学位論文要旨



No 215706
著者(漢字) 豊嶋,守生
著者(英字)
著者(カナ) トヨシマ,モリオ
標題(和) ランダムな擾乱媒質と指向誤差を伴う光宇宙通信における光波伝搬
標題(洋) Lightwave Propagation in the Presence of Random Turbulent Media and Pointing Jitter in Optical Space Communications
報告番号 215706
報告番号 乙15706
学位授与日 2003.06.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15706号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高野,忠
 東京大学 教授 青山,友紀
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 広瀬,明
内容要旨 要旨を表示する

空間光通信は、利用に際して1)高速大容量通信に適している、2)周波数資源の有効活用とレギュレーションの規定が無い、3)小型・軽量・低消費電力、4)秘匿性が高い(干渉がない)などの長所を有している。それらを衛星に用いた場合、通信ビームにレーザ光を用いるため、ビーム広がり角が極めて狭く指向追尾誤差に対する影響を受ける。このため、衛星搭載の空間光通信システムには、プラットフォーム等からの振動擾乱を補償する捕捉追尾系と高精度な指向精度が要求される。また、大気を介した伝送では大気屈折率ゆらぎの影響を大きく受け光強度変動(シンチレーション)を生じる。光通信システムの通信回線を設計する場合には、追尾指向誤差と大気ゆらぎの両方の影響を考慮して光信号の受信確率を考慮することが不可欠となる。

本論文では、まず第2章において大気ゆらぎに関する基本的な説明を行っている。また、本論文後半の光通信回線解析において光シンチレーションを算出するため、別に行われた大気ゆらぎのパラメータの測定結果を引用している。第3章、第4章においては、実際の衛星にレーザ光を送信して得られた実験結果を用いて、地上-衛星間(アップリンク)及び衛星-地上間(ダウンリンク)それぞれの光波伝搬の性質について論じている。第5〜7章の話題は、送信ビームの指向ジッタ誤差についてであり、第5章で衛星の微小振動擾乱の測定結果や、第6章で軌道上で発生する指向誤差要因のひとつである歪によるアライメント誤差について示し、第7章においてそれらの誤差要因を含む指向ジッタ誤差と、光ビームの最適なビーム広がり角の関係について議論する。第8章では、第2章で示した大気ゆらぎのパラメータ、第3章、第4章で示した光波伝搬特性、第7章で示した最適なビーム広がり角の関係を用いて、光宇宙通信における新しい回線設計手法を提案し、最適なレーザ伝送の方法論を示している。本論文で取り扱う新規の内容は、以下の項目である。

アップリンク/ダウンリンクの光波伝搬に関する理論の軌道上実証

地上-衛星間のガウスビームについての光波伝搬の理論は、ここ数年の間に確立されてきたが、その双方向伝送の実証実験は未だなされていなかった。本論文では、地上-衛星間で実際に行われたレーザ通信実験の実証例を議論している。アップリンクの場合には、中心光軸から離れるに従いダウンリンクよりも大気ゆらぎの影響を大きく受ける。このとき、アップリンクのシンチレーションは誤差角度の2乗に比例して大きくなる。一方、ダウンリンクの場合には、中心光軸から離れるとガウスビームの強度プロファイル変化に応じて平均値は下がるが、光シンチレーションはほぼ一定である。弱い大気ゆらぎの条件下では、伝搬データには対数正規分布が適用でき、指向誤差の影響を加味した合成確率密度関数(PDF)を考慮すると、実測されたデータは理論により得られたPDFとよく一致した。これらの結果により、指向誤差を伴う場合の光波伝搬理論を本論文により実証している。

ランダム指向誤差尚存在下における狭ビームパタンの軌道上評価

衛星搭載レーザ送信器の狭ビーム送信光パタンの新しい評価方法について提案している。その評価方法は、衛星-地上間の伝搬路におけるダウンリンク変動データに関して、統計的な解析に基づいたものである。ダウンリンク光の場合、大気ゆらぎの擾乱媒質は受信側に近い部分にだけ存在するため、アップリンク光と比較して受信端において測定されるファーフィールドパタンを広げる効果は小さい。このため、送信ビームの指向誤差は、ダウンリンク光の受信光変動に対して支配的な誤差要因である。本提案方法には、指向誤差の影響が回線計算に含まれるよう考慮されており、仮に指向誤差と大気ゆらぎによる影響により、測定されるファーフィールドパタンが広がってしまっても、送信された元のビームプロファイルを評価することができる。評価の結果、地上でのビームパタン測定結果とよく一致していた。本結果は、指向誤差を伴った狭ビーム広がり角を持つ送信ビームを評価する際に広く適用できるもので、非常に有効な方法である。

光シンチレーションの時間平均効果

地上−衛星間の待機ゆらぎに起因する光信号変動の新たな時間特性を解析している。受信光信号のPDFは、ランダム指向誤差と大気ゆらぎの合成関数として得られる。信号の変動成分は、光センサの受信周波数帯域に依存しており、その変動量は積分型センサ(CCDなど)では小さくなるが、本論文ではこの変動量を時間平均効果として定量的に扱うことを可能にしている。ここでは、自己共分散関数の積分値として定義されたその指標を、時間平均ファクタとして初めて定義した。数msの相関時間をもつ受信信号の測定値に基づき、光信号の自己共分散関数の近似モデルを導出している。本結果は、CCDなどを用いた光追尾センサにおける回線設計において、フェード確率を評価する際に貢献するものである。

衛星微小振動外乱

衛星プラットフォーム上の光学システムの微小振動測定は、軌道上においていくつか行われた例はあるが、適当なデータベースを確立するほど多くはなされていない。本論文では、レーザ追尾実験において得られた微小角度振動のパワースペクトル密度により、軌道上における衛星プラットフォーム上の微小振動測定結果を報告している。レーザ通信ターミナルの光学追尾機能を用いて、精密な微小振動測定を実現した。この測定データは、確立された光通信リンクを用いて、世界で初めて伝送された高速サンプリングデータを用いている。本論文では、測定に基づいた新たなパワースペクトル密度関数が提案されており、将来の光通信システムにおける追尾制御ループの設計において有益なものである。

光学的な歪による軌道上相互アライメント誤差

軌道上における光通信システムは、とりわけ温度変化などの外部環境の変化に構造の歪として大きく影響を受ける。これまで、送受信共用の光学系を持つ光通信システムを用いた場合、同じ歪による収差が送受信光の指向誤差を生じさせるということは明らかにされていなかった。本論文では、光学的な歪みの影響を波面収差という量を用いて扱うことで、相互アライメント誤差として定量的に明らかにすることが出来た。送信ビームにガウスビーム、受信ビームに平面波を考慮し解析した結果、3次のコマ収差が一番大きな影響を持つことが明らかとなった。これは、光アンテナ設計において、コマ収差をなるべく小さくするよう注意を払う必要があることを意味している。また、実際に軌道上へ投入される光衛星間通信機器の光送信器の例について、相互アライメント誤差を算出し測定結果と比較している。本波面収差に対する特性は、波面精度を緩和した光アンテナの設計に貢献するものである。

ランダム指向誤差存在下における最適ビーム広がり角の導出

光通信システムを設計する際に一番の関心事は、システムが達成可能な追尾誤差に対して、光ビームの広がり角をどのように決めるかということである。本論文では、狭広がり角ビームと指向誤差に起因する受信光強度変動に対して、平均ビット誤り率(BER)特性という観点から初めて最適なビーム広がり角を明らかにしている。ビーム広がり角w0(1/e2)が指向誤差σ(rms)に対してw0/σ<12になると、指向誤差に起因する強度変動は平均BERに対して大きく影響する。一方で、ビーム広がり角を広くすると、受信器側で同じ照度にするためには広がり角の2乗で送信パワーが必要となる。よって、ビーム広がり角には最適値が存在し、たとえば、平均BER=10-9で はw0/σ=7.84が最適な値となる。これを平均BERを関数として、初めて最適な送信ビーム広がり角と指向誤差の関係式を示し、近似式で簡易に利用できるようにした。軌道上環境での指向誤差の最悪値を考慮することにより長期受信特性について評価でき、商用の衛星間通信回線設計にも適用可能な有用な結果である。

最適光通信回線の設計手法

宇宙空間における光通信及び大気を介する光通信の回線設計について、今まで最適な通信回線を設計する手法は提案されていなかった。本論文では、宇宙空間における指向誤差を伴う回線設計においては、通信回線に対し平均BERを最適にする回線設計が厳密に行えること示した。また、捕捉追尾回線に対しては、変動受信信号に対し、フェード及びサージ確率によるそれぞれのしきい値を考慮した回線設計の手法を提案している。さらに、大気を介する回線設計においては、アップリンクにおいてシンチレーションの影響を抑えるため複数の送信ビームを用いる方法について、マルチビーム利得という量を新たに導入し、ダウンリンクでは開口平均利得という量を新たに用いたことにより、光通信回線設計における取り扱いを簡略化した手法を提案している。大気ゆらぎが存在する場合、指向誤差の影響を抑えるためには、送信システムの指向誤差に対して7倍以上のビーム広がり角で送信すれば良いことを明らかにした。

以上のように、本論文では地上-衛星間及び衛星-衛星間における光波伝搬特性を明らかにし、光通信回線設計の方法論を述べた。しかし、地上-衛星間の光回線は雲などに遮断されるため、実際に実現するためにはサイトダイバーシチなどを用いて複数の光地上局で通信リンクを構成できるよう対策を講ずるという問題は残るが、その中で本論文は、大気ゆらぎと指向誤差を伴う場合の空間光通信の最適回線設計に寄与するところが少なくなく、空間光通信システムを最大限に稼動させるための設計指針を示すものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「Lightwave propagation in the presence of random turbulent media and pointing jitter in optical space communications(ランダムな擾乱媒質と指向誤差を伴う光宇宙通信における光波伝搬)」と題し、将来宇宙での使用が期待される空間光通信技術を確立することを目的として、非常に狭いレーザ光を送信した場合の光受信特性を、実際の光衛星回線を用いた実験結果に基づき統計的に解析し、さらに衛星−衛星間及び地上−衛星間の通信回線について解析の方法について論じている。全体で9章からなり、英文で書かれている。

第1章は「Introduction(序論)」であり、電波による通信システムと比較して空間光通信の本質的な違いが、波長が短いために送信レーザ光の広がり角を非常に狭くすることができる点及び大気ゆらぎと指向ジッタの影響を強く受ける点であることを述べ、内外で行われている光宇宙通信及び光波伝搬研究の歴史と現状から、本研究の位置付けと目的を明らかにし、更に各章内容の関係を述べている。

第2章は「Atmospheric turbulence(大気ゆらぎ)」と題し、大気の屈折率ゆらぎの擾乱がいかにレーザ光の空間伝搬に対して光シンチレーションとして影響するのかを、従来の研究成果に基づき説明している。特に大気ゆらぎのコヒーレンス長については、第8章で述べる地上−衛星間の光通信回線において重要な要素なので、解析の前提となる実測データを示している。

第3章は「Downlink lightwave propagation through atmospheric turbulence(大気を介したダウンリンク光波伝搬)」と題し、技術試験衛星VI型(ETS-VI)搭載の光通信基礎実験装置(LCE)の送信系を用いた測定データに基づき、衛星−地上間の大気を介したダウンリンクの光波伝搬特性について明らかにしている。ダウンリンクが、衛星における指向方向の誤差の影響を大きく受けることを測定と解析により明らかにし、光ビームの指向利得に対して、指向誤差を考慮したビームパタン評価方法を提案している。

第4章は「Uplink lightwave propagation through atmospheric turbulence(大気を介したアップリンク光波伝搬)」と題し、ETS-VI搭載のLCE受信系による測定データに基づき、地上−衛星間の大気を介したアップリンクの光波伝搬特性について明らかにしている。アップリンクにおいては、大気ゆらぎの影響が支配的であることを測定と解析により明らかにし、光シンチレーションの時間相関関数の工学的モデルを提案し、時間積分型受光素子における光シンチレーションの低減効果を明らかにしている。

第5章は「Micro-vibrational disturbance on satellites(衛星微小振動擾乱)」と題し、衛星搭載の光通信システムへ影響を及ぼす微小振動擾乱について、ETS-VIにおける軌道上での衛星微小振動特性を明らかにしている。また、振動データは衛星−地上間の光回線により伝送されたもので、目標追尾を高精度で維持しながらの振動データが取得されている。測定結果に基づく微小振動擾乱のパワースペクトルモデルが提案されている。

第6章は「In-orbit pointing error due to wavefront aberration(波面収差による軌道上追尾指向誤差)」と題し、送受信共用の光学系を持つ光通信システムにおいて、波面収差が変化する時の送受信光軸の間に起こるアライメント誤差を明らかにしている。その結果、3次のコマ収差が、送受信光軸のアライメント誤差に対して一番影響が大きいことを示し、波面収差に対する考察から、波面精度を緩和した光アンテナの設計法について明らかにしている。

第7章は「Laser beam propagation with pointing jitter in space(宇宙空間における指向誤差を伴う光波伝搬)」と題し、狭ビーム送信時の指向ジッタによる受信光強度変動に対して、平均BER特性を最小にする関係について明らかにし、その時の送信ビーム広がり角と指向誤差の関係式を提案している。軌道上における長期指向誤差を考慮することで、衛星間光通信回線におけるレーザ光の長期受信確率について検討でき、追尾精度を緩和したシステムの設計や、商用への通信回線の設計にも適用できる。

第8章は「Optical link design for space laser communications(空間光通信回線の設計手法)」と題し、宇宙空間と大気を介する光衛星間通信回線について、平均BER特性を最適にする回線設計手法を明らかにしている。衛星−衛星間の回線に対しては、指向ジッタによる時間変動に対しフェード及びサージ確率を考慮する。それに対し地上−衛星間では大気ゆらぎが存在するため、複数の送信ビームを用いて光シンチレーションの影響を軽減する方法を提案して、妥当な回線設計を得ている。

第9章は「Conclusion(結言)」であり、本研究で得られた成果をまとめるとともに、開発した設計手法が利用される応用分野を衛星通信の需要予測を含めて紹介し、光宇宙通信における将来の研究課題と展望について述べている。

以上を要するに本論文は、実測データに基づき、地上−衛星間及び衛星−衛星間の光波伝搬特性を明らかにし、光宇宙通信品質を規定する主要な諸量の定式化を提唱し光通信回線解析の方法論を論じたものであり、その結果変動する受信信号を統計的に取り扱い最適な光通信システムを設計することを可能となり、今後の衛星通信技術ならびに電子情報通信工学の発展に寄与するところが少なくない。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51181