学位論文要旨



No 215726
著者(漢字) 石田,真巳
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,マサミ
標題(和) Leader open reading frame を用いる好熱菌遺伝子の翻訳効率の改善
標題(洋)
報告番号 215726
報告番号 乙15726
学位授与日 2003.07.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15726号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 西山,真
 東京大学 助教授 日高,真誠
内容要旨 要旨を表示する

ゲノムDNAのGC含量が偏っている生物には、好熱菌、放線菌、古細菌、根粒菌など様々な有用微生物が含まれている。また、結核菌やハンセン病菌などの病原菌も含まれている。これら多種の微生物に関して、タンパク質科学や生物科学の基礎研究、産業への利用効率を上げるための育種研究、病気治療のための基礎医学研究などのために、遺伝子産物であるタンパク質を高効率で生産する意義は大きい。しかし、これらの生物由来のGC-リッチあるいはAT-リッチ遺伝子は、大腸菌での発現効率がしばしば低い。現在、様々な発現系が存在するが、大腸菌の系には、増殖が速い、培養が容易、安価であるなどの利点が多い。従来、こうしたGCバイアスのある遺伝子の大腸菌での低発現効率の原因として、コドン使用頻度が宿主のそれと異なること、そして、発現を阻害するような二次構造がmRNA上にできること(特にGCリッチ遺伝子の場合に多くみられる)が指摘されていた。しかし、反例が少なくないため、低発現効率の原因はこれらだけでは説明できず、そのために改善方法も不完全であった。そこで本研究では、GC-リッチな高度好熱菌Thermus thermophilus由来の数種遺伝子を主な研究材料として、大腸菌での発現効率が低い原因を明らかにし、発現効率の改善方法を作成することを目的とした。

Thermus thermophilus遺伝子の大腸菌内発現効率に与えるleader ORFの影響

T. thermophilus由来のleuB遺伝子、trpBA遺伝子を実験材料として、大腸菌内発現効率に影響する遺伝子構造を分析した。T. thermophilus由来の遺伝子には共通してAGG、CGGを始めとする大腸菌にとってのレアコドンが頻繁に使用されている。leuB遺伝子は、好熱菌由来の5´非コード領域を一緒に組み込むか否かで発現効率が変化したため、発現効率に影響する構造を調べるモデルとして選んだ。leuB遺伝子の5´非コード領域を分析した結果、leader open reading frame (leader ORF) と名付けた別のORFが存在するとleuB遺伝子の発現効率が顕著に増加することが見出された。leader ORFの開始コドンを点変異で破壊すると、下流leuB遺伝子の発現は激減した。また、leuB遺伝子の発現効率は、leader ORFの長さが短い方が高く、leader ORFと好熱菌ORFの間の距離が短い方が高かった。leuB遺伝子の翻訳開始部位には、翻訳開始を阻害すると思われるmRNAの二次構造が検出されたが、この二次構造を破壊するよりもleader ORFを導入する方が発現効率は高くなった。また、好熱菌leuB遺伝子とレポーターcat遺伝子の発現比較から、leader ORFが存在しても好熱菌遺伝子の転写効率は増加しないこと、プロモーター強度を上げるとcat遺伝子の発現は上がるが、好熱菌遺伝子の発現は上がらないことを確認した。そして、leader ORFとしてcat ORFを好熱菌leuB ORFの上流、下流に挿入し、上流に挿入した場合だけ好熱菌遺伝子の発現効率が上がることを明らかにした。さらに、T. thermophilus trpBA遺伝子の発現効率もleader ORFで向上することを確認した。これらの実験結果から、leader ORFは下流好熱菌ORFの翻訳開始効率を上げる作用があると判断した。

発現向上効果が大きなleader ORFの構造

leader ORFと好熱菌ORFとの間の距離や重複が発現効率に及ぼす影響を明らかにするため、T. thermophilus polA遺伝子に以下のような間隔で36 bpのleader ORFを導入した。leader ORF とpolA ORFとの間隔を10 bpまたは2 bp開けたもの、leader ORF とpolA ORFとを1塩基重複(TGATGモチーフ)または4塩基重複(ATGAモチーフ)させたものである。好熱菌遺伝子の発現効率を比較した結果、1塩基重複または4塩基重複させると発現効率の上昇が著しく、このことから、leader ORFは翻訳カップリング機構で下流好熱菌ORFの翻訳開始効率を向上させると推定した。T. thermophilus leuB遺伝子の場合には、leuB開始コドンから数百bp上流に離れたleader ORFにも発現向上効果が認められたが、polA遺伝子の場合と同様のATGAモチーフでleader ORF を重複させた方が発現効率は大きく向上した。

次に、遺伝子産物がα2β2複合体であるトリプトファン合成酵素をコードするtrpA(αサブユニット)及びtrpB(βサブユニット)遺伝子の、leader ORF存在下での発現効率を調べた。その結果、trpB遺伝子からは多量の産物が生産されたのに対して、trpA遺伝子からは僅かしか生産されなかった。そこで、leader ORFとtrpA ORFの接続部分周辺の塩基配列を変異させ、発現効率との関係を調べた。その結果、leader ORFの後半部分のAT含量が高いほど下流trpA遺伝子の発現効率が上がることが分かった。また、trpA遺伝子のリボソーム結合配列として、leader ORF内部にAGGコドンがあると発現効率が向上した。leader ORFの改良によって好熱菌trpA遺伝子の発現は改善されたが、leuB、trpBなど他の遺伝子に比べると、trpA遺伝子の発現効率は相対的に低く、その原因は解明できなかった。以上の結果を総合し、下流好熱菌ORFの翻訳効率を上げる効果が大きいleader ORFとして、(1)前半部分を翻訳開始効率の高い大腸菌遺伝子と同じ配列にし、(2)内部にAGGコドンを含むリボソーム結合配列を置き、(3)後半部分のAT含量を高くし、(4)終点を好熱菌ORFと1塩基または4塩基重複させる、という詳細な構造を明らかにした。

重複型leader ORFを用いるT. thermophilusタンパク質の大量生産

上記の重複型leader ORFによる発現向上効果を実証するため、この構造をT. thermophilus由来の数種耐熱タンパク質の生産に適用した。先ず、leuB遺伝子がコードする3-イソプロピルリンゴ酸脱水素酵素(以下IPMDH)を実験材料とした。その結果、強力なプロモーターの下流に、前半を大腸菌lacZ(αペプチド)の翻訳開始領域と同じ配列にした全長36 bpの重複型leader ORFを置き、その下流にleuBコード領域を置くと、最も生産効率が上がった。次に、このような上流構造を簡便に導入する方法を以下の様に考案した。lacZコード領域内に外来遺伝子のクローニング部位があるpUC系プラスミドをベクターとする。これによって、lacプロモーターからleader ORFの前半(lacZ)の領域は、ベクターの配列を使うことができる。pUCベクターに目的遺伝子のコード領域を挿入し、PCR介在オリゴヌクレオチド指定変異によって重複型leader ORFの後半を導入すれば、目的の構造が完成する。この方法をT. thermophilus由来のpfk1遺伝子がコードするホスホフルクトキナーゼ1(以下PFK1)、atpA遺伝子がコードするV-ATPase Aサブユニット、及び、atpB遺伝子がコードするV-ATPase Bサブユニットの生産に適用し、各タンパク質が高効率で生産されることを確認した。ここで、PFK1及びV-ATPase BサブユニットはIPMDHとほぼ同レベルで生産されたのに対し、V-ATPase Aサブユニットの生産量は顕著に多かった。しかし、塩基配列の分析からは、Aサブユニットの生産効率が特に高い原因は分からなかった。重複型leader ORFの導入方法をさらに簡便にして適用範囲を広げるため、高発現化に必要な構造を組み込んだ発現ベクタープラスミドを試作した。

超好熱古細菌Pyrococcus furiosusのAT-リッチ遺伝子の大量発現

AT-リッチな超好熱古細菌Pyrococcus furiosusからtrpA及びtrpB遺伝子をクローニングし、大量発現のためにleader ORFを導入した。trpA、trpB両遺伝子は、P. furiosusゲノムDNAからPCR介在法で大腸菌にクローン化し、各々の塩基配列(trpA 747 bp、trpB 1,167 bp)を決定した。コドン使用頻度はAT側に偏っており、両遺伝子ともにAUA、AGR、CUAなど大腸菌にとってのレアコドンが頻繁に使用されていた。次に、lacZコード領域を欠くpUCベクタープラスミドに各超好熱菌コード領域を挿入したところ、αサブユニットに比してβサブユニットの生産量が著しく少なかった。そこで、第4章と同じ方法でP. furiosus trpB遺伝子に重複型leader ORFを導入したところ、βサブユニットの生産量が10倍以上に向上した。この結果から、ATリッチな遺伝子にも大腸菌で翻訳開始効率が低いものがあり、重複型leader ORFの導入によって発現効率が改善され得ると判断した。

まとめ

本研究において、重複型leader ORFという構造が翻訳カップリングを通じてGC-リッチな高度好熱菌T. thermophilus由来遺伝子の大腸菌内発現効率を著しく改善することを明らかにした。また、AT-リッチな超好熱古細菌P. furiosus由来trpB遺伝子の発現も、同じ構造の導入によって改善されること確認した。これらのことから、GCバイアスのある遺伝子の大腸菌内発現には、翻訳開始効率が重要なネックになっていると考えられた。そして、従来、指摘されていた宿主に対するレアコドンが発現効率に及ぼす悪影響は翻訳開始効率の影響に比べて小さいと推測された。これらの結果に基づいて、重複型leader ORFの簡便な導入方法を考案し、実際に数種の好熱菌タンパク質に適用して大量生産させた。市販の発現系の多くは転写効率の向上を主な作用点としている。それに対して本研究で考案した翻訳効率、を改善する方法は、従来の発現系の欠点を補い、GCバイアスのある有用生物の遺伝子を大腸菌で大量発現させるために役立つと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

ゲノムDNAのGC含量が偏っている生物には、好熱菌、放線菌、古細菌、根粒菌などの有用微生物や、結核菌やハンセン病菌などの病原微生物が含まれている。これらの微生物由来の遺伝子は組換え体大腸菌での発現効率がしばしば低い。従来、低発現の原因はコドン使用頻度の違いやmRNAの二次構造形成のためとされていたが反例は多い。しかし他の原因が報告されている訳ではなく一般的原因は不明である。申請者は、この低発現の原因を解明し、一般的な改善方法を得ることを目的として研究を行った。

第1章(序論)では、GC含量が偏っている生物や大腸菌における遺伝子発現についてこれまでの知見をまとめ、本研究の目的を述べている。第2章では、ゲノムがGC-リッチな高度好熱菌Thermus thermophilus由来のleuB遺伝子を主な実験材料として、大腸菌内発現効率に影響する遺伝子構造を検討している。発現効率が良い組換えプラスミド上のleuB遺伝子には、5´非コード領域にleader open reading frame (leader ORF) と名付けた別のORFを生じていることを発見した。leader ORFの開始コドンを破壊したり、leader ORFの終点をleuB-開始コドンより下流に置いたり、leader ORFをleuBの下流に配置したりするとleuB遺伝子は発現しなくなった。翻訳開始に阻害的に働くmRNAの二次構造を破壊するよりもleader ORFを導入する方がleuB遺伝子の発現向上には遙かに効果的だった。また、クローン化したT. thermophilus trpBA遺伝子の発現もleader ORFによって向上した。さらに、cat 遺伝子をレポーターとする分析や、リアルタイム定量PCRによるmRNAの直接定量を行った結果、leuB遺伝子の転写量は翻訳産物の量に直接反映されないことが判明した。これらの結果から、好熱菌遺伝子は大腸菌での翻訳開始効率が低く、leader ORFには好熱菌ORFの翻訳開始効率を上げる作用があると判断された。

第3章では、T. thermophilus由来polA遺伝子、及び天然の遺伝子クラスターである同菌由来trpBA遺伝子を試料として、発現効率を上げるleader ORFの詳細な構造を検討している。leader ORFとpolA-ORFの間隔を数塩基以上開けることよりも、1塩基重複または4塩基重複させる方が好熱菌遺伝子の発現効率が増加したことから、これらの重複が翻訳カップリング効率を向上させると推定した。trpBA遺伝子領域に重複型leader ORFを導入した場合、trpB遺伝子は高効率で発現したがtrpA遺伝子はその数%しか発現しなかった。そこで、leader ORFとtrpAの重複部周辺の塩基配列を様々に変異させてtrpA遺伝子の発現効率への影響を調べた。それらの結果から、好熱菌ORFの翻訳効率を上げる効果が大きいleader ORFとして、(1)前半部分をlacZ等大腸菌での翻訳開始効率が高い遺伝子と同じ配列にし、(2)内部にAGGを含むリボソーム結合配列を置き、(3)後半部分のAT含量を高くし、(4)終点を下流ORFと1塩基または4塩基重複させる、という設計を提案した。

第4章及び第5章では、第3章で得られた設計の重複型leader ORFを好熱菌タンパク質の大量生産に適用している。T. thermophilus由来の3-イソプロピルリンゴ酸脱水素酵素、ホスホフルクトキナーゼ1、V1-ATPase Aサブユニット、及び、V1-ATPase Bサブユニットの大腸菌での生産を試みた。その結果、この4種とも本方法によって効率よく生産されることが実証された。続いて、ゲノムがAT-リッチな超好熱古細菌Pyrococcus furiosus由来のtrpBA遺伝子がコードするトリプトファン合成酵素サブユニットに同方法を適用した。その結果、両遺伝子からの生産量が上がり、特にtrpB遺伝子からの生産量はleader ORFの導入により12倍以上に上がった。このことから、GCリッチ遺伝子のみでなく広範な遺伝子において大腸菌内の翻訳開始効率の低いものがあり、そのような遺伝子の発現効率は、重複型leader ORFの導入によって改善されうると推定された。また、これらの適用例を通じて、pUC系などの汎用ベクターを用いる簡便な重複型leader ORFの導入方法を提案し、さらに適用範囲を広げるための発現ベクタープラスミドを試作した。第6章(総括)では、本研究で得られた新知見をまとめ、研究の展望を述べている。

以上本論文は、これまで発現効率の低い原因が分からなかったGCリッチあるいはATリッチ遺伝子の大腸菌内発現では、翻訳開始効率が重要なネックになっていることを示し、その改善方法として重複型leader ORFの有効性を実証し、さらに必要な構造を導入する簡便法の提案や発現ベクター作製に及んだもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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