学位論文要旨



No 215714
著者(漢字) 田代,卓哉
著者(英字)
著者(カナ) タシロ,タクヤ
標題(和) 生物活性を有する低分子天然物の化学合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 215714
報告番号 乙15714
学位授与日 2003.06.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15714号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

天然に存在する多くの生体機能分子の構造を疑問の余地なく解明することは、その化合物の活性発現機構の解明や医農薬への応用、全く新しい機能を有する化合物の創製等の目的から、大変重要である。近年では、様々な新分析技術の開発や進歩によって、0.05 mg の化合物が得られれば、その構造の推定が可能となっている。しかしながら、X 線結晶解析などの直接的な分析が行えない場合、即ち NMR や IR によって構造解析を行う場合は、そのような微量では不斉点の絶対立体配置の決定や、二重結合の幾何異性などを正しく決定することは困難である。

一般に、それら生体機能分子は極微量で非常に強い活性を示す反面、その存在量も少量である。そのために、応用研究は疎か構造解析研究に対してさえ、十分量の供給を天然からの単離だけに依存することは難しい。このような場合、構造解析によって得られた部分的な情報を基に推定構造が提出され、その構造を有する化合物を化学合成し、そして天然物と各種スペクトルを比較することにより構造を決定するという一連の手法は非常に有効である。また、化学合成は応用研究へ向けたサンプルの大量供給や、構造活性相関を目的とした類縁体の合成も可能である。そのような背景の下、本論文では、低分子天然物の絶対立体配置の決定を目的として合成研究を行った。

ネズミのフェロモンの合成

ネズミの尿中に含まれる二種類の揮発性化合物 2-sec-ブチル-4,5-ジヒドロチアゾール (1)、および 3,4-デヒドロ-exo-ブレビコミン (2) は、他の雄ネズミの攻撃性を誘発するフェロモンであることが 1984 年に報告された。これら二成分は、尿中に非常に高濃度で含まれるタンパク質 (Major Urinary Protein, MUP) と結合することによって活性を発現する。化合物 1 は非常にラセミ化し易いために、これまで天然物の絶対立体配置は不明であった。これを生物活性試験を通して決定することを目的とし、1996 年に Busacca らにより報告された温和な条件下でのチアゾリン環形成反応を用いて、アルコール 3 より導かれるエステル 4 の両鏡像体から、化合物 1 の両鏡像体をいずれも約 92% ee という高い鏡像体純度で合成することに成功した。また、この化合物の鏡像体純度の低下を抑えた保存条件の検討も行った。さらに、共力作用を示す化合物 2 を、活性試験へのサンプル提供を目的として合成した。既知化合物であるヨウ化物 (6) より導かれる 7 に対して Sharpless の不斉ジヒドロキシ化反応 (AD) を不斉点の導入に用い、その後官能基変換、分子内アセタール化反応を経て 2 を合成した。これらの合成品を用い、 MUP との親和性を測定する生物活性試験を行った結果、化合物 1 の天然物の絶対立体配置は S であることが示唆された。

サシチョウバエのフェロモンの合成

中南米を中心に深刻な被害をもたらしている風土病の一種であるリーシュマニア症は寄生原生虫 Leishmania sp. によって引き起こされる。この寄生原生虫はマラリア同様、媒介昆虫であるサシチョウバエ Lutzomyia sp. の刺咬によって伝播される。ブラジル、Jacobina 地方に生息するサシチョウバエ L. longipalpis の雄が放出する性フェロモンである化合物 3-メチル-α-ヒマチャレン (11) の天然物の相対立体配置は、森らの全ジアステレオマーのラセミ体合成によって 1999 年に明らかにされたが、絶対立体配置は不明であった。これを明らかにすることを目的として、光学活性体の合成を行った。既知アルデヒド 12 から誘導される 13 に対して不斉アルキル化反応を行った後、これをトリエノン 15 とし、分子内 Diels-Alder 反応により二環性ケトン 16 とした。求めるジアステレオマーを中圧液体カラムクロマトグラフィーによって分離した後、Tebbe 試薬を用いて exo-メチレン基を導入し、(1S,3S,7R)-11 を合成した。キラルな固定相を用いたガスクロマトグラフィーにより天然物と保持時間を比較し、11 の天然物の絶対立体配置が 1S,3S,7R であることを明らかとした。なお合成品の絶対立体配置は、中間体の誘導体 17 の X 線構造解析を行うことにより確認している。

また、コロンビアに生息するサシチョウバエ L. lichyi の雄が放出する性フェロモンの推定構造が、1999 年に提出された。推定構造 18、19、20 に対して全ジアステレオマー混合物をラセミ体として合成し、そのマススペクトルを報告されているものと比較したが一致しなかったことから、天然物の構造決定に何らかの誤りがあったことが示唆された。

オオツノコクヌストモドキの集合フェロモンの合成

貯蔵穀物害虫は、貯蔵中の小麦やトウモロコシなどの害虫として知られており、世界各地に生息する。貯蔵穀物は倉庫から出荷されて食用として供給されるまでの過程が短いために残留の可能性のある大規模な農薬散布ができず、またその害虫は体長が小さいことから、駆除が大変に困難である。そこで近年では、フェロモントラップを用いた発生予察と駆除が実用化されている。そのような背景の下、1998 年にオオツノコクヌストモドキの集合フェロモンの、相対立体配置を含めた推定構造が (+)-アコラジエン [(1R,4R,5S)-21] であると報告されたが、2001 年に立体構造に誤りがあることが、森らによる (1R,4R,5S)-21 の合成を通して示唆された。真の構造の決定を目的として他の立体異性体の合成を行った。(S)-Pulegone (22) より出発し、22 の一つの不斉点を足掛かりに三つの連続した不斉点を構築し、24 とした。官能基変換、分子内アルドール反応を経て、(1S,4R,5R)-21 を合成した。各種スペクトル、旋光度を比較することにより、天然物の絶対立体配置は報告されている構造のジアステレオマーである、1S,4R,5R であることが明らかとなった。

プラコサイド A の合成による絶対立体配置の決定

プラコサイド A (27) は、バハマ諸島東部のサンサルバドル島沿岸に生息する海綿の一種 Plakortis simplex より単離された、免疫抑制活性を有する化合物であり、大変特異な構造を有するガラクトシルセラミドである。構造研究 (1997 年) ならびに合成研究 (2000 年、2001 年) が行われているが、セラミド部位の脂肪酸側鎖上および炭素鎖上のシクロプロパン環の絶対立体配置は決定されていなかった。このような不斉点同士が遠く離れている化合物は NMR や HPLC 分析に於いてはジアステレオマー間で区別が付きにくく決定が困難である。そこで、天然物の絶対立体配置の決定を目的として天然物の再単離、分解反応を行い、得られたカルボン酸と東北大学 大類らにより開発された不斉誘導体化試薬 (28) とを縮合して誘導体とした。これを、絶対立体配置が既知であるカルボン酸の誘導体と -50 ℃ 下で HPLC 分析による比較を行うことにより、天然物の絶対立体配置が 2S,3R,11S,12R,2'''R,5'''Z,11'''S,12'''R であることを明らかにした。

以上、本論文では、生物活性を有する低分子天然物の化学合成に関する研究を行い、それにより不明であった天然物の絶対立体配置を明らかにするとともに、天然から微量にしか得られない生体機能分子の構造解析における有機合成の有用性を示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、合成化学的手法を用いた低分子生物活性天然物の構造決定に関するもので四章よりなる。近年の著しい分析技術の開発や進歩により、0.05 mg の化合物でも構造の推定が可能となった。しかしながら、X 線結晶解析などの直接的な分析が行えない場合、即ち NMR や MS によって構造解析を行う場合は、立体化学などの決定が不十分であることが多い。同時に化学合成は、応用研究へ向けたサンプルの大量供給や、構造活性相関を目的とした類縁体の合成も可能である。そのような背景の下、筆者は、低分子天然物の絶対立体配置の決定を目的として以下のような合成研究を行った。

まず序論にて研究の背景、意義について概説した後、第一章ではネズミの尿中に含まれ、他の雄ネズミの攻撃性を誘発するフェロモンである 1 および 2 の合成について述べている。これら二成分は、尿中に非常に高濃度で含まれるタンパク質 (MUP) と結合することによって活性を発現するが、1 は非常にラセミ化し易いために、これまで天然物の絶対立体配置は不明であった。これを生物活性試験を通して決定することを目的とし、1の両鏡像体を(S)-3 及び5より合成した。最終段階のチアゾール環形成反応では、反応条件を詳細に検討することで、ラセミ化を最小限に抑えることに成功した。また Sharpless の不斉ジヒドロキシ化反応 (AD) を用いて 2 を合成した。これらの合成品と MUP との親和性を測定した結果、化合物 1 の天然物の絶対立体配置は S であることが示唆された。

第二章では中南米を中心に深刻な被害をもたらしている風土病の一種、リーシュマニア症を媒介するサシチョウバエ Lutzomyia sp.の雄が放出する性フェロモン(6) の不斉合成による絶対立体配置決定について述べている。不斉反応で得た7から8を調製し、分子内 Diels-Alder 反応により二環性の骨格を組み上げた。得られた(1S,3S,7R)-6 と天然物との比較分析により、天然物の絶対立体配置は合成品と同じ 1S,3S,7R であることを明らかにした。さらに、コロンビアに生息するサシチョウバエ L. lichyi の雄が放出する性フェロモンの推定構造 9、10、11 について、全ジアステレオマー混合物をラセミ体として合成し、そのマススペクトルを報告されているものと比較したが一致しなかったことから、天然物の構造決定に何らかの誤りがあることを示した。

第三章では、貯蔵穀物害虫、オオツノコクヌストモドキの集合フェロモン(12)の合成について述べている。 (S)-Pulegone (13) より出発し、環縮小とアルキル化により14を得、 スピロ環形成を経て (1S,4R,5R)-12 を合成した。各種スペクトルと旋光度の比較により、天然物の絶対立体配置は報告されている構造のジアステレオマーである、1S,4R,5R であることを明らかにした。

第四章では、海綿の一種 Plakortis simplex より単離された免疫抑制活性物質、プラコサイド A (15) の二つのシクロプロパン環の絶対立体配置決定について述べている。従来極性官能基から遠く離れた部位の立体化学の決定は困難であったが、東北大学 大類らにより開発された分析法で決定することを考え、二つの炭素鎖から酸化的開裂で切り出したカルボン酸から不斉誘導体16, 17を調製した。これらのHPLC分析により、天然物の絶対立体配置が 2S,3R,11S,12R,2'''R,5'''Z,11'''S,12'''R であることを明らかにした。

以上、本論文は、生物活性を有する低分子天然物の化学合成に関する研究を行い、それにより不明であった天然物の絶対立体配置を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51183