学位論文要旨



No 215749
著者(漢字) 今井,敬
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ケイ
標題(和) ウシ体外受精胚の正常性に関する生理学的研究
標題(洋)
報告番号 215749
報告番号 乙15749
学位授与日 2003.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15749号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 今川,和彦
内容要旨 要旨を表示する

ウシの胚移植は優れた種雄牛や育種雌牛の増産を通してウシの育種改良および乳肉の生産性改善に欠くことのできない技術である。体外受精は移植胚の作成技術として胚の安定的な供給システム構築の主体である。しかし、体外受精胚は胚盤胞への発生率、発生した胚盤胞の耐凍性および移植後の受胎率が自然に産み出される体内胚に比べて低いこと、さらに、移植した受胚牛では流産、過大子およびそれに伴う分娩事故が頻発する。本研究では第一章において、体外受精に用いる卵子および卵胞の評価法を検討し、第二章では、卵子の培養保存法、第三章では、体外受精胚の培養系の改善と胚の正常性の評価法について探索し、第四章では、胚の耐凍性の改善について、第五章では、体外受精胚の作成効率、正常性および耐凍性に影響する要因について考察し、体外受精胚の簡便な移植方法について検討した。

体外受精に高品質の卵子を用いることは、受精率の向上や異常受精の減少をもたらし、胚の作成効率の改善および早期胚死滅の防除に寄与する。しかし、これまで卵子の正常性の指標としては卵丘細胞の付着、卵子細胞質の色調および卵子の大きさなどの形態学的観察が主であり、生理学的検索は卵胞液のステロイドホルモンの測定が行われているだけである。しかも、今日、体外受精に用いる卵子を採取する卵胞は直径2-6mmであり、そのステロイドホルモンのプロファイルは技術的な問題から明確でない。体外受精に用いる卵子の正常性を評価する指標の検索を目的とし、卵胞および卵子の正常性とマトリックス分解酵素(MMP)の発現について検討した。退行変性している卵胞の卵胞液にはproMMP-2が高濃度含まれており、また、活性型MMP-2とproMMP-9が特異的に発現すること、さらに、卵胞液中の活性型ゼラチナーゼをFilm in situ Zymography(FIZ)で調べた結果、卵胞の活性型ゼラチナーゼの発現と卵子の成熟培養後の成熟率が関連していることが判明した。これらのことは、proMMP-2、活性型MMP-2およびproMMP-9が卵胞の正常性を示す指標になることを意味しており、卵胞液およびその構成細胞のMMP活性を調べることから卵子の培養後の発育能を推定できることを示している。すなわち、卵胞液中のこれらのゼラチナーゼ活性により、体外受精に適した卵子の選別が可能であること、また、この判定基準は卵子の異常な状態の指標でもあり、卵胞嚢腫の診断や退行する卵胞の性状検索への応用が可能であることが示された。

卵子を保存しておき任意の時期に培養、発育させることができれば、移植胚の効率的培養や胚の生理的機能解析に有効な手段となる。また、卵子の発生能は成熟培養を開始する前の品質が影響する。それ故、成熟培養前に卵子の品質を向上させることができれば体外培養で発育させる胚の質的および量的改善を計ることが可能となる。これまで、タンパク質合成阻害剤やリン酸化阻害剤を用いて卵核胞崩壊(GVBD)を阻止し、その質を向上させる試みは成熟培養および体外受精後の発生率が低いことから24時間の培養保存は困難であった。本研究ではGVBD阻止をサイクリン依存型キナーゼの特異的阻害物質であるブチロラクトンIを用い誘導し、卵子を培養保存する方法について検討した。48時間までの保存では卵子のGVBD抑制率と成熟培養後の成熟率に差はなく、ブチロラクトン-IによるGVBD抑制は卵子の成熟を阻害しなかった。しかし、48時間以上保存した卵子では異常受精の割合が増加し、胚盤胞への発生率は低くかった。一方、24時間の保存では培養保存しない卵子と受精率および発生率に差はなく、この手法による24時間までの培養保存は胚盤胞への発生率を低下させることなく維持することが可能であった。この培養保存法により卵子の品質の改善および2 mm以下の卵胞から採取した卵子の発育を可能となった。

これまで、初期胚の発生率を向上させるための種々の培養方法が検討されて来たが、体外で受精胚を十分に発達させる培養手法や受精胚の正常性を判定する指標はなかった。本研究ではmCR1aaを基礎培地とする培養系における体外受精胚の培養条件と胚の耐凍性を検討するとともに、胚盤胞から着床期までの体外受精胚における遺伝子の発現変異について体細胞クローン胚をモデルとして検討することから、胚の正常性評価の指標を検索した。体外受精胚をmCR1aaで培養すると発生率は高く、発育速度も速かったが、発生した胚盤胞の耐凍性は乏しかった。胚の発育性と耐凍性は異なる要因により制御されることが推測され、解析の結果、グルコースが胚発生促進を阻む主要因であることが明らかとなった。

また、初期発生胚の遺伝子発現の変動機構を検索するため、メチル化維持酵素(Dnmt1)を用いて体内胚、体外受精胚および体細胞クローン胚での変化を検索した。その結果、体内胚と体外受精胚では14日齢以降全ての胚にDnmt1が発現していたが体細胞クローン胚では発現していない胚が認められた。さらに、自家作製したウシ子宮、胎盤cDNAマイクロアレイにより胚の発現遺伝子群を網羅的に検索した結果、体細胞クローン胚は栄養膜細胞が特異的に発現する遺伝子群の発現が減少し、その要因が栄養膜細胞の分化、発育に変化をもたらし、体細胞クローン胚の着床前および直後における高頻度の死滅に関わることが示唆された。また、Dnmt1のノックアウトマウスでは胎子が致死することを考え合わせると胚発達段階でのDnmt1の適正な発現は重要であり、Dnmt1発現を着床期胚の正常性評価に適応できることが明らかとなった。

胚の培養法の差により凍結融解後の発生率が大きく左右される。そのため、耐凍性を向上させる機構を不飽和脂肪酸を中心に検討した。胚の耐凍性の向上には培養液に不飽和基を二つもつリノール酸の添加が有効であり、リノール酸の中でもアルブミンに吸着させたリノール酸アルブミン(LAA)の添加が最も有効であった。また、LAA添加培地での培養時間が長いほど胚の耐凍性が向上し、LAAの添加濃度は0.25-0.5 mg/mlの範囲が至適であった。LAAの作用は胚において細胞膜脂質の損傷や不適切な培養条件により発生したフリーラジカルに起因する胚の細胞膜脂質の過酸化を阻み、胚の耐凍性を改善することが明らかとなった。

移植胚を効率よく生体に生着させるためには、簡易な手法の確立が必要である。ダイレクトトランスファー法は耐凍剤の希釈除去における人為的な操作ミスを最小限に軽減でき、耐凍剤除去のための器具や施設も必要とせず、簡便でフィールドへの普及性の高い方法である。しかし、ダイレクトトランスファー法は凍結融解後の胚の正常度を評価することなく移植を実施するため、耐凍性が低い胚では受胎率が低い。これら耐凍性の低い胚に適した凍結法を検討し、本研究では、凍結保存液へのLAAの添加による改善法を検討した。凍結保存液へのLAA添加により体外受精胚の凍結保存後の生存率が高くなった。LAAは前章での研究でも明らかなように細胞膜脂質を変化させる。それ故、細胞膜の流動性が向上し、耐凍剤の流出入の効率が改善されたためと考えられた。また、培養液および凍結保存液へのLAAの添加の相互作用は観察されず、いずれか片方への添加が効果的であることが明らかとなった。この培養、凍結法は切断二分離胚、性判別胚および核移植胚といった耐凍性の低い胚に効果的と考えられる。このダイレクトトランスファー法を用いて凍結保存した体外受精胚を作業現場で融解して移植することにより、高い受胎率を得たことから本法が体外受精胚のフィールドでの適用を高めることが期待される。

本研究では、ウシ体外受精胚の発生率、耐凍性および受胎効率の改善を計る技術を開発するため、卵胞内卵子および胚の品質維持機構を検索するとともに、効果的な培養系、保存に関わる種々の要因を解析した。卵胞内卵子の質の維持にMMP-2およびMMP-9の活性化機構が関連していること、受精初期胚はDnmt1による遺伝子機能の保持が重要であること、また、サイクリン依存型キナーゼの阻害物質が卵子の長時間の保存に有効であることを明らかにした。これらの要因の検出系から卵子および初期発生胚の品質評価が可能であることを見出した。以上、本研究により明らかになった諸要因を組み合わせたダイレクトトランスファー法を応用することで胚の受胎率を大幅に改善することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

体外受精は胚移植とともに、ウシ胚の安定的な供給のための重要な技術で、その更なる改良は畜産の発達に必要である。本論文は4章からなり、主に体外受精胚の作成効率向上を目的に、体外受精のための卵子および卵胞の評価法、卵子の培養保存法、体外受精胚の培養系と胚の正常性の評価法、胚の耐凍性および凍結移植方法、さらに、近年確立された体細胞核移植による初期胚の診断について研究したものである。

従来、卵子の評価は、卵丘細胞の付着の様子、卵子細胞質の色調および卵子の大きさなどの形態学的観察と、卵胞液のステロイドホルモンの測定による生理学的解析が行われてきた。本論文では、新たに細胞外マトリックス分解酵素(マトリクス・メタロプロテアーゼ、MMP)の発現が卵の正常性の基準として利用できるか否かを検討した。退行変性している卵胞の卵胞液にはMMP-2前駆体が高濃度含まれていること、活性型MMP-2とMMP-9前駆体が発現することが明らかにされ、これらのMMP発現が卵胞の正常性を評価する新たな指標として有用であることが示された。

卵子の新たな保存法として、卵核胞崩壊(GVBD)阻止をサイクリン依存型キナーゼの特異的阻害物質を用い誘導する方法が、検討されている。同方法で、48時間以上保存した卵子では異常受精の割合が増加し、胚盤胞への発生率は低く、一方、24時間の保存では培養保存しない卵子と受精率および発生率に差はないことを明らかにしている。したがってこの方法では、24時間を限度とした保存として実践的な価値があり、胚盤胞への発生率を低下させることなく維持することが可能となった。次に、体外受精胚の培養条件と胚の耐凍性を検討した結果、胚の発育性と耐凍性向上は必ずしも一致せず、培地のグルコース濃度が、胚発生を阻む主要因であることが明らかとなった。

哺乳類の発生にDNAメチル化が重要であることは、各種DNAメチル転移酵素のノックアウト動物では発生異常や、発育停止が見られることから、間違いない。すなわち、DNAメチル転移酵素は発生段階に応じて適切に発現して機能が制御されることが正常な胚・胎子の発育に不可欠であると考えられる。通常の胚と異なり、体細胞核移植による、いわゆるクローン胚は、その多くが発生異常を呈し、分娩まで発育する個体は極めて少ないことが知られている。そこで、受精による正常胚と体細胞核移植クローン胚における維持型DNAメチル転移酵素(Dnmt1)のmRNA発現を比較した。正常受精胚と体外受精胚では14日齢以降全ての胚にDnmt1が発現していたが、体細胞核移植クローン胚では発現していない胚が存在することが明らかになった。cDNAマイクロアレイにより胚の発現遺伝子群を網羅的に検索した結果、体細胞クローン胚では栄養膜細胞が特異的に発現する遺伝子群の発現が減少し、その要因が栄養膜細胞の分化、発育に変化をもたらし、体細胞クローン胚の着床前および直後における高頻度の死滅に関わることが示唆された。Dnmt1発現も、着床期胚の正常性評価に適応できることが明らかとなった。今後、従来の体外受精技術に加えて、用途により体細胞核移植クローン胚の取り扱いも重要となる。Dnmt1の発現は、クローン胚診断の有効な指標となることが示された。

最後に、胚の凍結融解に伴う異常胚の発生防止に関する研究がなされた。胚の凍結融解後の発生率は、凍結以前の胚培養法により異なる。培養法の検討が行われ、凍結前の培養時に、アルブミンに吸着させたリノール酸(0.25 - 0.5 mg/ml)添加培地での培養時間が長いほど、胚の耐凍性が向上することが明らかになった。この胚凍結法は切断二分離胚、性判別胚および核移植胚といった耐凍性の低い胚に効果的と考えられる。さて、胚移植に際して、従来は凍結胚をいったん融解し、さらに耐凍剤の胚や着床への影響を少なくする目的で希釈するなどの段階を得る方法が一般的であった。これらの段階は、胚の正常性を確保することが目的であったが、上記のアルブミンに吸着させたリノール酸を添加培地で培養した胚は、融解せず直接移植しても受胎率が高く保たれることが示された。この方法は簡便で野外を含む作業現場に適している。ここで確立された方法を用いて凍結保存した体外受精胚を融解して移植することにより、高い受胎率を得たことから本法が体外受精胚のフィールドでの適用を高めると推測される。

以上、本論文は、実験動物を用いた研究と異なり生殖機構の原理を追求するものではないが、本研究で明らかにされた諸要因を組み合わせた方法論は極めて実践的で、体外受精胚の受胎率向上と近未来のクローン胚の診断に関する指針が示されており、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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