学位論文要旨



No 215689
著者(漢字) 等々力,賢
著者(英字)
著者(カナ) トドリキ,マサル
標題(和) ダイナミカルノイズを含む複雑システムの挙動
標題(洋) Behavior of Complex Systems with Dynamical Noise
報告番号 215689
報告番号 乙15689
学位授与日 2003.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15689号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,篤之
 東京大学 助教授 長谷川,秀一
 東京大学 助教授 岡本,孝司
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 東京大学 助教授 長崎,晋也
内容要旨 要旨を表示する

緒言

背景

実世界の複雑システムから得られた時系列データには必ずノイズが含まれる。こうしたノイズのうち観測時に混入する観測ノイズとは異なり、システム自体に内在するダイナミカルノイズは、システムがカオス力学系のような鋭敏な初期値依存性を有する場合には特に、位相変化やアトラクタの崩壊等のようなシステムの著しい構造変化を引き起こすことが知られている。従って、ダイナミカルノイズの解析は極めて重要であると考えられてきたが、ダイナミカルノイズがシステムへ影響を及ぼすメカニズムは非常に複雑である為、未だ十分に解析が行われていないのが現状である。

目的

本論文では、ダイナミカルノイズに着目し、その複雑システムへ及ぼす影響を抽出する評価法を提案し、数値実験を通して実世界を想定した種々の環境下における本評価法の有効性を検証する。

複雑システムとノイズ

複雑システム

本論文では、複雑システムの代表としてカオス力学系を扱う。少数自由度の決定論的なシステムであってもその構造は複雑であり、ダイナミカルノイズによる位相変化やアトラクタの崩壊等が生じることが報告されている。

ノイズの分類

ノイズは複雑システムとの関係により観測ノイズとダイナミカルノイズの2種類に分類される。観測ノイズの場合は、システムの外部に存在し、単純なメカニズムを有し、比較的解析が容易であり、実験でのデータ取得の過程で混入するノイズが該当する。他方、ダイナミカルノイズの場合は、システムの内部に存在し、フィードバックを伴う複雑なメカニズムを有し、解析が困難であり、電子回路実験での抵抗値のゆらぎや数値計算での丸め誤差等が該当する。本論文では、連続力学系の複雑システムを対象とする。また、実世界の場合を想定して、ダイナミカルノイズは加法的、乗法的な場合を仮定し、さらにノイズの発生過程としてガウス分布、または一様分布であるとする。これらの仮定による結果は他の一般的な場合にも十分に有益な示唆を与えてくれるものと期待される。

評価法の提案

特異値分解(Singular Value Decomposition、SVD)

特異値分解は、主直交成分を抽出することにより、システムの次元の推定や、システムの復元、あるいは、観測ノイズの除去等、様々な用途に利用されている線形解析の手法である。特異値分解は特異な非正方行列の対角化の手法である。

そこで得られる共分散行列の固有値が非負の正数の特異値として求まる。

時系列データへの適用

実験や実世界で得られる観測データは1次元のみであることが多いため、ここでは1次元の時系列データのみが得られている場合のSVDの適用手順を説明する。有限な長さの1次元の時系列データxk(k=1,2,… ,N+(n-1)τ)を次のN×n(一般的には、N>=n)次元の軌道行列Xへ変換する。この時、軌道行列の各行毎の変数の並びを「窓」と呼び、nを窓の要素数、τlを遅れ時間、τw = nτlを窓の長さと呼ぶ。

ノイズの特異値分解への影響

観測ノイズとダイナミカルノイズの特異値分解への影響について調べる。共分散行列の各要素の振る舞いを考慮して、特異値分解へ及ぼすノイズの影響についての知見を得る。軌道行列は、対角成分の分散項、非対角成分の共分散項で構成される。特異値分解は、相似変換(回転行列による座標変換)を用いて、座標系を主成分方向に回転させる処理である。共分散項を可能な限りゼロにすると対角成分には、共分散行列の分散項の影響と共分散項の影響が混合した特異値が得られる。

観測ノイズの場合

観測ノイズが付加された場合、共分散項のノイズの影響が消滅することから、一定の特異値の上昇が得られる。

ダイナミカルノイズの場合

ダイナミカルノイズの場合は、観測ノイズの場合とは異なり、共分散項のノイズの影響は消滅しない。分散項、共分散項のノイズはいずれも、カオス時系列データとノイズ時系列データのクロストーク項として分散項、共分散項に影響を与える。特異値分解により対角成分の特異値は、軌道行列の分散項と共分散項それぞれのクロストーク項の影響が及ぼされた値として得られる。カオス時系列データの連続的なデータセットを順次特異値分解すると、得られた特異値はデータセット毎に異なることが予想される。その結果、得られた特異値もデータセットごとに異なり、「特異値は時間的にゆらぐ」といえる。

評価法

上記の解析から、特異値の時間的な変化を調べることにより、観測ノイズにはないダイナミカルノイズ特有な「特異値の時間なゆらぎ」が観測され得ることを示している。そこで本研究では、特異値の時間的なゆらぎを調べることにより、ダイナミカルノイズの影響度の評価を行う新しい手法を提案する。

評価指標

本手法で観測対象となる「特異値の時間的なゆらぎ」の具体的な測定は、3つの指標、各特異値でのヒストグラムがガウス分布を示すと仮定した場合の半値幅(HW)、相関係数(CC)及び、正規化平均自乗誤差(E)を導入して行う。HWがどれだけ大きくなるか、CCがどれだけ小さくなるか、あるいは、Eがどれだけ大きくなるかが、ダイナミカルノイズの特異値の時間的なゆらぎへの影響の程度を測る目安となる。実際の評価には、連続したデータセット全体での平均値AHW、ACC及びAEを用いる。

複雑システムでの検証

複雑システムとして、次の3つのカオス力学系:Chua'circuit、Lorenz system、Rossler systemを解析対象として、本研究で提案する評価法を詳細に検証する。いずれも3元の常微分方程式で表される典型的なカオス力学系である。

最適な窓の条件

窓の長さτwの選択は重要であり、窓の要素数nと遅れ時間τlの組み合わせも同様に適切に行う必要がある。本論文では、既往の研究及び実験的検証により最適な窓の条件を(τw,n,τl)=(60,4,15)とした。

ノイズ入りデータの作成

ノイズの分類に従い以下の4種類のカオスデータを用意する。(a)ノイズなしデータ(NF-data)、(b)観測ノイズデータ(M-data)、c(加法的、乗法的)ダイナミカルノイズデータ(D-data)、(d)混合ノイズデータ(加法的ダイナミカルノイズデータ + 観測ノイズデータ)(NM-data)を用意する。また、ダイナミカルノイズデータはさらに以下の4種類に分けて準備する。加法的ダイナミカルノイズ(ガウス分布)(D-data(AG))、同じく(一様分布)(D-data(AU))、乗法的ダイナミカルノイズ(ガウス分布)(D-data(MG))、同じく(一様分布)(D-data(MU))とする。ノイズレベルは、M-dataの場合0.01%〜20%、D-dataの場合0.01%〜アトラクタが維持可能な最大ノイズレベル、NM-dataの場合(D-data(AU)の各ノイズレベル + 20%(観測ノイズ))とする。加法的ダイナミカルノイズの場合は、NF-dataの標準偏差に対する割合として与え、乗法的ダイナミカルノイズは、初期パラメータ値の割合として与える。ノイズは、等確率で発生する、平均0のi.i.d.(independent identically distributed)ノイズとする。また、ダイナミカルノイズは加法的な場合、乗法的な場合の両方について検証する。数値解法は、4次のRunge-Kutta法を用い、きざみ幅は、システムに応じて、0.000005〜0.05とする。計算点数は、25,000個ずつの点を含む時系列データを1セットとし、これを連続するデータとして10,000セットを用意する。特異値の時間的なゆらぎを調べるために、各々の種類のカオスデータに対して、データセット毎にAHW、ACC及びAEを求める。

特異値分解の結果は一部を除いて、特異値が予め知られたシステムの次元にほぼ等しい結果が得られている。Lorenz systemの乗法的ダイナミカルノイズの100%を超えるようなノイズレベルの場合では、システムの構造が大きく変化することを示す特異値の著しい変化が認められている。しかし、いずれの場合においても、ダイナミカルノイズのノイズレベルの上昇と共に、全体として特異値の時間的なゆらぎの増加が認められている。図1は、各システムに対して結果の一部を示したものである。各システムに対して、ダイナミカルノイズの影響がAHW、ACC及びAEのいずれかを用いることにより観測ノイズの影響と区別できることがわかった。また、観測ノイズの存在下においても観測ノイズに僅かな程度しか影響されることなくダイナミカルノイズのみの影響が抽出されている。これらは、ダイナミカルノイズの発生過程にはほとんど依っていない。

一方、加法的ダイナミカルノイズの場合に、ノイズレベルがChua's circuitでは0.1%の付近で、Lorenz systemでは3.0%〜10%の範囲で、また、乗法的ダイナミカルノイズの場合には、Chua's circuitでは1.0%付近で、Lorenz systemでは10%〜100%の範囲で、ノイズレベルの上昇に反して特異値の時間的なゆらぎが減少する特異な結果が示されている。そこで、この結果に対して、従来から用いられてきたエントロピ、及びゆらぎ複雑測度により詳細に解析が行われている。その結果、いずれの解析法においても同様の変化が認められシステムに本質的な変化であるといえた。特にゆらぎ複雑測度の結果から、この変化は、ダイナミカルノイズにより位相空間の状態点の均質性が増加し周期的に近い軌道を有する、より安定したシステムへの構造変化に対応するものであることが明らかになった。よって、本評価法は従来の解析法と同様にダイナミカルノイズに導かれたシステムの安定化の変化もまた忠実に抽出可能であることがわかった。さらに、本評価法は観測ノイズの存在下においても有効であることから、従来の解析法と比べて、実世界での複雑システムの解析に有利であるといえる。

結論

実世界の複雑システムの解析において重要となるシステムに本質的なダイナミカルノイズに着目して、ダイナミカルノイズが複雑システムへ及ぼす影響を抽出する評価法を提案し、実際に3つの複雑システムに対して、数値実験によりその有効性を示した。また、今後、実世界の複雑システムへ適用する場合の検討事項について論じその適用可能性を示した。こうした成果は、将来における複雑システムの工学的な利用に多大な貢献を与えるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

実世界の複雑システムから得られた時系列データには必ずノイズが含まれる。こうしたノイズのうち観測時に混入する観測ノイズとは異なり、システム自体に内在するダイナミカルノイズは、システムがカオス力学系のような鋭敏な初期値依存性を有する場合には特に、位相変化やアトラクタの崩壊等のようなシステムの著しい構造変化を引き起こすことが知られている。従って、ダイナミカルノイズの解析は極めて重要であると考えられてきたが、ダイナミカルノイズがシステムへ影響を及ぼすメカニズムは非常に複雑である為、未だ十分に解析が行われていないのが現状である。そこで本論文では、ダイナミカルノイズに着目し、その複雑システムへ及ぼす影響を抽出する評価法を提案し、数値実験を通して実世界を想定した種々の環境下における本評価法の有効性を検証している。本論文は英文で記述され、5章から構成されている。

第1章では、カオスを代表とする複雑システムとノイズに関する既往の研究と現状が述べられている。特にダイナミカルノイズの複雑システムへの影響解析についての重要性を中心に、本論文の背景と目的を述べられている。

第2章では、ダイナミカルノイズの複雑システムへの影響を抽出する為の新しい評価法が提案されている。本評価法の中心は、従来、観測ノイズの影響の評価、即ち、観測ノイズのノイズレベルの推定や除去にも用いられてきた特異値分解(SVD)の拡張である。まず、観測ノイズとダイナミカルノイズがそれぞれ特異値分解にどのような影響を与えるのかを理論的に調べている。その結果、ダイナミカルノイズが含まれるシステムの場合には、観測ノイズが含まれるシステムとは異なり、特異値分解により得られた特異値が時間的にゆらぐことが推察されている。そこで、このようなダイナミカルノイズに特徴的な影響の出方を利用して、ダイナミカルノイズの複雑システムへの影響を抽出する評価法が提案されている。具体的な評価指標として、特異値が時間的にゆらぐ結果生じる特異値の分布の半値幅HW、データセット毎に得られた特異値の列と全データセットでの特異値の平均値の列との間の相関係数CC、及び、正規化平均自乗誤差Eを導入する。実際にはこれらの平均値AHW、ACC、及びAEを評価指標として用いることが提案されている。

第3章では、複雑システムの代表として3つのカオスシステム、Chua's circuit、Lorenz system、Rossler systemに対して、提案した評価法の有効性が調べられている。特に、観測ノイズの存在下や、ダイナミカルノイズが加法的、乗法的に複雑システムと関連する場合、さらにはダイナミカルノイズの発生過程がガウス分布あるいは一様分布に従う場合についての解析が行われ、実世界において複雑システムへのダイナミカルノイズの影響を抽出する可能性について論じている。実際には、ノイズのないデータ、観測ノイズのみが含まれたデータ、ダイナミカルノイズのみが含まれたデータ、両ノイズが共に含まれたデータについて様々なノイズレベルに対して解析が行われている。特異値分解の解析結果によれば、一部を除いて、特異値が予め知られたシステムの次元数にほぼ等しい結果が得られており、また、ダイナミカルノイズのノイズレベルの上昇と共に、全体として特異値の時間的なゆらぎの増加が認められている。3つのカオスシステムの間ではノイズレベルの相違や、影響の出方に違いは見られるものの、本評価法で導入した3つの評価指標、AHW、ACC、及びAEのいずれかを用いることにより、ダイナミカルノイズの影響が抽出可能であることが示されている。これらは、ダイナミカルノイズの発生過程にはほとんど依っていない。また、観測ノイズの存在下においても観測ノイズに僅かな程度しか影響されることなくダイナミカルノイズのみの影響が抽出されている。

加法的ダイナミカルノイズの場合に、ノイズレベルがChua's circuitでは0.1%の付近で、Lorenz systemでは3%〜10%の範囲で、また、乗法的ダイナミカルノイズの場合には、Chua's circuitでは1%付近で、Lorenz systemでは10%〜100%の範囲で、ノイズレベルの上昇に反して特異値の時間的なゆらぎが減少する特異な結果が示されている。この特異性に対して、従来から用いられてきたエントロピ、及びゆらぎ複雑測度により詳細に解析が行われている。その結果、いずれの解析法においても同様の変化が認められシステムに本質的な変化であることが示されている。特にゆらぎ複雑測度の結果から、この変化は、ダイナミカルノイズにより位相空間の状態点の均質性が増加し周期的に近い軌道を有する、より安定したシステムへの構造変化に対応するものであることが示されている。よって、本評価法は、エントロピやゆらぎ複雑測度などによる従来の解析法と同様に、ダイナミカルノイズに導かれたシステムの安定化の変化もまた忠実に抽出可能であることが示されている。一方、本評価法は観測ノイズの存在下においても有効であることから、従来の解析法と比べて、実世界での複雑システムの解析に有利であると、と述べられている。

第4章では、本評価法を適用する最適条件が、窓の条件、データセットの数の観点から論じられており、本論文で対象とした3つのカオスシステムに対して、妥当と考えられる条件が示されている。

第5章では、第3章、第4章で解析した結果から提案した評価法の効果を複雑システム毎に整理し、実世界の複雑システムへ適用する場合の検討事項について論じ、将来の工学的な適用可能性を示した上で結論をまとめている。

以上を要約すれば、本論文は、実世界の複雑システムの解析において重要となるシステムに本質的なダイナミカルノイズに着目し、ダイナミカルノイズが複雑システムへ及ぼす影響を抽出する評価法を提案し、実際に3つの複雑システムに対して、数値実験によりその有効性を示している。また、今後、実世界の複雑システムへ適用する場合の検討事項について論じその適用可能性を示している。このような成果は、将来における複雑システムの工学的な利用に多大な貢献を与えるものと考えられる。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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