学位論文要旨



No 215759
著者(漢字) 安達,成彦
著者(英字)
著者(カナ) アダチ,ナルヒコ
標題(和) 逆構造生物学的手法を用いた転写関連因子の研究
標題(洋) Analyses on the transcription-related factors using reverse structural biology
報告番号 215759
報告番号 乙15759
学位授与日 2003.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15759号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

生物学の中心課題は、構造と機能の特異的相関関係を明らかにすることにある。これらに対応して、構造生物学と機能生物学が急速に発展してきた。近年、立体構造情報は飛躍的に増加しており、1983年には200件、1993年には2000件であった蛋白質立体構造データベース(Protein Data Bank)への登録件数は、2003年3月現在では20000件に達している。しかし現状では、構造生物学で立体構造が解析された後に、その情報を利用して機能生物学の研究が新しい考えの元に進められることは少ない。申請者らは、遺伝情報を機能生物学に利用する逆遺伝学と同様に、構造情報を機能生物学に利用する手法を「逆構造生物学」と名付ける。本論文では、逆構造生物学的手法を用いて、立体構造情報を遺伝子発現制御の要である転写研究分野及びクロマチン研究分野に適用した3種の例を紹介する。

第一に、真核細胞生物クロマチンの主成分ヒストンの化学修飾と脱修飾を介して、クロマチン転写制御において中心的役割を果たすヒストンアセチル化酵素(HAT)とヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の活性中心部位付近に、共通の構造・機能モチーフを発見したことを報告する。

真核細胞生物のゲノムDNAは進化上高度に保存された塩基性蛋白質であるヒストンと結合することで、ヌクレオソームと呼ばれる構造を形成している。ヌクレオソームは転写反応に阻害的に機能するため、ヌクレオソームの形成と破壊機構の理解はクロマチン転写機構を理解する上で必要不可欠である。これらの考えに沿って、ヒストンのN末端側領域のリジン残基のアセチル化やメチル化などの修飾が、ヌクレオソームの機能変換に重要であることが示されてきた。ヒストンN末端側領域の特定のリジン残基のアセチル化修飾はHATとHDACにより制御される。進化上高度に保存されたEsa1 (HAT)とRpd3 (HDAC)は、ヒストンH4のN末端から12番目のリジン残基をアセチル化・脱アセチル化し、転写調節・遺伝子サイレンシング・X染色体における遺伝子量補償・DNA修復・アポトーシスにおいて対として機能することが知られている。申請者らは、このような機能上の強い相同性から、逆反応ながらも Esa1 と Rpd3 には共通のリジン残基を認識する相同な構造があると予測した。

今回、Esa1とRpd3の間に21アミノ酸に渡る1次構造上の相同領域(ERモチーフ)を見出し(図1a)、機能解析を行ったので報告する。ERモチーフは、立体構造上活性中心のごく近傍に存在することから、両酵素活性に重要であることが示唆された(図1b)。次に、CDスペクトル解析によりEsa1とRpd3のERモチーフの2次構造が相同であることを明らかにした(図1c)。最後に、ERモチーフ領域の各アミノ酸の点変異体の活性検定を行った結果、Esa1とRpd3において、機能上対応する結果が得られた(図1d)。以上の逆構造生物学的解析から、EsalとRpd3において、ERモチーフが共通の構造と機能を持つことが示された。これらの知見から、対となって働く酵素は共通モチーフを持ち得る可能性があり、さらに、正逆の反応を担う酵素の活性中心部位付近に共通モチーフ構造を探すことによって、生体内で対となって働く酵素を予測できうるという可能性を切り開いたと考える。

第二に、細胞の運命決定を担う細胞周期G1/S期進行制御および細胞の癌化において中心的役割を果たすガンキリンについて、出芽酵母ホモログNas6pの立体構造を解析し、新たに得られた立体構造情報からG1/S期進行制御モデルを予測したので報告する。

細胞周期G1/S期の進行制御および細胞の癌化は、CDK4/6によるRbのリン酸化によって制御される。Rbのリン酸化は、Rb-転写因子E2F複合体の解離を引き起こし、E2FはG1/S期進行促進因子群の遺伝子発現を促進する。CDK4/6によるRbリン酸化は二種類のアンキリン構造蛋白質(ガンキリンとINK (Inhibitor of CDK))によって正と負に制御されている。これまでに、負の制御機構はINK4d-CDK6複合体の立体構造解析から詳細に解析されていたが、正の制御機構はガンキリンの立体構造が未知であるために不明であった。さらに、Rbには複数のリン酸化部位が存在するものの、選択的にリン酸化される仕組みについては全く不明であった。申請者らは、ガンキリンの立体構造を解析し INK4d-CDK6 複合体と比較することで、正の制御機構およびRbの特異的部位のリン酸化機構を明らかにできると考えた。

ガンキリンとその出芽酵母ホモログであるNas6pについてX線立体構造解析を進めた結果、Nas6pの結晶化・X線解析が先行したので報告する(図2a)。立体構造解析の結果、Nas6pが7つのアンキリン構造・N末側とC末側に2つの酸性領域・湾曲構造という特徴を持つことが明らかになった(図2b)。まず、アンキリン構造のうちN末側の5つは、CDK4/6 と相互作用すること、この領域がINK4d-CDK6複合体の立体構造におけるINK4dとよく重なることから、ガンキリン-CDK6複合体の立体構造が予想された。ここから、ガンキリンがINK4dからCDK6を奪うというG1/S期進行の正の制御機構を考察できた(図2c)。次に、ガンキリン-CDK6複合体の予測立体構造において、C末側の2つのアンキリン構造が湾曲構造のためにCDK6の活性中心部位に向かって伸びていること、ガンキリンのC末側領域はCDK6の基質であるRbとLXCXEモチーフを介して相互作用すること、Rb-LXCXEペプチドの共結晶構造が解析されていることから、ガンキリン-Rb複合体の立体構造を予測することができた。これら全ての知見を考え合わせると、ガンキリン-CDK6-Rb複合体を予測できる(図2d)。以上の逆構造生物学的解析により、ガンキリンがRbの特定のリン酸化部位をCDK4/6に向けることで、Rbの特定部位が選択的にリン酸化される機構が示唆された。さらに、ガンキリンはプロテアソームの制御因子であり、ガンキリン-CDK6-Rb複合体はシグナル伝達・転写調節・蛋白分解の中心因子の複合体であることから、今回の解析により細胞の運命決定において重要な役割を担う複合体の立体構造を予測できたと考える。

最後に、真核細胞生物の転写基本因子と転写開始機構の進化上の起源を解析したので報告する。

真核細胞生物と原核細胞生物の転写開始反応には、転写酵素と転写開始因子により構成される転写装置が必要である。これまでの1次構造・立体構造解析から、真核細胞生物と原核細胞生物において、転写酵素は機能・構造ともに高い相同性をもつことが知られている。一方、転写開始因子は、真核細胞生物では転写基本因子群として複数の因子 (TFIIA, IIB, IID, IIE, IIF, IIH) が存在するのに対して、原核細胞生物ではσのみと、因子の構成が大きく異なるものの、σの性質が転写基本因子に分担されて引き継がれたと考えられていた。

これらの考えに沿って、転写基本因子 (TBP, TFIIB, TFIIE, TFIIF) とσの間に、1次構造上の相同性が見出されてきた。しかし、転写基本因子とσのDNA結合ドメインの立体構造が明らかになると、1次構造より提案した相同領域は、立体構造上相同でないことがわかった。ここで申請者らは、真核細胞生物と原核細胞生物のRNAポリメラーゼやアクチンを比較した場合、1次構造よりも3次構造がより保存されていることに注目し、転写基本因子に進化上対応する原核細胞生物の因子は、1次構造が保存されていなくとも立体構造が保存されていると予想した。

今回、申請者らは転写基本因子と相同なフォールド構造を持つ因子を検索したので報告する(図3a)。驚くことに、TBPはσではなく原核細胞生物転写酵素αと相同なフォールド構造を持つことがわかった。全長のアミノ酸配列の相同性は低いものの、分子内部のアミノ酸の化学的性質はよく保存されていた(図3b)。一方で、分子表面に露出したアミノ酸の相同性は低く、実際、TBPはそのDNA結合能を反映して全体が塩基性であるのに対してαは酸性であった(図3c)。また、その他の転写基本因子 (TFIIB, TFIIH, TFIIE, TFIIF) についてはσと相同なフォールド構造を持つことがわかった。以上の逆構造生物学的解析により、転写基本因子とα・σの進化上の起源が同一であるらしいことが予測できた。申請者らは、真核細胞生物の転写機構において、正の制御因子TBPと負の制御因子ヒストンがともに真核細胞生物特有であること、TBPとヒストンがともにDNAに結合して他を排除することから、TBPがヒストンと競合することによってRNAポリメラーゼの結合部位を確保するという分子機構の進化モデルを提唱する。今回の解析は、発見しにくい立体構造の類似性から進化上の対応をつけることに加えて、今迄になかった分子機構を予測できるという点で重要であると考える。

以上をまとめて、「立体構造情報から分子機構モデルを提唱→分子機構に重要なアミノ酸に点変異を導入→機能生物学的実験によるモデルの証明」という逆構造生物学の手法と有効性を提唱できたと考える。構造生物学と機能生物学は車軸の両輪のごとく切り離せないものである。構造生物学と機能生物学をつなぐ新しいアプローチとして、今後、逆構造生物学的手法の新しい展開を示していきたい。

ERモチーフの発見と解析a, ヒストンアセチル化酵素Esa1とヒストン脱アセチル化酵素Rpd3の間に、21アミノ酸に渡る相同領域を発見した。b, 立体構造上、ERモチーフは、Esa1, Rpd3の活性中心のごく近傍に位置する。またEsa1の立体構造から、ERモチーフに属するアミノ酸は、活性中心に面したER1,分子内部に覆われたER2,活性中心に面していないER3に分類できる。c, CDスペクトル解析の結果、Esa1とRpd3のERモチーフ領域の2次構造は相同であった。d, ERモチーフ領域の各アミノ酸の点変異体を用いた解析を行った結果、ER1, ER2が両酵素の酵素活性に重要で、ER3が重要ではないという結果が得られた。

癌遺伝子産物ガンキリンの出芽酵母ホモログNas6pの立体構造解析 a, 癌遺伝子産物ガンキリンとその出芽酵母ホモログNas6pについてX線による立体構造解析を進めた結果、Nas6pの結晶化(上)・X線解析(下)が先行した。b, Nas6p立体構造のリボン図。Nas6pは3つの立体構造上の特徴(7つのアンキリン構造・N末側とC末側に2つの酸性領域・湾曲構造)を持つ。c,アンキリン構造のうちN末側の5つがCDK4/6と相互作用すること、この領域がINK4d-CDK6複合体の立体構造におけるINK4dとよく重なることから予測した、ガンキリン-CDK6複合体の立体構造。d, RB-LXCXEモチーフの共結晶構造が解析されていることと、図2cから予測した、ガンキリン-CDK6-Rb複合体の立体構造。

真核細胞生物の転写基本因子と転写開始機構の進化上の起源a, 真核細胞生物転写基本因子TBPは、原核細胞生物転写開始因子σ因子ではなく原核細胞生物転写酵素αサブユニットと相同なフォールド構造を持つ。b, 全長のアミノ酸配列の相同性は低いが、分子内部に位置して立体構造を維持するアミノ酸の化学的性質はよく保存されていた。一方、分子表面に露出したアミノ酸の相同性は低い。c, TBPとαサブユニヅトは、分子表面の電荷的性質は大きく異なる。

審査要旨 要旨を表示する

生物学の中心課題は、構造と機能の特異的相関関係を明らかにすることにある。これらに対応して、構造生物学と機能生物学が急速に発展してきた。近年、立体構造情報は飛躍的に増加しており、1983年には200件、1993年には2000件であった蛋白質立体構造データベース(Protein Data Bank)への登録件数は、2003年3月現在では20000件に達している。しかし現状では、構造生物学で立体構造が解析された後に、その情報を利用して機能生物学の研究が新しい考えの元に進められることは少ない。申請者は、遺伝情報を機能生物学に利用する逆遺伝学と同様に、構造情報を機能生物学に利用する手法を「逆構造生物学」と名付け、本論文では、逆構造生物学的手法を用いて、立体構造情報を遺伝子発現制御の要である転写研究分野及びクロマチン研究分野に適用した3種の例を報告している。

第一章では、真核細胞生物クロマチンの主成分ヒストンの化学修飾と脱修飾を介して、クロマチン転写制御において中心的役割を果たすヒストンアセチル化酵素(HAT)とヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の活性中心部位付近に、共通の構造・機能モチーフを発見した研究結果を報告している。

真核細胞生物のゲノムDNAは進化上高度に保存された塩基性蛋白質であるヒストンと結合することで、ヌクレオソームと呼ばれる構造を形成している。ヌクレオソームは転写反応に阻害的に機能するため、ヌクレオソームの形成と破壊機構の理解はクロマチン転写機構を理解する上で必要不可欠である。これらの考えに沿って、ヒストンのN末端側領域のリジン残基のアセチル化やメチル化などの修飾が、ヌクレオソームの機能変換に重要であることが示されてきた。ヒストンN末端側領域の特定のリジン残基のアセチル化修飾はHATとHDACにより制御され、進化上高度に保存されたEsa1 (HAT)とRpd3 (HDAC)は、ヒストンH4のN末端から12番目のリジン残基をアセチル化・脱アセチル化し、転写調節・遺伝子サイレンシング・X染色体における遺伝子量補償・DNA修復・アポトーシスにおいて対として機能することが知られている。申請者は、このような機能上の強い相同性から、逆反応ながらもEsa1とRpd3には共通のリジン残基を認識する相同な構造があると予測した。

これらの予測に沿って、Hsa1とRpd3の間に21アミノ酸に渡る1次構造上の相同領域(ERモチーフ)を見出し、機能解析を行った。ERモチーフは、立体構造上活性中心のごく近傍に存在することから、両酵素活性に重要であることが示唆された。次に、CDスペクトル解析によりEsa1とRpd3のERモチーフの2次構造が相同であることを明らかにした。最後に、ERモチーフ領域の各アミノ酸の点変異体の活性検定を行った結果、Esa1とRpd3において、機能上対応する結果を得た。以上の逆構造生物学的解析から、Esa1とRpd3において、ERモチーフが共通の構造と機能を持つことを示した。これらの知見から、対となって働く酵素は共通モチーフを持ち得る可能性があり、さらに、正逆の反応を担う酵素の活性中心部位付近に共通モチーフ構造を探すことによって、生体内で対となって働く酵素を予測できうるという可能性を切り開いたと考えられる。

第二章では、細胞の運命決定を担う細胞周期G1/S期進行制御および細胞の癌化において中心的役割を果たすガンキリンについて、出芽酵母ホモログNas6pの立体構造を解析し、新たに得られた立体構造情報からG1/S期進行制御モデルを予測した研究結果を報告している。

細胞周期G1/S期の進行制御および細胞の癌化は、CDK4/6によるRbのリン酸化によって制御される。Rbのリン酸化は、Rb-転写因子E2F複合体の解離を引き起こし、E2FはG1/S期進行促進因子群の遺伝子発現を促進する。CDK4/6によるRbリン酸化は二種類のアンキリン構造蛋白質(ガンキリンとINK (Inhibitor of CDK))によって正と負に制御されている。これまでに、負の制御機構はINK4d-CDK6複合体の立体構造解析から詳細に解析されていたが、正の制御機構はガンキリンの立体構造が未知であるために不明であった。さらに、Rbには複数のリン酸化部位が存在するものの、選択的にリン酸化される仕組みについては全く不明であった。申請者は、ガンキリンの立体構造を解析しINK4d-CDK6複合体と比較することで、正の制御機構およびRbの特異的部位のリン酸化機構を明らかにできると考えた。

ガンキリンとその出芽酵母ホモログであるNas6pについてX線立体構造解析を進めた結果、Nas6pの結晶化・X線解析が先行した。立体構造解析の結果、Nas6pが7つのアンキリン構造・N末側とC末側に2つの酸性領域・湾曲構造という特徴を持つことを明らかにした。まず、アンキリン構造のうちN末側の5つは、CDK4/6と相互作用すること、この領域がINK4d-CDK6複合体の立体構造におけるINK4dとよく重なることから、ガンキリン-CDK6複合体の立体構造を予想した。ここから、ガンキリンがINK4dからCDK6を奪うというG1/S期進行の正の制御機構を考察した。次に、ガンキリン-CDK6複合体の予測立体構造において、C末側の2つのアンキリン構造が湾曲構造のためにCDK6の活性中心部位に向かって伸びていること、ガンキリンのC末側領域はCDK6の基質であるRbとLXCXEモチーフを介して相互作用すること、Rb-LXCXEペプチドの共結晶構造が解析されていることから、ガンキリン-Rb複合体の立体構造を予測した。これら全ての知見を考え合わせると、ガンキリン-CDK6-Rb複合体が予測できた。以上の逆構造生物学的解析により、ガンキリンがRbの特定のリン酸化部位をCDK4/6に向けることで、Rbの特定部位が選択的にリン酸化される機構を示唆した。さらに、ガンキリンはプロテアソームの制御因子であり、ガンキリン-CDK6-Rb複合体はシグナル伝達・転写調節・蛋白分解の中心因子の複合体であることから、今回の解析により細胞の運命決定において重要な役割を担う複合体の立体構造を予測できたと考えられる。

第三章では、真核細胞生物の転写基本因子と転写開始機構の進化上の起源を解析した研究結果を報告している。

真核細胞生物と原核細胞生物の転写開始反応には、転写酵素と転写開始因子により構成される転写装置が必要である。これまでの1次構造・立体構造解析から、真核細胞生物と原核細胞生物において、転写酵素は機能・構造ともに高い相同性をもつことが知られている。一方、転写開始因子は、真核細胞生物では転写基本因子群として複数の因子 (TFIIA, IIB, IID, IIE, IIF, IIH) が存在するのに対して、原核細胞生物ではσのみと、因子の構成が大きく異なるものの、σの性質が転写基本因子に分担されて引き継がれたと考えられていた。

これらの考えに沿って、転写基本因子 (TBP, TFIIB, TFIIE, TFIIF) とσの間に、1次構造上の相同性が見出されてきた。しかし、転写基本因子とσのDNA結合ドメインの立体構造が明らかになると、1次構造より提案した相同領域は、立体構造上相同でないことがわかった。ここで申請者は、真核細胞生物と原核細胞生物のRNAポリメラーゼやアクチンを比較した場合、1次構造よりも3次構造がより保存されていることに注目し、転写基本因子に進化上対応する原核細胞生物の因子は、1次構造が保存されていなくとも立体構造が保存されていると予想した。

申請者は、転写基本因子と相同なフォールド構造を持つ因子を検索し、TBPはσではなく原核細胞生物転写酵素αと相同なフォールド構造を持つことを明らかにした。全長のアミノ酸配列の相同性は低いものの、分子内部のアミノ酸の化学的性質はよく保存されていた。一方で、分子表面に露出したアミノ酸の相同性は低く、実際、TBPはそのDNA結合能を反映して全体が塩基性であるのに対してαは酸性であった。また、その他の転写基本因子 (TFIIB, TFIIH, TFIIE, TFIIF) についてはσと相同なフォールド構造を持つことがわかった。以上の逆構造生物学的解析により、転写基本因子とα・σの進化上の起源が同一であるらしいことを予測した。申請者は、真核細胞生物の転写機構において、正の制御因子TBPと負の制御因子ヒストンがともに真核細胞生物特有であること、TBPとヒストンがともにDNAに結合して他を排除することから、TBPがヒストンと競合することによってRNAポリメラーゼの結合部位を確保するという分子機構の進化モデルを提唱している。今回の解析は、発見しにくい立体構造の類似性から進化上の対応をつけることに加えて、今迄になかった分子機構を予測できるという点で重要であると考えられる。

これらの成果は、遺伝子発現制御機構の要となる転写調節機構・クロマチン構造変換制御機構の一端を明らかにする意欲的なものである。さらに、本来は車軸の両輪のごとく切り離せないものでありながらも現状では充分に生かしきれているとは言えない、構造生物学と機能生物学との関連性に注目し、両分野を密接に繋げるための解析手法(逆構造生物学的手法)を提唱し、コンポーネント・リアクション・システムの各階層から実証していることから、両分野をつなぐ新しいアプローチとして、構造生物学と機能生物学の発展にも大きく貢献すると考えられる。また、今回解析対象としたヒストン脱アセチル化酵素、gankyrin (Nas6p)は、細胞の癌化において主要な役割を果たす因子であり、その分子機構の解明は癌の治療薬開発に大きく貢献すると考えられる。また、転写基本因子の進化上の起源に関する考察は、生物学の基本的な仕組みを基にした医薬品化学にも貢献すると考えられる。したがって、本論文は博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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