学位論文要旨



No 215691
著者(漢字) 白井,章雄
著者(英字)
著者(カナ) シライ,アキオ
標題(和) 毛成長に関するマウスin vitroおよびin vivoモデル系の構築と化合物の作用
標題(洋)
報告番号 215691
報告番号 乙15691
学位授与日 2003.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15691号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、男性型脱毛と抗癌剤脱毛という機序が異なる2つの毛成長障害に着目し、それぞれに関する基礎知見を得ることと治療剤の探索を行う目的で、マウスを用いたモデル系を構築した。男性型脱毛モデルとしては、4週齢体毛組織の培養系を確立し、合成化合物のランダムスクリーニングにより新規毛成長促進物質KF19418を見出した。また、抗癌剤脱毛モデルとしては、抗癌剤により障害を受けた毛包の組織修復による毛成長再開という新規なメカニズムを示唆するin vivo系を確立した。

in vitro男性型脱毛モデル

真に有効な育毛剤は、現代もっとも希求されている薬剤のひとつであるが、期待通りの効果を示すものはほとんどないのが現状である。これまでにも毛成長に関わる機序を解析するためのいくつかの培養系が報告されているが、我々は以下のような特徴を有する独自のマウス体毛組織培養系を確立した。

(1)複数の構成細胞を有する毛包を器官の状態で培養するため、細胞培養系と比較してよりin vivo(個体)を反映した培養系であると考えられる。(2)スキンスライサーという道具を用いて比較的均質な組織を大量に調製することが出来るため、特定の物質に関する機能評価のみならず、ランダムスクリーニング等の用途にも利用できる。(3)画像解析装置を用いて毛包成長を反映した組織面積変化率を測定することにより、定量的な解析が可能である。

ヒトを含めた多くの哺乳動物において、毛包は、成長期(anagen 1〜6)・退縮期(catagen)・休止期(telogen)と呼ばれる3つのステージの周期変化(毛周期)を伴うが、我々の培養系では、マウスの第1毛成長期である6日齢前後、および第2毛成長期である4週齢の個体より調製した組織を用いた。このうち4週齢体毛組織では、男性型脱毛症の治療に実際に用いられているminoxidil(MXD)による濃度依存的な毛成長促進が認められ、ヒト男性型脱毛のin vitroモデルとなり得る可能性が示唆された。

そこで、この4週齢体毛組織培養系を用い、協和発酵工業株式会社の所有する合成化合物のうち約1600種についてランダムスクリーニングを実施した。その結果、MXDと同等以上の毛成長促進活性を有する化合物の一つとしてKF19418を見出した。KF19418には免疫抑制作用・気管支拡張作用・抗炎症作用等が知られていたが、育毛作用に関しては新規知見であった。

次に、毛休止期にある8週齢マウスの体毛を除毛後、KF19418の1%懸濁液を2週間塗布したところ毛再生の促進が観察された。このことから、KF19418が経皮吸収され、実際に生体に対しても育毛作用を示すことが確認された。

さらにKF19418の作用メカニズムを解析するため、新生児マウス体毛組織からディスパーゼ・コラゲナーゼ等の酵素処理により調製した毛包細胞の培養系において、KF19418の細胞増殖に対する影響を調べた。本培養系の毛包細胞には毛のもととなる毛母細胞が多く含まれており、KF19418は濃度依存的に細胞増殖を促進したことから、KF19418が毛母細胞に直接作用して毛成長を促進することが示唆された。

以上の結果から、本研究におけるマウス4週齢体毛組織培養系が育毛作用物質のin vitro探索に適当であることが示された。また、本研究で見出されたKF19418とMXDでは化学構造が全く異なる上、KF19418にはMXDでは報告されていない上述の様々な薬理活性を有している。これらの薬理活性が育毛活性に関与しているかどうか未だ明らかではないが、KF19418の作用メカニズムをより詳細に解析することにより、男性型脱毛治療剤の新たな候補の発見に繋がることが期待される。

in vivo抗癌剤脱毛モデル

癌化学療法における副作用の一つとして、抗癌剤による脱毛が挙げられる。抗癌剤脱毛は脱毛機序が男性型脱毛と異なるため、その治療剤の探索には通常の育毛剤の探索とは異なったアプローチが必要と考えられる。

ヒトでは通常約90%以上の毛包が毛成長期のanagen 6にあり、抗癌剤による障害を受けるのは主としてこのanagen 6の毛包であると言われている。ラットやマウスを用いた抗癌剤脱毛モデルとしてこれまで報告されているものの中には、臨床を反映するような毛周期(anagen 6)をデザインしている系もある。しかしながら、ヒトの毛成長期が約5〜6年継続するのに対してマウスでは約2週間であり、形態的に同じであってもヒトとマウスではanagen 6の毛包の毛成長ポテンシャルは大きく異なることが予想される。そこで、マウスを用いて、毛包が完成された段階のanagen 6と完成前の段階であるanagen 4における抗癌剤cyclophosphamide(CPM)による毛包の障害と障害毛包に対するMXDとcyclosporin A(CSA:著明な免疫抑制剤であるが副作用として育毛作用が知られている)の外用での作用について解析を行った。

anagen 6では、CPM投予後3日目ぐらいまで発毛が維持されたが、その後脱毛が始まり、投予後1週間以内には薬液塗布群・溶媒塗布群共に完全に脱毛した。CPM投予後14日目には、溶媒塗布群でも若干の発毛が観察されたが、0.5% CSA塗布群および1% MXD塗布群では発毛面積や毛の長さの点において発毛促進が観察された。MXDおよびCSAは毛休止期を短縮する作用を有することが知られているので、CPMにより障害を受けて休止期へと移行した毛包へ作用した結果、次の成長期への移行を早めたと考えられた。

一方、anagen 4では、CPM投予後21日目までにおいて、溶媒塗布群および1% MXD塗布群では極めて粗な短い毛が観察されたに過ぎなかったが、0.5% CSA塗布群では、密度・長さとも通常の個体に近い程度の発毛が観察された。組織学的解析の結果、 CPMにより障害を受けた成長期毛包は、退縮期に類似した様相を呈したのち休止期へと移行するが、退縮期の段階においてCSAが作用すると、速やかに再び成長期へと移行し、毛成長が再開することが明らかとなった。

一旦休止期へ入った毛包は通常一定期間を経過しないと再び成長期へは入らないということを考えると、CSA塗布したマウスの毛包は退縮期から休止期を経て次の成長期に入ったと考えるより、退縮期から直接成長期へ移行したと考えた方が合理的であるように思われた。これは、成長期の残存期間が比較的短い場合(anagen6)には、抗癌剤により障害を受けた毛包は一旦休止期へ移行して新たな毛成長のために充電をする必要がある一方で、成長期の残存期間が比較的長い場合(anagen4)には、障害を受けた毛包が組織修復を行うことで成長期を再開することができるというメカニズムの存在を示唆するものと考えられた。

また、CSAと同様にpeptidil-prolyl cis-trans isomerase(PPIase)阻害作用を有し育毛作用が知られているFK506を用いて実験を行ったところ、FK506塗布群でもCSAの場合と同様の結果が得られた。一方、同じくPPIase阻害作用を有するascomycinは、CSAやFK506とは異なり通常の育毛作用は認められないことが報告されているが、本実験では有効性を示したことから、本作用は通常の育毛作用とは分離されかつPPIase阻害が関与している可能性が示唆された。

本研究により、抗癌剤による毛包の障害と障害からの回復メカニズムを考察する上で、基礎的な興味深い知見が得られたものと考えられる。さらに、抗癌剤脱毛治療薬として、通常考えられている脱毛後の発毛を促進するというメカニズムではなく、障害毛包の組織修復促進という新しいコンセプトを示すことが出来たと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

男性型脱毛はヒトで最も多く見られる脱毛であり、古来よりその治療薬が熱望されてきた症状でもある。しかしながら、男性型脱毛の原因・進行に関する分子レベルでの理解はほとんど進んでいない。また、世界的に用いられているfinasterideやminoxidil(MXD)といった治療剤においても、副作用が見られたり、あるいは効果が不十分であることから、現在においてもなお、安全で真に有効な治療剤への期待が高まっている。

一方、癌化学療法における副作用の一つとして、抗癌剤による脱毛が挙げられる。この抗癌剤脱毛は、白血球や血小板の減少、悪心・嘔吐など他の副作用と比較して軽視されがちであるが、患者のQuality of Lifeがますます重要視されるようになってきた今日、癌の専門医からも治療薬の要望が増加している。抗癌剤脱毛においては脱毛の機序が上述の男性型脱毛とは異なり、また、薬剤による治療が一部試験的に行われているものの効果が不十分であることから、抗癌剤脱毛に対して真に有効な治療薬の出現が待ち望まれている。

本研究では、上記の男性型脱毛と抗癌剤脱毛という機序が異なる2つの毛成長障害に着目し、それぞれに関する基礎知見を得ることと治療剤の探索を行う目的で、マウスを用いたモデル系の確立を試み、以下の成果を得た。

ランダムスクリーニングを可能とする新規in vitro男性型脱毛モデルの確立

生後2回目の毛成長期にあたる4週齢マウスの体毛組織を用い、(1)複数の構成細胞を有する毛包を器官の状態で培養するため、細胞培養系と比較してよりin vivo(個体)を反映している、(2)スキンスライサーという道具を用いて比較的均質な組織を大量に調製することが出来るため、特定の物質に関する機能評価のみならず、ランダムスクリーニング等の用途にも利用できる、(3)画像解析装置を用いて毛包成長を反映した組織面積変化率を測定することにより、定量的な解析が可能である、という3つの特徴を有する組織培養系を確立した。この培養系においてはMXDによる濃度依存的な毛成長促進が認められ、ヒト男性型脱毛のin vitroモデルとなり得る可能性が示唆された。

新規育毛物質KF19418の発見

上述の4週齢体毛組織培養系を用い、協和発酵工業株式会社の所有する合成化合物のうち約1600種についてランダムスクリーニングを実施した。その結果、MXDと同等以上の毛成長促進活性を有する化合物の一つとしてKF19418を見出した。

次に、毛休止期にある8週齢マウスの体毛を除毛後、KF19418の1%懸濁液を2週間塗布したところ毛再生の促進が観察された。このことから、KF19418が経皮吸収され、実際に生体に対しても育毛作用を示すことが確認された。

さらにKF19418の作用メカニズムを解析するため、新生児マウス体毛組織からディスパーゼ・コラゲナーゼ等の酵素処理により調製した毛包細胞の培養系において、KF19418の細胞増殖に対する影響を調べた。本培養系の毛包細胞には毛のもととなる毛母細胞が多く含まれており、KF19418は濃度依存的に細胞増殖を促進したことから、KF19418が毛母細胞に直接作用して毛成長を促進することが示唆された。

以上の結果から、本研究で確立されたマウス4週齢体毛組織培養系が育毛作用物質のin vitro探索に適当であることが示された。また、本研究で見出されたKF19418とMXDでは化学構造が全く異なる上、KF19418にはMXDでは報告されていない様々な薬理活性を有していることから、KF19418の作用メカニズムをより詳細に解析することにより、男性型脱毛治療剤の新たな候補の発見に繋がることが期待された。

新規な回復メカニズムを示すin vivo抗癌剤脱毛モデルの確立

マウスの生後2回目の毛成長期のanagen 4において、抗癌剤cyclophosphamide(CPM)投与による毛包の障害と障害毛包に対するcyclosporin A(CSA、著明な免疫抑制剤であるが副作用として育毛作用が知られている)の外用での作用について解析を行った。

その結果、CPM投予後21日目までにおいて、溶媒塗布群では完全脱毛後、極めて粗な短い毛が観察されたに過ぎなかったが、0.5% CSA塗布群では、完全脱毛することなく、密度・長さとも通常の個体に近い程度の発毛が観察された。組織学的解析により、 CPMにより障害を受けた成長期毛包は、退縮期に類似した様相を呈したのち休止期へと移行するが、退縮期の段階においてCSAが作用すると、速やかに再び成長期へと移行し、毛成長が再開することが明らかとなった。

これは、抗癌剤により障害を受けた毛包が組織修復を行うことで休止期を経ることなく成長期を再開することができるという従来の常識にない毛周期のあり方を示唆するものである。

抗癌剤による障害を受けた毛包の回復におけるPPIaseの関与

上述の抗癌剤脱毛モデルを用いて、CSAと同様にpeptidil-prolyl cis-trans isomerase(PPIase)阻害作用を有し育毛作用が知られているFK506を用いて実験を行ったところ、CSAの場合と同様の結果が得られた。一方、同じくPPIase阻害作用を有するascomycinでは、CSAやFK506とは異なり通常の育毛作用は認められないことが報告されているが、本実験では有効性を示した。この結果から、本実験における作用は通常の育毛作用とは分離され、かつPPIase阻害が関与している可能性が示唆された。

以上、本研究で確立されたin vitro男性型脱毛モデルにより、in vivoでも有効で、かつ既存の治療剤とは異なる作用メカニズムが推測される新規育毛物質KF19418が見出された。また、本研究で確立されたin vivo抗癌剤脱毛モデルにより、抗癌剤により障害を受けた毛包が、毛休止期へ移行することなく、組織修復を行うことにより毛成長を再開するメカニズムの存在が明らかにされた。これらの研究成果は、毛成長障害のメカニズム解析ならびに男性型脱毛治療剤および抗癌剤脱毛治療剤に関する創薬研究を進める上で重要な知見を与えるものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判断した。

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