学位論文要旨



No 215730
著者(漢字) 大山,利男
著者(英字)
著者(カナ) オオヤマ,トシオ
標題(和) 有機農業の発展と有機認証システムの制度化に関する研究
標題(洋)
報告番号 215730
報告番号 乙15730
学位授与日 2003.07.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15730号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 助教授 中嶋,康博
内容要旨 要旨を表示する

世界各地で展開されるようになった有機農業は,その多くが何らかの社会的・思想的バックボーンをもった「運動」として始まっている。とくに1970年代以降の有機農業運動にほぼ共通することは,その動機として,農業者が環境保全的で健全な農業生産を実践したいと考えるようになったこと,また安全な食品を求める消費者が増えて有機農業の広がりとも呼応したこと,その他の社会運動とも接点をもつ場合が少なくないこと,などである。ところで,有機農業はひとつの産業としても発展してきた。一部の有機農業者は,有機農業を生産技術的,経営的に成功させており,それを基礎として「有機」の食品加工業,流通業等が発展するようになった。このような有機農業の「産業化」の進展は,有機セクターと呼ばれる新たな一連の産業組織群を形成している。有機農業の産業化は,おおむね欧米諸国を中心に1980年代から始まり,90年代に本格化したといえる。また,このような有機農業の発展,有機セクターの成長局面において,有機認証システムは非常に重要な役割を果たしている。

本稿の目的は,上記の実態をふまえて,とくに有機認証システムをめぐる動向と論点について理論的に考察することである。また事例として,アメリカ,ドイツ,スイスにおける有機セクターおよび有機市場の展開状況を概観するとともに,各国の有機認証をめぐる論点について検討することである。有機認証は,一方でシステムとしての国際標準化が進展しているが,他方で有機農業や有機市場は地域的に多様な展開をみせている。

まず,有機認証システムの展開過程と特質に関するおもなポイントはつぎのようなことである。

第1は,国際的にみると,有機認証をめぐる機能分化と組織分化が進展していることである。さまざまな団体・組織が有機認証を行っているが,有機認証システムはもともと民間の「有機農業団体」によって開発され,運用されてきた。ところが有機認証は,本来的に第三者認証を指向する性格を有していたために,社会運動や共同販売事業を行っていた有機農業団体から,認証活動は機能的にも組織的にも分離される傾向にある。したがって従来の有機農業団体とは別に,有機認証を専門に行う「有機認証団体」や検査を専門に行う「検査機関」が設立されている。

第2は,民間において取り組まれてきた有機認証は,1990年頃より法的に補完されるようになったことである。法的根拠をもつ「有機規則」は,第一義的には有機表示規制としての役割を果たすが,一部では民間の有機認証プログラムに代替するケースが現れている。このことは,従来の有機認証ロゴの表示のあり方にも影響を与えている。

第3は,有機認証システムのグローバル化が進展していることである。民間の国際組織であるIFOAM(国際有機農業運動連盟)の「基礎基準」や,国際政府機関であるコーデックス委員会の「有機ガイドライン」は,有機基準の国際標準化を促進しているといえる。また,有機認証団体の間で行われている有機認証の「相互承認」や,IFOAMですすめている「認定プログラム」は有機認証システムの国際標準化,グローバル化の進展を示すものである。さらにヨーロッパ諸国に本部を置く有機認証団体や検査機関の中には,有機認証・検査事業を多国展開しているケースも現れている。

また,アメリカ,ドイツ,スイス各国における有機農業・市場の展開状況と有機認証をめぐっては,つぎのような論点がある。

まずアメリカでは,有機農場のなかでも一部の大規模農場への有機生産の集中化が進展している。これは,大多数の有機農場が小規模生産・小規模販売の経営であることを意味しているが,これらの小規模農場の有機認証割合は極端に低下傾向にあるという問題が生じている。小規模な有機農場ほど,認証費用に見合った利益を見いだせないために,有機認証からドロップアウトしているのである。

またドイツは,有機農業の歴史が古く,さまざまな有機農業団体が活動してきた。それぞれ独自の認証プログラムと有機表示によって有機製品の販路を開拓してきたが,その一方で,伝統的な有機専門の流通チャンネルと自然食品店が支配的なままであった。そのために,有機認証・表示の統一化がなかなか進展しなかったという経緯がある。

スイスは,国内の食品小売市場が寡占状態にあるため,有機製品の販売・表示は小売業界の二大業者の影響を大きく受けている。有機認証とラベル表示は,小売業者の販売戦略・ブランド戦略とも重なっており,有機製品のほとんどがスーパーマーケット・チェーンを通じて販売されているのである。なおドイツ,スイスとも有機農地面積割合の高い国であるが,これは80年代から展開されてきた有機農業への転換支持政策に負うところが大きいという点で共通する。

本稿の最後では,有機市場と有機認証システムとの関係性について検討している。有機認証システムが,市場(マーケット)によるプレミアムによって成り立つシステムであること,したがって有機認証費用の負担のあり方が一方で問題となることを指摘している。

審査要旨 要旨を表示する

有機農業は価値観を共有する人々に支えられる「運動」としての色彩を濃厚に帯びていた。けれども、1970年代以降の有機農業の着実な広がりは、ビジネスとしても独り立ちした有機農業経営の模索、食品加工や食品流通の有機部門への参入、さらには有機農産物や有機食品の貿易の拡大といった変化を伴っている。ひとことで言えば、有機セクターの産業化である。こうした産業化の進展は、それにふさわしい制度的なインフラストラクチュアを必要とする。本論文は、主要国における有機セクターの特質を明らかにするとともに、検査・認証システムを中心に、有機セクターに関わる制度の形成・変形・整合のプロセスを実証的に解明したものである。

第1章では、国際有機農業運動連盟やコーデックス委員会による有機農業と有機食品の定義を踏まえて、生産のプロセス認証である点に有機認証システムの本質があることを指摘する。そのうえで、認証をめぐる機能と組織の分化の経緯を跡づけている。すなわち、先進国における認証の機能は大きく1)有機基準の制定、2)検査、3)認証判定に区分され、それぞれの機能を担う組織が分化してきたところに制度史的な共通項があると指摘する。基準の制定には政府や国際機関の役割の拡大が認められ、かつては有機農業団体がカバーしていた検査と認証の機能についても、第3者認証の必要性や高度な専門性に対するニーズ、さらには利益相反関係の排除といった要因が作用した結果、それぞれ別組織が担当する形態が一般化するに至っている。

第2章から第5章では、国際的に共通するこれらの傾向をアメリカ・ドイツ・スイスの3カ国について詳細に検証するとともに、併せてそれぞれの有機農業の特色に由来する制度的な特殊性を明らかにしている。まず第2章は、有機市場の急成長を経験しているアメリカについての分析である。とくに、複数の民間団体によって1970年代に開始された認証活動が、連邦政府の有機食品生産法を基本とする法制度のもとに包摂される過程が綿密に分析されている。なかでも、法定有機基準がボランタリーな基準の上限となることへの反発が強く、最終的にミニマムの基準として合意された点が、各国の制度形成への影響という意味で注目される。また、急速に拡大する有機市場を支える有機農場の大規模層への集中化を統計分析によって確認し、その要因として小規模層における認証便益の低水準を指摘している。第3章は、カリフォルニア・オレゴン・ワシントン・ウィスコンシン・ミネソタの5州を取り上げて、第2章で論じた認証制度の変遷や有機農業の特徴を深く掘り下げている。

第4章は、シュタイナーのバイオダイナミック農法に始まる長い歴史を有するドイツの分析である。もっとも、伝統を支えてきた有力な有機農業団体と自然食品店の存在については、統一された表示の制定といった制度の整合化の面ではむしろブレーキとして作用したとの分析が示される。検査機関の独立や第3者認証の浸透という点では、ドイツにも国際的な潮流と共通する変化が生じているが、内発的な動因による面はあるものの、先行するEUの有機制度の展開に促された側面の強いことが指摘されている。第5章で分析の対象とされたスイスも、ドイツと並んで有機農地面積の割合が高いことで知られている。また、ふたつの大手の生協組織が有機食品の流通チャネルを支配しているところにも、スイスの有機セクターの特徴がある。分析のハイライトは、政府による有機基準を上回る個別基準が許容され、これが価格プレミアムに結びつく構造を、申請者独自のモデルとして提示した点にある。

第6章では第2章から第5章で提示された分析を総合し、有機食品市場の付加価値形成の観点から、有機認証の経済的な意義を論じている。すなわち、産業化した有機セクターにおいて、認証システムと有機農業は、価格プレミアムの形成と認証費用の負担を通じて、相互に支え合い、利益を分かち合う関係にある。生産者組織と認証組織とが分立したことによって、こうした補完・競合の構造が陽表化したとみることができる。

以上を要するに、本論文は有機農業・有機食品産業の特質と、有機セクターを支える制度インフラの変遷について、各国の一次資料の吟味と数次にわたる現地調査に基づいて明らかにしたものである。本論文は、少なからぬ新知見とともに、有機農業をめぐる政策課題に対する有益な提言を含んでおり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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