学位論文要旨



No 215752
著者(漢字) 久林,高市
著者(英字)
著者(カナ) クバヤシ,タカシ
標題(和) ヒノキ根株心腐れ病の発病機構と伝播様式の解明
標題(洋)
報告番号 215752
報告番号 乙15752
学位授与日 2003.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15752号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 助教授 福田,健二
 東京大学 助教授 山田,利博
 東京大学 講師 松下,範久
内容要旨 要旨を表示する

九州地域を中心に西日本でヒノキ根株心腐れ病(以下,心腐れという)がみられる。一般に心腐れが発生すると材の利用歩留まりが低下するため,森林所有者は利用間伐や主伐の際に経済的損失を被ることになり,長伐期施業林ではさらに深刻な問題になると言われている。長崎県ではヒノキが主要な造林樹種であり,心腐れがしばしばみられることから,心腐れは長崎県の重要な材質劣化病害と位置づけられている。しかし,心腐れについては未解明の部分が多く残されている。この調査は,心腐れの発生環境および樹幹内での進展状況を把握し,関与菌とその伝播様式を明らかにすることを目的に実施された。

ヒノキ根株心腐れ病の発生環境

心腐れの発生環境を把握するため,13年生〜66年生ヒノキ林でいくつかの立地要因および林齢と心腐れ発生率(以下,発生率という)との関係を調査した。心腐れは長崎県下のすべての地域でみられたが,発生状況は地域によって異なっていた。心腐れの発生は,表層地質,斜面傾斜,斜面形および林齢と関係がみられた。安山岩地帯,火山砕屑岩地帯および玄武岩地帯で,発生率の高い調査区が多かった。これらの地帯の土壌は,保水性が高く透水性が中庸あるいは小さかった。頁岩地帯および黒色片岩地帯で,発生率の低い調査区や心腐れがみられない調査区が多かった。これらの地帯の土壌は,保水性が中庸あるいは低く透水性が大あるいは中庸であった。急傾斜地でも心腐れはみられたが,緩傾斜地に比べて発生率は低かった。上昇斜面は平衡斜面や下降斜面に比べて発生率が低かった。これらの結果から土壌中の水分条件が心腐れの発生に影響していることが示唆された。心腐れの発生が確認された最も若い林齢は,15年生から25年生であり,表層地質間で著しい差異はみられなかった。安山岩地帯,火山砕屑岩地帯および頁岩地帯では林齢と発生率との間に関係がみられなかった。これらの地帯では,一定期間に心腐れが多く発生し,その後の発生はわずかであることが推察された。玄武岩地帯および砂岩・泥岩地帯では発生率との間にやや関係がみられた。これらの地帯では,時間の経過に従って心腐れが発生することが推察された。

表層地質が火山砕屑岩に属し立地条件がほぼ同一の25年生,35年生および50年生ヒノキ林3カ所で心腐れの樹幹内での進展について調査した。伐採木口面における心腐れ部の長径と短径の平均値(以下,腐朽部直径という)は,それぞれ1.0cm〜26.0cm(平均7.0cm),1.5cm〜26.0cm(平均14.1cm)および2.5cm〜35.5cm(平均14.0cm)であり,腐朽高は,伐採木口面からそれぞれ10cm〜180cm(平均66.2cm),20.0cm〜300.0cm(平均139.5cm)および30.0cm〜430.0cm(平均199.8cm)であった。腐朽部直径は35年生以降有意には拡大していなかったのに対し,腐朽高は林齢が増加するに従って有意に拡大していた。同一林齢でも腐朽部直径が大きくなるに従って腐朽高も高くなっていた。林齢別の腐朽高別出現割合のピークが,林齢の増加に従ってより高い腐朽高区分に移行していたことから,今回の調査林では心腐れが一定期間に多く発生したことが示唆された。

35年生ヒノキ林で心腐れが収穫材積の損失に及ぼす影響について調査した。腐朽材積は0.9169m3で収穫予定材積の6.95%にすぎなかった。しかし,心腐れのために林内に切り捨てられた丸太の材積は4.1569m3で収穫予定材積の31.5%に達し,腐朽材積の約4.5倍に相当することが分かった。また,伐採現場では腐朽部を含む部位を切り捨てるため,腐朽材積よりも腐朽高が重要であることが示唆された。

ヒノキ根株心腐れ病に関与する菌類

25年生ヒノキ林で心腐れに関与する菌類を調査した。設定した調査林内の本数および発生率は,調査林1が178本,69.1%,調査林2が70本,75.7%,調査林3が46本,76.1%であった。腐朽部から分離された菌類は,菌叢の肉眼的顕微鏡的特徴に基づき12種類に分けられ,分離本数の多寡に基づき6つのグループ(A,B,C,F,GおよびO)にまとめられた。グループA,B,C,FおよびGはそれぞれ単一の種である。分離に成功した全調査木に占めるそれぞれのグループの割合は,各グループそれぞれ24.0%,17.0%,23.1%,15.5%および9.1%であった。グループCおよびGに属する菌は同定されたが,グループA,BおよびFに属する菌は同定されなかった。グループOは7種の菌をまとめたもので,いずれも分離された本数は少ない。グループA,BおよびFに属する菌の培養特性のうち,菌叢の特徴が互いに異なっていたほか,菌の伸長速度,菌糸の幅,温度別菌糸伸長量などが互いにわずかに異なっていた。これらのグループに属する菌の培養特性は,グループCおよびGに属する菌とは明らかに異なっていた。

腐朽部から分離したグループGに属する菌とキゾメタケ(Tinctoporellus epimiltinus (Berk. and Br.)Ryv.)子実体組織から分離した菌の培養特性が一致した。キゾメタケの単胞子分離菌株とグループGに属する腐朽部由来の複核菌株との間でダイーモン交配試験をおこなった結果,供試したすべての単胞子菌株は腐朽部由来の菌株によって複核化した。このことからグループGに属する菌がキゾメタケであることが明らかになった。キゾメタケを24年生のヒノキの根に接種した。接種1〜2年経過後すべての供試木で接種に起因する心腐れが観察され,接種源に用いた菌が接種供試木の腐朽部から再分離された。これらの菌は同一クローンであった。このことから,キゾメタケが心腐れを起こすことが証明された。

野外調査で黄色い背着生の子実体が,ヒノキの切り株や丸太の木口面およびいくつかの広葉樹の切り株に発生しているのが確認された。これらの子実体は形態的および化学的特性に基づきコガネコウヤクタケ(Phlebia chrysocrea (Berk. and Curt.)Burds.)と同定された。グループCに属する菌の培養菌叢は,コガネコウヤクタケ子実体由来の菌の特徴と一致した。コガネコウヤクタケの単胞子分離菌株とグループCに属する腐朽部由来の複核菌株との間でダイーモン交配試験をおこなった結果,供試したすべての単胞子菌株は腐朽部由来の菌株によって複核化した。このことからグループCに属する菌がコガネコウヤクタケであることが明らかになった。コガネコウヤクタケを25年生のヒノキの根に接種した。接種1年経過後すべての供試木で接種に起因する心腐れが観察され,接種源に用いた菌が接種供試木の腐朽部から再分離された。これらの菌は同一クローンであった。このことから,コガネコウヤクタケが心腐れを起こすことが証明された。

ヒノキ根株心腐れ病の伝播様式

25年生のヒノキ林でキゾメタケとコガネコウヤクタケのクローン分布を調査した。キゾメタケ11菌株とコガネコウヤクタケ29菌株の体細胞不和合性についてPDA平板培地およびノコクズ・米ヌカ培地を用いて対峙培養により試験した。キゾメタケ3菌株以外は,すべての組み合わせで拮抗反応がみられた。拮抗反応はPDA平板培地よりノコクズ・米ヌカ培地の方が明瞭であった。体細胞和合性を示す菌株は,RAPD法による電気泳動バンドパターンがお互いに一致した。これらのことから,これら体細胞和合性の菌株は単一クローンに属することが示唆された。調査区内ではキゾメタケの3菌株が同一の体細胞和合性のグループに属しており,合計で9クローンが見つかった。このことからキゾメタケは主に担子胞子で拡大していることが示唆された。また,キゾメタケは栄養繁殖的伝播によっても拡大しており,11.1m離れた木にまで拡がっていることが確認された。コガネコウヤクタケの菌株は,すべて異なる体細胞不和合性のグループに属していた。このことからコガネコウヤクタケは,ほとんど栄養繁殖的伝播によっては拡大しないことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

九州地域を中心に西日本ではヒノキ根株心腐れ病(以下、心腐れ)が発生し、被害を受けると材の歩留まりが著しく低下するために間伐や主伐の際に経済的な損失が生じ、長伐期施業ではさらに深刻な問題となっている。長崎県は島嶼や半島が多いためヒノキやマツの適地が多く、ヒノキは民有林造林面積の65%を占めるに至っていてしばしば心腐れがみられることから、本病は長崎県の重要な材質劣化病害と位置付けられている。しかし、心腐れについてはその詳細が未だに明らかにされていない。

本論文は、ヒノキ根株心腐れ病の発生環境、関与する菌類、そして伝播様式を明らかにしたもので、4章よりなっている。

第1章では、ヒノキ根株心腐れ病の発生環境について、心腐れは長崎県下全域でみられ、最も若い林齢はヒノキの15年生から発生し、安山岩、火山砕屑岩、玄武岩地帯で発生率が高く、土壌の停滞水が心腐れの発生に影響を及ぼしていることを明らかにした。樹幹内で心腐れは、25年生、35年生、50年生と林齢が増すに従って、腐朽高の平均値はそれぞれ66cm、140cm、200cmと有意に拡大していることから、心腐れの発生時期が一定時期に集中していることが示唆された。また、心腐れによって腐朽した材積は収穫予定材積の7.0%程度であるが、林内に伐り捨てられた材積を含めると収穫予定材積の32%に達した。このことから、心腐れによる実際の被害量は、腐朽材積よりも心腐れの腐朽高に相関が高いことが示された。

第2章では、ヒノキ根株心腐れ病に関与する菌類について、主要な菌類は5種類であり、それらの中で腐朽部から分離された複相菌糸と既知の子実体からの単相菌糸を対峙培養させた結果、キゾメタケ(Tinctoporellus epimiltinus)とコガネコウヤクタケ(Phlebia chrysocrea)が同定された。これらの菌類による心腐れの発生率はそれぞれ9.1%および23.1%であった。接種試験の結果から、いずれも接種1〜2年後には心腐れが引き起こされて、ヒノキに対して病原性があることが明らかにされた。これらの菌類はいずれも広葉樹に多く発生する菌類として知られているが、ヒノキに対してキゾメタケは白色腐朽、コガネコウヤクタケは斑点状腐朽を引き起こすことが培養的性質と接種試験の結果から明らかにされた。その他3種の菌類は、発生率がそれぞれ24.0%、17.0%、15.5%であったが、同定されるには至らなかった。

第3章では、ヒノキ根株心腐れ病の林内における伝播様式について、25年生ヒノキ林のキゾメタケとコガネコウヤクタケのクローン分布を体細胞不和合性およびRAPD法を用いて明らかにした。その結果、キゾメタケは従来子実体がみつからないことからおもに栄養繁殖によって伝播するのではないかと推測されていたが、ほとんどの腐朽部から異なるクローン菌株が分離され、おもに担子胞子で伝播・拡大していることが明らかにされた。また、栄養繁殖によっても最大11m離れたヒノキにまで伝播していた。コガネコウヤクタケは、供試した菌株すべてが異なる体細胞不和合性を示したことから栄養繁殖によってはほとんど伝播・拡大しないことが明らかにされた。したがって、本菌の場合には子実体形成が可能な広葉樹伐倒木の放置が本病による心腐れ被害の拡大につながるものと考えられた。

第4章は、総合考察にあてられ、キゾメタケおよびコガネコウヤクタケによるヒノキ根株心腐れ病は、一ヵ所の感染中心から広く拡大する可能性は低く、担子胞子の伝播が被害の拡大・蔓延の主要な要因であることから、その拡大を回避する方法として胞子の定着を阻害することが重要であることが明らかにされた。

以上を要するに、本論文は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク