学位論文要旨



No 215727
著者(漢字) 岸,幹也
著者(英字)
著者(カナ) キシ,ミキヤ
標題(和) ラット有郭乳頭味蕾の初代培養細胞系の確立およびその細胞生理学的性質の解析
標題(洋)
報告番号 215727
報告番号 乙15727
学位授与日 2003.07.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15727号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

食物に含まれる化学物質の性質は、五感の1つである味覚系によって感知される。味覚系は、この化学情報を脳に伝え、短期的(飲み込むか否か)および長期的(好き嫌い)なスパンで摂食・摂餌行動に反映される。味覚系の感覚組織は、味蕾であり、哺乳類では口腔内、主として、舌上の乳頭内に分布している。味蕾は、数十個から百個程度の細胞が集まった組織であり、上皮系の細胞系譜に属する味蕾の細胞は2週間程度でターンオーバーしている。味蕾細胞のうち約30%が実際に味を感じる感覚細胞、味細胞である。その他の約70%の細胞には、支持細胞などの味蕾の構造や補助的な機能を持つもののほか、分化途中の細胞が含まれる。最近の研究から、味の受容機構、特に、苦味と甘味・旨味の受容機構が解明され、長年、不明な点が多かった味覚の分子的な側面を知ることが出来つつあり、同じように化学物質を感知する嗅覚系の先行研究に迫った感がある。しかし、味蕾という組織、味蕾を構成する細胞の生理学的・生化学的知見に関しては、嗅神経細胞を含む嗅上皮を構成する細胞に関する知見に比べて著しく遅れている。特に、試験管内の培養系については、嗅覚系では初代培養細胞のほか、株化細胞も確立されているのに対して、味覚系では、いくつかの試みはあるものの、ほとんど実際的に味覚研究に用いることができるものはないと云ってよい。

そこで、本研究では、味受容と味覚伝達機構の解析系の構築と試験管内での味蕾細胞の特性・機能解明をめざして、味蕾細胞の初代培養系の確立を行った。具体的には、まず、成熟した、すなわち、味覚受容機能が確立した味蕾細胞の培養系を構築するにあたり、培養法に関連した接着分子の解析からはじめ、味蕾の単離方法と培養条件を検討した。さらに、味蕾細胞の分子マーカーを指標に培養した味蕾細胞の性質を解析した(第1章)。次に、培養系を確立する過程で見出した味蕾細胞の2つの特性、すなわち、培養ディッシュのコート剤と細胞外カルシウムイオン環境が培養味蕾細胞の細胞形態・細胞接着に与える影響に関して解析した(第2章)。最後に、このように確立した初代培養に対して、遺伝子導入を行う方法論を検討して、最終的にアデノウィルスベクターを用いた高効率の外来遺伝子導入法を確立すると共に、遺伝子導入によって生じた細胞生理応答の変化を解析した(第3章)。

味蕾細胞の初代培養方法の確立

味蕾細胞は、周辺の上皮細胞に比べて大きく、紡錘形に伸びた形態をとる細胞が多くを占めている。紡錘形の細胞は、先端を味孔と呼ぱれる口腔に接する部分にのばし、味物質の受容の場を作る一方、基底膜にも接着している。また、味蕾は、周辺上皮とは構造的にも容易に区別でき、蕾型の構造の中で互いに細胞同士が接して存在している。そこで、まず、有郭乳頭味蕾の基底膜の存在と味蕾細胞の関係の解析を免疫組織染色法により行った。その結果、コラーゲンタイプIVとβ2とγ1サブユニットを含むラミニン分子種を構成成分として持つ基底膜が有郭乳頭味蕾の基底部に存在し、味蕾細胞と接していることが明らかになった。この情報を基に、ラミニンとコラーゲンタイプIVを主要な構成分子として含む再構成基底膜マトリジェルをコーティングしたディッシュを用いて、複数種の培地中で単離した味蕾を培養した結果、個々の細胞を認識できる状態で味蕾細胞を培養できる条件を見出した。

この条件下における培養味蕾細胞の経時変化、および、味蕾細胞および味細胞のマーカー遺伝子の発現を検討した。その結果、培養後、2日以上に渡って高い生存性を有していた。また、すべての味蕾細胞で発現するサイトケラチン8は高頻度で発現しており、味細胞マーカーであるPLC-β2は一定頻度で発現していた。さらに、PLC-β2はIP3R3と共発現し、この2分子を発現する味細胞の一部ではさらにGgustも発現しているという、in vivoと同じ発現相関が見られた。すなわち、以上によって味蕾細胞の特徴を備えた初代培養細胞系を確立することが出来た。

初代培養味蕾細胞の細胞生理学的性質の解析

上記の培養系の確立に当たって、特筆すべき味蕾細胞特有の細胞生理学的現象を2つ見出したので詳細に検討した。1つ目は、単離味蕾細胞の接着性と接着因子の関係である。味蕾細胞は、様々なディッシュのコート剤の中で、最もよく接着したマトリジェル以外に、ラミニン、コラーゲンという基底膜成分に接着性を持っていた。また、フィブロネクチンをコートしたディッシュにも比較的よく接着したが、これは、フィブロネクチンをリガンドとするインテグリンが味蕾細胞に発現している可能性を示している。

2つ目の特性として、培養液に含まれるカルシウムイオンの濃度が細胞形態に大きな影響を与えることを見出したので、詳細に検討した。その結果、0.05mM以下のカルシウムイオン濃度では、ディッシュへの接着も細胞間の接着も著しく弱いこと、0.15mM程度では、ディッシュへの接着は適度にあり、また、緩やかな細胞間接着も見られること、さらに、0.5mM以上では、細胞間の接着が強く、細胞がパックした状態でディッシュ上に接着することがわかった。また、こうした形態は可逆的であって、カルシウムイオン濃度を培養中に変化させることによって、細胞接着の様子は相互変換することがわかった。さらに、こうした味蕾細胞への影響は、カルシウムイオンに特異的であり、他の2価イオンでは代替できないことがわかった。したがって、味蕾細胞の接着や形態には、細胞外カルシウムイオンが大きな役割を持っていることが推測された。

味蕾細胞、特に、味細胞の細胞生理や味覚機能の解明には、内在する機能を阻害したり、新たな機能を付加したりして解析することが必要である。そのため、外来遺伝子の導入は必須の方法論である。ここでは、まず、様々な遺伝子導入法CMVプロモーター支配下のGFP発現コンストラクトを用いて検討した。その結果、一般的に用いられているリン酸カルシウム法や電気穿孔法などの遺伝子導入法を味蕾培養細胞系に対して適用した場合には、いずれも導入頻度が低く、アデノウィルスベクター系を用いたときにのみ、効率90%以上で外来遺伝子を導入することに成功した。次に、ホスホイノシタイド分解−細胞内カルシウムイオン濃度上昇が味覚伝達系の中心であることを考慮して、これと同じように細胞内カルシウムイオン濃度上昇の細胞応答を引き起こすα1アドレナリン受容体発現コンストラクトをアデノウィルスベクターを用いて導入し、導入細胞の細胞内カルシウムイオン濃度のリガンド(アドレナリン)応答性を観察した。その結果、導入細胞の約50%においてリガンドに応答した細胞内カルシウムイオン濃度の上昇が観察された。また、リガンド未添加時において細胞内カルシウムイオン濃度が高い細胞ほど、応答性が高い傾向はあったが、応答性と味細胞マーカーとの存在には余り相関が見られなかった。

以上の結果から、本研究で確立した味蕾初代培養細胞に外来遺伝子を高頻度で導入するベクター系を構築した。今後、味細胞を含む味蕾細胞の解析とその応用を行うために有用な実験系となることが期待される。

本研究によって、これまでは非常に遅れていた味蕾細胞の初代培養系の確立、その性質の解析、および、遺伝子導入系の構築を行った。本研究は、これまで立ち後れていた味蕾細胞の培養に関して新たな可能性を提示したほか、味蕾細胞および味覚研究に新たな解析法とその展望を与えたものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

味覚の研究は、近年になって味覚受容体の発見など著しい進展がみられる。しかし、味覚器である味蕾を構成する細胞の生理学的・生化学的知見に関しては、多くの不明な点が残されている。本論文は、味受容と味覚伝達機構の解析系の構築と試験管内での味蕾細胞の特性・機能解明をめざして、味蕾細胞の初代培養系を確立し、この系における細胞生理学的性質の解析を行い、遺伝子導入による形質変換が可能であることを初めて示した。

本論文は、序章に続いて以下に概説する1章〜3章で構成される。

第1章は、味蕾細胞の初代培養方法の確立について述べている。細胞培養に重要な接着因子の解析を端緒として、味蕾の単離方法と培養液の検討を行い、2日以上に亘って高い生存性を有する培養方法を確立した。味蕾細胞マーカーであるサイトケラチン8は、この方法で培養した味蕾細胞でも全ての細胞で発現しており、味細胞マーカーであるホスホリパーゼ(PL)C-β2は一定頻度で発現していた。また、PLC-β2は3型イノシトール三リン酸受容体と共発現し、この一部では味覚特異的Gタンパク質であるガストデューシンを発現しており、in vivoにおける味蕾細胞と同一の発現相関が見られた。以上、味蕾細胞の特徴を備えた初代培養細胞系を確立した。

第2章では、上記の培養系の確立に当たって、特筆すべき2つの味蕾細胞特有の細胞生理学的現象を詳細に検討した結果を述べている。まず、単離味蕾細胞の接着性と接着因子の関係について、最も接着性の高いマトリジェル以外にも、ラミニンやフィブロネクチンという単独の細胞外マトリクス成分に接着性を示し、これらをリガンドとするインテグリン受容体が味蕾細胞に発現している可能性が予想された。また、培養液中のカルシウムイオン濃度が細胞形態と接着性に対して与える影響について詳細に検討し、低カルシウムイオン条件下では細胞間接着性は著しく弱く細胞は広がった形態を示すこと、また、高カルシウムイオン条件下では細胞間接着性が強く塊状の形態をとることがわかった。さらに、こうした性質は可逆的であること、そして、カルシウムイオンに特異的であることがわかった。したがって、味蕾細胞の接着や形態には、細胞外カルシウムイオンが大きな役割を持っていることが推測された。

第3章の研究においては、細胞内において機能分子を発現させることができれば味細胞を含む味蕾細胞の解析とその応用を行うために有用な実験系となると考え、初代培養味蕾細胞に遺伝子導入を行う方法を検索し、これを確立した。複数の遺伝子導入方法を試みた結果、アデノウィルスベクター系を用いたときにのみ、効率90%以上で外来遺伝子を導入することに成功した。次に、機能的遺伝子として味覚受容体と同様に細胞内カルシウムイオン濃度上昇の細胞応答を引き起こすα1アドレナリン受容体をアデノウィルスにより導入し、導入細胞の細胞内カルシウムイオン濃度のリガンド応答性を観察した。その結果、遺伝子が導入された細胞の約50%においてリガンドに応答した細胞内カルシウムイオン濃度の上昇が観察され、遺伝子導入によって発現した分子が機能的であることが示された。

以上、本論文は、これまでは非常に遅れていた味蕾細胞の培養を可能にしたほか、味蕾細胞および味覚研究に新たな解析法とその展望を与えたものであり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク