学位論文要旨



No 215694
著者(漢字) 楠原,洋之
著者(英字)
著者(カナ) クスハラ,ヒロユキ
標題(和) 血液脳関門・血液脳脊髄液関門を介した有機アニオンの輸送機構の解析
標題(洋)
報告番号 215694
報告番号 乙15694
学位授与日 2003.05.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15694号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

「序論」

中枢神経系と循環血との間は、血液脳関門ならびに血液脳脊髄液関門と呼ばれる2つの関門により隔てられている。前者は脳細胞間液と血液との間の関門であり、脳毛細血管内皮細胞により構成されている。後者は脳を浸している脳脊髄液と血液との間の関門であり、脳室に位置する小器官、脈絡叢の脈絡上皮細胞がその実体となっている。両細胞ともに細胞間隙は、密着結合(tight junction)によりシールされており細胞間隙を介した輸送は制限されているため、脳細胞間液あるいは脳脊髄液と循環血との間の物質交換は経細胞輸送を介して行われる。老廃物、薬物・異物の脳内あるいは脳脊髄液内からの排泄を促進するために、両関門には能動的に異物を脳内から循環血中へと排泄する機構が備わっている。薬物の中枢移行性を改善する、あるいは中枢の副作用を抑制するためには、こうした排出輸送機構の特性を利用し関門を介した薬物輸送を制御することが必要である。

私の研究は、血液脳関門・血液脳脊髄液関門を介した異物排泄機構のうち、特に有機アニオンを基質とするものに焦点をあて、その分子種を明らかにすることを目的とした。

「本論」

有機アニオントランスポーター(Oat3)のクローニングと機能解析

脳内に水溶性の低分子有機アニオンであるp-aminohippurate (PAH)を投与すると、脳内から速やかに消失する。その消失は飽和性を示し、血液脳関門にはPAHなど水溶性の有機アニオンの排出を行うトランスポーターが存在することが示唆されていた。PAHは尿細管分泌により尿中へその大部分が排泄される典型的な有機アニオンである。そこで、腎近位尿細管に発現される有機アニオントランスポーター(Oat1)のアイソフォームがこのPAHの脳内からの排出に関与していると仮定し、ホモロジークローニングにより、脳に発現するアイソフォームの検索を行った。Oat1ならびにOat1と相同性を示す既知トランスポーター(Oat2、Oct1)に保存されている領域に対して設計したdegenerate primerを用いて、ラット脳から調製したRNAを用いてRT-PCRを行った。Oat1とアミノ酸配列で55%の相同性を有する部分配列を得た。この部分配列をプローブとして、ラット腎臓から調製したcDNA libraryから全長のクローニングを行った。最終的に、推定ORFは1608塩基からなり、536個のアミノ酸から成るcDNAを単離した。Oat1との相同性は、アミノ酸レベルで49%であった。Northern blotを行ったところ、腎臓、肝臓、脳、眼に発現が見られた。更に、アフリカツメガエル卵母細胞にOat3を発現させ、基質薬物の探索を行った。その結果、PAHの他ochratoxin A(mycotoxin), estrone sulfateや有機カチオンであるが、cimetidineも基質となることが明らかになった。cimetidineは従来から有機アニオン・カチオントランスポーターの両者に認識される化合物として知られていたが、Oat3は初めてcimetidineを基質とすることが示された有機アニオントランスポーターである。Oat3はestrone sulfateやochratoxin Aに対するKm値が小さく、また輸送活性が大きかった。Oat3を介したestrone sulfateの取り込みはNa+非依存的であった。また、Oat1は対向輸送を行うが、Oat3の場合にはあらかじめ細胞内に標識薬物をプレロードした後、バッファー中に非標識体を加えても細胞内からの排出は促進されなかった。反対に、非標識体をプレロードしても、標識体の取り込み初速度は促進されなかったことから、Oat3はOat1とは異なる輸送特性を有していることが示唆された。Oat3はbenzylpenicillinをはじめとする有機アニオンで阻害されるものの、肝臓に発現される有機アニオントランスポーター(Oatp)の基質となる胆汁酸やdigoxinによる阻害効果は弱いかほとんど観察されなかった。また、tetraethylammoniumなどの有機カチオントランスポーター(Oct)の基質でも阻害されなかった。酸性の神経伝達物質の代謝物はOat3の阻害剤となることから、基質となる可能性が示唆された。

以上、脳に発現しているOat1のアイソフォーム(Oat3)を単離した。その基質選択性は、脂溶性の高い有機アニオンから水溶性有機アニオンまで幅広いことが明らかになった。有機カチオンであるcimetidineも基質とすることが明らかになった。輸送駆動力については、現在のところ不明である。Oat3の脳毛細血管内皮細胞、脈絡叢での発現を確認している。免疫染色の結果、Oat3は脳毛細血管内皮細胞の脳側の細胞膜、脈絡叢では脳脊髄液側の細胞膜に局在していることが示された。速度論解析の結果PAHやbenzylpenicillinなど水溶性有機アニオンの脳・脳脊髄液から細胞内への取り込みに働いていることが示唆されている。しかし、estrone suifateやestradid17βglucuronide(E217βG)のような脂溶性の高い有機アニオンについては、後述するOatpの寄与率が大きいことも明らかにしている。

脈絡叢における有機アニオントランスポーター(Oatp3)の機能解析

脈絡叢は血液脳脊髄液関門として、脳脊髄液と血液との間の関門となっている。脳脊髄液中にE217βGを投与すると、脳脊髄液中の交換速度を示すイヌリンよりも速い消失を示す。また、probenecidを併用することで、この脳脊髄液中の交換速度にまで低下することから、トランスポーターがE217βGの排泄に関与していることが示唆されていた。脈絡上皮細胞の刷子縁膜には、肝臓に発現される基質多選択的な有機アニオントランスポーターorganic anion transporting polypeptide 1 (Oatp1)が局在していることが過去報告されており、E217βGの脳脊髄液内からの消失はOatp1によるものと考えられていた。しかし、脈絡叢から調製したcDNAを鋳型としてPCRを行うと、脈絡叢に発現しているアイソフォームはOatp3であることが明らかとなった。更に、TaqMan MGB probeを用いてreal time PCRによるOatp1とOatp3mRNAの発現量を定量を行い、Oatp3の発現量の方がOatp1よりも著しく高いことが明らかとなった。蛋白レベルでの発現も確認し、脈絡叢ではOatp3が刷子縁膜に局在していることも確認した。Oatp1ならびにOatp3の安定発現系を作製し、その基質選択性の比較を行った。両発現系において、E217βGの取り込みはベクター導入細胞に比較して顕著に増加しており、更に過剰量の非標識体により取り込みは飽和した。そのKm値はそれぞれ2.3, 1.2 μMであり、両トランスポーターで非常に近い値であった。更に、corticosteroneをはじめとする8種類の化合物を用いて、阻害実験を行った。probenecidが若干Oatp3に対する親和性が低いが、その他の化合物についてはOatp1ならびにOatp3に対するKi値は非常に近い値を示し、両者の基質選択性が非常に似ていることが明らかとなった。更に、脈絡叢への取り込み過程に占めるOatp3の寄与率を評価するために、単離脈絡叢を用いた輸送実験を行った。E217βGならびにtaurocholateの脳脊髄液側からの取り込みを測定したところ、いずれも飽和性を輸送が検出されており過去の報告と一致する。また、corticosteroneやindomethacinなどにより、単離脈絡叢へのE217βGの取り込みは阻害された。taurocholateのE217βGの単離脈絡叢への取り込みに対するKi値は自身のKm値と一致しており、E217βGとtaurocholateは脈絡叢にて取り込みに関わるトランスポーターを共有していることが示唆される。遺伝子発現系で測定した速度論パラメーター(Km、Ki値)は単離脈絡叢で検出された値よりも小さく、遺伝子発現系との間に乖離が見られた。基質選択性を考慮すると、脈絡叢の刷子縁膜において脂溶性の高い有機アニオンの取り込みにはOatp3が働いていることが推察される。速度論パラメーターの乖離については、本研究で用いた安定発現系が脈絡叢での環境を再現していない可能性が考えられる。他のトランスポーターの関与の可能性も含め、今後の検討課題である。

以上、脈絡叢刷子縁膜においてOatp3が発現していることが確認され、脂溶性の高い有機アニオンの脳脊髄液中からの取り込みに関与していることが推察されたが、その寄与率についてはさらなる検討を必要とする。

以上、血液脳関門・血液脳脊髄液関門に発現している有機アニオントランスポーター(Oat3,Oatp3)を見いだした。Oat3は両関門で水溶性有機アニオン排出に、Oatp3は脈絡叢での脂溶性有機ア=オンの排出に働いていることが示唆された。本トランスポーターの基質選択性を考慮することで、脳内薬物動態を改善することが可能になるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

中枢神経系と循環血との間は、血液脳関門ならびに血液脳脊髄液関門と呼ばれる2つの関門により隔てられている。前者は脳細胞間液と血液との間の関門であり、脳毛細血管内皮細胞により構成されている。後者は脳を浸している脳脊髄液と血液との間の関門であり、脳室に位置する小器官、脈絡叢の脈絡上皮細胞がその実体となっている。両細胞ともに細胞間隙は、密着結合(tight junction)によりシールされており細胞間隙を介した輸送は制限されているため、脳細胞間液あるいは脳脊髄液と循環血との間の物質交換は経細胞輸送を介して行われる。老廃物、薬物・異物の脳内あるいは脳脊髄液内からの排泄を促進するために、両関門には能動的に異物を脳内から循環血中へと排泄する機構が備わっている。薬物の中枢移行性を改善する、あるいは中枢の副作用を抑制するためには、こうした排出輸送機構の特性を利用し関門を介した薬物輸送を制御することが必要である。そこで、血液脳関門・血液脳脊髄液関門を介した異物排泄機構のうち、特に有機アニオンを基質とするものに焦点をあて、その分子種を明らかにすることを目的として研究が行われた。

有機アニオントランスポーター(rOat3)のクローニングと機能解析

脳内に水溶性の低分子有機アニオンであるp-aminohippurate (PAH)を投与すると、脳内から速やかに消失する。その消失は飽和性を示し、血液脳関門にはPAHなど水溶性の有機アニオンの排出を行うトランスポーターが存在することが示唆されていた。PAHは尿細管分泌により尿中へその大部分が排泄される典型的な有機アニオンである。そこで、腎近位尿細管に発現される有機アニオントランスポーター(rOat1)のアイソフォームがこのPAHの脳内からの排出に関与していると仮定し、ホモロジークローニングにより、脳に発現するアイソフォームの検索が行われた。rOat1ならびにrOat1と相同性を示す既知トランスポーター(rOat2、rOct1)に保存されている領域に対して設計したdegenerate primerを用いて、ラット脳から調製したRNAを用いてRT-PCRを行った。rOat1とアミノ酸配列で55%の相同性を有する部分配列を得、更にこの部分配列をプローブとして、ラット腎臓から調製したcDNA libraryから全長のクローニングを行った。最終的に、推定ORFは1608塩基からなり、536個のアミノ酸から成るcDNA(rOat3)が単離された。rOat1との相同性は、アミノ酸レベルで49%であった。Northern blot法を用いてrOat3の発現臓器を検討した結果、腎臓、肝臓、脳、眼に発現が見られた。更に、アフリカツメガエル卵母細胞にrOat3を発現させ、基質薬物の探索が行われた。その結果、PAHの他ochratoxin A(mycotoxin), estrone sulfateや有機カチオンであるが、cimetidine (H2受容体拮抗薬)も基質となることが示された。cimetidineは従来から有機アニオン・カチオントランスポーターの両者に認識される化合物として知られていたが、rOat3は初めてcimetidineを基質とすることが示された有機アニオントランスポーターである。rOat3はestrone sulfateやochratoxin Aに対するKm値が小さく、また輸送活性が大きかった。rOat3を介したestrone sulfateの取り込みはNa+非依存的であった。また、rOat1は対向輸送を行うが、rOat3の場合にはあらかじめ細胞内に標識薬物をプレロードした後、バッファー中に非標識体を加えても細胞内からの排出は促進されなかった。反対に、非標識体をプレロードしても、標識体の取り込み初速度は促進されなかったことから、rOat3はrOat1とは異なる輸送特性を有していることが示唆された。rOat3はbenzylpenicillinをはじめとする有機アニオンで阻害されるものの、肝臓に発現される有機アニオントランスポーター(Oatp)の基質となる胆汁酸やdigoxinによる阻害効果は弱いかほとんど観察されなかった。また、tetraethylammoniumなどの有機カチオントランスポーター(Oct)の基質でも阻害されなかった。酸性の神経伝達物質の代謝物はrOat3の阻害剤となることから、基質となる可能性が示唆された。

以上、脳に発現しているrOat1アイソフォーム(rOat3)を単離した。その基質選択性は、脂溶性の高い有機アニオンから水溶性有機アニオンまで幅広いことが明らかになった。更に、有機カチオンであるcimetidineも基質とすることが明らかになった。

脈絡叢における有機アニオントランスポーター(rOatp3)の機能解析

脈絡叢は血液脳脊髄液関門として、脳脊髄液と血液との間の関門となっている。脳脊髄液中にestradiol 17bglucuronide (E217βG)を投与すると、脳脊髄液中の交換速度を示すイヌリンよりも速い消失を示す。また、probenecidを併用することで、この脳脊髄液中の交換速度にまで低下することから、トランスポーターがE217βGの排泄に関与していることが示唆されていた。脈絡上皮細胞の刷子縁膜には、肝臓に発現される基質多選択的な有機アニオントランスポーターorganic anion transporting polypeptide 1 (rOatp1)が局在していることが過去報告されており、E217βGの脳脊髄液内からの消失はrOatp1によるものと考えられていた。しかし、脈絡叢から調製したcDNAを鋳型としてPCRを行うと、脈絡叢に発現しているアイソフォームはrOatp3であることが明らかとされた。更に、TaqMan MGB probeを用いてreal time PCRによるrOatp1とrOatp3mRNAの発現量の定量が行われ、rOatp3の発現量の方がrOatp1よりも著しく高いことが明らかとされた。蛋白レベルでの発現も確認しており、rOatp3が脈絡叢上皮細胞の刷子縁膜に局在していることも確認された。rOatp1ならびにrOatp3の安定発現系を作製し、その基質選択性の比較が行れ、両発現系においてE217βGの取り込みはベクター導入細胞に比較して顕著に増加しており、更に過剰量の非標識体により取り込みは飽和した。そのKm値はそれぞれ2.3, 1.2μMであり、両トランスポーターで非常に近い値であった。更に、corticosteroneをはじめとする8種類の化合物を用いて、阻害実験を行った。probenecidが若干rOatp3に対する親和性が低いが、その他の化合物についてはrOatp1ならびにrOatp3に対するKi値は非常に近い値を示し、両者の基質選択性が非常に似ていることが明らかにされた。更に、脈絡叢への取り込み過程に占めるrOatp3の寄与率を評価するために、単離脈絡叢を用いた輸送実験を行った。E217βGならびにtaurocholateの脳脊髄液側からの取り込みを測定したところ、いずれも飽和性を輸送が検出されており過去の報告と一致していた。また、corticosteroneやindomethacinなどにより、単離脈絡叢へのE217βGの取り込みは阻害された。taurocholateのE217βGの単離脈絡叢への取り込みに対するKi値は自身のKm値と一致しており、E217βGとtaurocholateは脈絡叢にて取り込みに関わるトランスポーターを共有していることが示唆される。遺伝子発現系で測定した速度論パラメーター(Km、Ki値)は単離脈絡叢で検出された値よりも小さく、遺伝子発現系との間に乖離が見られたが、基質選択性ならびに局在を考慮すると、脈絡叢の刷子縁膜において脂溶性の高い有機アニオンの取り込みにはrOatp3が働いていることが示唆される。速度論パラメーターの乖離については、本研究で用いた安定発現系が脈絡叢での環境を再現していない可能性が考えられる。他のトランスポーターが関与している可能性も含め、今後の検討課題であろう。

以上、脈絡叢刷子縁膜においてrOatp3が発現していることが確認され、脂溶性の高い有機アニオンの脳脊髄液中から脈絡叢への取り込みに関与していることが示唆された。

本研究は、次の2点を明らかにした。1. 脳に発現している有機アニオントランスポーター(rOat3)のcDNAクローニングを行い、その基質選択性を明らかにした。2. 脈絡叢に発現しているOatpアイソフォームがrOatp3であることを見いだした。脈絡叢ではbenzylpenicillinと脂溶性有機アニオン(E217βGやTCA)とは異なるトランスポーターにより脈絡叢へ取り込まれ、rOatp3が脂溶性有機アニオンの脈絡叢への取り込みに関与していることが示唆された。

以上のように、本研究は、脳の異物解毒システム働くトランスポーターとして、基質多選択的な有機アニオントランスポーター(rOat3とrOatp3)を明らかにした。本研究成果は、これまで存在が示唆されてきた排出輸送機構を遺伝子レベルで説明が可能になるものと考えられる。これらのトランスポーターの基質選択性は非常に広く、脳内への医薬品の分布を制限しているものと考えられ、その基質選択性を考慮することで医薬品の脳内薬物動態を改善することが可能になるものと期待される。また、臨床的には、医薬品の併用による薬効の減弱あるいは副作用が生じる薬物間相互作用を解析する上で有用なツールとして利用可能である。また、ヒトorthologの遺伝子多型が、脳内薬物濃度の個人差をうむ一因と成り得る。これらの知見は薬物の中枢移行性を理解する上で重要な情報を与え、今後の医薬品開発ならびに医薬品の安全使用に貢献できることを提起しており、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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