学位論文要旨



No 215701
著者(漢字) 牛村,圭
著者(英字)
著者(カナ) ウシムラ,ケイ
標題(和) 「文明の裁き」をこえて : 対日戦犯裁判読解試論
標題(洋)
報告番号 215701
報告番号 乙15701
学位授与日 2003.05.29
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15701号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹内,信夫
 東京大学 教授 宮本,久雄
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 助教授 甚野,尚志
 日本大学 教授 長尾,龍
内容要旨 要旨を表示する

第二次世界大戦後、日本の戦時指導者・軍人の戦争責任を訴追する極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷された。その冒頭陳述で、首席検察官キーナンはこの裁判は「文明の断乎たる戦い」であると宣言した。ナチスの被告たちを対象にほぼ同時期に開廷された国際軍事裁判(ニュルンベルク裁判)では、ジャクソン首席検察官が「真の原告は文明なり」と主張した。ここに、この空前の軍事裁判が「文明の裁き」と呼ばれる起源がある。

東京裁判閉廷以来既に半世紀以上の時を閲した。その間に提出されてきた研究は、主に以下の観点に立脚していた。すなわち、起訴状にあった「平和に対する罪」「人道に対する罪」という事後法採用の是非の検討を主眼とする国際法、法廷に提出された証拠や起訴状・判決に見られる歴史解釈を検討する日本近現代史、さらに裁判の背後にある日米外交史、国際関係史、である。冒頭陳述が提示した「文明の裁き」に関しては、「文明の裁き」という形容が広く知れ渡っている一方、原告であった連合国の戦後の行動、とりわけ米ソ二大国の他国への軍事介入などを指摘し、原告が東京裁判で標榜した「文明」が如何に欺瞞に満ちたものであったかを指弾するにとどまっていた。すなわち、「文明の裁き」の実体に迫ろうとする本格的な検討は、研究史上なされてこなかった。

本論文は、今なお未開拓の分野と呼んでよい東京裁判の「文明の裁き」の実体、「文明」の本質を検討する試みである。序章において東京裁判の概要、「文明の裁き」の起源を確認した後、第一部(一章から四章)では、ニュルンベルク裁判との比較のもと、西洋文明の法廷(ニュルンベルク法廷)と非西洋文明の国日本を裁いた法廷(東京法廷)における被告の言動の異同を比較考察する。第二部(五章から九章)は、東京裁判にさまざまな立場で関わることとなった人物の東京裁判論、文明論を取り扱う。なお東京裁判は、巨視的に見れば対日戦犯裁判の一つである。そこで第三部では、その他の対日戦犯裁判にも目を向け、B級戦犯として異国の法廷に立つに至った二人の陸軍軍人の手記を手がかりに、異文明との対決の様相に考察を加える。

したがって本論文は、「文明」の語をキーワードとして展開することとなるが、予め「文明」の語を定義した上で各テクストを精読する方法をとるのではなく、むしろそれぞれのテクストにおける「文明」の語が内包する意味、含意をテクストの読解作業を通して検討することを基本姿勢とする。

以下、各章の要旨を記しておく。

第一部は、「不朽の業績」との定評のある丸山眞男「軍国支配者の精神形態」を、法廷での日独被告の言動を研究対象とした先行研究として取り上げ、その批判を主眼とする。「軍国支配者の精神形態」では、「ニヒリストの明快さ」を持ち「悪に敢えて居坐ろうとする無法者」であるナチ戦犯、一方、「一様にうなぎのようにぬらくらし、霞のように曖昧」な答弁をする日本人戦犯、という全く対照的な描出がなされている。丸山は日本人戦犯の法廷での言動を総括して「日本ファシズムの矮小性」と断じ、さらにその「矮小性」の二つの特徴として「既成事実への屈服」と「権限への逃避」をあげている。

第一章では、丸山論文がおそらく意図的に省略したと思われる、論文に書かれていない法廷速記録の箇所を掘り起こしたうえで、丸山が日独旧指導者たちの差異であると見なす見解に批判を加える。省略部分を補えば丸山の主張とはむしろ反対に、多大の共通点が見られることを実証する。

第二章、三章では、日本の旧支配層の「矮小性」の典型例としてあげられている南京攻略時の最高指揮官松井石根、開戦、終戦時の外相東郷茂徳の言動について丸山の史料解釈を検証し、その解釈を反駁する。

第四章では日独被告の代表とみなされることの多い東條英機、ヘルマン・ゲーリングが法廷で開陳したそれぞれの責任論を詳細に検討し、そののち、日独法廷の共通点をさらに探求することとする。

第二部は、様々な立場で東京裁判に関わった人たちの裁判論、文明論を扱う。各章は個々に独立した章であると同時に、その人たちがいつしか直接、間接に相互に関わりあっていく様子、東京裁判がきっかけで生まれた人間模様、を全体として描き出すことをも試みる。

第五章は、竹山道雄の東京裁判論を扱う。首席検察官の「文明の断乎たる戦い」の視角にいち早く反応し、東京裁判を終生の思索のテーマの一つとした竹山の一連の論考は、文明の観点からこの軍事裁判を考える視点を提供する。その論考を一人の日本人の東京裁判への反応の軌跡として取り上げる。

第六章は、オランダ代表判事ベルナルド・レーリングを考察の対象とする。近年刊行された対談を主たる題材とし、そこに見られる東京裁判をめぐる新事実をまず確認する。さらに、偶然日本と出会うこととなった、また竹山道雄とも親交を持つにいたった、一人の西洋人の真摯な思索の跡、日本という異文化を理解しようとした努力の跡をも読みとる。

第七章では、「日本無罪論」として一面的に取り扱われることの多いインド代表判事ラダ・ハノビッド・パルの個別意見書を、反オリエンタリズムの書として精読する。そののち、パル意見書にも引かれているアメリカ人思想家アルバート・ノックのハルノート批判の反響を追跡し、その埋もれた思索家の著作を精読する。

第八章は、異文化接触の国際法廷で、異文化の緩衝材の機能をも果たしたアメリカ人弁護人ベン・ブルース・ブレークニを扱う。英米法の法廷で英米法を用いて応酬するブレークニの姿を確認した後、その英米法という異文化を戦後日本に紹介した姿を取り上げる。その過程は、ブレークニ本人には日本という異文化を体験することでもあった。

第九章で精読する『時代の一面』の著者東郷茂徳は、東京法廷でブレークニを弁護人に得て闘った人だった。『時代の一面』は「文明史的考察を行はんとする」試みだと東郷は書く。『時代の一面』を『蹇蹇録』と併せ読むことを通し、文明批評家としての東郷を論じる。

第三部は、日本を遠く離れた海外の地で、戦犯として裁きの庭に立った日本人将官の獄中記を丹念に読み解く試みである。その裁きは、異国で旧敵国により裁かれるという異文化体験でもあった。

第十章は、シンガポール攻略直後の華僑粛清事件の責任者、河村参郎中将の獄中記の精読から成る。法廷での河村中将の言動を、イギリスという他者を相手とする思想闘争と見て、公判を掲載する新聞記事をも追いつつ、思索のあと異文化理解の軌跡を考察する。

第十一章では、ラバウルの将軍今村均の回顧録を検討する。実業人に対する人生指南の書、という定評があるが、何よりも回顧録には文学作品としての妙味があることを指摘し、その上で「戦犯の慈父」と形容される今村の戦犯裁判観を考察する。

以上の各章の考察が扱う題材は、法廷速記録をも含む通常歴史史料と呼ばれるものに他ならない。だが、いわゆる文学作品を精読するときと同じ手法で、熟読可能である。そこで終章では、やや視点を変え戦争と文学との関わりを日本の文学史全体の中で考え、対外戦争が文学作品を生み出したのは実に第二次大戦が初めてであったという視点を提唱しつつ、本論文が取り扱った史料の多くが、文明を論じる広義の文学作品にもなっていることを指摘する。

本論考で扱った、東京裁判をはじめとする対日戦犯裁判にさまざまな形で関わることとなった人たちの「文明観」を、一言でまとめるようなことはできないし、それは本論考が目標とすることでもない。各テクストが内包する「文明」を描き出すことを論述の第一義としている。裁かれる側の「反応」には、時には思い違いや感情的反発も見られたものの、どの「文明観」も首席検察官の浅薄な「文明」理解をこえたものであったこと、また対日戦犯裁判は文明について思索を巡らす機会をも提供したこと、を指摘しておきたい。

審査要旨 要旨を表示する

牛村圭氏の博士学位請求論文、「文明の裁き」をこえて−−対日戦犯裁判読解試論−−は、第2次世界大戦中の日本の政治指導者、軍人たちの戦争責任を訴追した軍事法廷、所謂「東京裁判」を特徴付け、支えるものとされている「文明の裁き」史観の実体は何であったかを、基本資料である当該軍事裁判の速記録、裁判資料などを精密に読み解くことで批判的に再検討し、以て戦後日本の固定化された歴史観、文明観を相対化し、「文明」をめぐる新しい思考への道を開くことを試みようとするものである。論文題目が示唆するように、本論文は、「文明」に関する一つの結論を提示しようとするものではなく、「東京裁判」という歴史的事象を第一次資料から改めて読み解くことを試みるものである。

その際、牛村氏は、既に数多く存在する膨大な関連資料のうちに記録される言葉を単なる事実の記録としてではなく、人間の真実を語る文学的テクストとして捉え、その読みを通じて、そこに「文明」をめぐる多様な思考と言説を見出そうとする。この点において、牛村氏の研究は、東京裁判を主題とする多くの先行研究と異なる。つまり、従来の諸研究が、国際法にかかわる法解釈の問題、裁判関連の文書が内包する歴史解釈の問題、また裁判の背後にある国際関係の問題等、「事実」と「事実」とされたものの解釈をめぐって展開されてきたのに対して、牛村氏は法廷の場で語られる個別の人々の言葉に注目し、東京裁判においても、また東京裁判をめぐる戦後の言説においても無視され続けたそれらの言葉が語ろうとした人間的真実を問おうとするのである。そのことによって、本論文は、東京裁判研究史においては未開拓の分野に挑戦するものであり、その成果において優れた比較文学研究となっている。また、「文明」という視点を設定することによって、「東京裁判」の分析を通じた、極めてユニークな比較文明論ともなっている。本論文の学術的成果は主としてこの点にある。

以下、本論文の内容を概括しながら、随時審査委員の評価・意見等を記す。

牛村圭氏の論文は本論が11章から成り、その前後に「序章」と「終章」が置かれている。本論11章はさらに3部に括られて、本論文構成の大きな区分となっている。以下、論文の構成に即して、各章の議論を紹介し、随時審査委員との質疑を記す。

「序」において、氏はまず、東京裁判が「文明の裁き」と呼ばれる原因ともなった、主席検察官ジョゼフ・B・キーナンの冒頭陳述を検討し、それに関する先行研究を概観する。その上で、本論文の課題を次のように設定している。まず、第一部では、東京裁判とニュルンベルク裁判の記録に基づき、彼我の法廷における被告たちの言動の異同を考察する。つぎに、第二部では、さまざまな立場から東京裁判に関与した人たちの東京裁判論を考察し、特に「文明」をめぐる言説を分析する。さらに、第三部では、所謂「B級裁判」の被告とされた二人の軍人の手記を取り上げ、異なる文明との対決の状況を検討する。いずれの場合にも、予め定義された「文明」概念をもってテクストに対するのでなく、「読解」の対象となるテクストが語りだす多様な「文明」の意味を聞き出そうとすることが、本論文の基本的方法であることが述べられる。

続いて、「丸山眞男『軍国支配者の精神形態』批判」と題された第一章で、丸山の論説に見られる日独の単純な対比の背後に資料の恣意的選択と解釈が潜んでいることを、東京とニュルンベルク両裁判の記録を丹念に読み直しながら、論証する。そして、法廷に立つ被告たちの多様な個別性が説得的に示されている。この章は、丸山批判という形を借りて、東京裁判の被告たちを一様に「戦犯」として括る思考様式を論破することに眼目があり、第二章以下の論述の地平を準備するためのものである。しかしながら、丸山批判の側面が強調されるあまり、その眼目が分明さを欠く結果になっていないかという疑義が審査員から提示され、牛村氏から上述した本章の狙いが改めて説明された。

続いて、第二章から第四章までは、南京事件の責任者とされた松井石根大将(第二章)、日米開戦を阻止しようとして果たせず「戦争犯罪人」として裁かれることになる東郷茂徳外相(第三章)、また最高の戦争責任者として法廷に立つ東条英機(第四章)、それぞれの言動を、裁判記録を読みながら仔細に検討する。その検討の後に、「勝者の裁き」のなかで固定されたものとは異なる事実の網目と戦争責任の所在が提示され、それこそが学問的に解明されなければならない課題であることが主張される。以上の第一部の論述とその結論に関して、概ね妥当なものであると審査員から評価されたが、併せて歴史学的実証との違い、戦争責任を語る立場の問題などに明示的な目配りがあれば、いっそう実り豊かな学問的対話を期待できることが指摘された。

第二部は「東京裁判をめぐる群像」と題され、竹山道雄(第五章)、レーリング判事(第六章)、パル判事(第七章)、ブレークニ弁護人(第八章)、東郷茂徳(第九章)の言動、特に彼らの著作の「読解」が行なわれ、それぞれの文明観が浮き彫りにされる。各章で展開される論証は、精密なテクスト解読に基づく説得的なものであり、本論文の最大の学問的成果と思われる。特に、第七章において、インド人パル判事の東京裁判批判が、一人のアメリカ人著作家アルバート・ノックの著作、『要らぬ男の回想録』(1943年)の一節に書かれていた所謂「ハル・ノート」批判、つまり「本次戦争に就いていえば真珠湾の前夜国務省が日本政府に送った様な覚書を受け取ればモナコやルクセンブルクでも米国に対し武器をとったであろう」という一節に淵源すること、この一文がブレークニ弁護人、パル判事の言説に影響していることを論証した部分は、大きな成果であることが審査員全員から評価された。

第三部は2章から成り、「異土の裁きの場で」と題される。そこでは、所謂「B級戦犯」として軍事法廷の被告とされた二人の軍人、すなわち河村三郎と今村均の著作、前者の『十三階段を上る』と後者の『回顧録』の「読解」が行なわれる。それぞれの人物・著作に関して新しい知見を加える優れた論考であるとの評価が与えられたが、論文全体の論旨の展開から見ればやや拡散的・補足的な印象を与えるとの指摘が一部の審査委員からなされた。

「終章」は、「戦争と文学と文明」と題されて、一般に史料とのみ見られる東京裁判記録でさえ「文学作品を精読するのと変わらぬ方法で熟読、味読可能」であること、そのような立場に立てば、それらの史料をテクストとして読み、「それぞれのテクストが内包する『文明』を描き出す」ことができることを示す、という本論文の目的が確認される。そこに本論文の最大の価値があることは審査員全員によっても確認された。

全般的に見て、本論文は東京裁判研究に新しい寄与を成す優れた学術論文であるだけでなく、本論文が目指した東京裁判のテクスト読解という目標を見事に達成した優れた著作であることが、各審査委員から高く評価された。個々の審査委員からはいくつかの点、例えば、法廷文書であることの特殊性や国際法研究史に関する認識の欠如、丸山学説全体の批判的検討の欠落などが指摘されたが、本論文の学問的寄与を大きく損ねるものでは ないことが確認された。

以上の審査の後、審査員全員による協議の結果、全員一致で本審査委員会は、牛村圭氏に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

UTokyo Repositoryリンク