学位論文要旨



No 215729
著者(漢字) 岡村,寛
著者(英字)
著者(カナ) オカムラ,ヒロシ
標題(和) 海産哺乳類を中心とした生態系モデリングのための数理統計学的研究
標題(洋)
報告番号 215729
報告番号 乙15729
学位授与日 2003.07.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15729号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 教授 宮崎,信之
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 松田,裕之
 (独)水産総合研究センター 室長 加藤,秀弘
内容要旨 要旨を表示する

緒言

多くの鯨類のように,高度回遊性を持ち,飼育の困難な生物の正確な資源状態を知ることは容易ではない。一方で近年,単一種に基づいた生物種の管理の限界が認識され,生態系全体を考慮した資源評価・管理への需要が高まってきている。生態系を考慮したアプローチでは,各生物の資源状態をできるだけ正確で精度良く把握する必要がある。

不確実性の大きいデータから効率よく情報を引き出し,生物資源の状態を正しく把握するためには,統計モデルの活用が重要となる。本論文では,鯨類を中心として,統計モデルを用いた分布・系群の把握,個体数の評価を行う方法の開発を行う。また,飼育下の鰭脚類の実験データを使用して,食性・嗜好性の分析モデルの開発を行う。さらに,生態系モデルを用いて,鯨類と漁業の競合関係の検証を試みる。

本論文の構成は次の通りである。第1章では,過去の海産哺乳類の資源評価・管理の歴史と現状,および近年の水産資源に対する生態系モデル研究の概要を述べる。第2章では,鯨類資源の分布・系群構造把握のための共変量モデルの開発と北太平洋ミンククジラへの適用について述べる。第3章では,目視調査線上の見落とし率の補正を含む新しい個体数推定法の開発を行い,シミュレーションや実際のデータへの適用により本方法の有効性を確認する。第4章では,鰭脚類の実験データから,定量的に動物の嗜好性を調べる方法の開発を行う。第5章では,生態系モデル(エコパス・エコシム)を三陸生態系に適用し,鯨類と漁業の競合関係の検証を行う。最後に,第6章において,本論文で開発した統計モデルの長所・短所,生態系モデル開発の重要性および将来の展望について議論する。

分布・系群構造の解明と回帰モデル

生物の生息域,回遊,系群の情報を得ることは個体群管理・生態系モデル構築の上で非常に重要である。大型ヒゲクジラ類資源の場合,国際捕鯨委員会で承認された管理モデルの中で系群構造の仮定により捕獲が生物資源に与える結果は大きく変わることが知られている。本章では,一般化線形モデル・一般化加法モデルに基づく回帰モデルが生物の時空間分布構造のような複雑な現象のモデル化に有効であることを指摘し,空間的により柔軟な解析を可能とする一般化加法モデルを基に鯨類の密度の分布パターンの情報を目視データから得る方法を開発した。

北太平洋ミンククジラの密度の空間的な分布,季節的な変動を推定した結果,複数系群が存在するという証拠は得られなかった。密度の季節変動は,ミンククジラの回遊の様子をよく再現しており,本方法の有効性が確認された。

回帰モデルを利用した時空間分布の把握は,他の水産資源の分布・回遊の把握にも有効に働くと考えられ,本方法を広く水産生物の動態の分析に応用することが可能である。

目視調査からの個体数推定

ライントランセクト法は,鯨類の個体数推定の標準的な方法であり,鯨類をはじめとする海産哺乳類の資源評価において頻繁に用いられてきた。従来のライントランセクト法では調査線上の発見確率は1(g(0) = 1)であるという仮定が必要で,海産哺乳類の個体数推定における最も重要な問題として扱われてきた。鯨類資源の場合,潜水浮上行動を繰り返し,浮上した時のみ発見することが可能であるので,特に発見の難しい鯨類ではg(0) = 1という仮定はしばしば破れることが想定される。この仮定が成立しなければ個体数は過小推定されるので,g(0)の推定は個体数の正確な把握のために重要な問題である。個体数を過小推定することは管理のためには安全であるが,捕食者の過小推定は餌種へのインパクトを過小推定することになり,生態系アプローチでは問題となる。従来のg(0) 推定法では,発見したクジラの追跡などの調査デザインの変更や,潜水時間に関する外部データの必要性,情報の不完全な使用,近似尤度の使用などいくつかの問題点があった。そのような問題点を改良・修正することにより,柔軟で一般化した推定量を与える方法を開発した。

ライントランセクト法による目視調査を模したシミュレーションテストにより,本方法が有効であることを確認した。また,南氷洋ミンククジラの目視調査データを用いて,本方法が実データに適用可能であることを確かめた。

本方法は,ミンククジラのような発見が難しい鯨類の個体数調査においてきわめて有効であるものと考えられ,わが国周辺の鯨類調査に広く適用することが可能である。また,第2章の分布・回遊のための回帰モデルと組み合わせれば,個体群の動態を詳細に追跡することが可能となる。

海産哺乳類の餌嗜好性分析

生態系モデル構築にあたり,“食う食われる”の関係をモデル化するためには食性の研究が極めて重要である。実験室で嗜好性を知ることができれば,目視調査のような非致死的個体数推定法とあわせて,非致死的に自然界での摂餌組成を推定できる。複数の餌に対する嗜好性は,等しく有効な様々な種類の餌を同時に動物に与えることにより調べることができる。しかし,この種の実験は,餌の配置場所,餌の量,食餌時間など様々な要因によって影響されるので,同時に複数の餌の嗜好性を調べる実験では,そのような影響を制御することが困難である。複数の餌の嗜好性を知るための別の方法は,順番に一対の餌を取り出し,すべての組み合わせに対して対比較実験を繰り返すことである。このとき,実験回数は増加するが,実験のデザインは単純なものとなり,実験条件を同質に保つことが容易となる。本章では,対比較実験による嗜好性実験データの解析に焦点を絞ることとした。対比較で集められたデータから餌の好みや試合の勝ち負けを調べるためのモデルとしてブラッドリー・テリーのモデルが広く知られている。しかし,従来のブラッドリー・テリーモデルでは,消費量の情報を直接扱えない,1種類の餌のみが利用される全勝データを扱えないなどの欠点により,検出力の低下,偏りの問題が想定される。本章では,二項分布に基づく最尤推定を正規分布に基づく最尤推定に置き換えて連続変量のまま,定量的なデータを扱う方法を開発した。さらにパラメータの精度と嗜好性に関するいくつかの仮説を検定するためのシンプルな方法を提示した。

水族館で飼育しているキタオットセイの対比較実験による消費量データに開発したモデルを適用した。勝ち負けだけに基づく従来のブラッドリー・テリーモデルによる分析と比較した結果,本モデルは従来のモデルより感度の良い推定が可能なことが示唆された。

生態系モデルを用いた漁業の影響評価

三陸沖エコパス・モデルを構築し,エコシム・シミュレーションによって,鯨類と漁業の競合関係の有無を調べた。このモデルは基本的には平衡状態を仮定したマスバランス・モデルであるが,水産資源学の既存モデルを取り込んで時空間変動を扱うことを可能にしたエコシム,エコスペースと呼ばれるモデルが開発され,世界中で海洋生態系の評価に広く使われるようになってきた。バルネラビリティーと呼ばれるパラメータの設定によっては,競合関係の存在が支持され,パラメータの精度の良い推定,不確実性の取り込みの重要性が確認された。バルネラビリティーに関連した重要なパラメータの推定には,本論文で開発した統計モデルを用いることが有効であることを指摘した。

総合討論

第2章から第4章までの解析法の長所と不足点・問題点を考察し,第5章の生態系モデル適用結果をふまえて生態系モデルを用いた資源評価・管理の利点・欠点を議論した。さらに今後必要な統計モデル・生態系モデルの展望を述べた。本論文で提示された統計モデルは,いくつかの点で従来のアプローチの改良を与えた。生態系モデルから予測される各資源の変動予測はパラメータ推定値に大きく依存する可能性がある。この点で,パラメータ推定のための統計モデルの重要性が一層増すであろう。その際,不確実性を柔軟に扱うために,ベイズ法の利用なども積極的に取り入れられていくべきであろう。自然保護,生態系保全,食糧危機など我々が抱える問題の上で,合理的な水産資源の評価・管理はますます重要なものとなってきている。不確実性を取り込み,データの情報を最大限に生かした生態系モデルを構築することは21世紀のわれわれの大きな課題である。

審査要旨 要旨を表示する

海産哺乳類の管理に対して国際的に高い関心が寄せられているが,管理に必要な情報は正確に得られているとは言い難い.例えば,北太平洋ミンククジラでは.系群ごとの分布範囲という基礎的知見についてすら統一見解が得られていない.海産哺乳類では目視観察が個体数推定の標準的な方法として用いられているが,潜水中の個体の見落としの補正など技術的問題が残っている.さらに,単一種に基づいた資源管理の限界が認識されるようになり,生態系全体を考慮した資源評価・管理への需要が高まってきている.生態系モデリングのためには,不確実性の大きいデータから各構成種の生態情報を効率良く引き出す統計モデルの発展と活用が重要となる.

本論文「海産哺乳類を中心とした生態系モデリングのための数理統計学的研究」は6つの章よりなる.第1章「緒言」では,海産哺乳類の分布・系群・個体数推定・食性分析・生態系モデルについての包括的なレビューを行った.第2章「分布・系群構造の解明と回帰モデル」では,目視データを用いて北太平洋ミンククジラの系群の分布境界を検出することに焦点をあてた.一般化線形モデル・一般化加法モデルに関する近年の生物統計学の進展を踏まえ,海況など発見に影響を与える要因の影響を除去して分布の季節変化を探索する方法を提案した.沿岸と沖合の間で分布境界は認められず,北太平洋ミンククジラ単一系群説を支持する結果を得た.第3章「目視調査からの個体数推定」では,目視調査からの個体数推定法として,新しいハザード確率モデルを基づく方法を提案した.複数の独立観察者が目視観察を行う調査デザインが実行されれば,本方法は,浮上に関する外部データを用いずとも,群れの大きさや天候など発見に影響を与える要因の関数としての浮上確率を推定可能である.本方法の有効性をシミュレーションにより検証した.国際捕鯨委員会が実施している南氷洋ミンククジラ目視調査データに本方法を適用したところ,発見確率を1と仮定する従来の方法は本方法より15-23%過小に個体数を推定することが分かった.第4章「海産哺乳類の餌嗜好性分析」では,餌嗜好性分析のために用いられてきたブラッドリー・テリーのモデルの問題点を指摘し,餌消費量という定量的情報を活用できる新たな方法を提案し,飼育下のキタオットセイの嗜好性を感度良く分析できることを明らかにした.第5章「生態系モデルを用いた漁業の影響評価」では,海洋生態系の評価に広く使われるようになったエコパス・エコシムモデルを三陸沖生態系のデータに適用し,鯨類と漁業の競合関係の強さを調べた.パラメータの値の特定の組み合わせでは鯨類の資源量の増加は餌となる魚類の資源量を減少させると予測されたが,鯨類や魚類の変動のパターンはパラメータの値によって大きく異なった.本論文で開発した統計モデルを活用して,パラメータの精度の高い推定が今後必要となることを指摘した.第6章「総合討論」では,本論文で提案した統計モデルの長短所,生態系モデルによる資源評価・管理の将来展望について論じた.

審査委員会の全委員は.第2章から第4章で提案された各統計解析法のオリジナリティーと有用性を評価した.この中で,目視調査からの個体数推定法は国際捕鯨委員会で高い評価を受けているとの指摘もあった.分布解析法は他の水産資源の時空間的分布構造の解析に,個体数推定法は潜水行動や発見の手がかりの異なる他の鯨類に適用できるように,方法論のブラッシュアップを図ってもらいたいとの要望があった.各手法の適用結果についても全委員は十分に満足のいく水準に達しているとみなした.さらに,これら優れた手法があるので,データの方をもっと充実させて,発育段階別の分布・回遊パターンなど海洋哺乳類の生態に関する知見の乏しさを解消してもらいたいとの要望があった.第5章の鯨類と漁業の競合関係の評価の結果については,申請者自らも述べているように,予備的な段階に留まっているとの意見があった.申請者の高い力量を考慮して,新たな生態系モデルの開発に取り組んでもらいたいとの希望が出された.

以上のように,本論文を積極的に評価する見解が相次いだ.審査委員会委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク