学位論文要旨



No 215751
著者(漢字) 日向野,純也
著者(英字)
著者(カナ) ヒガノ,ジュンヤ
標題(和) 砂浜性二枚貝の分布生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 215751
報告番号 乙15751
学位授与日 2003.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15751号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 助教授 岡本,研
 東京大学 助教授 小松,輝久
内容要旨 要旨を表示する

チョウセンハマグリMeretrix lamarckii Deshayes, 1853及びコタマガイGomphina melanaegis Romer, 1861は外海性砂浜域における漁業生産対象種として最も重要な二枚貝である。しかしながら,これら砂浜性二枚貝の生態は厳しい波浪条件等による調査の困難さから解明が遅れ,資源増殖の方法論を構築するには至っていなかった。本研究では,チョウセンハマグリとコタマガイの分布に関する現地調査と生態に関する室内実験の結果から,殻長1mm以上の稚貝期以降の分布に対する物理環境要因と潜砂行動等との関係から分布を規定する要因について検討を加え,また力学モデルにより波浪条件下での二枚貝の移動と集積について解析を試みた。

茨城県鹿島郡波崎町の波崎漁港建設区域内外にて二枚貝及び底質の採集調査を実施した。港外では泥分が6%と比較的高い集積域にもチョウセンハマグリ及びコタマガイ稚貝(殻長10mm以下)の分布が多く見られたのに対し,静穏度の高い港内では両種とも採集個体数は少なく,泥分7%以下の底質にのみ出現が認められた事から,泥分が分布に与える影響について調べた。泥分率や粒径を調整した底質におけるチョウセンハマグリ稚貝(殻長4〜15mm)の潜砂実験から泥分が11%以上,底質粒径が53μm以下で潜砂率が急激に低下し,さらに有機物を分解した泥に対しても嫌忌性が認められた事から,チョウセンハマグリの潜砂行動に底質粒径が制限要因になっていると考えられた。一方,泥を含んだ底質でのチョウセンハマグリ稚貝(殻長10mm以下)の生残実験では泥分60%程度まで斃死は認められなかったが,210μm以下の砂泥を5段階に分画してチョウセンハマグリ稚貝(殻長1.2〜2.6mm)を静置及び振盪条件下で飼育したところ,5日後に他の実験区では生残率が100%であったのに対し,44μm以下の画分と共に振盪した区では粘土シルト粒子が懸濁状態となり,生残率は35%と著しく低く27日後には全て斃死した。これに対し,44μm以上の画分と共に振盪した場合は静置条件よりも生残率の高くなる傾向が見られ,チョウセンハマグリ稚貝は振盪に著しい耐性を示す事が明らかとなった。泥の存在は懸濁状態になることでチョウセンハマグリに致命的な影響をもたらす事及びチョウセンハマグリ稚貝は泥を忌避する行動を示す事を通して,底質泥分がチョウセンハマグリやコタマガイの分布制限要因になっていると推察される。一方,振動流場での揺動はチョウセンハマグリ稚貝の斃死要因とはならず,むしろ砂浜性二枚貝には「砂が動く」事が必要な環境要因の一つと考えられた。

次に,茨城県鹿島灘の砂浜海岸に全長427mの観測桟橋を有する独立行政法人港湾空港技術研究所波崎海洋研究施設(Hasaki Oceanographical Research Station,以下HORS)においてSmith-McIntyre採泥器を用いて底質を採集し,海底地形と底質粒径及び砂浜性二枚貝の出現個体数との関係を調べた。殻長10mm以上のチョウセンハマグリはバー(砂堆)の沖側に分布し,同様にコタマガイはバーの岸側やトラフ(淵)内に分布する傾向が見出された。静穏な波浪条件が続くと徐々に海底地形が変化し,また二枚貝の分布傾向は不明瞭となるが,波高2m以上の高波浪に伴い海底地形が大きく変化した時に再び上記のような分布様式が認められた。一方,殻長10mm以下の稚貝はやや沖側に分布する傾向があるが,海底地形と分布位置の関係は明確ではなかった。1987年は高波浪に伴い海底地形の大きな変化が3回観測されたが,6月20〜21日の時化前後に最も顕著な地形変化と二枚貝の分布変化を示した。6月17日にはコタマガイは汀線付近に置かれたHORS基準点の沖合210〜280m点に位置するトラフからバーの岸側斜面にかけて分布していたが,23日には同域の海底面が大きく侵食され,底質が粗粒化すると共に多くのコタマガイはトラフの最深部(200m点)とバーの岸側上端部(280m点)付近に集積していた。これに対し,海底地形が大きく変化しても二枚貝の生息域が激しい侵食を受けない場合は,二枚貝の分布様式に殆ど変化が見られなかった。

そこで,地形に変化を生じた際に潜砂している二枚貝が掘り出される可能性について検討を行った。HORSにおける海底地形の日変化から解析した海底地形変化速度の標準偏差は約20cm/dayであった。また,海底地形変化速度の頻度分布から50cm/day以上の侵食を生じた頻度は1.1%,100cm/day以上では0.09%であり,このような侵食は任意の点において100〜1000日に1回程度起こり得ることが示された。一方,水温5〜30℃におけるチョウセンハマグリ及びコタマガイの潜砂速度を実験的に調べたところ、チョウセンハマグリでは殻長の増加及び水温の上昇に伴う速度の増加傾向がコタマガイに比べ顕著であった。殻長20〜30mmで比較すると水温25℃では前者が平均1.51±0.47mm/sec (p<0.05)であったのに対し,後者では0.67±0.19mm/sec (p<0.05)であり,チョウセンハマグリの潜砂能力が著しく勝っていた。10℃においては,それぞれ0.48±0.13mm/sec (p<0.05),0.45±0.07mm/sec (p<0.05)と大差なかった。波崎海岸の水温は概ね10〜25℃の範囲にあるため,冬季の低水温時でも上に述べた程度の潜砂能力を有していると考えられる。海底面の侵食速度と貝の潜砂速度を比較すると,20cm/dayは2.3×10−3mm/sec,200cm/dayとしても2.3×10−2mm/secに過ぎず,チョウセンハマグリやコタマガイの潜砂速度よりも遙かに小さいため,砂面の侵食にこれらの二枚貝は十分に対応できると考えられた。しかし,50cm/dayの侵食速度であっても殻長20mmの貝であれば1日に殻長の25倍の距離を潜砂しなければ侵食に追随出来ないため,潜砂に要するエネルギーの消耗が懸念される。さらに,砕波による渦が砂面を撹拌する場合や波の峰と谷との間の圧力変化による底砂の液状化が生じるような場合には,短時間での侵食速度が二枚貝の潜砂速度を遥かに凌ぐ事も予想される。従って,時化による大波浪時に急激にまたは大きく海底が侵食された際に二枚貝が掘り出されると考えられる。なお,殻長10mm以下のチョウセンハマグリ稚貝では,潜砂速度は10℃で0.18±0.04mm/sec (p<0.05)であり,底面の侵食速度を上回る。しかし,架台に殻長4〜6mmの稚貝を潜砂させたバットを取り付けて水中で振動させた実験では,底面流速振幅が20.9〜34.3cm/secの時に30〜40%の個体が掘り出されたことから,稚貝は静穏時にもかなり頻繁に波浪によって掘り起こされているのではないかと考えられる。

掘り出された二枚貝の移動は,波浪と貝の物理的特性によって決定されると予測される。貝の外部形態はチョウセンハマグリに比べコタマガイは扁平で殻表面は粗く,また水中での重力と底面摩擦に関与する比重はチョウセンハマグリが1.56〜1.70,コタマガイが1.70〜1.85であったことから,コタマガイはより動かされにくい物理的性状を有して潜砂速度の劣位を補っていると考えられる。波浪による二枚貝の分布位置の変化を力学的に説明するために,二枚貝は海底面で波浪の流体力を受けて物理的に輸送されるという力学モデルを用いて検証を行った。本研究ではHORSの海底断面を想定した任意の1次元地形(海底断面形状)に対して非定常緩勾配方程式を用いて波浪場の計算を行い,底面流速変動を求めた。これに基づき砂面上に配置した二枚貝が流体力を受けて移動する距離を波浪1周期当たりについて求め,これを繰り返して二枚貝の波浪による移動を計算した。波の場の計算に砕波に伴う戻り流れを取り入れることにより, 1987年6月23日の調査時にコタマガイがトラフの底に集積していた状況を良く再現できた。さらに,波浪条件の変化を考慮することにより最大波高に設定した波高H0=2.5m,周期T=9.0secでの集積点が沖の280m点とほぼ一致し,この集積は時化がピークを迎えた時に形成された事が説明された。

以上のように,チョウセンハマグリやコタマガイの分布は泥の存在と波浪の作用の両面から規定されることが示された。砂浜性二枚貝の増殖や侵食対策等海岸保全の為に土木工法を用いる際に,海域が静穏になり過ぎて泥質化しないように,またバーやトラフを生ずる海底地形変化の動態を乱さないよう考慮する事が大切である。また,波浪場における二枚貝移動機構の数理解析手法は,地形と波浪条件及び貝の物性から二枚貝分布域の形成を予測することが可能なので,資源増殖手法として天然または人工種苗を移植する際に,貝の移植場所を選定及び移植後の分布変化を予測するのに有効であると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

チョウセンハマグリMeretrix lamarckii及びコタマガイGomphina melanaegisは外海性砂浜域における漁業対象種として最も重要な二枚貝である。しかしながら,これらの生態は厳しい波浪条件等による調査の困難さから解明が遅れ,資源増殖の方法論を構築するには至っていなかった。本論文は,茨城県鹿島灘の砂浜海岸における分布調査と生態に関する室内実験の結果から稚貝期以降の分布を規定する要因について検討を加え,また力学モデルにより波浪条件下での二枚貝の移動と集積について解析を試みたものである。

序章に続く第2章では、泥分が両種の分布に影響するという仮説について、潜砂実験によりこれを精査した。

チョウセンハマグリ稚貝は泥分が11%以上,底質粒径が53μm以下で潜砂率が急激に低下し,さらに泥に対しても嫌忌性が認められた。一方,生残実験では泥分60%程度まで斃死は認められなかったが,砂泥を5段階に分画して稚貝を静置及び振盪条件下で飼育したところ,44μm以下の画分と共に振盪した区では粘土シルト粒子が懸濁状態となり27日後には全て斃死したが,44μm以上の画分では静置条件よりも生残率が高くなった。これらから、泥分がチョウセンハマグリやコタマガイの分布制限要因になっていると推察され、一方,「砂が動く」事は,むしろ砂浜性二枚貝には必要な環境要因の一つと考えられた。

第3章では,海岸から沖方向へ設けた全長427mの観測桟橋によって海底地形と底質粒径及び二枚貝の分布との関係について調べている。殻長10mm以上のチョウセンハマグリはバー(砂堆)の沖側に分布し,コタマガイはバーの岸側やトラフ(淵)内に分布する傾向があった。静穏な波浪条件では徐々に海底地形が変化し二枚貝の分布傾向は不明瞭となるが,波高2m以上の高波浪で海底地形が大きく変化した時に再び上記のような分布様式が認められた。一方,殻長10mm以下の稚貝では海底地形と分布位置の関係は明確ではなかった。

そこで、第4章では浸食により二枚貝が掘り出される可能性について検討を行った。海底地形に 50cm/day以上の侵食を生じた頻度は1.1%,100cm/day以上は0.09%であり,このような侵食は任意の点において100〜1000日に1回程度起こり得ることが示された。一方,チョウセンハマグリとコタマガイの潜砂速度を実験的に調べたところ(殻長20〜30mm)、水温25℃で前者が平均1.51±0.47mm/secであったのに対し,後者では0.67±0.19mmであり,チョウセンハマグリの潜砂能力が著しく勝っていた。これらは、海底面の侵食速度が200cm/day(2.3×10−2mm/sec)であっても,チョウセンハマグリやコタマガイは砂面の侵食に十分に対応できることを示している。しかし,砕波による渦が砂面を撹拌する場合や底砂の液状化が生じるような場合には潜砂エネルギーの消耗があり,また短時間での侵食速度が潜砂速度を遥かに凌ぐ事もある。なお、チョウセンハマグリに比べコタマガイは扁平で殻表面は粗く,また比重はチョウセンハマグリが1.56〜1.70,コタマガイが1.70〜1.85であったことから,コタマガイはより動かされにくい物理的性状を有して潜砂速度の劣位を補っていると考えられた。

第5章では、波浪による分布位置の変化を、波浪の流体力による物理的輸送のモデルを用いて検証した。観測桟橋の海底断面を想定した任意の海底断面形状に対して、非定常緩勾配方程式を用いて底面流速変動を求めた。これに基づき貝の移動距離を波浪1周期当たりについて求め,また波の場の計算に砕波に伴う戻り流れを取り入れることにより, 1987年6月23日の調査時にコタマガイがトラフの底に集積していた状況を良く再現できた。さらに,最大波高に設定した波高H0=2.5m,周期T=9.0secでの集積点が沖の280m点とほぼ一致し,この集積は時化がピークを迎えた時に形成された事が説明された。

第6章ではこれらの研究を総括するとともに,砂浜性二枚貝の増殖や侵食対策等海岸保全の為に土木工法を用いる際には海域が静穏になり過ぎて泥質化しないよう,またバーやトラフを生ずる海底地形変化の動態を乱さないよう考慮する事の重要性を指摘した。また,波浪場における二枚貝移動のモデルは、地形と波浪条件及び貝の物性から分布域を予測することを可能にさせ,天然または人工種苗を移植する際に,移植場所の選定及び移植後の分布変化を予測するのに有効であると考察した。

以上、本研究は、貝自身の生物特性および波浪条件下での分布調査を独創的な手法によって明らかにするとともに、従来は指針すら無かった砂浜性二枚貝の増殖技術を大きく前進させたものであり、基礎科学上、また応用科学上の貢献は少なくない。よって審査員一同は、本研究を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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