学位論文要旨



No 215700
著者(漢字) 杉,正人
著者(英字)
著者(カナ) スギ,マサト
標題(和) 数値予報モデルを用いた気候予測の研究
標題(洋) Studies on Climate Prediction using NWP Model
報告番号 215700
報告番号 乙15700
学位授与日 2003.05.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15700号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

数値予報モデルを用いて、気候予測に関する二つの数値実験を行った。一つ目の実験では、低分解能版(約300kmメッシュ)の気象庁全球予報モデル(GSM89)により、3メンバー、34年間のアンサンブルシミュレーションを行った。この実験では、1955年から1988年の、34年間の海面水温の観測値を境界条件として与えた。実験の結果から、海面水温の変動に対する大気の応答を調べた。モデルは、熱帯の海面水温の変動に対する大気の応答をよく再現していた。例えば、モデルで計算された南方振動指数は、観測の変動とよく一致していた。この実験では、アンサンブル平均の変動は、海面水温で強制される大気の変動に対応するもので、海面水温の変動が予測できれば予測可能な大気の変動と考えられる。したがって、アンサンブル平均の変動と全変動の比は、海面水温の予測が完全な場合に、大気の変動のうちどのくらいの部分が予測可能であるかを示す指標、すなわち潜在的予測可能性の指標と考えられる。モデルの結果から、潜在的予測可能性の指標をいろいろな季節平均場に対して計算した。その結果、一般に、予測可能性は、熱帯では高いが、中高緯度では低い事が示された(図1)。日本付近における、季節平均の500hPaの高度場の予測可能性は20%程度である。熱帯の中でも、ブラジルの北東部のように降水量の予測可能性が高いところと、インドモンスーンのように、予測可能性が低いところがあることも明らかになった。

二つ目の実験では、地球温暖化が熱帯低気圧の気候特性に及ぼす影響を調べるために、高分解能版(約120kmメッシュ)の気象庁全球予報モデルを用いて、二つの10年間のシミュレーション計算をを行った。初めに、1979年から1988年の10年間の観測値の海面水温を境界条件として10年間のシミュレーションを行った(コントロールラン)。このシミュレーションでは、大気中の二酸化炭素の濃度は1980年頃の値とした。次に、地球が温暖化した時の気候のシミュレーションとして、温暖化時の海面水温の上昇分をコントローランの海面水温に加えて、10年間のシミュレーションを行った(2xCO2ラン)。このシミュレーションでは、大気中の二酸化炭素濃度をコントロールランの2倍とした。二つのシミュレーションの結果から、地球が温暖化すると熱帯低気圧の数は、地域によって増加する所と減少する所があるが、全体としては減少することが示された(図2)。地域ごとの熱帯低気圧の数の変化は、地球温暖化にともなう海面水温の上昇の相対的な大きさと密接な関係があることが示された。一方、全体として熱帯低気圧の数が減少する理由は、地球温暖化によって熱帯循環が弱くなるためと考えられる。熱帯循環の弱まりは、温暖化で大気中の水蒸気が増え、大気の静的安定度が増加すること、及び、水蒸気の増加にともなう降水量の増加が比較的小さいことが関係している事がわかった(図3)。

海面水温の変動で強制される大気の変動(予測可能な変動)の分散と全変動の分散の比(潜在的予測可能性)。アンサンブルシミュレーションの結果を用いて、北半球冬季の500hPa高度の季節平均場について計算したもの。

モデルでシミュレートされた熱帯低気圧の経路。上:現在の気候(コントロールラン)。下:地球温暖化時の気候(2XCO2ラン)

地球が温暖化する時に起きるの熱帯大気の変化の模式図

審査要旨 要旨を表示する

毎日の天気予報は、数値天気予報モデル(数値予報モデル)の出現によって格段に精度が向上した。数値予報モデルは、全球の大気運動や雲、降水等を物理法則に従って計算するもので、ラジオゾンデや衛星データから毎日推定、作成される大気状態を初期値として、1週間程度先までの予測計算を行う。本研究は、このような数値予報モデルを用いて季節予報や気候変化の予測といった長期予測の可能性を論じたものである。ここで用いられた数値予報モデルは、気象庁で実際に毎日の天気予報に用いられていたもので、申請者が中心となって開発したものである。本論文では、観測された海面水温を境界条件として与えた長期積分にもとづく季節予報可能性、および、二酸化炭素の増加による地球温暖化時の台風の変化という2つの研究課題が取り上げられている。

第1章においては、元々は1週間程度の天気予報用として開発されてきた数値予報モデルが、より精度の高い放射や雲、地表面過程などの各種物理過程を実装されるにつれ、より長期間の計算にも耐えるモデルとなり、気候予測研究に有力な手段となりうることが論じられ、本研究の意義と位置づけが述べられる。

引き続き、第2章においては、水平解像度約300kmのモデルに1955年から1988年の観測された海面水温を境界値として与えた長期積分結果を用いて、季節平均値の予測可能性、とくにその季節や地域依存性が論じられる。これは、大気に比べてゆっくりと変化し、また、熱容量も格段に大きい海面水温が仮に完璧に予測されたとしたときの予測可能性、すなわち、潜在予測可能性を論じるもので、力学的方法による実際の季節予報の可能性についての基本的な知見を与える。海面水温に規定されない大気の内部変動成分によるサンプリング誤差を避けるため、初期値の異なる3つの積分が行われた。潜在予測可能性は、3つのアンサンブル間の分散のうち海面水温と同期した(予測可能な)成分と全分散との比で定義される。

モデルは熱帯での海面水温に対する応答をよく再現していた。潜在予測可能性も高く、80%を越える領域が広く熱帯域をおおっている。しかしながら、およそ緯度30度より極側の中高緯度では、大気の内部変動の割合が大きく、潜在予測可能性が低い。多くの地域で20%以下である。しかし、例外もあり、冬の北米大陸はエルニーニョの影響を受けて潜在予測可能性がやや高いことが示された。気圧、気温の変動にくらべ、降水量の予測ははるかに困難である。また、同じ熱帯でもブラジル北東部のように比較的予測可能性の高い領域もあれば、夏のインドモンスーン降水量のように予測困難なものもあることが示された。第2章における研究は、世界各国のモデルグループによる引き続く同種類のアセスメントの先駆をなしたものである。

第3章においては、水平解像度約120kmという高解像度のモデルを用いて、地球温暖化時の台風の変化のシミュレーションが行われた。低解像度の気候モデルであらかじめ予測された海面水温の二酸化炭素倍増時の増分を、1979-88年の実際に観測された海面水温に上乗せすることによって、年々変動を含む海水温の予測値を得る。観測水温とこのようにして作った温暖化時の海水温を与えてそれぞれ10年間のシミュレーションを行い比較する。モデルでシミュレートされる台風は、やや強さが弱いものの、現実の個数分布や経路等をよく再現することが確認された。温暖化時の海面水温を与えた積分では、温暖化によって水蒸気、そして降水量が増加するにもかかわらず、台風の個数が有意に減少するという興味深い結果が得られた。その原因を解析した申請者は、温暖化による気温の上下成層の安定化に伴い、熱帯の大気大循環が弱まることを見出した。水蒸気増加に比べて降水量増加が相対的に小さいことも重要な要素であるとした。また、地域的な台風個数の変化をみると北西太平洋での減少量がもっとも大きく。他地域ではやや増加する場所もある。申請者は、このような地域差の原因が温暖化時の海面水温変化の空間パターンに強く規定されていることを明らかにした。

全球大気を計算する数値予報モデルや大気大循環モデルで台風のような水平スケールが小さく強い気象擾乱をシミュレートすることは難しい。本研究では、数値予報の現業用に開発された高速高解像モデルのメリットを十分に生かして台風の再現を可能にし、また、その温暖化時の変化について解釈を与えた。台風などの激しい気象擾乱の変化は社会的にも注目されているところである。予測結果のモデルによる違いなど世界各国の研究グループがこぞって追試、検証実験を行うことが予想される。世界に先駆けて行われた本研究の意義は大きい。

なお、本論文第2章は、川村隆一、佐藤信夫氏との、また、第3章は、野田彰、佐藤信夫氏との共著であるが、論文提出者が主体となって計算及び解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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