度依存性の実験を行い試料を静磁場と平行になるようにして13C NMR実験を行った。その結果、1/T1において両塩ともに転移温度直下にはHebel-Slichter ピークは観測されず低温ではT3の温度依存性が観測された。この結果は超伝導の対称性がs波ではなくd波であるということを強く示唆している(非常に異方的なs波の可能性は排除できないことを付記する)。

我々はBEDT-TTF分子の水素原子を重水素で置換した分子を用いることによってk-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Br塩(以下d[4,4]-Cu[N(CN)2]Brと表記)がモット転移直上に位置することを見出した。この塩の単結晶を用い静磁場をa 軸方向(伝導面平行)にかけて13C NMRを行ったところ超伝導相からのNMR信号と反強磁性相からのNMR信号が観測された。磁化率測定においても反強磁性相と超伝導相の混在を確認した。これはモット転移が超伝導相と反強磁性相を分けているためこの間は1次転移の関係にあり、この物質がまさにその直上に位置しているために混在が起こっていると考えられる。絶縁相からの信号解析から絶縁相は単純な反強磁性のスピン構造をとっておりモーメントの大きさは0.3μBであることが分かった。超伝導相での1/(T1T)の温度依存性には従来、酸化物超伝導体のアンダードープ域でしか観測されていなかった1/(T1T)がTCより上の温度から減少するという擬ギャップ的な振る舞いが観測された。この振る舞いの起源を探るため磁場を伝導面垂直方向にかけ、低磁場と超伝導が壊れるような強磁場下での13C NMR測定を試みた。その結果、擬ギャップ的な振る舞いには静磁場の方向依存性および強度依存性が観測された。前者からこの振る舞いには電子の軌道運動が関与しており、後者からはその軌道が磁場依存性を持っているということがわかる。そのようなものとして超伝導ゆらぎというものが考えられる。強磁場下の実験において金属相から絶縁相への1次転移も観測された。

θ-(BEDT-TTF)2RbZn(SCN)4塩

この塩の絶縁化にk-型の議論をそのまま当てはめることはできない。なぜならθ-型では分子の強い二量体化はおこっておらずバンドは1/4-fillingのままであるのでモット転移は起こらないはずだからである。単結晶を用い13C NMR測定を行った。スペクトルの温度依存性を図4に示す。室温のスペクトルはBEDT-TTF分子が1サイトというモデルで説明が可能でこれはX線の実験結果と矛盾していない。温度の低下によってスペクトルは徐々に広がり、絶縁体転移温度以下で幅の広いスペクトルと狭いスペクトルの2成分にわかれ、シフトの大きさも大きく異なっている。緩和率(1/T1)も二つのスペクトル間では大きく異なっており幅広のスペクトルの1/T1が狭いものの1/T1に比べて40倍程度大きなものとなった。このような大きな違いは電荷分布に粗密が生じていること、すなわち電荷秩序を表しておりこの系の絶縁化には長距離クーロン力(V)が重要な役割を果たしていることを意味する。1/T1およびシフトから見積もった電荷の濃淡の比は1:6である。この物質は前述のとおり低温ではスピン一重項となると考えられている。NMRの結果もこれを支持するが、希釈冷凍機温度までの測定によって低温での1/T1はキャップ的に減少するのではなく温度のべき乗で減少していることを見出した。これは分子配列が三角格子を組んでいるため電荷の配列にフラストレーションが生じているために系に乱れが生じていることの現れであると考えられる。転移よりも上の温度ではこのようなフラストレーションが凍結していないためにスペクトルがブロードになっていると考えられる。

結論 : 擬2次元系BEDT-TTF系の異なる二つの分子配列をもつ金属-絶縁体転移をNMRを用いて調べた。K-型はオンサイトクーロン(U)の効果によるモット転移、θ-型は長距離クーロン力(V)による電荷秩序の形成が絶縁化の機構であることが分かった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は有機伝導体(BEDT-TTF)2X (BEDT-TTFは分子名BisEtyleneDiThioTetraThiaFulvaleneの略)が示す金属-絶縁体転移の起源を明らかにするために行った核磁気共鳴法(NMR)による実験およびその解析結果をまとめたものである。全9章で構成されている。

第1章では、まず有機伝導体の物性がまとめられている。次に本研究で取り取り上げたk-型およびθ-型BEDT-TTF塩における金属-絶縁体転移についての現状と問題点が整理され、この転移の原因を明らかにするには磁気的側面からの研究が望まれており、NMR実験はこの目的に適していることが述べられている。

第2章では、元素置換された分子の合成法、結晶の育成法およびNMR測定法などの実験方法が述べられている。

第3章では、粉末試料を用いたk-型塩の13C NMR実験の結果が述べられている。絶縁体であるX=Cu[N(CN)2]Cl(k-Cl)、低温で超伝導体となるX=Cu(NCS)2(k-NCS)およびX=Cu[N(CN)2]Br(k-Br)の緩和率の温度依存性と絶対値の振る舞から、これらの物質はいずれも強電子相関系であると結論付けられている。さらに、重水素化したk-Br(k-d44-Br)塩は金属-絶縁体転移の直上に位置する物質であることが磁化率測定および粉末13C NMR測定より示されている。

第4章は、k-NCSおよびk-Brの超伝導状態のNMR研究にあてられている。まず、超伝導の混合状態での緩和率には準粒子の寄与のほかに磁束の運動による寄与があること、そして、本研究にとって不必要な後者の寄与は、磁場を伝導面に平行に印加することあるいは13C NMRに加えて1H NMR実験を併用することで除去可能であることが述べられている。前者の方法をk-NCSに後者の方法をk-Brに適用して実験解析した結果、両塩の1/T1はHebel-Slichter極大を示さず低温でT3の温度依存性を示した。この結果より、両塩の超伝導の対称性は通常の超伝導に期待されるs波とは異なりフェルミ面に線上の節をもった異方的なものであり、さらに報告されている他の実験結果と考え合わせるとd波的なものであると結論付けている。

第5章は、絶縁体であるk-Clの単結晶を用いて行った1Hおよび13C NMR実験の結果をまとめている。磁気秩序状態でのNMRスペクトル解析からk-Clの磁気構造はBEDT-TTFダイマーを一サイトとした単純な反強磁性構造であり、磁気モーメントの大きさは0.45μB/dimerであることが明らかにされた。この結果より、k-型塩における金属-絶縁体転移の起源は強い電子相関のために電子が局在化するモット転移であると結論付け、U/W(U:オンサイトクーロンエネルギー、W:バンド幅)をパラメータにとったk-型の相図を提案している。

第6章は、モット転移直上に位置するk-d44-Br塩の単結晶を用いた13C NMR実験の結果を記述している。NMRスペクトルの観測から、30 K以下で電子相が金属(超伝導)相と絶縁相に分離することが明らかにされた。スペクトルの解析から、絶縁相は単純な反強磁性構造をとっておりモーメントはおよそ0.3μB/dimerとモット転移近傍であっても比較的大きなモーメントを持っていることが明らかになった。一方、超伝導相では転移温度よりも高温から緩和率が減少する酸化物超伝導体の主にアンダードープ領域で観測されていた擬ギャップとよばれる現象がバンド充填固定である有機導体でも初めて観測された。

第7章は、第6章で観測された擬ギャップ現象および過去に報告された磁場誘起金属(超伝導)-絶縁体転移の起源を探るために様々な磁場条件下で行なわれた13C NMRの実験結果を記述している。擬ギャップ現象は磁場強度および磁場の印加方向に強く依存することが示され、擬ギャップの起源を電子スピンに求めるよりは超伝導揺らぎに付随する軌道の効果によるものと考えるのが妥当であると述べられている。また、NMR信号強度の顕著な磁場依存性の観測により磁場誘起金属-絶縁体転移が微視的に実証された。

第8章は、θ-(BEDT-TTF)2RbZn(SCN)4における金属-絶縁体転移の起源を探るために行なわれた13C NMR実験の記述にあてられている。まず、θ-型は分子がダイマー構造をとらないため前章までk-型で議論してきた絶縁体化モデル(モット転移)は適用できないことが述べられている。転移温度以下でのスペクトルの分裂および緩和率の解析から、この物質の絶縁相は長距離クーロン相互作用が引き起こす電荷秩序相であると結論付けている。さらに、低温における緩和率の温度依存性の議論のなかで、三角格子上の電荷秩序にフラストレーションの効果が現れている可能性を指摘している。

第9章は本論文のまとめである。

以上を要すると、本研究は、分子配列の異なる有機伝導体(BEDT-TTF)2Xの電子状態および金属-絶縁体転移に電子相関が深く関与していることを明らかにし、異なる分子配列で電子相関の効果が異なる形であらわれることをはじめて示した。これは、分子性導体に電子相関の効果をあらわに考える必要性を提示し、分子性導体の設計及び物性制御という観点から物性物理学および物理工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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