学位論文要旨



No 215725
著者(漢字) 勝間,進
著者(英字)
著者(カナ) カツマ,ススム
標題(和) バキュロウイルスの多角体形成機構に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 215725
報告番号 乙15725
学位授与日 2003.07.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15725号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨 要旨を表示する

バキュロウイルスは、節足動物のみを宿主とするウイルスであり、大きさ90-180kbpの環状2本鎖DNAをゲノムとしている。その中には、130-150の遺伝子が含まれていると考えられている。バキュロウイルスには、核多角体病ウイルス(nucleopolyhedrovirus: NPV)と顆粒病ウイルス(granulovirus: GV)という2つのサブグループがあり、ともに感染末期になると多角体、あるいは顆粒体と呼ばれる包埋体を形成する。多角体は多数のウイルス粒子(occlusion derived virus; ODV)を極めて安定な状態で包理し、ウイルスの個体から個体への感染の単位となっている。この包埋体は、主に分子量約31,000のポリヘドリンと呼ばれるタンパク質の12量体が立法格子状に配列し、結晶化したものである。ポリヘドリン遺伝子(polh)はウイルスゲノム上にコードされ、その一次構造は多くのNPVにおいて既に決定されており、NPV間で非常に良く保存された遺伝子であることが明らかになっている。

多角体は、感染宿主が死亡した後、宿主体外に飛散し、自然界でNPVが伝播する単位となる。NPVが宿主に感染後、これらの過程を確実に進行させるためには、数々のステップを経なければならない。まず、感染後期において、polhを選択的に高発現することが必要である。また、合成されたポリヘドリンを速やかに核へ輸送する仕組み、その後のODVの包埋を伴う結晶化を成立させる機構が不可欠である。最終的には、多角体は感染個体外に放出されなければ個体間の感染は成立しないため、感染個体を溶解させるプロセスも必要となる。これらのステップは、すべてNPV伝播に必須の条件であるが、それぞれにおける分子機構については、解明されていない点が多い。

本研究は、多角体、及びODV形成に異常をもつBombyx mori NPV(BmNPV)を用いて、上記の各ステップにおける多角体、およびODVの形成に関与する遺伝子領域の同定を試みたものである。

多角体形態変異株の分子生物学的解析

多角体の形態変異株6株を単離し、分子生物学的解析を行った。単離した変異株6株の内訳は、多角体の結晶化が阻害された2株、多角体が不安定で細胞あたりの形成数も多様である1株、多角体が正6面体状を呈する変異株1株、多角体内にODVを全く包埋しない変異株1株、および多角体非形成変異体1株であった。解析した変異株すべてのpolhに塩基置換が認められ、そのうち多角体を形成した5株の変異は翻訳領域に、多角体非形成の1株の変異はプロモーター領域におこっていた。野生株のpolh領域をこれらの変異に置き換えた組換えウイルスを作出した結果、すべての株の形態変異は、polhにおける変異のみが原因であることが明らかになった。翻訳領域における塩基置換はすべてアミノ酸置換を伴うものであったことから、多角体の結晶化と形態形成がポリヘドリンの1次構造に大きく依存することが明らかになった。正6面体状の多角体を形成する変異株は、多角体形成数が少なく、多角体内に通常の1/3程度しかODVを含んでいなかったが、この株ではポリヘドリンの58番目と222番目の2箇所にアミノ酸置換が起きていた。多角体内にODVを全く包埋しない変異株は、野生株が形成する多角体と形態、大きさ、形成数において顕著な差異は認められなかったが、この株ではポリヘドリンの171番目のロイシンがプロリンに置換することによって、多角体内にODVを全く包埋しなくなっていることが判明した。一方、多角体の結晶化が阻害されている変異株2株のうち、ポリヘドリンの141番目のロイシンがフェニルアラニンに置換したものはポリヘドリンがODVと親和性を保持していたが、178番目のシステインがチロシンに置換してたものでは親和性が見られなかった。これらの結果から、ポリヘドリンの結晶化は、ODVの相互作用と直接関係せず、多角体の結晶化がODVを結晶核としなくても正常に行われることが示唆された。また、多角体非形成株を解析した結果、この株においては、polhプロモーターのコア領域の1塩基が置換することで、polhの転写がほぼ完全に阻害されていることが判明した。

ポリヘドリンの細胞内局在機構の解析

典型的な多角体を形成せず、感染細胞全体がポリヘドリンと思われる小片によって充満するBmNPV変異株を5株単離した。生化学的分画実験の結果、これらのウイルスが産生するポリヘドリンが、核と細胞質の両方に存在することが明らかになった。半定量的解析の結果、変異株間のポリヘドリンの細胞内局在にはかなりの差が存在することが判明した。マーカーレスキュー(相補性)実験により、その形態変異の原因がpolhの変異によるものであることを明らかにしたが、そのアミノ酸置換は既知の核移行シグナル配列(NLS)には起こっていなかった。これは、NLS以外に核移行に関与するアミノ酸残基を特定した最初の例であり、ポリヘドリンの核移行がNLSのみによる単純な機構によるものではないことを示している。また、これらの変異のすべてがpolhのNLSよりもC末端側でおこっていることから、この領域がポリヘドリンの核移行に重要な役割を果たしているという新知見を得ることができた。一方、電子顕微鏡観察によって、解析した5つの変異株が産生するポリヘドリンには結晶構造が見られないことも明らかになった。このことは、結晶化に関与するアミノ酸残基と核移行に関与するアミノ酸残基が共通していることを示している。これらのアミノ酸残基はポリヘドリンが高次構造を取る上で非常に重要な残基であり、ポリヘドリンの構造変化によって、核移行、さらには結晶化まで阻害されていると考えられた。

多角体形成数、及びエンベロープ形成に関与するウイルス遺伝子の機能解析

ODVの形成が不完全である変異株5株を単離し、原因と考えられる候補遺伝子の塩基配列を決定した。その結果、多角体形成数の減少に関与することが知られているfp(few polyhedra)にアミノ酸置換を伴う塩基置換を見出した。組換えウイルスの作出により、fpにおける変異がODV形成不全の原因であることが明らかになった。変異株5株のうち、fpの途中に終止コドンが生じていた変異株3株は、fp変異株に特徴的な多角体形成数の減少を示したが、1アミノ酸置換のみをもつ変異株2株の多角体形成数には、野生株と大差が見られなかった。ODVの形態異常の程度はすべての変異株において大差ないことから、fpの機能異常は多角体形成よりもODV形成の方により大きく影響することが示唆された。また、BmNPV fpをクローニング、構造解析を行い、fp欠損株(Bm25KD)を作成した。Bm25KDはfp変異株よりも短いfp産物を合成するが、この株における多角体形成数は変異株よりも顕著に少なかった。このことは、fp産物の大きさが形態変異の程度を決定していることを示すものである。次に、fpのin vivoでの機能を調べるために、これらのウイルスを昆虫個体に経皮感染させたところ、変異株に感染した個体は野生株に感染したものとは異なり、死亡後の虫体溶解が起こらず、その阻害の程度は多角体の形成数が少ない変異株ほど大きかった。そこで、感染個体の溶解の程度と多角体の産生量との関係を調べるためにfpがインタクトで、polhのみを欠損させたウイルスを感染させたところ、野生株の感染時と同様に死後の溶解が起こった。この結果から、感染個体の溶解は多角体の産生と直接関係しているのではなく、fp産物の働きによるものであることが明らかになった。感染個体の溶解にはウイルスがコードするシステインプロテアーゼ(v-cath)が関与していることが知られているため、fpがv-cathの発現に関与している可能性が考えられた。また、変異体の多角体を用いた経口感染実験の結果、fpはウイルスの経口感染に必須の遺伝子であり、ウイルスの水平伝播には必要不可欠な遺伝子であることが判明した。

本研究では、突然変異誘起剤を用いて作出したBmNPV変異株を用いて、多角体、およびODV形成に関与する遺伝子領域を同定した。多角体形成、および多角体へのODV包埋は、NPVの生存戦略の最大の特徴である。この分子機構の一端を明らかにした本研究結果は、バキュロウイルスの本質的機能の解明に繋がるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

節足動物のみを宿主とするバキュロウイルスは、大きさ90-180 kbpの環状2本鎖DNAをゲノムとし、130-150の遺伝子をもつ。バキュロウイルスのサブグループの一つである核多角体病ウイルス(nucleopolyhedrovirus: NPV)は、感染末期に多角体と呼ばれる包埋体を形成する。多角体は、ウイルスゲノム上にコードされたポリヘドリン遺伝子(polh)により作られた分子量約31,000のタンパク質であるポリヘドリンの12量体が立方格子状に結晶配列化したもので、多数のウイルス粒子(occlusion derived virus; ODV)を極めて安定な状態で包埋し、ウイルスの個体から個体への感染の単位となる。

多角体は、感染宿主が死亡した後、宿主体外に飛散し、自然界でNPVが伝播する単位となる。NPVが宿主に感染後、これらの過程を確実に進行させるためには、数々のステップを経なければならず、感染後期においては、polhを選択的に高発現することが必要であり、合成されたポリヘドリンを速やかに核へ輸送する仕組み、その後のODVの包埋を伴う結晶化を成立させる機構が不可欠である。最終的には、多角体を感染個体外に放出させるために、感染個体を溶解させるプロセスも必要となる。

本研究は、多角体及びODV形成に異常をもつBombyx mori NPV(BmNPV)を用いて、上記の各ステップにおける多角体及びODVの形成に関与する遺伝子領域の同定を試み、ウイルスの本質的機能を解明したもので、3章からなる。

多角体形態変異株の分子生物学的解析

多角体の形態変異株6株を単離し、分子生物学的解析を行った。解析した変異株すべてのpolhに塩基置換が認められ、そのうちの5株の変異は翻訳領域に、残りの1株の変異はプロモーター領域におこっていた。翻訳領域における塩基置換はすべてアミノ酸置換を伴うものであった。組換えウイルスの作出の結果、すべての株の形態変異は、polhにおける変異のみが原因であり、多角体の結晶化と形態形成がポリヘドリンの1次構造に大きく依存することが明らかになった。また、遺伝子解析の結果、ポリヘドリンの結晶化と、ODVとポリヘドリンの相互作用には直接関係がないことが明らかになり、多角体の結晶化がODVを結晶核としなくても正常に行われることが示唆された。また、多角体非形成株を解析した結果、polhプロモーターのコア領域の1塩基が置換することで、polhの転写がほぼ完全に阻害されていることが判明した。

ポリヘドリンの細胞内局在機構の解析

典型的な多角体を形成しないBmNPV変異株を5株を単離し、生化学的分画実験をした結果、これらのウイルスが産生するポリヘドリンが、核と細胞質の両方に存在することを明らかにした。マーカーレスキュー(相補性)実験により、その形態変異の原因がpolhの変異によるものであることを明らかにしたが、そのアミノ酸置換は既知の核移行シグナル配列(NLS)に起こってはいなかった。これは、NLS以外に核移行に関与するアミノ酸残基を特定した最初の例であり、ポリヘドリンの核移行がNLSのみによる単純な機構によるものではないことを示している。また、これらの変異のすべてがpolhのNLSよりもC末端側でおこっていることから、この領域がポリヘドリンの核移行に重要な役割を果たしているという新知見を得た。結晶化に関与するアミノ酸残基と核移行に関与するアミノ酸残基が共通していることを示している。

多角体形成数、及びエンベロープ形成に関与するBmNPV遺伝子の機能解析

ODVの形成が不完全である変異株5株を単離し、原因と考えられる候補遺伝子の塩基配列を決定した結果、多角体形成数の減少に関与するfp(few polyhedra)にアミノ酸置換を伴う塩基置換を見出し、fpにおける変異の構造解析からfpの機能異常は多角体形成よりもODV形成の方により大きく影響することを組換えウイルスを作出して明らかにした。

これらのウイルスを昆虫個体に経皮感染させたところ、変異株に感染した個体では、死亡後の虫体溶解が起こらず、その阻害の程度は多角体の形成数が少ない変異株ほど大きかった。また、fpが正常で、polhのみを欠損させたウイルスを感染させたところ、野生株の感染時と同様に死後の溶解が起こったことから、感染個体の溶解は多角体の産生と直接関係しているのではなく、fp産物の働きによるものであることが明らかになった。Fpはウイルスの経口感染に必須の遺伝子であり、ウイルスの水平伝播には必要不可欠な遺伝子であることを明らかにした。

以上要するに、本研究は、突然変異誘起剤を用いて作出したBmNPV変異株を用いて、NPVの生存戦略の最大の特徴である多角体、及びODV形成に関与する遺伝子領域を同定し、バキュロウイルスの本質的機能を解明したものであり、学術上また応用上きわめて価値あるものである。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/42869