学位論文要旨



No 215758
著者(漢字) 彦野,弘一
著者(英字)
著者(カナ) ヒコノ,ヒロカズ
標題(和) ウシ造血系における幹細胞成長因子SCFとその受容体c-kitに関する研究
標題(洋) Studies on Stem Cell Factor and its Receptor, c-kit, in the Bovine Hematopoietic System
報告番号 215758
報告番号 乙15758
学位授与日 2003.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15758号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 今川,和彦
内容要旨 要旨を表示する

細菌感染症は、幼若ウシにおいて下痢や肺炎などを引き起こし、その治療コスト、生産性の減少、高い罹患率と死亡率などにより、畜産業に多大の経済的損失をもたらしている。さらに、細菌感染症を防ぐために用いられる抗生物質は、その不適当な使用が耐性菌を発生させることから、公衆衛生上大きな問題となっている。そのため、細菌感染症に対処するための新たな免疫制御物質が望まれている。

病原細菌の感染に対して、顆粒球は骨髄中の造血前駆体細胞から誘導される。しかし、幼若動物にしばしば見られる顆粒球造血不全は、幼若ウシの細菌感染の高い罹患率に関与していると予想される。よって、顆粒球造血を促進するような免疫制御物質は、幼若ウシにおける細菌感染の予防と治療に利用できる新しい生理活性物質候補であると考えられている。

これまでに、顆粒球特異的な造血因子である顆粒球コロニー形成因子(G-CSF)を用いて幼若動物の顆粒球造血を促進し、細菌感染症の発生を抑える試みが検討されてきた。しかし、マウスの結果から、G-CSFは比較的後期の分化段階にある顆粒球系細胞の造血因子であり、in vivoにおける顆粒球造血を誘導する能力は限られたものであることが示唆された。よって、比較的早期の分化段階の顆粒球系細胞の造血因子を、G-CSFとともに使用することにより、より多くの成熟顆粒球生産を誘導することが期待された。

Stem Cell Factor(SCF)は多機能のサイトカインで、標的細胞に存在する細胞膜貫通型チロシンキナーゼ受容体c-kitに結合し活性化することで生物活性を発揮する。マウスの結果から、SCFは、比較的早期の分化段階の顆粒球系造血前駆体細胞に働き、G-CSFと協働的に働いて、得られる成熟顆粒球の数を大幅に増大させることが示された。そのため、ウシにおいても、SCFをG-CSFとともに用いることで、ウシにおける顆粒球造血を誘導し、細菌感染症の発生を抑制できる可能性が考えられる。しかし、ウシにおけるSCFの機能は、これまで充分に検討されていない。

一方、SCFとその他のCSFは実験的あるいは臨床的目的で造血前駆体細胞の培養に用いられている。同時に、造血前駆体細胞の培養系では、細胞の増殖を支持するためにウシ胎児血清(FCS)が広く使用されている。マウスの結果から、SCFがFCS中に存在し、内在性因子として造血前駆体細胞の増殖を誘導するため、FCSを添加した培養系において用いられる様々な造血サイトカインの生物活性の解釈に影響を与えることが示唆されている。しかし、FCS中の天然型SCFの存在と濃度は、これまで検討されていなかった。

本研究においては、ウシの造血系におけるSCFとc-kitの発現と機能およびFCS中の天然型ウシSCFについての基本的知見を得る目的で実験を行い、以下の結果を得た。

ウシSCFおよびその受容体であるc-kitのcDNAのクローニングと両分子に対するモノクローナル抗体の作製

RT-PCRを用いて、ウシSCFの2種類のアイソフォームをコードするcDNAを得た。予想されるアミノ酸配列は、長いアイソフォームと短いアイソフォームがそれぞれ274個と246個のアミノ酸残基からなり、他の動物種のSCFのcDNAと高い相同性を示した。バキュロウイルスベクターを用いて、組換えウシSCFタンパク質を生産し、これをマウスに免役し、モノクローナル抗体bS-8を得た。ウエスタンプロット解析を用いて、bS-8の反応性を確認した。

ウシ大脳cDNAライブラリーをスクリーニングすることにより、ウシc-kitをコードするcDNAを得た。予想されるアミノ酸配列は、他の動物種のc-kitのcDNAと高い相同性を示した。バキュロウイルスベクターを用いて、ウシc-kitタンパク質の細胞外領域を生産し、これをマウスに免役することにより、6クローンのモノクローナル抗体を得た。免疫沈降とフローサイトメトリー解析を用いて、ウシc-kitタンパク質に対するモノクローナル抗体の反応性を検討した。6クローンのモノクローナル抗体のうち、4クローンがウシSCFに対して中和活性を示した。

得られたウシSCFおよびc-kitに対するモノクローナル抗体は、以下の研究において、ウシ造血系におけるこれら分子の発現と機能を検討するため使用された。さらに、FCS中のウシSCFの検出と定量に応用された。

ウシ骨髄におけるSCFとc-kit受容体の機能と発現

フローサイトメトリー解析により幼若ウシ骨髄におけるc-kitの発現と分布を調べ、SCFの標的細胞を同定した。さらに、コロニー形成試験を用いて、c-kit陽性骨髄細胞におけるSCFとG-CSFの機能を検討した。フローサイトメトリー解析の結果、c-kit受容体が全骨髄細胞のおよそ18%に発現していることが示された。ほとんどのc-kit陽性骨髄細胞は細胞系列分化マーカーを発現していなかったが、一部はCD3を共発現していた。ギムザ染色の結果、c-kit陽性CD3陰性骨髄細胞は不均一な細胞集団で芽球様細胞からなり、骨髄芽球、前骨髄球、前赤芽球、塩基性赤芽球からなることが明らかにされた。対照的に、c-kit陽性CD3陽性骨髄細胞は均一な細胞集団で、リンパ球様の細胞からなることが示された。c-kit陽性骨髄細胞は、SCFまたはG-CSF存在下でコロニーを形成したが、一方、c-kit陰性骨髄細胞は、同条件下ではコロニーを形成しなかった。G-CSFとともにSCFを培養系に添加することにより、コロニーの数とサイズは相乗的に増加した。これらの結果は、c-kitが主としてウシ骨髄中の未成熟な造血細胞に発現し、c-kit陽性骨髄細胞はSCFまたはG-CSFに反応する造血前駆体細胞を含むことを示している。さらに、c-kit陽性骨髄細胞の増殖において、SCFはG-CSFと協働的に働くことを示している。以上の結果は、今後、SCFを用いて幼若ウシにおける不完全または不適当な顆粒球造血を改善する研究をすすめるのに有用と考えられた。

ウシ末梢血におけるSCFとc-kit受容体の機能と発現

フローサイトメトリー解析によりウシ末梢血におけるc-kitの発現と分布を調べ、SCFの標的細胞を同定した。さらに、コロニー形成試験等を用いて、c-kit陽性末梢血細胞におけるSCFとの機能を検討した。フローサイトメトリー解析の結果、この受容体が全末梢血白血球のおよそ1.5%に発現していることが示された。ギムザ染色の結果、c-kit陽性末梢血細胞は大リンパ球様の形態を持つことが示された。c-kit陽性末梢血細胞の一部は、CD3、sIgM、CD11bを共発現していたが、CD14、G1は発現していなかった。c-kit陽性末梢血細胞は、SCF存在下で[3H]チミジンを取り込まず、コロニーも形成しなかった。以上の結果は、ウシの末梢血においてc-kit受容体はリンパ球の一部に発現するが、リガンドであるSCFは直接的にはその増殖に関与しないことを示している。

FCSに含まれる天然型SCFの検出と定量

免疫クロマトグラフィにより、FCSから天然型可溶性ウシSCFを精製した。ウエスタンブロット解析の結果、精製された天然型SCFは33kDaの分子量を持つことが示された。ELISAの結果、市販のFCSに含まれる天然型可溶性SCFのレベルは、100pg/ml以下であることが示された。一方、ウシ骨髄細胞を用いた[3H]チミジン取り込み試験とコロニー形成試験により組換えウシSCFタンパク質の有効濃度を検討したところ、ng/ml以上の濃度で生物活性を発揮することが示された。以上の結果から、市販のFCSに含まれる天然型可溶性SCFのレベルは、FCS添加の培養系において造血前駆体細胞の増殖に生物効果を示す濃度には達していないと考えられた。今後さらに他のサイトカインとの協働試験が必要である。

以上、本研究において、ウシの造血系におけるSCFとc-kitの発現と機能について基本的な知見を得た。これらの知見は、ウシの健康あるいは疾病における両分子の生物学的役割を理解し、今後の組換えウシSCFの臨床応用にむけた研究において有用であると考えられる。さらに、本研究において、FCS中の天然型ウシSCFについての知見を得た。この知見は、FCSを添加した培養系で検討された造血サイトカインの生物活性の正確な評価のため有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

顆粒球造血を促進するような免疫制御物質は、幼若ウシにおける細菌感染の予防と治療に利用できる新しい生理活性物質候補であると考えられている。Stem Cell Factor(SCF)は、マウスの結果から、SCFは、顆粒球コロニー形成因子(G-CSF)と協働的に作用し、顆粒球造血を誘導することが知られている。そのため、ウシにおいても、SCFをG-CSFとともに用いることで、細菌感染症の発生を抑制できる可能性が考えられる。しかし、ウシにおけるSCFの機能は、これまで充分に検討されていなかった。

一方、造血前駆体細胞の培養系では、ウシ胎児血清(FCS)が広く使用されている。マウスの結果から、SCFがFCS中に存在し、FCSを添加した培養系において用いられる造血サイトカインの生物活性の解釈に影響を与えることが示唆されている。しかし、FCS中の天然型SCFの存在とその濃度は、これまで検討されていなかった。

本研究においては、ウシの造血系におけるSCFとその受容体c-kitの発現と機能およびFCS中の天然型ウシSCFについての基本的知見を得る目的で実験を行い、以下の結果を得た。

ウシSCFおよびその受容体であるc-kitのcDNAのクローニングと両分子に対するモノクローナル抗体の作製

ウシSCFおよびc-kitcDNAをクローニングし、cDNAを含む組換えバキュロウイルスを用いて組換えタンパク質を生産し、これをマウスに免疫し、モノクローナル抗体を得た。得られたウシSCFおよびc-kitに対するモノクローナル抗体は、以下の研究において、ウシ造血系におけるこれら分子の発現と機能の検討、さらに、FCS中のウシSCFの検出と定量に応用された。

ウシ骨髄におけるSCFとc-kit受容体の機能と発現

フローサイトメトリー解析の結果、c-kit受容体が全骨髄細胞のおよそ18%に発現していることが示された。ほとんどのc-kit陽性骨髄細胞は細胞系列分化マーカーを発現していなかったが、一部はCD3を共発現していた。ギムザ染色の結果、c-kit陽性CD3陰性骨髄細胞は不均一な芽球様細胞からなり、対照的に、c-kit陽性CD3陰性骨髄細胞は均一なリンパ球様細胞からなることが示された。c-kit陽性骨髄細胞は、SCFまたはG-CSF存在下でコロニーを形成したが、一方、c-kit陰性骨髄細胞は、同条件下ではコロニーを形成しなかった。G-CSFとともにSCFを培養系に添加することにより、コロニーの数とサイズは相乗的に増加した。これらの結果は、c-kitが主としてウシ骨髄中の未成熟な造血細胞に発現し、c-kit陽性骨髄細胞はSCFまたはG-CSFに反応する造血前駆体細胞を含むことを示している。

ウシ末梢血におけるSCFとc-kit受容体の機能と発現

フローサイトメトリー解析の結果、c-kit受容体が全末梢血白血球のおよそ1.5%に発現していることが示された。ギムザ染色の結果、c-kit陽性末梢血細胞は大リンパ球様の形態を持つことが示された。c-kit陽性末梢血細胞の一部は、CD3、sIbM、CD11bを共発現していたが、CD14、G1は発現していなかった。SCF存在下におけるc-kit陽性末梢血細胞の増殖は認められなかった。以上の結果は、ウシの末梢血においてc-kit受容体はリンパ球の一部に発現するが、リガンドであるSCFは直接的にはその増殖に関与しないことを示している。

FCSに含まれる天然型SCFの検出と定量

免疫クロマトグラフィにより、FCSから天然型可溶性ウシSCFを精製、検出した。ELISAの結果、市販のFCSに含まれる天然型可溶性SCFのレベルは、100pg/ml以下であることが示された。一方、組換えウシSCFタンパク質は、ng/ml以上の濃度で生活活性を発揮することが示された。以上の結果から、市販のFCSに含まれる天然型可溶性SCFのレベルは、FCS添加の培養系において造血前駆体細胞の増殖に生物効果を示す濃度には達していないと考えられた。今後さらに他のサイトカインとの協働試験が必要である。

以上、本研究において、ウシの造血系におけるSCFとc-kitの発現と機能について基本的な知見を得た。これらの知見は、ウシの健康あるいは疾病における両分子の生物学的役割を理解し、今後の組換えウシSCFの臨床応用にむけた研究において有用であると考えられる。さらに、FCS中の天然型ウシSCFについての知見は、FCSを添加した培養系で検討された造血サイトカインの生物活性の正確な評価のため有用であると考えられる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の内容を有するという意見で一致した。

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