学位論文要旨



No 215761
著者(漢字) 濱島,義隆
著者(英字)
著者(カナ) ハマシマ,ヨシタカ
標題(和) 糖を基本骨格にもつルイス酸-ルイス塩基複合不斉触媒の開発と展開 : ケトンの触媒的不斉シアノシリル化反応
標題(洋)
報告番号 215761
報告番号 乙15761
学位授与日 2003.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15761号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 眞鍋,敬
 東京大学 助教授 金井,求
 東京大学 助教授 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

複雑な構造をもつ医薬品などの開発を支える精密有機合成化学は、反応剤の活性および選択性の制御を正確に行わなければならないために他の化学分野(石油精製、基礎化学品)に比べ物質変換における原子効率性が低く[E 因子(副生成物/目的物の重量比)25-100 以上]、環境調和を目指した合成プロセスの開発が求められている。最低限の金属化合物を用い、かつ高い反応性と選択性をもつ反応の開発は不可欠な問題であり、そのための触媒の開発は極めて重要なテーマである。従来の1中心型の触媒に加えて、天然に存在する酵素が持つ多点制御という概念に基づいた人工低分子触媒の開発により新しい効率的な触媒反応の開発が可能になる。私は、この多点制御型触媒に注目し新たにルイス酸触媒中にルイス塩基を兼備した複合不斉触媒の開発を目的とし研究を開始した。具体的には天然に豊富に存在する糖を基本骨格とする触媒の設計を行い、それを適用することでこれまで報告例のなかったケトンの触媒的不斉シアノシリル化反応の実現を目標とした。

【本論】

第1 章 糖骨格を利用したルイス酸−ルイス塩基複合不斉触媒の設計とその機能評価:アルデヒドの触媒的不斉シアノシリル化反応

糖骨格を基盤にした触媒設計

共同研究者と私はこれまでにビナフト−ルを母核とし、ルイス酸としてアルミニウム、ルイス塩基としてホスフィンオキシドをもつルイス酸-ルイス塩基複合不斉触媒1 を設計し、シアノヒドリン合成など数種類の不斉反応の開発に成功している。このような触媒の開発には、ルイス酸とルイス塩基の活性化能のバランスと空間的配置の設定が重要であり、これらが適切に実現できればルイス塩基によって活性化されうるあらゆる有機金属化合物を求核剤とする反応を効率的に進行させる触媒ができると考えられる。糖は、固定されたイス型6員環上に様々な相対配置で多官能基を有するため、適切なルイス酸とルイス塩基の配置を可能にしうる化合物と考えられる (Scheme 10)。まず、先に開発したアルデヒドのシアノシリル化での知見を基に糖の3,4 位にルイス酸であるアルミニウムを配し、6 位にルイス塩基であるホスフィンオキシドを結合させた触媒を設計した(Figure 3)

設計した触媒によるアルデヒドのシアノシリル化と6位の置換基効果

設計した触媒の機能評価はベンズアルデヒドのシアノシリル化を用いて行った。ルイス酸とルイス塩基の配置を決定する糖骨格の相対配置は反応性とエナンチオ選択性に影響し、触媒5 がもっとも優れていた(Table 1)。反応の効率向上を目指して種々反応条件の検討を行った結果、糖の6位にβ配置のフェニル基を導入することでエナンチオ選択性が80% ee に向上した。これは、ルイス塩基が結合している糖のC5-C6 単結合のコンフォメーションがフェニル基によって制御され、ホスフィンオキシド部位がルイス酸との協同作用に適切な位置に固定されたことでdual activation 機構が優位になったためだと考えている(Schemes 17)。触媒14 を用いると、-60 度という低温下5-9 mol %の触媒量で芳香族アルデヒドおよび脂肪族アルデヒドを70-80% ee と比較的良好なエナンチオ選択性で生成物に変換することができた。

アセトフェノンに対する触媒的不斉シアノシリル化への展開

糖を用いた触媒5 は、触媒1 に比べて反応性が高かった。そこで、反応性の低いケトンのシアノシリル化を行ったところ、20% ee ながらも定量的に反応が進行した。一方、触媒1 では、全く反応が進行しなかったことから糖を用いた触媒の新しい可能性を見い出すことができた。(Scheme 22)。

第2章 糖を基本骨格にもつルイス酸-ルイス塩基複合不斉触媒の開発とケトンのシアノシリル化反応への展開

第1章 ケトンを用いた反応開発における問題点

これまでにアルデヒドへのエナンチオ選択的な付加反応はかなりのレベルに達してはいるものの、ケトンに対する反応は殆ど未開拓である。その原因は大きくわけて2つある。

ケトンはアルデヒドに比べて格段に反応性が低い点(電子的・立体的要因)。

ケトンはアルデヒドに比べルイス酸の配向性を制御しにくい点(立体的要因)。

実際、我々の報告以前にケトンに対する触媒的不斉シアノシリル化反応はほとんど報告例がなかった。上記の問題は、2つの反応剤を同時に活性化する多点制御型不斉触媒を適用すれば解決できると考え、新たな触媒設計に着手した。

触媒設計と合成

触媒5を用いた場合の低選択性はルイス酸に対するケトンの配位が糖骨格のα面でもβ面でもおこりルイス塩基が関与しない反応経路があるためであろうと考えた。そこで、糖の3位にカテコール基を持つ触媒30 を設計した(Scheme 26)。3位のエーテル酸素がルイス酸に配位することによって触媒は安定化され、カテコールのベンゼン環部分は糖骨格のα側を向き触媒のα側は立体的に遮蔽される。したがって、ケトンのルイス酸への配位はホスフィンオキシドのあるβ側から優先的におこることが期待された。なお、配位子はScheme 28 に示すように既知化合物から全収率77%で容易に合成できる。

反応条件の最適化と基質一般性

アセトフェノンをモデル化合物として反応条件の最適化を行った。様々なルイス酸を検討した結果、チタンテトライソプロポキシドを用いた場合に最もよいエナンチオ選択性が得られた(Table 3)。アルミニウムを用いた場合に反応が進行しなかったのは、アルミニウムが通常4 配位であるために、エーテル酸素の配位により配位飽和となりアルミニウムのルイス酸性が低下したためだと考えられる。最近entry 2 のランタノイドを用いた反応系は共同研究者によって詳しく検討され、同じ絶対配置をもつ配位子を用いているにも係わらず、チタン錯体とは逆の鏡像体が高いエナンチオ選択性で得られることを既に報告している。この時の真の求核剤はメタルシアニドであることがわかっており、後から述べるように本反応と大きく異なる点である。

溶媒効果を検討したところ、配位性溶媒であるTHF を用いた場合、非配位性溶媒である塩化メチレンやトルエンを用いた場合に比べ反応性と不斉収率の向上が見られた。これは、触媒のNMR がオリゴマー構造を示唆していることから、THF の配位により活性で選択性の高いモノマーの生成が促進されたためと考えている。また、温度と濃度を検討することにより、アセトフェノンのシアノシリル化を収率85%、不斉収率92%で進行させることに成功した (-30 °C, 36 h)。

最適化した条件を用いて基質の一般性を検討した。10 mol %の触媒30 を用いることで芳香族ケトンから脂肪族ケトンに至る様々なケトンに適用できることが明らかになった(Table 5)。この反応系は、メチルケトンだけではなくプロピオフェノンのようなエチルケトンでも91% ee と高い選択性を示す。また、2-ヘプタノンのような単純鎖状ケトンの場合でもメチル基とメチレンの区別にも係わらず、76% eeと高い選択性を発現しているのは特筆に値する。この選択性は、後から述べるように触媒構造のチューニングを行うことによって92% ee にまで高めることに成功している。

反応機構の考察

本反応のメカニズムはいくつかの実験事実からルイス酸とルイス塩基によるdual activation によって進行していることが明かとなった。触媒の構造を直接確認することはできなかったが、NMR 実験の結果、チタンに一分子のイソプロパノールが配位したTi / 30 (1:1)錯体30-A の生成が示唆された。そこへ、TMSCN を加えると系中にチタンに対して1等量のHCN が生成した(Scheme 29)。ここで、本反応における真の求核剤はTMSCN なのかそれともHCN なのかという疑問が生じた。そこで、TMS13CN を用いたラベル実験を行った。その結果、生成物にラベル化されたシアノ基が77%取り込まれた。また、HCNのみを求核剤として用いた反応では全く反応が進行しなかった。これらの結果は、真の求核剤はホスフィンオキシドによって活性化されたTMSCN であることを強く示唆している。

遷移状態を考察するために速度論的解析を行った。本反応の初速度を測定したところ反応速度は触媒の濃度に対して1次であることが分かった。また、TMSCN に関しては0.7 次であることが明かとなった。これらは、本反応の遷移状態では1分子の触媒とTMSCN が関与していることを示唆している。

さらに、対照実験としてルイス塩基の代わりにジフェニルメチル基を有する配位子41-L を用いて反応を行った。触媒37 では反応温度をあげても反応は大変遅く、エナンチオ選択性も大きく低下した。

以上のことから、本反応のケトンに対する高い反応性と立体選択性は本要旨の総括に示すように、ルイス酸であるチタンがケトンを活性化し、同時にルイス塩基であるホスフィンオキシドがTMSCNを活性化することで反応が進行するdual activation 機構に由来すると考えられる(Scheme 34)。

第3章 触媒のチューニングによる触媒機能の向上

触媒のチューニング:カテコール部分の修飾

前述の触媒30 の問題点、(1)比較的多い触媒量 (10 mol %)、(2)環状ケトンや鎖状ケトンにおけるエナンチオ選択性 (69-76% ee)を改善するために、触媒構造のチューニングを行った(Scheme 35)。カテコール部位の立体的および電子的な置換基の効果やルイス塩基部位の修飾に注目した。触媒30 のカテコール部位を修飾した触媒の中で、ベンゾイル基を導入した触媒42 が優れた機能を示した。この触媒は、糖骨格のα側がさらに効率的に遮蔽される。また、ベンゾイル基の電子的効果でチタン−酸素結合が安定化されると期待される。配位子42-L はこれまでと同様に芳香族求核置換反応を鍵として合成した。

エナンチオ選択性の向上と触媒回転の改善

触媒42 を用いたところ、検討したすべての基質で選択性の改善が見られた。特に2-ヘプタノンやインダノンでは10-15 %の選択性の改善が見られた。この触媒は安定性の面でも改善され、触媒量を10分の1 の1 mol %にしても遜色ない収率とエナンチオ選択性で生成物を得ることができた (92%, 94% ee)。一方、触媒30 (1 mol %)では反応性、選択性の低下が見られた。触媒42 を用いた場合、その他の基質に関しても触媒量を低下できた (1〜2.5 mol %)。

ルイス塩基部分の修飾と更なる可能性

ホスフィンオキシド部位を更に塩基性の増したジトリルホスフィンオキシドをもつ触媒47 (10mol %)を用いところ2-ヘプタノンの不斉収率は76 から88%に向上した。このことは、dual activation 機構を支持する結果である。これまでの2つの知見を統合した触媒48 を用いたところ、エナンチオ選択性は更に向上し92% ee に達した。この選択性は、ケトンの触媒的不斉水素化をはじめとする単純鎖状ケトンを用いた触媒的不斉反応の中でもっとも優れた結果だと考えられ、ルイス酸とルイス塩基によるdual activation 機構の有効性を実践することができた。今後ルイス酸とルイス塩基のさらなるチューニングにより実用的な反応開発が可能であると考えている。

第4章 生成物の4級α-ヒドロキシカルボン酸誘導体への変換

本反応で得られたシアノヒドリンはラセミ化を伴うことなく対応する4級α-ヒドロキシカルボン酸誘導体に変換するができた。今後、光学活性な4級α-ヒドロキシカルボン酸の医薬化学的応用や天然物および生理活性物質の全合成における応用が期待される。

【総括】

筆者は、糖を基本骨格とするルイス酸−ルイス塩基複合不斉触媒の開発を行い、糖が多機能性を有する触媒開発に有用であることを示すことができた。特に、アルデヒドに比べて開発の極めて難しかったケトンの触媒的不斉シアノシリル化反応を高い基質一般性と立体選択性で開発することに成功した。この反応は、dual activation 機構に基ずく触媒設計の高い可能性を示しており、今後実用的な反応開発に繋がるものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

従来の1中心型の触媒に加えて、天然に存在する酵素が持つ多点制御という概念に基づいた人工低分子触媒の開発により新しい効率的な触媒反応の開発が可能になると考えられる。濱島は人工多点制御型触媒に注目し、ルイス酸触媒中にルイス塩基を組み込んだ複合不斉触媒を新たに開発することを目的とし研究を開始した。具体的には天然に豊富に存在する糖を基本骨格とする触媒の設計を行い、それを適用することでこれまで報告例のなかったケトンの触媒的不斉シアノシリル化反応の実現を目標とした。

複合触媒の開発には、ルイス酸とルイス塩基の活性化能のバランスと空間的配置の設定が重要である。これらが適切に実現できればルイス塩基によって活性化されうる有機金属化合物を求核剤とする反応を効率的に進行させる触媒の創製が可能である。糖は、固定されたイス型6 員環上に様々な相対配置で多くの官能基を有するため、適切なルイス酸とルイス塩基の配置を可能にしうる化合物と考えられる。濱島は、これまでの研究を基に糖の3,4 位にルイス酸であるアルミニウムを配し、6 位にルイス塩基であるホスフィンオキシドを結合させた触媒を設計した。

まず設計した触媒の機能評価をベンズアルデヒドのシアノシリル化を用いて行った。ルイス酸とルイス塩基の配置を決定する糖骨格の相対配置は反応性とエナンチオ選択性に影響し、グルコース由来の触媒5 がもっとも優れていた(99%, 46% ee)。反応の効率向上を目指して種々検討を行った結果、糖の6位にβ配置のフェニル基を導入することでエナンチオ選択性が80% ee に向上した(Scheme 1)。これは、糖のC5-C6 単結合の立体配座がフェニル基によって制御され、dual activation 機構が優位になったためと考えられる。

以上の知見をもとにケトンへの触媒的不斉シアノシリル化反応の開発へと研究を展開した。これまでにアルデヒドへのエナンチオ選択的な付加反応はかなりのレベルに達してはいるものの、ケトンに対する反応は殆ど未開拓である。その原因は大きくわけて2 つある。(1)ケトンはアルデヒドに比べて格段に反応性が低い点(電子的・立体的要因)。(2)ケトンはアルデヒドに比べルイス酸の配向性を制御しにくい点(立体的要因)。

これらの問題は、2 つの反応剤を同時に活性化する多点制御型不斉触媒を適用すれば解決できると考え、新たな触媒設計に着手した。

触媒5 のα面とβ面の区別を明確にするために、糖の3 位にカテコール基を持つ触媒30 を設計した。3 位のエーテル酸素がルイス酸に配位することによって触媒は安定化され、カテコールのベンゼン環部分は糖骨格のα側を向き触媒のα側は立体的に遮蔽される(Scheme 2)。したがって、ケトンのルイス酸への配位はホスフィンオキシドのあるβ側から優先的におこることが期待された。

アセトフェノンをモデル化合物として反応条件の最適化を行った。様々なルイス酸を検討した結果、チタンテトライソプロポキシドを用いた場合に最もよいエナンチオ選択性が得られた。最適化した条件を用いて基質の一般性を検討した。10 mol %の触媒30 を用いることで芳香族ケトンから脂肪族ケトンに至る様々なケトンに適用できることが明らかになった。この反応系は、メチルケトンだけではなくプロピオフェノンのようなエチルケトンでも91% ee と高い選択性を示す。また、2ヘプタノンのような単純鎖状ケトンの場合でもメチル基とメチレンの区別にも係わらず、76% ee と高い選択性を示したのは特筆に値する。

遷移状態を考察するために速度論的設計析を行った。本反応の初速度を測定したところ反応速度は触媒の濃度に対して1次であることが分かった。また、TMSCN に関しては0.7 次であることが明かとなった。これらは、本反応の遷移状態では1分子の触媒とTMSCN が関与していることを示唆している。さらに、対照実験としてルイス塩基の代わりにジフェニルメチル基を有する配位子41-L を用いて反応を行った。触媒41 では反応温度をあげても反応は大変遅く、エナンチオ選択性も大きく低下した。以上のことから、本反応のケトンに対する高い反応性と立体選択性はScheme 2 に示すように、ルイス酸であるチタンがケトンを活性化し、同時にルイス塩基であるホスフィンオキシドがTMSCN を活性化することで反応が進行するdual activation 機構に由来すると考えられる。

触媒30 の問題点、(1)比較的多い触媒量 (10 mol %)、(2)環状ケトンや鎖状ケトンにおけるエナンチオ選択性 (69-76% ee)を改善するために、触媒のチューニングを行った。触媒30 のカテコール部位をベンゾイル基で修飾した触媒42 が優れた機能を示した。触媒42 を用いたところ、検討したすべての基質で選択性の改善が見られ、特に2-ヘプタノンやインダノンでは10-15%の選択性の改善が見られた。この触媒は安定性の面でも改善され、触媒量を1 mol %にしても遜色ない収率とエナンチオ選択性で生成物を得ることができた。

ルイス塩基部分の修飾と異なる可能性

ホスフィンオキシド部位を更に塩基性の増したジトリルホスフィンオキシドをもつ触媒47 (10 mol %)を用いところ2-ヘプタノン由来の生成物の不斉収率は76%から88%に向上した。このことは、dual activation 機構を支持する結果である。これまでの2 つの知見を統合した触媒48 を用いたところ、エナンチオ選択性は更に向上し92% ee に達した。この選択性は現在困難とされている単純鎖状ケトンを用いた触媒的不斉反応の中でもっとも優れた結果のひとつだと考えられルイス酸とルイス塩基によるdual activation 機構の有効性を実践することができた。今後、ルイス酸とルイス塩基の更なるチューニングにより実用的な反応開発に繋がると考えている。

以上の結果は、薬学の研究に大きく貢献しており、薬学博士の学位にふさわしいものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51190