学位論文要旨



No 215735
著者(漢字) 上野,昌江
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,マサエ
標題(和) 児童虐待における保健婦による母親への支援に関する記述的研究 : 母親への“しんどさ”への支援を中心に
標題(洋)
報告番号 215735
報告番号 乙15735
学位授与日 2003.07.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15735号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 萱間,真美
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
内容要旨 要旨を表示する

目的

虐待への支援の方向が、子どもの保護から虐待防止に向けた子ども・家族への対応と変化しているが、虐待防止先進国である英国や米国においても虐待の数は減少していない。今、この領域において成果が期待されている活動は、看護職の家庭訪問である。しかし、保健師が家庭訪問において母親のもつ多様な問題や子どもの育児に関する具体的な問題にどう対応しているのかという経験や実践は明確にされているとはいえない。保健師が母親との相互作用のなかで進めている支援を詳細に記述し、分析することにより、虐待問題をもつ母親への効果的な支援方法を見いだすことができると考える。

本研究は、地域母子保健活動において虐待防止に取り組んでいる保健師を対象とし、保健師が母親におこなっている支援に焦点をあて、グラウンデッド・セオリー・アプローチを用い、彼らの実践知をカテゴリーとして導き出し、虐待防止の具体的活動に応用できる支援方法の構築を目指す。

方法

グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いる理論的根拠

本研究は、保健師が母親に対して能動的、主体的にかかわり、母親からの働きかけを受けとめるという相互作用のなかで行っている実践のデータを記述し、帰納的に分析する。導き出された支援内容を系統的に整理することにより、虐待問題を持つ母親への支援方法の構築を目指す。そのため、象徴的相互作用論の人間行動や人間同士の交わりの見方を応用した質的研究方法であるグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた。

データ収集方法

調査は、1998年4月から2001年11月にかけて行った。

データ収集の方法は、研究協力者(以下対象者とする)である保健所保健師への面接調査である。A府保健所保健師のなかで虐待について一定の専門的知識を有し、保健師としての実践能力(虐待問題をもつ母親の個別性を尊重し、相互作用を持ちながら支援を行っている)を持つと考えられる22名を研究対象者として推薦してもらい、面接依頼を行った。

面接の内容は、支援した虐待ケースの概要(虐待の状況、援助の経過、関係機関の関与)、保健師の支援内容と支援に対する考えである。対象者の年齢は平均46.2歳、保健師としての経験年数は平均21.6年であった。

分析方法

面接内容は対象者の了解を得てテープに録音、記録し、データとした。データを母親の支援に関連のある文章または区切りと考えられる内容で分け、その中から概念を生成し、その概念を新たに導き出した概念と比較し、類似したものを整理していった。支援の進展状況により支援内容に関する概念を抽出、検討しカテゴリー化を行い、カテゴリー間の関係から中核カテゴリーを選定した。それらを各事例の特性で比較、検討し、支援の全体構造を導き出した。さらにこの全体構造に全データを当てはめ、カテゴリーとカテゴリー間の関係の妥当性を確認する作業を繰り返して行い、改めて全体構造を検討した。

分析の妥当性確認のため、指導教官、質的研究者、虐待問題に対する保健師の支援に精通している研究者、大学教員らと検討し修正を加えた。

結果

対象者が支援したケースの概要

対象者が援助したケースにおいて子どもが受けていた虐待の種類は、ネグレクト10名、身体的虐待6名、心理的虐待1名、ネグレクト・心理的虐待2名、身体的虐待・心理的虐待3名である。保健師のかかわりが始まった時の子どもの年齢は、1歳未満の乳児が13名、2歳未満が4名、2歳以上が5名である。ケースの把握方法は、関係機関からの連絡が17名、低出生児家庭訪問からの把握が2名、母親または家族からの相談が3名である。

保健師の母親の【“しんどさ”への支援】の全体構造

保健師の虐待防止に向けた母親への支援の全体構造は、母親の【“しんどさ”への支援】を中核カテゴリーとし、15カテゴリー、52サブカテゴリーで構成される。

【“しんどさ”への支援】とは保健師が母親の身体的、心理的、社会的状況から“しんどさ”(大変さやつらい思い)という脆弱性があることに気づき、虐待の加害者である母親に焦点を当てて行う支援である。この“しんどさ”は、母親が直接感じているかどうかではなく保健師が母親の状況から知覚したものである。

支援は、前提条件として保健師が母親に出会った初期に知覚した母親の状況として《“しんどさ”があることに気づく》ことから始まり、その気づきに対して《“しんどさ”に気持ちを寄せる》を行う。支援を継続するなかで保健師は、母親の持つ“しんど”の内容が徐々にわかり、《“しんどざ”の本質を見極める(問題の本質に対するアセスメント)》ようになる。それに伴い支援は《“しんどさ”を軽減する》へと進展する。《“しんどさ”に気持ちを寄せる》から《“しんどさ”を軽減する》支援への進展に、保健師に対する〈母親の受け入れにくさがある〉、それぞれの支援内容の拡がりに〈母親の生活上の変化に着目する〉が関連している。以下にカテゴリーをレベル順に《》、〈〉、_で表し、支援内容を示す。

“しんどさ”があることに気づく

保健師は、母親の会話のぎこちなさや子どもをすぐに叩くという行為、子どもへの配慮のない行動から、母親が何か“しんどさ”を抱えているのではないかと気づく。〈母親の蓄積した疲労感〉として母親の心身の不調、〈切迫した育児状況〉として母親の能力の不均衡、伝統的育児観への束縛、母子の閉塞感、厳しい家計のやりくり、〈子どもとの不調和感〉として子どもへの対応のまずさ、子どもへの関心の薄さがある。

“しんどさ”に気持ちを寄せる

母親が何か“しんどさ”を持っているのではないかという思いをもち、子どもだけでなく母親にも援助が必要であることを認識し、母親に焦点をあてて行う支援である。〈かかわりの糸口を探す〉、〈母親にとって心地よい関係をつくる〉、〈保健師を信用してもらう〉という働きかけを行う。この支援から次の《“しんどさ”を軽減する》支援への進展に関連する要因として、保健師に対する〈母親の受け入れにくさがある〉。家の中に入れない、かかわりのきっかけが掴みにくい、子どもの姿が見えない、母親が身構えているである。

“しんどさ”の本質を見極める(問題の本質に対するアセスメント)

母親と継続した関係が維持できるようになり母親自身のおかれている状況が少しずつ掴め、“しんどさ”の本質が見極められることである。母親が〈孤立無援の状態にある〉、〈深刻な心理的問題がある〉、〈子どもを気遣えない〉である。

“しんどさ”を軽減する

母親との関係を継続し、母親の“しんどさ”を少しでも軽減させていく。〈つながりの気持ちを示す〉、〈母親が生活しやすくなるようにする〉、〈母親の気持ちを揺さぶる〉、〈母親の目を外に向ける〉がある。これらの支援は〈母親の生活上の変化に着目する〉の育児技術が身に付く、子どもへのまなざしが柔らかくなる、世間との結びつきができる、“しんどさ”を言語化できるをみながら進めていく。

考察

“しんどさ”があることに気づき支援していくことの重要性

本研究で着目した“しんどさ”は一目で捉えやすい概念ではなく、脆弱性 (vulnerability) に近い意味を持つ。“しんどさ”という脆弱性を虐待の母親を理解する主要概念として位置づけることにより、保健師は、子どもだけでなく母親に対する支援の必要性を積極的に認識し、母親の“しんどさ”に気持ちをよせ、母親の立場で個別性を尊重した支援をおこなっていくことができるようになる。それは、虐待防止活動において保健師に期待されている虐待の“発見”である。

“しんどさ”のアセスメントと保健師の専門的かかわり

保健師が支援している母親の多くは、専門機関で心的外傷と診断され治療が行われているわけではなく、母親自身が自らの問題を自覚し治療を求めているわけでもない。彼らに対して、保健師は、“しんどさ”の本質をアセスメントし、つながりの気持ちを示すことを基盤とし、家庭という空間において母親が生活しやすくなるように《“しんどさ”を軽減する》支援を行っている。これは、地域母子保健活動における虐待の“予防”という評価されにくい支援でもある。地域の全母親を対象とし、活動をおこなっている保健師の実践を分析することにより、この見えにくい支援内容を明らかにすることができたと考える。

結論

虐待問題を持つ母親への支援として、“しんどさ”という脆弱性に着目した保健師の実践活動が導き出された。虐待防止活動のなかで特に重視され、保健師に期待されている虐待の“発見”、“予防”という支援を保健師は、《“しんどさ”があることに気づく》、《“しんどさ”に気持ちを寄せる》、《“しんどさ”の本質を見極める(問題の本質に対するアセスメント)》、《“しんどさ”を軽減する》というプロセスのなかで行っていることが見いだされた。保健師がこれらの支援をおこなっていくことで、子どもと家族(母親)への支援を志向する虐待防止活動の発展に寄与できると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、地域母子保健活動において児童虐待(以下虐待とする)防止活動に取り組んでいる保健師を対象とし、保健師の実践知をカテゴリーとして導き出し、保健師による虐待問題をもつ母親への支援について明らかにすることを目的にグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いてデータ収集、分析を行い、以下のことが明らかにされた。

保健師による虐待防止に向けた支援として、保健師が母親の身体的、心理的、社会的状況における“しんどさ”が気になり、母親に焦点をあてて行う【“しんどさ”への支援】が中核カテゴリーとして導き出された。

保健師による母親への【“しんどさ”への支援】は前提条件として、保健師が母親に出会ったときに《“しんどさ”があることに気づく》ことから始まる。そして《“しんどさ”に気持ちを寄せる》支援を展開している。《“しんどさ”に気持ちを寄せる》支援には、〈かかわりの糸口を探す〉、〈母親にとって心地よい関係をつくる〉、〈保健師を信用してもらう〉がある。

《“しんどさ”に気持ちを寄せる》支援を行っていくなかで、母親の持つ“しんどさ”の内容が徐々にわかり《“しんどさ”の本質を見極める(問題の本質に対するアセスメント)》ことができる。それらは、〈孤立無援の状態にある〉、〈深刻な心理的問題がある〉、〈子どもを気遣えない〉である。

“しんどさ”の本質を見極め、保健師は《“しんどさ”を軽減する》支援を行う。《“しんどさ”を軽減する》には、〈つながりの気持ちを示す〉、〈母親が生活しやすくなるようにする〉、〈母親の気持ちを揺さぶる〉、〈母親の目を外に向ける〉がある。

保健師の支援は《“しんどさ”に気持ちを寄せる》から《“しんどさ”を軽減する》へと進展していくが、それは、保健師に対する〈母親の受け入れにくさある〉ことを知覚しながら進める。また、《“しんどさ”に気持ちを寄せる》、《“しんどさ”を軽減する》という支援を拡大していくときは、〈母親の生活上の変化に着目する〉ことを行っている。

以上、本論文は、保健師が虐待問題を持つ母親に対して【しんどさへの支援】を中核カテゴリーに位置づけることにより、支援対象を虐待された子どもだけでなく、加害者である母親をも含めて考え、母親の立場から支援を行っていることを明らかにした。その方法として、保健師は、自ら支援を求めてくることはほとんどない母親の“しんどさ”という脆弱性に気づく。これは虐待を“発見”することである。そして、母親とつながりの気持ちを示すことを基盤にした日常生活における具体的な指導を通して、母親の心理・社会的問題の根本的な解決を目指した支援を行い、虐待発生を“予防”する。虐待防止活動のなかで特に重要と位置づけられ、保健師に期待されている虐待の“発見”、“予防”という支援を保健師は、《“しんどさ”があることに気づく》、《“しんどさ”に気持ちを寄せる》、《“しんどさ”の本質を見極める(問題の本質に対するアセスメント)》、《“しんどさ”を軽減する》というプロセスで行っている。これらの結果は、母親の立場から、彼らの個別性を尊重した支援を行っている保健師を対象とし、彼らの実践活動を分析することにより導き出すことができた成果である。虐待防止活動は、子どもの保護から家族(母親)を含めた支援へと志向してきているため、本研究から導き出された支援内容を実践において活用していくことにより、虐待防止活動の発展に貢献できると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51186