学位論文要旨



No 215688
著者(漢字) 青砥,紀身
著者(英字)
著者(カナ) アオト,カズミ
標題(和) ナトリウム雰囲気中における炭素鋼の腐食挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 215688
報告番号 乙15688
学位授与日 2003.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15688号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢川,元基
 東京大学 教授 寺井,隆之
 東京大学 教授 関村,直人
 東京大学 教授 吉村,忍
 東京大学 助教授 奥田,洋司
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と課題の設定

高速増殖原型炉もんじゅにおける2次系ナトリウム(Na)漏えい燃焼事故および事故原因究明のために行われた2度の実規模Na漏えい燃焼実験(以下燃焼実験Iおよび燃焼実験II)では、Na漏えい流下部にあった炭素鋼製構造物に激しい腐食が発生した。ところが、燃焼終了後の堆積物状況や炭素鋼の損傷程度はもんじゅ事故と燃焼実験Iには多くの共通点が認められ、燃焼実験IIでは異なる結果となった。そうした違いが起きる因子を含め、大気中でのNa燃焼によって形成されるNa−O−H系溶融環境(Na系溶融塩)中での炭素鋼(鉄)の腐食挙動を明らかにすることは、単にNa冷却型高速炉の実用化に枢要となるNa漏えい対策についてばかりではなく、広くNaを取扱う化学工業分野の装置や系統における腐食対策を適切に講じるうえで重要である。しかし、高速炉開発に先行する欧米露でも、類似の漏えい燃焼事故や燃焼実験は多く報告されているが、詳細に鉄鋼材料の腐食挙動を取扱った研究例は見当たらない。そこで、以下を研究課題とした。

(a) Na−O−H系(Na系)溶融塩中における炭素鋼(鉄)の腐食機構を、その詳細な挙動、すなわち腐食速度や動的性質を含め明らかにする。(b) Na系溶融塩の主成分となるNa2O2 (Na2O2モル濃度≒酸素ポテンシャル)およびNa2O (Na2Oモル濃度≒塩基度)が炭素鋼の腐食進行に与える効果について明らかにする。

損傷材料および腐食生成物の分析に基づく腐食機構の推定

燃焼実験IおよびIIの損傷材料に関し、化学的および冶金的分析を行い、得られた知見および既報のもんじゅ事故解析データとの比較に基づき、前章で推定した腐食環境の妥当性を評価した。結果を踏まえ、Na溶融塩環境がその酸素ポテンシャルと塩基度(≡Na2Oの活量)により少なくとも2つの異なる環境に区分できる可能性があることを示した。そのうえで、化学量論および化学平衡論に基づき各環境における腐食機構を示した。

(1) Na系溶融塩中の酸素ポテンシャルが極めて低く、かつ塩基度が高い環境では、腐食は典型的には以下に示す反応によって生じる。Fe[s] + 3 Na2O[s] → Na4FeO3[s,l] + 2Na[l/g] [1]生成した低融点のNaFe複合酸化物が腐食環境の温度上昇によって流動するか、別の物理的/化学的な機構が働くことで材料表面から除去されれば腐食は進行する。この腐食をNaFe複合酸化型腐食(複合酸化型腐食)と呼称する。(2) Na系溶融塩中に酸化能力を持つ化学種が有意に存在する、酸素ポテンシャルが高く、塩基度が低い環境では、腐食は過酸化物イオン(O22-)が炭素鋼(鉄)を直接酸化する反応により腐食が生じる。Fe + 3/2O22- → Fe O33- [2]生成物はオキシ錯イオンとして溶融塩中に溶解するため、環境にO22-が存在する限り腐食は進行する。腐食機構の類似性から溶融塩型腐食と呼称する。

溶融塩型腐食では腐食進行を支配するO22-の供給・再生経路が重要となるが、それには気相中酸素の影響を明らかにすることが求められる。そこで、研究課題に以下の検討を追加した。

Na系溶融塩に外接する気相中の酸素が、溶融塩中の炭素鋼の腐食に及ぼす効果を、特に、一般に最も大きな影響があるとされる液面近傍(気液界面)における腐食促進に与える効果について明らかにする。

各腐食機構における腐食速度および動的挙動に関する検討

前章で示した腐食が想定した環境で発生することを、それぞれの腐食環境を形成するとしたNa系溶融塩中の全浸漬試験により確かめた。すなわち、Na−Na2OおよびNaOH−Na2O中では複合酸化型腐食が、NaOH−Na2O2中では溶融塩型腐食が発生することを、試験後の試料観察および腐食生成物の分析結果に基づき確認した。腐食進行の時間依存性評価に基づき複合酸化型腐食は放物線則に従うこと、および溶融塩型腐食は直線則に従うことを明らかにした(図1参照)。そうした動的挙動を踏まえ、Na−Na2OおよびNaOH−Na2O試験データに基づき複合酸化型腐食速度式([3]式)を、NaOH−Na2O2試験データに基づき溶融塩型腐食速度式([4]式)を提案した。また、それぞれの評価式が精度の良い予測性を有していることを定式化に用いなかったデータや他機関で取得されたデータに基づき確認した。[Fe]1.75 = kt [mol/ cm2] [3]k = 2.01×10-1exp(Q/RT), Q= -17,100 [cal/mol]φR = A・exp(-Q/RT) [mm/h] [4]A=1.48×102, Q= -9,610 [cal/mol]式中Rは気体定数、Tは絶対温度、tは経過時間[h]である。

さらに、溶融塩型腐食については、気相の酸素ポテンシャルを変えた試験を実施し、結果に基づき気相酸素が少なくとも浴塩中の腐食進行に影響を与えないこと、すなわち気液界面での気相酸素の取込み機構が働かないか、あるいは働いても効果が非常に小さいこと指摘した。

気液界面近傍の局所的腐食促進に関する検討

気液界面における腐食進行に及ぼす気相酸素の影響を半浸漬試験結果に基づき評価検討した。長尺の炭素鋼製試験片を用いて溶融塩型腐食環境中で気相の酸素ポテンシャルを変えた半浸漬試験を実施し、気液界面近傍の腐食の進行が気相酸素の存在有無に関係なく発生すること、減肉深さを含め腐食様相(プロファイル)にも影響しないことを明らかにした(図2参照)。浴塩攪拌の効果、浴塩中の酸素ポテンシャルを変えた試験および浸漬面積を変えた試験結果に基づき、気液界面の局所的腐食進行について以下の知見を得た。

(1) Na 系溶融塩における気液界面近傍の腐食促進は、浴塩中に過酸化物イオン(O22-)が有意存在する場合、すなわち溶融塩型腐食環境でのみ顕著となる。(2)気液界面近傍の腐食進行には、気相酸素はほとんど影響しない。この腐食促進は、Na2O2の濃度勾配、濃度分布形成に因るものと推定した。(3)気液界面近傍の腐食進行が溶融塩浸漬部の面積に依存しないことなどから、腐食のカソード部は気液界面においてNa2O2が気相へ分解、放散することによって形成される狭い濃度低下部である可能性がある。

腐食電位・分極特性の測定

提案した2つの腐食機構の特徴を電気化学的に把握する目的から、Na 系溶融塩中で腐食電位および分極特性の測定を試みた。腐食が激しく試料電極が消失したり、参照電極に用いた金がNa発生環境では腐食するなど、課題も多く、これまでに研究例はない。ここでは計測部以外を被覆したり電位掃引速度を速めるなどの工夫によりNaFe複合酸化型環境および溶融塩型腐食環境での測定を達成した。その結果は以下にまとめられる。

(1) NaFe複合酸化型腐食環境の腐食電位は、-1.8〜-1.9V 域にある。2) 溶融塩型腐食環境の腐食電位は0.0〜-0.3V域にある。(3) この腐食電位の貴卑は、各腐食機構における塩基度にほぼ相関する。(4) いずれの溶融塩においても0.1A/cm2〜1A/cm2という非常に高いアノードおよびカソード電流が流れる。(5)Linear Polarization法により求めた腐食電流に基づいた腐食進行速度は、NaFe複合酸化型腐食については、提案した腐食式の計算結果とほぼ一致した。溶融塩型腐食については、オーダ的には整合したが、腐食式の99%信頼下限の1/4〜1/5程度の留まった。その原因は測定前の昇温過程におけるNa2O2の消費にあるものと推定した。

ナトリウム系溶融塩中の炭素鋼の腐食挙動に関する総合的な考察と結論

これまでの章における、全および半浸漬試験結果、電気化学実験結果、および熱力学的な検討に基づき得られた結果や知見を整理し、それらが相互に矛盾しないことを明らかにするとともに、今後の同種の研究を行う研究者のために、提案腐食機構の遷移域や溶融塩中における酸素平衡についての理解など残された議論点や課題について示した。また、提案腐食速度式が現実の環境における炭素鋼の腐食を妥当に予測できることを確かめた。

最終的に、本研究の課題に対する検討内容は以下のようにまとめられる。

Na系溶融塩により構成される腐食環境は、浴塩中の酸素ポテンシャルと塩基度により区分でき、その主成分となるNa2O2およびNa2Oの効果により腐食機構もNaFe複合酸化型腐食と溶融塩型腐食に分けられる。また、外接する気相中の酸素は、一般に最も大きな影響があるとされる液面近傍(気液界面)における腐食促進挙動も含め、Na系溶融塩中の炭素鋼の腐食にほとんど影響しない。

(a) NaFe複合酸化型腐食の時間依存性(b) 溶融塩型腐食の時間依存性

種々の酸素ポテンシャル条件下で取得された半浸漬試験結果と全浸漬試験結果の比較

審査要旨 要旨を表示する

常圧下で広い温度範囲で液相を保つ金属ナトリウム(Na)は、その熱特性などの良好さから高速増殖炉(FBR)の冷却材として適用される。一方で、Naは化学的に非常に活性であり、大気中で燃焼し、酸化物(Na2OやNa2O2)を生成する。また、酸化物は容易に湿分と反応して水酸化物(NaOH)に変化する。このため、FBRプラントにおける2次系Na漏えい事故では、そうした大気下で形成される高温Na系溶融塩中における鉄鋼材料の腐食評価を適切に行うことは重要である。実際、原型炉もんじゅで発生したNa漏えい事故および事故原因究明のために行われた2度の実規模Na漏えい燃焼実験では、Na漏えい流下部にあった炭素鋼製構造物に激しい腐食が発生した。

本論文は、Na系溶融塩中における炭素鋼(鉄)の腐食挙動を、浴塩の主成分となるNa2O2(≒酸素ポテンシャル)およびNa2O(≒塩基度)、ならびに浴塩に接する雰囲気中の酸素が腐食進行に及ぼす効果を含め、明らかにすることを目的としている。漏えい現場から採取した試料の分析、炭素鋼を用いた全/半浸漬試験、電気化学実験および熱力学的な検討に基づき、炭素鋼の腐食がNa系溶融塩中の酸素ポテンシャルと塩基度により2つの典型的な挙動に分けられることを指摘するとともに、各腐食形態における腐食速度や動的挙動を明らかにした。また、いずれの浴塩組成においても、一般的な溶融塩腐食とは異なり、浴塩に接する雰囲気中の酸素は炭素鋼の腐食進行に影響を与えないことを明らかにした。本論文は6章から構成されている。

第1章では、実際に発生したもんじゅ事故や2つの漏えい燃焼実験で認められた損傷事例を俯瞰するとともに、これまでに腐食挙動解明の視点からの研究報告が無いことを踏まえ、研究課題の摘出を行っている。

第2章では、3つの実Na漏えい燃焼現場から採取した試料について、化学的および冶金的分析を行うとともに平衡論に基づく化学熱力学的な検討に基づき、Na溶融塩中の炭素鋼の腐食挙動が、浴塩中の酸素ポテンシャルと塩基度により2つの異なる形態に区分できることを示している。

第3章では、Na系溶融塩中で炭素鋼の全浸漬試験を行い、想定した各腐食環境において、指摘した腐食が発生することを確かめるとともに、試験結果に基づき各腐食形態における腐食速度および動的挙動を明らかにしている。また、浴塩に接する雰囲気中の酸素が腐食進行に影響しないことを明らかにしている。

第4章では、気液界面における腐食進行に及ぼす気相酸素の影響を半浸漬試験結果に基づき評価検討し、同部の腐食促進は、浴塩中に過酸化物イオン(O22-)が有意存在する場合のみ顕著となること、腐食進行には気相酸素はほとんど影響しないことを明らかにしている。

第5章では、これまで報告例がないNa系溶融塩中の炭素鋼の腐食電位および分極特性の測定を行っており、各腐食形態における腐食電位や分極特性の違いを明らかにしている。また、測定データに基づき求めた腐食進行速度が、全浸漬試験データに基づき提案した腐食速度式と整合することを示している。

第6章では、前章までの全および半浸漬試験結果、電気化学実験結果、および熱力学的な検討に基づき、得られた結果や知見を整理し、それらが相互に矛盾しないことを示し、結論をまとめている。

以上を要約すれば、本論文はNa系溶融塩により構成される腐食環境での鉄の腐食挙動を明らかにしたものであり、浴塩中の酸素ポテンシャルと塩基度により、腐食形態が分けられること、また、腐食の進行に外接する雰囲気中の酸素が、一般に最も大きな影響があるとされる気液界面も含め、ほとんど影響しないことを、各種実験や熱力学的評価によって明らかにしたものである。得られた知見は、ナトリウム冷却型高速増殖炉開発ならびにそのプラントの安全性向上のみならず、広くナトリウムを原材料とする化学工業における安全性確保に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク