学位論文要旨



No 215718
著者(漢字) 立川(川名),愛
著者(英字)
著者(カナ) タチカワ(カワナ),アイ
標題(和) ヒト免疫不全ウイルス1型に対する細胞傷害性T細胞の標的解析と解析法の開発
標題(洋)
報告番号 215718
報告番号 乙15718
学位授与日 2003.06.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15718号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 森本,幾夫
 東京大学 講師 三崎,義堅
内容要旨 要旨を表示する

ヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)感染において、細胞傷害性T細胞(CTL)による細胞性免疫がウイルスのコントロールに重要な働きを担っていると考えられている。しかしながら、非常に強いCTL応答が誘導される一方、HIV-1は感染個体から排除されることはなく、宿主免疫系はHIV-lに打ち勝つことができない。「ウイルス」対「宿主」の免疫応答の攻防について多くの研究がなされているが、現時点でも「なぜ宿主の免疫応答でHIV-1を完全に排除できないか、なぜごく一部の人しかウイルスのコントロールに成功しないか」という疑問に対する答えは出ていない。その主な原因の一部として、HIV-1の変異原性の高さと、免疫担当細胞の機能異常が考えられる。HIV-1はレトロウイルスであり、そのゲノム複製の過程で高頻度に核酸に変異が入る。またHIV-1は、宿主免疫において統御的な役割を担うCD4陽性T細胞に感染し、その多くを破壊するため他の免疫担当細胞も正しく機能していない可能性がある。

そこで本研究ではまず、ウイルスの変化、特にCTLによって認識される部分の変化を解析することによって、ウイルスがどのようにして宿主免疫の攻撃から逃れているのかを検討した。CTLはMHCクラスI分子によって提示された10アミノ酸前後の抗原ペプチド(エピトープ)を認識する。本研究の開始頃、HLA-B35によって提示される複数のエピトープが同定されていたため、その解析を行った。次いで、HIV-1特異的なCTLの機能解析を行うために、高感度に抗原特異的なCD8T細胞を検出することができるMHCクラスI/ペプチド複合体テトラマーの独自の作製法を考案した。動物細胞での高発現系であるセンダイウイルス(SeV)ベクターを用いて、MHCクラスI/ペプチド複合体を作製し、テトラマー化した。さらに同じSeVベクターを用いてHIV-1特異的な免疫応答を活性化できることを確認した。

HIV-1のHLA-B35拘束性CTLエピトープにおけるステレオタイプなアミノ酸変化の蓄積

HLA-B35陽性HIV-1感染者10名とHLA-B35陰性HIV-1感染者16名の血清から、RT-PCRによりHLA-B35によって提示される9ヶ所のエピトープを含むウイルスゲノムを増幅し、塩基配列を決定した上で、HIV-1 SF-2株の塩基配列と比較した。特にHLA-B35陽性者に関しては経時的な変化を見るために約1年間隔の2時点の血清に関して解析した。その結果、HLA-B35の陽性、陰性に関わらず高頻度に見られるアミノ酸変化と、HLA-B35陽性者に有意に高頻度に見られるアミノ酸変化が確認された。前者はHIV-1ゲノムの多型性を示すものと推定した。一方、HLA-B35陽性HIV-1感染者に有意に高頻度で、かつアミノ酸変化を伴うエピトープが3ヶ所存在した(B35-1、B35-2、B35-9)。B35-1では6番目のアスパラギン酸(D)からグルタミン酸(E)への変化(B35-1-D6E)、B35-2では3番目のDからEへの変化(B35-2-D3E)、B35-9では11番目のタイロシン(Y)からフェニルアラニン(F)への変化(B35-9-Y11F)がB35陽性者において高頻度に認められた。B35-1,B35-2,B35-9のエピトープはHLA-B35陽性者体内ではHLA-B35により提示され、その選択圧の下でB35-1-D6E, B35-2-D3E, B35-9-Y11Fを持つウイルスが何らかの有利な点を持ち、優位に増殖したと推測される。

B35-9-Y11Fについては、ペプチドのHLA-B35分子への結合や野生型のB35-9を認識するCTLクローンによる傷害性に異常が認められないことが既に報告されていたため、B35-1、B35-2に関して、特異的なCTLクローンによるB35-1-D6E、B35-2-D3Eの認識を検討した。B35-2-D3Eに関しては標的細胞としてB35-1-D6E、B35-2-D3EペプチドをパルスしたHLA-B35発現細胞と、B35-1-D6E、B35-2-D3Eを発現する組み換えワクチニアウイルスを感染させたHLA-B35発現細胞を用いた。その結果B35-2-D3EはB35-2特異的なCTLクローンによって認識されにくくなっていることがわかった。

また全てのエピトープに関して、1年間隔の2時点において調べた65組のエピトープのうち48組(73.8%)においてはアミノ酸に変化は見られなかった。その中にはCTLが存在するのにも関わらずまさにその配列を保持するHIVが主要な集団として存在するものがあった。この結果から生体内ではCTLによって認識されやすいエピトープとされにくいエピトープが存在し、たとえ特異的なCTLが存在していても、ウイルスを排除するに十分な機能を発揮していないことが示唆された。そこで私はHIV-1特異的CTLの精密な機能解析を行うために必須の分子であるMHCクラスIテトラマーの作製を試みた。

HIV-1のエピトープを提示するヒトMHCクラスI/ペプチド複合体発現系の構築とその応用

まずヒトのMHCクラスI分子の重鎖であるHLA-A*2402細胞外領域のC末端にビオチン付加配列とヒスチジンタグを持つ融合タンパク質(A24-BSPhis)を発現するSeVを作製した。次いで、HLA-A*2402によって提示されるHIV-1Nefタンパク質由来のエピトープ(Nef138-10)をリンカーを介してN末端に付加したβ2ミクログロブリン(Nef138-β2m)を発現するSeVを作製した。これら2つのウイルスを重感染させることによって、その感染細胞培養上清にA24-BSPhisとNef138-β2mからなる複合体(A24/Nef138-β2m)が分泌された。A24/Nef138-β2mをヒスチジンタグを用いて精製し、ビオチン付加後 streptavidin -PEと反応させることによって、A24/Nef138-β2m4量体(テトラマー)を作製することに成功した。A24/Nef138-β2mテトラマーを用いてNef138-10特異的なCTLクローンを特異的に染色できた。またHLA-A24陽性HIV-1感染者の末梢血単核球(PBMC)中のNef138-10特異的なCD8T細胞を高感度に検出することが可能であった。

さらにNef138-β2mを発現するSeVを用いて細胞表面上のHLA-A24分子による抗原提示を増強することを試みた。Nef138-β2mを発現するSeV感染細胞培養上清をパルスしたHLA-A24陽性細胞を標的細胞として、Nef138-10特異的なCTLクローンによる細胞傷害活性を測定した。その際、対照としてHLA-A*2402拘束性の他のHIV-1 Envタンパク質由来のエピトープ(Env584-11)を融合したβ2m(Env584-β2m)を発現するSeV感染細胞培養上清を用いてコントロールとした。その結果、Nef138-10特異的なCTLクローンはEnv584-β2mをパルスした標的細胞に対して細胞傷害活性を示さず、Nef138-β2mをパルスした細胞特異的に傷害した。また、その傷害活性は、より高濃度のNef138-10ペプチドをパルスした場合とほぼ同等であった。このことからNef138-β2mは細胞外から可溶性分子として細胞にパルスした場合MHCクラスI分子によって提示され、特異的なCTLによって認識され得ることが明らかになった。さらにNef138-β2mを発現するSeVをHLA-A24陽性の標的細胞に感染させ同様の実験を行ったところ、Nef138-β2m発現SeV感染細胞がNef138-10特異的CTLクローンによって特異的に傷害された。

このようにMHCクラスIを発現するSeVベクターを用いて1)抗原特異的なCD8陽性T細胞を高感度に検出できるテトラマーの作製が、2)エピトープを融合したβ2mを細胞外からパルス、もしくは、3)感染性ベクターとして用いることにより細胞表面のMHCクラスI分子上にそのエピトープを提示することが可能であることが明らかになった。以上から、このベクター系は解析法としてばかりでなく、遺伝子治療ベクターとして用いることができる可能性があることが示された。

本研究においてHIV-1感染個体内において、HIV-1はCTLによる選択圧を受けていると考えられる部位に有意に高頻度に特定のアミノ酸変化が生じていることがわかった。またエピトープ内の中の1箇所のアミノ酸変化によってCTLからの認識を逃れうることを示唆する結果を得た。また、CTLが存在しているにも関わらずそのエピトープを持つHIV-1が個体内で主要な集団として存在していることが明らかになった。このことは、HIV-1特異的なCTLが感染個体内で十分に機能していない可能性を示唆している。SeVベクターを用い、MHCクラスIテトラマーの作製に成功したので、今後HIV-1特異的なCD8T細胞の詳細な解析を行う予定である。

HIV-1感染において見られるCTLの機能不全やCD4T細胞の減少などに対して、免疫治療が有用かもしれない。SeVはヒトに病原性を示さない、宿主域が広い、導入された遺伝子の発現量が高い、非分裂細胞にも感染するなど、治療としての遺伝子導入に有用なベクターと考えられている。本研究で開発したエピトープを融合したβ2mを発現するSeVはHIV-1感染症に限らず、他の感染症や癌に対する免疫治療において抗原特異的なCD8T細胞に対する抗原提示を増強し、それらを活性化するために応用できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)感染における宿主免疫応答として細胞傷害性T細胞(CTL)に注目し、HIV1が感染固体から完全に排除され得ない原因の解明を試みた。さらにHIV-1特異的なCTLの詳細な検討を可能にするために、抗原特異的なT細胞を高感度に検出することのできるMHCクラスI/ペプチド複合体テトラマーの独自の作製法の開発を試みており、下記の結果を得ている。

HIV-1感染者血清を用いてHIV-1の中でCTLによる認識の標的となるHLAクラスI分子によって提示される部位(エピトープ)のアミノ酸配列を調べた。HLA-B35陽性の個体群と陰性の個体群に分け、HLA-B35によって提示され得る9ヶ所のエピトープ部位を含む領域のアミノ酸配列を決定した。その結果3ヶ所のエピトープにおいてHLA-B35陽性の個体に有意に高頻度に特定のアミノ酸の出現が見られた。

HLA-B35陽性者に特異的に高頻度に見られたエピトープ部位のアミノ酸配列に関してCTLクローンを用いて細胞傷害性試験を行った結果、CTLによる認識から逃れ得ることを確認した。

センダイウイルス(SeV)ベクターを用いてMHCクラスI/ペプチド複合体の発現系を構築し、それを用いてMHCクラスI/ペプチド複合体テトラマーの作製に成功した。エピトープとβ2ミクログロブリン(β2m)を融合タンパク質として発現させることによって真核細胞内でのMHCクラスI/ペプチド複合体の産生が可能になり、大腸菌の発現系を用いた従来の作製法よりも簡便に効率よくMHCクラスI/ペプチド複合体を作製することが可能になった。

さらにテトラマー作製に用いたエピトープ結合β2mを用いて、可溶化タンパク質として外来性に、またエピトープ結合β2mを発現するSeVを感染させることにより内因性に目的のエピトープを細胞表面のMHCクラスI分子に提示させることが可能になった。

以上、本論文はHIV-1感染においてHIV-1が宿主の免疫応答から逃れる機構の一つを明らかにし、さらにHIV-1特異的なCD8T細胞の詳細な検討に不可欠のMHCクラスI/ペプチド複合体テトラマーの作製と、免疫治療としての応用が期待される抗原提示法を同一のSeVベクターを用いて開発しており、今後のHIV-1感染症における研究、治療に有用であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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