学位論文要旨



No 215769
著者(漢字) 山西,学
著者(英字)
著者(カナ) ヤマニシ,マナブ
標題(和) 燃料噴射系のモデル化とその応用による小型汎用直噴ディーゼルエンジンの生産性向上に関する研究
標題(洋)
報告番号 215769
報告番号 乙15769
学位授与日 2003.09.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15769号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 助教授 津江,光洋
 東京大学 助教授 土橋,律
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

熱効率が他の内燃機関と比べて最も高いディーゼルエンジンの開発・生産において,排出される有害物質および燃料消費の低減などの課題解決のためには,燃料噴射技術が重要な対応策のひとつである.75(kW)以下の小型汎用直噴ディーゼルエンジンは,自動車用の場合に比べて多種少量生産であり,生産財としての経済効率が最優先されるため,専用の高価な燃料噴射装置の採用は極めて困難である.

本研究では,このエンジンと燃料噴射系のチューニングを短期間かつ低コストで行うため,複数の型式の燃料噴射系のモデル化とその検証,およびディーゼル噴霧モデルとのリンクを行い,開発および生産の場においてモデル計算の活用の多大な効果を得ることを目的とする.

すなわち,燃料噴射開始に至る過程から燃料の微粒化状況のモデルの連結と計算を実施し,その検証を実際の場で行う.さらに,得られた結果を開発・生産の場に活用する点に,従来の研究には見られない本研究の最大の特徴がある.

燃料噴射系のモデル化

作成したモデル(図1)は,主につぎの特徴をもつ.(1) 燃料カムリフトまたは噴射管内圧力の実験値を入力値とし,燃料噴射量,燃料噴射率,燃料噴射圧力,燃料噴射速度をはじめとする燃料噴射系内の圧力,流量,バルブリフトの時間経過を計算する.(2) 各構成要素の組替えにより,構造が異なる燃料噴射系への対応が容易である.(3) 燃料噴射特性の計算精度を高めるため,ノズル噴口部に発生するキャビテーションの影響による噴口の流量係数の時間変化(式(1) (2))も考慮している.このため,計算で得られる燃料噴射特性を入力値として,既存のディーゼル噴霧モデルとのリンクが可能である.(1)・Rinjは燃料噴射率(mm3/ms), Cdholeはキャビテーションを考慮した噴口の流量係数,Psacはサック部圧力(bar), Pbackは背圧(bar), ρliquidは燃料密度(kg/m3).・Cdholeは次の実験式を適用する.(2)・Cdcavはキャビテーション数を用いて計算される,キャビテーションにより変化する流量係数,Cdmaxは噴口形状により定まるキャビテーション無しの場合の噴口の流量係数,Reは噴口のレイノルズ数,Lは噴口長(m),Dは噴口径(m).(4) 非常に短時間で計算可能であるため,生産現場において多大な寄与をする.

モデルの検証

エンジンと独立した別の駆動モータを用いる計測システムに加え,デリバリバルブリフトセンサ(図2)およびポンプ室内圧力センサを本研究用に新しく開発し,燃料噴射系の初期の圧力上昇場所である燃料噴射ポンプ内部の状態の詳細な情報も得て,実験と計算結果の比較・評価を行った.その結果,標準条件(搭載エンジン定格出力62.5(kW))をはじめ(図3),プランジャ径,スピル溝数,およびデリバリバルブ構造が異なる特殊条件,およびサイズが異なる小型条件(搭載エンジン定格出力33.8(kW))について,低速から高速高負荷までの広い計測条件において,モデル化にさいして設定した目標精度レベル(燃料噴射量の計算精度10%,燃料噴射開始時期の計算精度0.4(deg.))の十分な達成が確認された.

すなわち,噴射管内圧力または燃料カムリフトを入力する極めて簡便な計算方法によって,最も簡単な計測系を用いる実験による計測精度の範囲で燃料噴射特性が予測可能であり,実際の場での応用性に富むことが十分認められる.

燃料噴射系モデルと噴霧モデルのリンク

燃料噴射特性の計算結果を入力値とし,ザウタ平均粒径,噴霧到達距離の計算を行った.噴霧到達距離の計算結果について実験結果と比較すると,両者がよく一致することを検証した.

燃料噴射特性と噴霧特性をリンクさせて計算・検証を行い,モデルの活用に結びつけた点は,本研究の特徴の一つである.

モデルの活用

得られたモデル計算結果のなかでは,エンジン性能上要求される燃料噴射量を保つことを前提として,燃料の微粒化,二次噴射の有無,燃料噴射期間,燃料噴射開始時期,初期噴射率,および燃料噴射ポンプの耐圧の観点から,燃料噴射ノズルの噴口径が小,噴口入口部曲率半径が大,プレリフト・開弁圧力が現設計公差内で小,および燃料噴射ポンプの燃料カムリフト,プランジャ径の組み合わせの最適化が重要である.

モデルの開発・生産の場への活用内容は,つぎのとおりである.

基本諸元の方向決め(1) 燃料噴射系の主な諸元を標準値にたいし±20%変えた場合,燃料噴射ポンプのスピルポート径,ノズル噴口径,プランジャの有効ストローク,燃料カムリフトの影響が燃料噴射量にたいして大きく,±約40%から20%の範囲で変化する.(2) 燃料噴射開始時期については,燃料噴射管長さ,燃料カムリフト,ノズル第1開弁圧力の影響が大である.(3) 燃料噴射期間は,燃料噴射ポンプのスピルポート径,プランジャの有効ストローク,燃料カムリフト量,噴射管内径,ノズル噴口径,ノズル開弁圧力の影響が大きい.(4) ノズル噴口径,噴口角度,および噴口入口部の曲率半径をそれぞれ小に変化させた場合,噴射期間中に変化する噴口内のキャビテーションの発生量の増加により有効噴口面積および燃料噴射量が減少し,ノズル噴口部圧力の最大値は増す.とくにノズル噴口径を小にした場合,噴霧のザウタ平均粒径は噴口径の変化率(0.19(mm)から0.16(mm),0.84倍)以上に小(0.79倍)になり,噴霧到達距離はわずかに短くなる(図4).(5) モデル計算の応用により,ノズル噴口の機械加工条件と噴口入口部の曲率半径,流量係数,および燃料噴射特性,ディーゼル噴霧特性,エンジン性能が対応づけられる可能性がある.(6) 主な諸元を組み合わせた計算結果では,二次噴射が発生しない範囲内で,高圧噴射によって微粒化が促進される点において,ノズル噴口径小および燃料カムリフト速度大の組み合わせが優れている.一方,ノズル噴口径小の場合は燃料噴射期間が長くなり,その結果エンジンから排出される排出微粒子が増加する短所がある.この対策として,小噴口径化と同時に噴口入口部の曲率半径を大にすると,噴射期間が短く抑えられる可能性がある(図5).ノズル噴口径の変化に伴う二次噴射が生じる領域の変化は実験と計算で確かめた.

部品公差の検討(1) NOx生成に寄与度が大きい初期燃料噴射率にたいしては,とくに中速高負荷条件において,ノズルプレリフトと,ノズル第1開弁圧力が設計公差の上下限で変化することの影響が大であり,初期の燃料噴射率を低く抑えるブーツ型噴射を満たし得る.ノズルプレリフトが変化した場合の初期燃料噴射率の変化は,実験結果と計算結果とでよく一致する (図6).(2) 同一エンジンを用いた実験で,ピストン上死点位置を設計公差上下限に変えた場合と,ノズルプレリフトおよびノズル第1開弁圧力を設計公差上下限に変化させた場合のNOX+HCの変化量を比較すると,後者は前者にたいして約5倍の大きい変化になる.この結果と燃料噴射特性の計算結果を関連づけると,燃料噴射系の部品精度が設計公差範囲内で変化した場合のNOX+HCの変化の傾向が予測可能である.(3) 生産工程において,モデル計算の活用により燃料噴射特性異常の場合の迅速な原因推定が可能となる.こうした手法は,多くの試作を省略するための有効な手段である.

以上によれば,基本設計時には部品公差に関する情報が容易に得られるのみならず、生産工程において発見される不具合にたいする対処も迅速に実施し得る.

エンジン生産における燃料噴射時期の検査 モデル計算結果および実験結果を応用することにより,センサの寿命が短い従来のニードルリフト計測に代えて,長期間計測精度が十分に安定して得られやすい噴射管内圧力を,生産ライン上での動的噴射開始時期の代用値とした.これにより生産ライン上での燃料噴射開始時期の高精度かっ効率的な検査方法を確立した.

従って、生産ラインにおける省力化が極めて容易になる.

モデル活用による全体の効果

パソコンレベルの計算によって燃料噴射系の諸元を絞り込んだ後に試作実験を行うため,試作品の種類が半減し,一種類当りの繰り返し用試作数も半減可能である.このため,試作期間がほぼ半減し,試作コストは約4分の1に削減できる可能性がある.

おわりに

とくに,多品種少量生産である対象エンジンにおいては,これらモデルは,今後世界的に一層厳しさを増す排出ガス規制に対応するための有力な手段となり得る.

燃料噴射系のモデル(〓内は計測点)

デリバリバルブリフトセンサ

燃料噴射特性の実験と計算の比較

平均噴霧粒径と噴霧到達距離の計算結果

ノズル噴口形状を変更した場合の燃料噴射特性の計算結果

ノズルプレリフトを変更した場合の燃料噴射率の実験と計算結果の比較

審査要旨 要旨を表示する

工学修士山西学提出の論文は「燃料噴射系のモデル化とその応用による小型汎用直噴ディーゼルエンジンの生産性向上に関する研究」と題し,6章から成っている.

熱効率が他の内燃機関と比べて高い長所を持つ反面,有害物質排出および燃料消費の低減などの技術的課題を有する直噴ディーゼルエンジンにおいて,燃料噴射系は重要な構成要素である.また,75kW以下の小型汎用直噴ディーゼルエンジンは,自動車用に比べて多種少量生産であり,生産財としての経済効率が最優先されるため,専用の高価な燃料噴射装置の採用は極めて困難である.そこで,燃料噴射系に関する高精度のシミュレーション方法が確立されれば,開発期間の短縮および生産設計技術向上の視点から,今後世界的に一層厳しさを増す排出ガス規制に対応するためのエンジン開発にとってその活用は有効な手段になる.しかしながら,従来の研究においては,汎用エンジンに適合する複数の構造の燃料噴射系についてモデル計算を行い,搭載エンジンの改良に結びつける結果を出すには至っていない.さらに,燃料噴射モデルと噴霧モデルをリンクさせ,計算結果を実際の開発・生産過程に応用した例もない.

このような背景から,本論文ではこれらの課題を解決すべく,複数の構造の燃料噴射系に対応可能なシミュレーション手法を提案している.広い運転条件において検証実験を実施し,実験結果と計算結果との比較により,計算精度の検証を行っている.また,燃料噴射モデルとディーゼル噴霧モデルをリンクさせることにより,燃料噴射系の主要諸元と燃料噴射特性および噴霧特性の相関を明らかにしている.本シミュレーション手法は,ディーゼルエンジンの開発および生産の場において,燃料噴射系の基本設計,寸法公差決め,および生産工程に応用されており,エンジンと燃料噴射系のチューニングを短期間かつ低コストで行うことを実現させている.

第1章は序論であり,本研究の背景を述べ,ディーゼルエンジンの開発の動向および関連する研究の成果とその問題点を検討し,研究の意義と目的を明らかにしている.

第2章では,作成したシミュレーション手法について説明している.燃料噴射過程で生じるキャビテーションを考慮した,燃料噴射ノズル噴口部の詳細を含む各流体要素のモデル化について説明している.また,複数の構造の異なる燃料噴射系に対して,流体要素の組換えによって簡便にモデル変更が可能であることを示している.本手法を用いることにより,燃料カムリフトまたは燃料噴射管内圧力を入力値として,燃料噴射率および各部の圧力,弁挙動,流量の時間経過の予測値が非常に短時間で得られることを示している.

第3章では,モデルの検証結果について述べている.特殊センサの開発による燃料噴射ポンプ内部の圧力および弁挙動の計測を含む,燃料噴射特性の実験方法について説明がなされている.複数の構造の燃料噴射系に対し,広い作動条件において計算結果と実験結果を比較することにより,計算精度の観点からモデルの妥当性について詳細な検討を行っている.

第4章では,燃料噴射モデルと噴霧モデルのリンクについて述べている.燃料噴射特性の計算結果を入力値とし,既存のモデルを用いて噴霧特性の計算を行っている.また,計算結果と実験結果の比較により,モデルの妥当性について検討を加えている.

第5章では,本シミュレーション手法の開発,生産の場への活用について述べている.まず,基本諸元の方向決めとして,基本諸元の変化量と噴射特性の変化量の相関を示している.基本諸元をいくつか組み合わせた結果,燃料噴射ノズルの噴口径が小さく,噴口入口部の曲率半径が大きい場合,微粒化の促進および噴射期間の適正化が図られることを示している.また,部品公差の検討として,構成部品の主要寸法公差を各々上下限で変化させた範囲では,燃料噴射ノズルのプレリフトと開弁圧力が小さい場合に,NOxの生成に関係する初期噴射率が抑制されることを説明しており,エンジンの生産工程において発見される不具合への対処が迅速に実施し得ることを示している.さらに,本シミュレーション手法をエンジン生産における検査工程へ適用させた結果,行程の効率化が図られたことを説明している.これらの結果,ディーゼルエンジンの開発から生産までの間に要する試作回数,期間およびコストの低減が実現されたと結論づけている.

第6章は結論であり,本研究で得られた結果を要約している.

以上要するに,本論文は燃料噴射系に関するシミュレーション手法を提案し,実験結果との比較からその妥当性を検証した上で,本手法を多種少量生産である小型汎用直噴ディーゼルエンジンの開発,生産に応用し,その生産性向上を実現させたものであり,内燃機関工学および燃焼工学上貢献するところが大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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