学位論文要旨



No 215698
著者(漢字) 応田,治彦
著者(英字)
著者(カナ) オウタ,ハルヒコ
標題(和) 4He (静止 K-±)反応を用いた軽いハイパー核の生成と崩壊の研究
標題(洋) Formation and Decay of Light Hypernuclei in 4He (Stopped K-±) Reactions
報告番号 215698
報告番号 乙15698
学位授与日 2003.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15698号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 東京大学 教授 久保野,茂
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 助教授 森松,治
 東京大学 教授 杉本,章二郎
内容要旨 要旨を表示する

静止K-反応によるΣハイパー核研究

YN(ハイペロン核子)相互作用の研究は、核子間の相互作用の描像をバリオン-バリオン間に拡張するもので、現代の原子核物理学の最も重要な主題の一つである。然しながら、ハイペロン-核子の低エネルギーでの散乱実験は極めて困難であり、ハイパー核の構造から、ハイペロン-原子核間の相互作用についての知見を得て、それを、ハイペロン-核子間の相互作用と結びつけていくという手法が有効であると考えられる。

Λハイパー核については、豊富な実験データが蓄積されて、Λ核ポテンシャルの深さや、スピン軌道力に関するデータから多くの知見が得られた。一方で、Σハイパー核については、その実験的研究は極めて不満足な段階にある。主にp殻の標的を用いた(in-flight K-,π)反応による研究で、幅の狭いΣ核状態の存在の可能性が次々と報告された。Σ核は、ΣN→ΛNの転換過程の存在のために、その幅は一般に非常に大きなものになると考えられていたために、幅の狭い状態の報告は、“Σハイパー核のpuzzle”として長年に渡り混乱を招いた。いずれも、極端に低いスペクトルの統計からのやや強引な導出を行っており、近年の統計を上げた再測定では確認されていない。これらの実験は、p殻標的を用いて、無反跳(recoilless)法による測定を行っているために、Σが、s軌道に入った状態を生成することができず、Σハイパー核の束縛状態を研究することができないという問題があった。

(静止K-,π)反応を用いたハイパー核の生成は、貴重なK-ビームを効率的に利用できるために、高統計のスペクトルを得やすいほか、特に、Σハイパー核の生成においては、170MeV/c程度となる反応の運動量移行が、Σハイパー核の基底/束縛状態の生成に適していることから、上記の"in-flight"反応法における実験的困難を除くことが可能である。

特に4体系以下の軽いs-shell核を標的とした場合、直接生のΣN相互作用をもとにした理論計算との比較が可能になることから、我々のグループは4He標的を用いた静止K-法によるΣハイパー核の束縛状態の探索実験を行うこととした。

実験の概要

スピン・アイソスピンに依存したΣ-核子間の相互作用について調べるためには、特に軽い核を標的とした、Σハイパー核の研究が有効である。4体系のΣハイパー核の束縛状態の存在を探索するため、液体4He標的に、K-中間子を静止させ、(静止K-,π±)反応によって放出される荷電π±両方の中間子の運動量スペクトルが、偏向電磁石を用いたスペクトロメータ系によって測定された。実験(KEK-PS E167)は、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の12GeV-PSのK3ビームラインで行われた。使用されたスペクトロメータは、100MeV/c-300MeV/cに渡る広い運動量アクセプタンスを有するために、Σハイパー核の生成の研究と同時に、Λハイパー核(本実験では、4ΛH及び、4ΛHe)の生成と崩壊についても同時に測定を行うことができる。この目的のため標的の周りには、NaI(T1)シンチレータと、薄いプラスチックシンチレータからなる同時計測のためのカウンター系が配置され、ハイパー核の生成・崩壊時に標的から放出されるπ0,π±,陽子を同定することができる。低密度のヘリウム標的を使用した本実験では、K-中間子が、標的中で減速中に標的核と反応を起こしたり、崩壊したりする“in-flight反応/崩壊”によるバックグラウンドの低減が、正しく静止したK-からの荷電π中間子事象を選別するために極めて重要であった。このため、入射K-と、放出π±両方の軌跡から反応点を事象毎に再構成して、ヘリウム標的起因の事象を選別するとともに、標的中でのπ±のエネルギー損失の補正を行った。また、静止したK-からの反応であることを保証するために、1)K-のビームライン最下流のカウンターでのエネルギー損失が静止K-を仮定して計算されるものと一致することを要請し、さらに2)K-の入射時間と、π±の放出時間の差を飛行時間計測(TOF)法で直接測定することによって、(in-flight K-,π±)反応/崩壊から来るバックグラウンド事象の94%以上を除去することができた。4He(静止K-,π±)スペクトル上には、各種の校正用のピークが存在する。これとの比較によって、運動量スペクトルの全域にわたって、2MeV(FWHM)以下の高いエネルギー分解能が、0.1MeV以下の絶対精度で実現されていることが確認された。

Σハイパー核の束縛状態の発見

4He(静止K-, π±)スペルトル上で、Σの束縛領域にハイペロンの生成や、崩壊など既知のバックグラウンドプロセスでは説明のできない隆起が観測された。一方で、4He(静止K-,π+)スペクトル上ではΣ-の束縛領域には対応する構造は見出されなかった。Σの束縛の閾値を揃えた、ハイペロンの生成段階で放出されたπ-ズスペクトル(黒点)と、π+スペクトル(白抜きの点)の比較を図1に示す。(K-,π-)反応では、Isospin=1/2,3/2の状態が励起されうるが、(K-,π+)反応で生成されうる状態は、Isospin=3/2の状態に限られる。さらに、(K,π)反応は、始状態のSpinを変えない性質をもっているために、π-スペクトル上でのみ観測されたこの状態は、Isospin=1/2,Spin=0の4ΣHeの基底状態の生成のためであると結論できる。これはΣハイパー核の束縛状態の存在の最初の発見である。また、π-とπ+のスペクトルの比較から、Σ-核の相互作用が、非常に強いアイソスピン依存性を有することが実験的に初めて確定した。

この実験に先立って、原田等北大のグループによる理論計算が行われており、この分野で標準的なものとして用いられてきた、NijmegenのModel Dと等価な、ΣN相互作用からの4体系の変分計算から、I=1/2,S=0の基底状態が、(K-,π-)スペクトル上にのみ現われることが予言されていた。本実験の結果を、定性的によく説明できる理論となっている。ここで見出された、4ΣHeの状態は、ΣN→ΛN転換過程のため、束縛エネルギーに比較してより大きな幅を有する。このような状態は、左右非対称な形をスペクトル上で示すことが予想されるため、ピークパラメータを、Breit-Wigner型のピークの形を仮定して複素エネルギーとして与えるのは妥当でなく、複素波数平面(complex-κΣ+plane)上でのポールの位置として与えるべきである。本実験で得られたπ-スペクトルに関する解析は原田等によって精力的に進められ、K-吸収が主にK-原子のs-波吸収によって起こっている場合には、κΣ+=-0.335+0.399i fm-1また主にp-波吸収によって起こっている場合には、κΣ+=-0.435+0.377i fm-1の状態を仮定したときに、スペクトル全体の形をよく再現できることが判明した。どちらも、Dalitz等によって批判された"threshold cusp"の状態ではなく、束縛状態に対応するポール位置となっている。本実験の後でBNLで行われた(in-flight K-,π)反応によって確認された4ΣHeのピークと無矛盾な解釈となるのは後者の場合だけである。この場合の理論計算による、スペクトルのフィットの結果を、図2に示す。0+と書かれた非対称な形で示された線が、4ΣHe状態の生成に対応している。

s/p-波いずれからの吸収を仮定した場合でも、最初に原田等がNijmegen Model Dと等価なΣN相互作用を元に作った、Σ-核のpotentialに対してその引力強度を20%ほど弱くし、またその吸収項を1.6-2.2倍ほど大きくしないと、観測されたπ-スペクトルは再現することができない。一方、4He(静止K-,π+)スペクトルの形の詳細な理論的解析から、引力的なΣ--3H相互作用は否定されることが判明した。

4ΛH及び4ΛHeハイパー核の弱崩壊

スペクトロメータの広い運動量アクセプタンスのおかげで、4He(静止K-,π-)スペクトル上に、4ΛHeの生成と、4ΛH→4He+π- 2体崩壊に伴うピーク(各々255MeV/c,133MeV/c)が明瞭に観測されたので、その弱崩壊機構に関する解析を行った。K-の静止時間と、弱崩壊によって生じる π-/陽子の放出時間差を直接TOF法で測定することによって、4ΛHと、4ΛHeの寿命が各々194+24-26ps,256±27psと何れも初めて高精度で測定された。また、標的の周囲のカウンター群との同時計測の結果から、4ΛHeが、π0/π-を放出して崩壊する確率をおのおの51.5±3.5%,32.2±3.4%と高い精度で決定できた。

これら、寿命と、π崩壊分岐比から得られた4ΛH及び4ΛHeのπ中間子崩壊幅は、元場・布施等による理論計算と比較した結果、Λ-(A=3)核間のポテンシャルが、中心斥力を持っており、Λが核の外側に押し出されていると考えないとその大きさが説明できないことが示された。

また、新たに高精度で得られたπ中間子崩壊に関するデータをもとに、4ΛHと、4ΛHeの非中間子崩壊幅に関する過去の実験データも用いた再検討を行った。誤差は大きいものの、両者の非中間子崩壊幅はほぼ等しいという結果が新たに得られた。これは、Λハイパー核の非中間子崩壊において、ΔI=1/2則が成り立っているとする仮定と無矛盾な結果である。さらに本実験では、4ΛHeの非中間子崩壊が圧倒的に、Ap→np崩壊モードから起こっていることが判明した。5ΛHe,12ΛCら他のハイパー核に対する過去の実験データと、今回の結果を同時に無矛盾に説明するためには、非中間子崩壊は圧倒的に、3S1のΛN始状態から起こると仮定しなければならない。

4(静止K-,π-)スペクトル(黒点)と、4(静止K-,π+)スペクトル(白抜きの点)の、Σ領域の比較。直接比較を行うために、Σの束縛の閾値を合わせてプロットしてある。

原田の理論計算による、π-スペクトルのフィットの様子。K-吸収は主にp-状態から起こると仮定し、複素波数平面上でのポールの位置をκΣ+=-0.435+0.377i fm-1と仮定している。0+と書かれた線に対応するのが、4ΣHe状態に対応する寄与である。

審査要旨 要旨を表示する

YN(ハイペロン核子)相互作用の研究は、核子間の相互作用の描像をバリオン-バリオン間に拡張するもので、現代の原子核物理学の最も重要な主題の一つである。然しながら、ハイペロン-核子の低エネルギーでの散乱実験は極めて困難であるため、ハイパー核の構造から、ハイペロン-原子核間の相互作用についての知見を得て、それを、ハイペロン-核子間の相互作用と結びつけていくという手法が有効であると考えられる。Λハイパー核については、豊富な実験データが蓄積されて、Λ核ポテンシャルの深さや、スピン軌道力に関するデータから多くの知見が得られているが、他方、Σハイパー核については、その実験的研究は極めて不満足な段階にある。本論文は、(静止K-,π)反応を用いて、4He標的についてのΣハイパー核の束縛状態の探索実験をおこない、その解析結果をまとめたものである。(静止K-,π)反応の特徴としては、貴重なK-ビームを効率的に利用できるために高統計のスペクトルを得やすいことや、170MeV/c程度となる反応の運動量移行が、Σハイパー核の基底/束縛状態の生成に適していることが挙げられる。本実験で4He標的を用いたのは、4体系以下の軽いs-shell核では、ΣN相互作用をもとにした理論計算との比較が可能であるからである。

本論文の基となった実験(KEK-PS E167)は、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の12GeV-PSのK3ビームラインで行われた。液体4He標的に、K-中間子を静止させ、(静止K-,π±)反応によって放出される荷電π±両方の中間子の運動量スペクトルを、偏向電磁石を用いたスペクトロメータ系を用いて測定した。スペクトロメータは、100MeV/c-300MeV/cに渡る広い運動量アクセプタンスを有しており、Σハイパー核の生成の研究と同時に、Λハイパー核(4ΛH及び、4ΛHe)の生成と崩壊についても同時に測定を行うことができた。

液体ヘリウム標的は低密度であるため、K-中間子の減速中の反応や崩壊(“in-flight反応/崩壊”)によるバックグラウンドの低減が極めて重要であった。このため、入射K-と、放出π±両方の軌跡から反応点を再構成して、ヘリウム標的起因の事象を選別し、次に、K-のビームライン最下流のカウンターでのエネルギー損失が静止K-を仮定して計算されるものと一致することを要請し、さらにK-の入射時間と、π±の放出時間の差を飛行時間計測(TOF)法で測定することによって、(in-flight K-,π±)反応/崩壊から来るバックグラウンド事象の94%以上の除去に成功した。

4He(静止K-,π-)スペルトル上で、Σの束縛領域にハイペロンの生成や、崩壊など既知のバックグラウンドプロセスでは説明のできない隆起が観測された。一方で、4He(静止K-,π+)スペクトル上ではΣ-の束縛領域には対応する構造は見出されなかった。スピン、アイソスピンの選択則に基づく考察から、π-スペクトル上でのみ観測されたこの状態は、Isospin=1/2,Spin=0の4ΣHeの基底状態であると結論された。これはΣハイパー核の束縛状態の存在の最初の発見である。また、π-とπ+のスペクトルの比較から、Σ-核の相互作用が、非常に強いアイソスピン依存性を有することを実験的に初めて確定した。

原田等北大理論グループは、NijmegenのModel Dと等価なΣN相互作用を用いた4体系の変分計算から、I=1/2,S=0の基底状態が、(K-,π-)スペクトル上にのみ現われることが予言したが、本実験の結果を定性的によく説明することが分かった。

K-の静止時間と、弱崩壊によって生じるπ-/陽子の放出時間差を直接TOF法で測定することによって、4ΛHと、4ΛHeの寿命を、各々194+24-26ps,256±27psと何れも初めて高精度で決定した。また、標的の周囲のカウンター群との同時計測の結果から、4ΛHeが、π0/π-を放出して崩壊する確率をおのおの51.5±3.5%,32.2±3.4%と高い精度で決定した。これら、寿命と、π崩壊分岐比から得られた4ΛH及び4ΛHeのπ中間子崩壊幅は、Λ-(A=3)核間のポテンシャルが、中心斥力を持っていると考えないとその大きさが説明できない。また、新たに得られたπ中間子崩壊データと、4ΛHと、4ΛHeの非中間子崩壊幅の過去のデータから、両者の非中間子崩壊幅はほぼ等しいという結果を得た。さらに本実験で、4ΛHeの非中間子崩壊が圧倒的に、Λp→np崩壊モードから起こっていることが示された。

本論文の基になった実験は複数名との共同研究に基づくが、論文提出者である応田治彦君は、実験の企画・遂行において中心的な役割を果たし、論文に用いられているデータの解析、まとめ、考察を行なっており、その寄与は十分であると判断する。

したがって、審査員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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