学位論文要旨



No 215750
著者(漢字) 瀧,憲司
著者(英字)
著者(カナ) タキ,ケンジ
標題(和) 本州東方海域におけるツノナシオキアミの漁業及び生活史に関する研究
標題(洋)
報告番号 215750
報告番号 乙15750
学位授与日 2003.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15750号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 教授 渡邊,良朗
内容要旨 要旨を表示する

ツノナシオキアミ(Euphausia pacifica Hansen)は、北太平洋亜寒帯域及びその縁辺海域で卓越する大型動物プランクトンである。本種は、沿岸域における主要な漁獲対象種となっているほか、植物プランクトンや微小動物プランクトン等の低次生産者から魚類、鯨類、海鳥類等の高次生産者へのエネルギーの橋渡し役として生態系において重要な役割を果たしている。そのため、東部北太平洋海域では本種の生活史、分布様式、現存量、摂餌生態等の研究が活発に進められている。一方、本州東方海域では三陸沿岸域等限られた範囲において本種の生活史や鉛直分布等の研究が行われてきた。しかし、同一個体群の追跡を前提とした生活史の解析や季節や水塊構造を充分に考慮した鉛直分布の解析を行った例は少ない。

本研究は、本州東方海域の広範囲においてツノナシオキアミの試資料の採集並びに解析を行い、物理・生物環境が漁期、漁獲量等の漁況、産卵、成長等の生活史、鉛直分布、現存量・生産量、食性にどのような影響を及ぼしているか検討した。

漁業の変遷及び漁況の特徴

全漁連、各県水産試験研究機関による漁業資料をもとに、ツノナシオキアミの漁業の歴史を整理した結果、大きく4期に分けることができた。第1期は漁業が始まった1940年代中盤〜1960年代後半の創成期で、漁場は宮城県牡鹿半島周辺に限られ、地元の需要を賄うための零細漁業に過ぎなかった。第2期は1960年代後半〜1987年頃の発展期で、養殖漁業の振興や遊魚の普及によって需要が拡大し、総漁獲量が飛躍的に伸びた。第3期は1988年頃〜1992年頃の主漁場移動期で、三陸沿岸域における漁獲能力の水準が飛躍的に伸びた反面、常磐沿岸域では漁獲努力水準が低下し、三陸沿岸域が漁業の中心となった。第4期は1993年頃から現在に至る生産調整期で、需給バランスの見通しが明らかになるなかで総量規制などが効率的に図られた。

各海域における資源の来遊状況と海況との関係を調べた結果、岩手県では、近年の漁獲効率の急激な向上や生産調整によってCPUE(1日1隻当たり漁獲量)から来遊資源量の経年動向を推測することは難しかったが、海況変動の影響に起因するCPUEの低下はなかった。宮城県では、親潮第一分枝が北偏傾向の年に、漁期の遅れや早期終漁が顕著であった。常磐沿岸域では、親潮第一分枝最南下緯度と年間最低CPUEとの間に有意な相関関係が得られた。したがって、岩手県沿岸域における資源の来遊状況は、海況変動に左右されにくく、比較的安定しているのに対し、常磐沿岸域では親潮系冷水の波及動向に大きく左右されると考えられた。また、宮城県沿岸域では、親潮系冷水の波及が弱い年において来遊時期の遅れや来遊資源量の減少が顕著になると考えられた。

生活史

1992〜2001年の本州東方海域広範に採集されたノルパックネット標本を用いて、本種の再生産状況を親潮域等水域に分けて解析した。その結果、本種は親潮域〜黒潮系暖水域に広く分布し、親潮系冷水域を中心に冬季を除きほぼ周年にわたり産卵、再生産を行っていることが明らかになった。また、4月に交尾、産卵の最盛期、5〜6月に幼生、未生態への加入の最盛期があった。このように活発な再生産が行われる春季は、餌となる植物プランクトンや微小動物プランクトンが増殖する時期で、東部北太平洋域において本種の再生産が盛んに行われる湧昇時期の環境条件と類似していた。

体長組成に基づき世代解析を行った結果、本種の寿命は主生息域である親潮域〜親潮系冷水域において2年以上と推定された。また、親潮の影響の強い道東沿岸域では周年にわたり1齢以上と考えられる大型成体(体長15mm以上)が出現した。一方、黒潮系暖水の影響の強い三陸・常磐沿岸域では、春季〜初夏を除き大型成体はほとんど出現しなかった。親潮域〜親潮系冷水域における成長過程を追跡すると、夏季から冬季にかけての長い成長停滞の後、春季から初夏にかけて顕著な成長が認められた。

鉛直分布

ORIネット及びビームトロールネットを用いて宮城県女川沖の陸棚周辺域における漂泳群及び底付群の季節、昼夜別の形成状況を調べた。その結果、春季には高密度の漂泳群が陸棚域に形成されたが、初夏〜冬季は陸棚斜面上部に主分布域を移していた。また、顕著な水温躍層を形成した初夏〜初冬の陸棚斜面上部では未成体、成体による底付群が形成され、特に初夏に顕著な高密群が形成された。しかし、全水柱が7〜8℃に覆われていた冬季の陸棚斜面上部や春季の陸棚域では、底付群はほとんど形成されなかった。

MOCNESS-Iネットを用いて各発育段階の季節的な昼夜鉛直移動を調べた結果、成体の分布深度は昼間300m付近、夜間で150m以浅を示し、夏季〜秋季の表層が暖水に覆われていた海域では夜間の出現層が深くなり、上層の高水温による分布の制限が認められた。一方、上下混合が盛んな春季の昼間の分布深度は50〜300m付近と浅い傾向が示した。しかし、親潮域においても昼間の分布深度が300m以深を示す測点があり、代謝の抑制の観点から分布深度を説明することはできなかった。一方、0-75mの積算クロロフィルa量と昼間の分布深度との関係を検討すると、低水温域においても表層のクロロフィルa量が低い測点では、昼間の分布深度が深い傾向が認められた。そのため、昼間の分布深度は表層の植物プランクトンの増殖がもたらす光透過率の減少に影響されると考えられ、ひいては視覚捕食者からの回避行動とも関係している可能性がある。

沖合域では、本種のカリプトピス期及びファーシリア初期は表層付近に分布し、発育段階が進むにつれて昼夜鉛直幅が拡大する傾向が認められ、発育段階間における昼間の分布深度の相違は主に遊泳力に基づくものと考えられた。夜間については、発育段階間における分布深度の相違はほとんど認められなかったが、カリプトピス期、ファーシリア期と大型成体の間で水温に基づく分布層の相違が認められた。また、本種の成体が高密群を形成していた春季の沿岸域では、カリプトピス期は中深層に分布し、発育段階が進むにつれて漸次昼夜の分布深度が浅くなっていく傾向を示した。カリプトピス期は成体による被捕食サイズ範囲にあることから、夜間の鉛直移動を中層にまでに抑え、表層に形成されていた成体の高密群との遭遇を避けている可能性がある。

現存量及び生産量

生活史の解析に用いた標本をもとに、道東〜常磐沿岸域における季節的な現存量を調べると、道東沿岸域では秋季、三陸、常磐沿岸域では春季〜初夏及び冬季に最も高く、1個体当たりの重量が大きな1齢以上の大型成体の出現状況、ひいては親潮の動向に大きく影響されていた。年間平均現存量は、道東沿岸域(369mgCm-2)と三陸沿岸域(348mgCm-2)で近似し、常磐沿岸域(277mgCm-2)では他の2海域より低かった。また、全沿岸域における年間平均現存量は326mgCm-2を示し、東部北太平洋に生息する同種と比較すると、バンクーバー沖やオレゴン沖等カリフォルニア海流上流域のものより低く、南カリフォルニア沖やバハカリフォルニア沖等カリフォルニア海流下流域のものより高い傾向が認められた。

道東〜常磐沿岸域全体における年間総生産量は2,118〜3,429 mgCm-2 と推定され、その内訳は成長による生産量で644〜1,956mgCm-2、脱皮による生産量で226mgCm-2、卵による生産量で1.247mgCm-2であった。卵による生産量の全体に占める割合は36〜59%で、他の種類や日本海富山湾の同種と比較して高い割合であった。この理由として、本州東方海域では成長停滞期が比較的長く、周年親潮系冷水域を中心に産卵しているためであると考えられた。

食性

新稚魚ネットで採集した標本を用いて、道東及び常磐沿岸域におけるツノナシオキアミ成体の胃内容物を同定した。その結果、道東沿岸域では、クロロフィルa濃度が最も高かった春季に珪藻類を最も多く摂食していたが、カイアシ類はほとんど検出されなかった。しかし、クロロフィルa濃度が低かった夏季と冬季では、他の月に比べてカイアシ類が多く捕食されていた。周年道東沿岸域よりクロロフィルa濃度が低かった常磐沿岸域では、周年カイアシ類を摂食する傾向があったが、30-50m層にやや高いクロロフィルa濃度が観察された冬季には、珪藻類を多く摂食し、カイアシ類の摂食個体数は少なかった。このようなクロロフィルa濃度に応じた胃内容物の変化は、既往の三陸沿岸域における変化とよく一致した。そのため、環境水中に植物プランクトンが多いときには索餌のエネルギーを抑えて身近な植物プランクトンを濾過摂食し、これが少ないときにはカイアシ類を捕食し必要なエネルギーを得る摂餌戦略が本州東方沿岸域の広範に採用されていると推察された。

以上、本州東方海域におけるツノナシオキアミの漁業の特徴、生活史、鉛直分布、現存量・生産量、食性に関して多くの知見が得られた。漁業の特徴については、海況と来遊資源量との関係が明らかになり、今後の資源管理方策に貢献できた。また、生活史や現存量・生産量については東部北太平洋との類似点及び相違点が明確になり、北太平洋における気候・生態系の変動機構解明にとって重要な知見が提供できた。今後は、生産量、炭素摂取量の算出にあたり不完全なパラメータとなっている幼生の成長速度や植物プランクトンの摂取量の定量化を図り、本種の生態系における役割をより明確にしていくことが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

ツノナシオキアミ(Euphausia pacifica Hansen)は、北太平洋亜寒帯域及びその縁辺海域で卓越する大型動物プランクトンである。本種は、沿岸域における主要な漁獲対象種となっているほか、植物プランクトンや微小動物プランクトンなどの低次生産者から魚類、鯨類、海鳥類等の高次生産者へのエネルギーの橋渡し役として生態系において重要な役割を果たしている。

本論文は、本州東方海域におけるツノナシオキアミの漁業の変遷、生活史、鉛直分布、現存量、生産量および食性の研究を通じて、本種が生態系の中で果たす役割を明らかにした。

第1章は漁業の変遷と海況の関係についての研究で、ツノナシオキアミ漁業の歴史をは大きく4期に分けることができた。第1期は、漁業が始まった1940年中盤から1960年代後半にかけての創成期、第2期1960年代後半から1987年頃にかけての発展期で、この時期には養殖漁業の振興や遊魚の普及によって需要が拡大し、宮城県と茨城県を中心に総漁獲量が飛躍的に伸びた。第3期は、1988年頃から1992年頃にかけての主漁場移動期で、三陸沿岸域が漁場の中心となった。第4期は、1993年頃から現在に至る生産調整期で、この時期には需給バランスの見通しが明らかになるなかで総量規制などが効率的に図られた。また本種の漁場形成は親潮第1分岐の南下と深い関連をもつことを明らかにした。

第2章は生活史に関する研究で本種は親潮域〜黒潮系暖水域に広く分布し、親潮系冷水域を中心に冬季を除き周年にわたり産卵、再生産を行っていることが明らかにされた。また、4月に交尾、産卵の最盛期、5〜6月に幼生、未成体への加入の最盛期があり、親潮が周年発達した道東沿岸域では、卵、幼生の出現は秋季に限定され、夏季〜秋季の親潮域の離岸に伴う水温の上昇が産卵活動の重要な契機となっていることを確認している。本種の寿命は主生息域である親潮域〜親潮系冷水域において2年以上あること明らかにした。

第3章は鉛直分布に関する研究である。女川沖では春季には高密度の漂泳群が陸棚域に形成されたが、初夏〜冬季は陸棚斜面上部に主分布域を移り、このような分布域の季節的な水平移動は、親潮の離接岸に伴う8℃未満の近底層水の分布に影響されていると推察した。沖合域では、本種のカリプトピス期及びファーシリア初期は表層付近に分布し、発育段階が進むにつれて昼夜鉛直幅が拡大する傾向が認められ、発育段階間における昼間の分布深度の相違は主に遊泳力に基づくものであること確認した。

第4章は現存量及び生産量に関する研究で、現存量は道東沿岸域では秋季、三陸、常磐沿岸域では春季〜初夏及び冬季に最も高く、年間平均現存量は、道東沿岸域(369mgCm-2)と三陸沿岸域(348mgCm-2)で近似し、常磐沿岸域(277mgCm-2)では他の2海域より低いことを確認した。また、全沿岸域における年間平均現存量は326mgCm-2、道東〜常磐沿岸域全体における年間総生産量は2,118〜3,429mgCm-2と推定され、内訳は成長による生産量で644〜1,956mgCm-2、脱皮による生産量で226mgCm-2、卵による生産量で1.247mgCm-2で、卵による生産量の全体に占める割合は36〜59%であることを明らかにした。

第5章は食性に関する研究で植物プランクトンが豊富な時期あるいは海域では珪藻類を主体とする植物プランクトンを摂食するが、逆に少ない時期あるいは海域では活発にカイアシ類を捕食していることを明らかにした。

以上要するに、本論文は本州東方海域において重要な漁業資源でありながら、生態学的知見の少なかったツノナシオキアミの漁業の特徴、生活史、鉛直分布、現存量・生産量、食性を明らかにし、生態系の中でツノナシオキアミの果たす役割について多くの新知見を得たもので学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク