学位論文要旨



No 215760
著者(漢字) 小林,弘幸
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ヒロユキ
標題(和) βアドレナリン受容体を介した膀胱機能の調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 215760
報告番号 乙15760
学位授与日 2003.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15760号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 川原,茂敬
内容要旨 要旨を表示する

下部尿路系の機能サイクルは、その果たすべき機能の違いによって、腎臓から排出された尿を膀胱内に貯蔵する「蓄尿期」と、膀胱内から尿を体外に排出する「排尿期」に二分することができる。 この二種の異なった生理的機能は、尿の蓄積、排出の各過程に応じて、膀胱から尿道に至る下部尿路系の筋群が緊張度を大きく変化させることで実現されている。 まず、蓄尿期においては、下部尿路系の各組織は協調して可能な限り多くの尿を組織腔内に留めようとする。 すなわち、膀胱の体部にあって袋状の組織を構成する平滑筋であり、膀胱排尿筋と呼ばれる平滑筋が、蓄尿期にあっては非常に高い柔軟性と伸展性を示すため、膀胱は体積を大きく増やすことができ、大量の尿を蓄積することが可能となる。 このとき同時に、膀胱から尿道側の出口に位置する膀胱三角部および尿道の平滑筋は、これとは反対に強い収縮を維持し、不随意な尿の排出を抑制している。 しかし一方、排尿期には、蓄尿期に蓄積した尿を可能な限り体外に排出することが必要とされ、下部尿路系の筋群は蓄尿期とはまったく異なる挙動を示す。 まず膀胱体部の排尿筋が、排尿期には逆に強く収縮して自らの組織腔内の圧力を急激に増大させる。 これと同時に膀胱を閉鎖している膀胱三角部、尿道平滑筋の緊張度が低下するため、尿道の閉鎖圧が低下し、蓄積された尿は、尿道を通じて一気に体外に排出される。 円滑な排尿の維持のためには、膀胱排尿筋、尿道平滑筋の協調した張力の変化が必要であり、いずれか一方の障害もただちに蓄尿・排尿機能の低下を惹起する。

排尿周期に応じた複雑な張力変化を求められる膀胱および尿道の平滑筋は、副交感神経系・交感神経系・体性神経系による三重の支配を受けており、これらの神経間での支配領域の違いや、それに引き続く細胞内情報伝達系の伝達様式の相違によって、機能的に異なるそれぞれの筋群に、異なった張力変化が与えられている。

下部尿路系器官では、組織に収縮をもたらすアセチルコリン系、αアドレナリン系などの情報伝達系については比較的よく解析されている。 しかしながら、これらとは反対に神経活動に由来して平滑筋を弛緩させる機構の解明は十分ではない。 膀胱体部の弛緩作用は交感神経系を介した膀胱平滑筋βアドレナリン受容体に対する作用であることが示唆されているが、βアドレナリン受容体以降の情報伝達のメカニズムに関しては依然として検討が進んでおらず、生理学的見地からの機序解明の意義は深い。 また、膀胱平滑筋弛緩に関与しているメカニズムは、現在治療の選択肢の極めて乏しい蓄尿障害に対する創薬ターゲットとなり得ることから、新たな治療法の開発へと結びつく可能性がある。

各々の担っている機能に応じて、下部尿路系器官の張力制御の様式はさまざまであるが、いずれの平滑筋も、筋組織における収縮は、細胞内カルシウムイオン濃度の増大によってカルシウムイオンと細胞内のカルモジュリンとの結合が促進し、その結果ミオシン軽鎖キナーゼの活性化を通じて、張力を発生させるという機構を持つ点においては同質である。従って、細胞内カルシウムイオン濃度の変化は、これらの細胞における発生張力の決定において非常に重要な意味を持っている。 実際に、神経伝達物質による筋収縮プロセスの修飾も殆どの場合、1)細胞内のカルシウムイオンの動態を変化させること、2)細胞内カルシウムに対する張力発生機構の感受性を変化させること、のいずれかによって実現されているといえる。

細胞内カルシウムイオン濃度変化の源泉としては、細胞内小胞体等の細胞内小器官から細胞質中へ遊離されるカルシウムイオン、及び細胞外から流入するカルシウムイオンの両者が考えられる。 細胞外からの流入を惹起する代表的なイオンチャネルの一つが電位依存性カルシウムチャネルである。 電位依存性カルシウムチャネルは、細胞膜の活動電位の発生に伴って開口し、細胞内へのカルシウムイオンの流入を惹起するイオンチャネルであり、電気的な性質の差異に基づいて、L 型、N 型、T 型チャネルなどのサブタイプに分類されている。 膀胱平滑筋の張力の発生に関しては、L型カルシウムチャネルの寄与が大きいと考えられている。 L型カルシウムチャネルの生理機能は、一般に心筋標本を用いてよく検討されているが、心筋ではβアドレナリン受容体刺激は、正の変力作用、および正の変時作用を示し、筋収縮力を増大させる方向、すなわち膀胱平滑筋とは逆方向に作用する。 この心収縮力の増大にはL型カルシウムチャネルのリン酸化による活性化とカルシウムイオン流入の増大が関与していると報告されている。 膀胱平滑筋でも同様のβアドレナリン受容体刺激に伴うチャネルリン酸化が生じていると仮定すれば、βアドレナリン受容体刺激はむしろ筋収縮力を増大する方向に作用することが推察されるが、これは実際の生理的現象と矛盾する。 従って、膀胱平滑筋のβアドレナリン受容体によるL型カルシウムチャネルの制御のメカニズムは、心筋におけるメカニズムとは異なった機序に基づいていることが推定される。 しかしながら、膀胱平滑筋ではL型カルシウムチャネルの機能解析はあまり進んでいない。 βアドレナリン受容体の下流のターゲットであるイオンチャネルの制御がどのように行われているかを研究することは、組織によってβアドレナリン受容体刺激に対する反応性がなぜ異なるのかを解明する上で重要である。 そこで、本研究において私は、特に電位依存性カルシウムチャネル、およびこれらの電位依存性チャネルの活性に変化を与える因子に着目して、βアドレナリン受容体刺激が膀胱平滑筋弛緩作用を惹起する機序を探索することを目的とした

まず、L型カルシウムチャネルの開口は電位依存性であり、従って静止膜電位や再分極速度に変化を与える他のイオンチャネルの影響を受ける。 大コンダクタンス型カルシウム依存性カリウムチャネル(BKチャネル)は、膜電位の脱分極および細胞内カルシウム濃度の上昇によって開口するカリウムチャネルであり、電位依存性カルシウムチャネルの開口に対して、ネガティブフィードバック機構として作用しうる。 またBKチャネルは、βアドレナリン刺激によって収縮力増強を示す心筋細胞では発現が認められないのに対し、膀胱平滑筋を含む、他の興奮性細胞では広範に発現していることが知られていることから、心筋と他の筋組織の収縮性の違いをもたらしている重要な因子の一つであると考えられ、また、βアドレナリン受容体刺激による弛緩作用の伝達因子として有力であると推察された。 そこで、マグヌス法を用いてモルモット膀胱平滑筋のβアドレナリン受容体刺激による弛緩作用を観察したところ、弛緩作用は高濃度の細胞外カリウムによって抑制されること、BKチャネル阻害薬イベリオトキシンによって阻害されることから、カリウムチャネルの開口、特にBKチャネルの開口がその弛緩作用を担っていることが推察された。 次にBKチャネルに対する作用をより詳細に検討するために、パッチクランプ法を用いて、モルモット単離膀胱平滑筋細胞のカリウム電流に対するβアドレナリン受容体刺激薬イソプロテレノールの作用を検討した。 イソプロテレノールは、BKチャネルの活性化電位を約10mV 過分極側にシフトさせ、BKチャネルの活性化作用を有することが示された。また、フォルスコリンによるアデニル酸シクラーゼの活性化によっても同様の現象が観察され、これらはプロテインキナーゼA阻害剤であるPKIによって抑制を受けた。 従って、モルモット膀胱平滑筋では、BKチャネルはcAMP/プロテインキナーゼAを介してBKチャネルを活性化して細胞外へのカリウムイオン流出を促し、細胞膜の過分極によって電位依存性カルシウムチャネルを通じた細胞内へのカルシウム流入を抑制することが示唆された

また、細胞外へのカリウムイオン流出による過分極を完全に抑制する条件下でも、イソプロテレノールによる膀胱弛緩作用は30%程度残存することから、膀胱平滑筋のβアドレナリン受容体刺激によって、BKチャネル以外の機序による収縮抑制も生じていることが推察された。 従って、次にL型カルシウムチャネル電流に対するβアドレナリン受容体刺激の直接的な作用を検討した。 L型カルシウムチャネルの活性をバリウム電流としてパッチクランプ法で測定した。 心筋とは異なり、膀胱平滑筋ではイソプロテレノールによるβアドレナリン受容体刺激はL型カルシウムチャネル電流を抑制した。 また、イソプロテレノールは、L型カルシウムチャネルの活性化に影響を与えることなく、不活性化の電位依存性を過分極側に11mV シフトさせた。 したがって、イソプロテレノールによるL型カルシウムチャネル抑制は、カルシウムチャネルを不活性化させることによって、静止膜電位での活性化可能なチャネル数が減少することによって生じることが推察された。同様のカルシウムチャネル抑制が、cAMP の細胞内添加や、cAMP アナログである8-Br-cAMP によっても惹起されること、イソプロテレノールの抑制作用がプロテインキナーゼA 阻害剤KT5720 で阻害されることから、L型カルシウムチャネルに対するイソプロテレノールの阻害作用もcAMP/プロテインキナーゼA系を通じて伝達されることが示唆された。

以上の結果より、私は本研究を通じて膀胱平滑筋のβアドレナリン受容体刺激が、cAMP/プロテインキナーゼA系を通じたBKチャネルの活性化によって弛緩作用を示すことを初めて明らかにするとともに、膀胱平滑筋には、心筋とは明確に異なるβアドレナリン受容体刺激によるL型カルシウムチャネル不活性化の機構が存在すること、およびこの作用がcAMP/プロテインキナーゼA系を通じて伝達されることを初めて見出した。

審査要旨 要旨を表示する

膀胱は大部分が平滑筋から構成された袋状の組織で、腎臓より排泄された尿を体内に蓄えるとともに、蓄積された尿に圧力を加え、体外に排出する働きをも担っている。円滑な排尿の維持のためには、膀胱排尿筋、尿道平滑筋の協調した張力の変化が必要であり、いずれか一方の障害もただちに蓄尿・排尿機能の低下を惹起する。この膀胱平滑筋の緊張度は自律神経系によって制御されており、交感神経系が組織の伸展を、副交感神経系が組織の収縮を伝達する。交感神経系の活性化は膀胱平滑筋上のβアドレナリン受容体を介して、細胞内カルシウム濃度変化や収縮蛋白のカルシウム感受性を調節するさまざまな機構を修飾することが報告・示唆されている。しかしながら、膀胱平滑筋においてβアドレナリン受容体から膀胱の弛緩に至る情報伝達メカニズムに関しては検討が進んでおらず、生理学的見地からの機序解明の意義は深い。また、膀胱平滑筋弛緩に関与しているメカニズムは、現在治療の選択肢の極めて乏しい蓄尿障害に対する創薬ターゲットとなり得ることから、新たな治療法の開発へと結びつく可能性がある。

小林弘幸氏は、細胞膜上のイオンチャネルに着目し、電気生理学的な手法を用いて膀胱のβアドレナリン受容体刺激がカルシウム流入に関与するチャネル機能をどのように修飾するかを解析することで、生理的な交感神経系の興奮による膀胱平滑筋弛緩の機序の解明を試みた。小林氏は、膀胱平滑筋においては、βアドレナリン受容体刺激によって活性化されるPKA によって下記の2つのイオンチャネルの機能が修飾されることにより弛緩反応に至るメカニズムを初めて明らかにした。第一にカルシウム依存性カリウムチャネル(BK チャネル)がcAMP/プロテインキナーゼA系を介して活性化されることを見出した。BK チャネルの活性化は、膀胱平滑筋細胞の静止膜電位を過分極させることにより細胞の興奮性を抑制してカルシウム流入を抑制すると考えられる。第二にcAMP/プロテインキナーゼA系を介して電位依存性カルシウムチャネルの不活性化が促進され、脱分極刺激に応答できるカルシウムチャネル数を減少させることにより電位依存性カルシウムチャネルからのカルシウム流入を抑制することを見出した。これは心筋細胞ではcAMP/プロテインキナーゼA系を介してL型カルシウムチャネルの活性が促進されるのとは対照的であり、膀胱平滑筋のβアドレナリン受容体によるL型カルシウムチャネルの制御のメカニズムは心筋と異なることを示した。

以上のとおり、小林氏は本研究において膀胱平滑筋細胞のβアドレナリン受容体がcAMP/プロテインキナーゼA系を介してBK チャネルを活性化しL型カルシウムチャネルを抑制することにより弛緩反応を引き起こすというメカニズムを初めて明らかにした。小林氏の研究は、将来の下部尿路障害治療薬の創薬ターゲットとして重要なL型カルシウムチャネルおよびBK チャネルの制御機構に関する重要な知見である。

よって、今後の創薬基盤研究の進展に寄与すると考えられ、博士(薬学)の学位を受けるに値するものと判断した。

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