学位論文要旨



No 215775
著者(漢字) 大井,俊哉
著者(英字)
著者(カナ) オオイ,トシヤ
標題(和) 冷間薄板圧延プロセスにおける計算機制御技術の高度化に関する研究
標題(洋)
報告番号 215775
報告番号 乙15775
学位授与日 2003.09.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15775号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,英紀
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 原,辰次
 東京大学 助教授 橋本,浩一
 東京大学 助教授 津村,幸治
 東京大学 講師 大石,泰章
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、鉄鋼製造プロセスの中でも最終製品の品質に直結する冷間圧延プロセスの計算機制御の分野において、高精度、高品質な製品を高い生産性で製造するため開発、実用化してきた板厚、張力制御技術と、その基盤とすべく研究開発してきた圧延プロセスのモデリングについてまとめたものである。

冷間圧延機の分野では板厚、張力制御装置 (AGC : Automatic Gage Control) が早くから実用化されてきたが、冷間圧延プロセス動特性の一般論について、必ずしも昔から十分な議論が行われてきたわけではない。歴史的には圧延理論にもとづく定常特性モデルの確立と精緻化が研究の主流であった。個別の課題について数値モデルにもとづく制御系設計も進められたが、冷間圧延プロセスの動特性面から問題が提起され始めたのは、計算機ハードウェアの能力が大幅に進歩し、またアクチュエータ、センサの能力も改善されてきた、ここ10数年程度のことである。

本研究では、冷間圧延プロセスの動特性を一般的に通用する形で記述することによりその普遍的な特徴を明らかにすると共に、その知見にもとづいてプロセス動特性を踏まえた新しい板厚、張力制御則を確立した。

冷間圧延プロセスの動特性モデル

スタンド数を特定しないn-スタンドの冷間タンデム圧延プロセスを想定し、その板厚・張力制御動特性をパラメトリックに表現した。これにもとづいて、冷間圧延プロセスの構造的な特徴が明らかになった。

まず、冷間圧延プロセスの動特性は、「変化起点の動特性」×「変化伝播の動特性」という積の形に等価変形でき、プロセスの特徴を決める「変化起点の動特性」は特性の異なるサブプロセスに分割できることを示した。レバースミルとタンデムミル第1スタンドの特徴を表現する2入力2出力の2次系である「ミル入側プロセス」と、タンデムミルのスタンド間の特徴を表現する1次系を構成要素とする多入力多出力の「ミル内プロセス」がその主体である。

「ミル入側プロセス」と「ミル内プロセス」の動特性の最も大きな違いは、圧下位置操作の影響特性の違いである。また、いずれも定常状態〜低周波数領域と中〜高周波数領域の影響の大小が逆転する関係にある。この差異は駆動モータの制御方式に起因するものであることも明らかになった。

この動特性モデルは、定常状態をあらわすモデルとして定評のある影響係数理論モデルの周波数領域への自然な拡張である。「中間スタンドの圧下位置操作は板厚には影響しない」という従来知見に対する最近の問題提起を、プロセス動特性の一般論から裏付けることができた。

タンデムミルの板厚・張力制御則

圧延プロセス動特性のパラメトリックモデルにもとづいて、タンデムミルの板厚・張力制御則について検討し、次のような結論を得た。

定数行列による非干渉化前置補償則をパラメトリックに求め、適切な操作量配分による非干渉化が有効であることを確認した。非干渉化誤差の周波数特性を評価した結果、板厚制御系についてはほぼ完全に非干渉化できること、張力制御系についても1次遅れを伴うもののその影響は限定的であることが確認できた。従って、板厚制御系、張力制御系ともに、簡単なシングルループのフィードバック制御系設計の問題に帰着できる。

また、入側板厚や摩擦係数など検出あるいは推定可能な外乱に対しても、定数行列によるフィードフォワード補償則がパラメトリックに求められた。適切な操作量配分によって、板厚・張力のいずれにもほとんど影響を与えないフィードフォワード制御が実現でき、非干渉化誤差の周波数特性を評価した結果からその有効性も確認できた。

一方、サクセシブ速度操作によって「ミル入側プロセス」に悪影響が残る可能性があることが、制御則の課題として明確になったが、これは「ミル入側プロセス」制御則の課題として解決される。

板厚、張力以外に圧延荷重も制御量とする必要のある最終スタンドについて、従来の手法も含めて統一的に整理し、3つの制御量の優先度に応じた3モード択一の制御系としてまとめた。また、操業条件に応じたモード選択の基準をパラメトリックな判定式として提示した。これにより、常に最適な優先度の制御則を適用することが可能となった。

レバースミルおよびタンデムミル第1スタンドの板厚・張力制御則

「ミル入側プロセス」と位置づけた、レバースミルおよびタンデムミル第1スタンドについて、その板厚・張力制御系設計の考え方について検討を行い、次の結論を得た。

レバースミルAGCにおいて圧下位置とリールモータトルクの2つの主操作量は、従来は静的な影響係数にもとづいて択一的に用いられてきたが、プロセス動特性を考慮した同時併用の考え方が必要であることを指摘した。具体的な制御系として、圧下位置は1次のローパスフィルタを、モータトルクは1次のハイパスフィルタをそれぞれ通して同時操作する非干渉化制御が、板厚制御系で効果的であることを示した。また、圧下位置制御アクチュエータの応答がある程度以上のレベルに達すると、モータトルク操作能力限界が板厚制御性能のネックとなる可能性についても指摘した。

一方、プロセスが振動的であるなどの理由によりクロスコントローラでは対応困難なプロセスに対して、プロセスの構造的特徴を生かした設計の可能なILQ (Inverse Linear Quadratic) 制御系設計則を適用することにより、プロセス動特性の改善が可能であることを示した。また、タンデムミル第1スタンドに適用した改良型ILQ制御則に対して、「ミル入側プロセス」に擬似サクセシブ速度操作の概念を導入することにより、「ミル入側プロセス」と「ミル内プロセス」の特性差異に起因する制御精度阻害要因に対応できることが明らかになった。

セットアップモデル学習技術

完全連続化や板厚要求精度厳格化を背景に、セットアップモデルに課せられる役割が変化してきたことを踏まえて、従来のモデル学習技術の欠点を補いモデルへの新たなニーズに対応するため、誤差要因分離学習型の圧延荷重モデル学習技術を開発、実用化した。

セットアップモデルに新たに求められるようになってきた役割としては、完全連続圧延に不可欠な走間設定変更量の決定、圧延理論モデルの偏微分係数や摩擦係数速度依存特性などにもとづくAGCパラメータ最適値の予測と決定など、従来からは大きく変化しており、より高い精度が必要になってきた。特に、AGCパラメータ最適値の導出とそれを実現するための圧延荷重モデルの高精度化は、本論文で一貫して主張するプロセス動特性モデルにもとづく板厚・張力制御則の実現のためには不可欠の技術である。

このニーズ実現に向けて圧延荷重予測モデルの精度を維持、向上させるため、変形抵抗と摩擦係数の分離学習型の新しい学習則を開発、提案した。具体的には

○実測困難な変形抵抗と摩擦係数の実績値を分離推定すること

○他の因子の関数である変形抵抗や摩擦係数を関数として学習することの2つの技術課題を解決することにより、新学習則を実現した。これにより、モデル誤差の根本原因となる変形抵抗や摩擦係数を分離して学習することが可能となり、従来手法と比べた有効性も確認できた。

これらの新しい制御則は評価も含め一般論として論じた結果であり、特定の圧延機に拘わらず適用効果が期待できる。実際にこの考え方にもとづいたAGCシステムが、住友金属工業(株)鹿島製鉄所第2冷間圧延機、同和歌山製鉄所第2冷間レバース圧延機に適用、実用化され、高板厚精度、高生産性、多品種生産などに大きく貢献している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は冷間圧延プロセスの計算機制御に関する申請者の長年にわたる企業における研究成果をまとめたもので、製鉄プロセスの基幹のひとつである薄板圧延に対してその数学的なモデル化にもとづく構造解析と、最新の制御理論を用いた圧延制御システムの合理的な設計法の構築とその生産ラインへの実装を行い、圧延制御技術の高度化を目的としている。本論文の最大の特徴は、本論文で対象としている圧延機が極めて普遍的な(敢えていえば抽象的な)ものであるという点にある。本論文はこのような普遍的な圧延機の構造を抽象的な数学モデルにもとづいて解析し、それにもとづいて合理的な制御系を制御理論にもとづいて論理的に導出している。従って本論文で得られた結果はどの圧延機にも適用可能な極めて普遍的なものである。本論文で得られた成果は実システムに商用ベースで適用され、実操業のレベルアップに貢献している。

第一章では本研究の背景と結果の概要を述べ、圧延の製鉄に占める位置、その技術の特徴について解説している。

第二章は「ダンデムミルの板厚・張力制御」と題し、冷間ダンデム圧延制御の基礎理論を展開している。まず一般的な圧延機の動的モデルを圧延理論にもとづいて構築し、「影響係数」を通してその線形状態空間モデルの一般的な表現を導いている。状態空間モデルにもとづいて伝達関数を導出し、伝達関数の数学的表現を変形した別の表現をもとめることによって圧延プロセスの動特性は「変化起点の動特性」と「変化伝播の動特性」の積として表現出来ること、また前者は「ミル入側プロセス」「ミル内プロセス」「ミル出側プロセス」の3つのサブシステムに分割出来ることを示した。次に定数行列による非干渉化前置補償則を解析的にもとめ、適切な操作量配分による非干渉化が有効であることを示した。そのために伝達関数の詳しい数値的な解析を行っている。又入側板厚や摩擦係数などの検出あるいは推定可能な外乱に対する定数行列による直流分のフィードフォワード制御をもとめた。これらの結果を住友金属鹿島製鉄所に実装し、極めて大きな実装業上の改善を得た。

第三章は「シングルスタンドミル/ダンデムミル第一スタンドの板厚張力制御」と題し、レバースミルの制御に対して前章で得られた結果を適用している。前章の文脈ではレバースミルは「ミル入側プロセス」に相当する。本論文ではまず板厚と張力の非干渉制御を静的と動的な2つのカテゴリーで行い、その性能を評価している。動的非干渉化の性能が依存する因子を詳しく同定している。また「ILQ法」とよばれる最適制御の逆問題にもとづく手法を用いて近似的なバランスのよい制御系を設計し、それによる性能改善の度合いを評価している。

第四章は「セットアップモデルと学習」と題して冷間圧延機の初期ギャップ設定値を、モデルの学習によって操業ごとに更新する方式を提案している。この方法の独創的な点は、モデルを区分的に線形なモデルとし、各区分ごとに更新則を変えた点にある。この方法によって変形抵抗や摩擦係数などの推定が容易となり、セットアップの精度が向上したことが実データに即して述べられている。

第五章は論文全体の結論をまとめている。

以上より本論文は薄板圧延という製鉄プロセスの基幹設備における制御に関して圧延理論と制御理論にもとづいた深い理論解析を通して圧延プロセスの物理構造を解明し、合理的な設計法を構築した。この方法はこれまでの圧延制御の手法を集大成したものであり、すべての圧延機に共通に応用出来る普遍的な価値をもつ。本論文は長年製鉄業の現場で圧延設備の設計、保守、更新にかかわってきた現場技術者が自らの技術者としての人生を捧げた圧延制御システムに対してアカデミックな立場から抽象的、数理的なシステム解析を行い、そこから幾つかの重要かつ普遍的な知見を導き出したという点できわめて特異かつ貴重な成果を含んでおり、我国鉄鋼業が他国に追随を許さない高いレベルの技術を有していることを示した結果となっている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51195