学位論文要旨



No 215777
著者(漢字) 綾部,広則
著者(英字)
著者(カナ) アヤベ,ヒロノリ
標題(和) 現代社会と科学技術の共進化プロセス解明への視座 : SSC計画の事例研究(1982-1993)
標題(洋)
報告番号 215777
報告番号 乙15777
学位授与日 2003.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15777号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 助教授 藤垣,裕子
 東京大学 教授 橋本,毅彦
内容要旨 要旨を表示する

SSC計画(超伝導超大型粒子加速器計画.以下,SSC計画という)については,建設途中で中止されたこともあって,広範囲な人々の関心を惹起した.科学史,科学社会学においてもすでにダニエル・ケブレスやリリアン・ホジソン,アドリーネ・コルブら米国の科学史,科学社会学研究者を中心としてその全体像が明らかにされつつある.ところが,米国から日本に対して巨額の資金協力の要請がなされ,それをめぐって日本国内でも激しい議論が彷彿した問題であったにもかかわらず,上記先行研究を含む従前の研究においては,日本での対応については十分な解明がなされているとはいい難い.本研究の第一の課題は,SSC計画をめぐる日米両政府間の交渉過程とそれへの日本の政府,学界,産業界の対応を一次史料に基づいて詳細に解明することにある.

一方,仮に日本の対応状況を含めてSSC計画の全容が具体的に明らかになったとしても,SSC計画がなぜ中止にいたるような経緯をたどらざるを得なかったのかという点については,これまであまり納得のいく説明はなされていない.SSC計画中止の原因を,米ソを中心とした東西冷戦の終結に結び付けられて説明されることはしばしば散見されるものの,仔細に検討すれば,両者の間に直接的かつ排他的な因果関係があるとはいい難い.

上記の問題意識にかんがみ,本研究では第二の課題として,科学技術をめぐる社会事象の捉え方に関する新しい枠組みの構築を試みた.科学社会学に限定して概括しても,これまで社会事象は,科学者や他の社会セクターに属する人々による相互行為の結果と考えられてきた.こうした社会事象の展開を行為者に還元する方法では,社会事象の帰結はすべて行為者に帰せられることになる.それゆえ,SSC計画を中止に至らしめた原因は,特定の個人や団体に求められることになり,意思決定や組織の問題に帰着させられる.ところが,SSC計画のような科学研究のプロジェクトでは,素粒子や超伝導マグネットといった自然・人工物の挙動も念頭においた議論を組み立てなくてはならない.

科学社会学では近年,こうした人間中心主義の観点に対して,ミシェル・カロン,ブルーノ・ラトゥール,ジョン・ローらは,自然や人工物の挙動にも目配りを利かせたかたちで科学という営みを捉えようとする試みとして,アクターネットワーク理論(以下,ANTという)を提唱している.ところが,ANTは,自然・人工物を社会事象の構成要素として取り扱いつつ,両者の共進化プロセスとして社会事象を捉える視点は有してはいるものの,自然・人工物−人間の存在論的対称性を基本としていることもあって,SSC計画を必要かつ十分に説明できるとはいい難い.

そこで本研究では,ANTが基本前提とする自然・人工物という視点と存在論的対称性は生かしつつも,それとは異なる枠組みの構築を試みた. 従来,社会事象の基本的構成要素とされてきた行為者としての人間を再考するならば,行為者が何らかの行為をなす背景にはもちろん,欲求といった内生因や他の行為者との関係もあるものの,それ以外にも必ずしも個々の行為者に還元できないものがある.例えば,加速器という物理的実体は,それを設置するための空間的場所を必要とする.さしあたり,物理的実体,場所をそれぞれ条件(変数条件)と呼ぶことにすれば,加速器という物理的実体は,原理的にどのような型式にでもつくり得るし,それはどのような場所にも設置できる.その意味でこれらの条件は変数である.加えてこの2つの条件間の関係が成り立つに当たっては,行為者は必要とされない.行為者が必要となるのは,両条件に一時的にせよ具体的な確定値が付与される場合である.ところが,特定の型式の加速器を選択するという確定値が与えられることによって,そこから今度は,コストという別の新たな条件との関係が生じる.このように,任意の2つの条件関係に介在する行為者が,条件に確定値を付与することによって,それぞれの条件からさらに別の条件間関係が顕在化し,そうして顕在化した新たな条件関係に介在する行為者がそれらの条件に確定値を付与すると,さらにまた別の条件関係が顕在化するというように,条件関係の動的,連鎖反応にともなって行為者の行為が連続的に誘発されるという仮設を立てることができる.本研究では,このように条件の連鎖関係と行為から社会事象が発生するという見方を,従前の枠組みとの対比から非行為者還元論と呼び,この仮説に基づきSSC計画の説明と分析を行った.

SSC計画が構想された80年代初頭には,素粒子物理学における学問的な要請と,世界的な加速器開発競争という2つの条件が存在した.それらにヒッグス粒子の探索,CERNにおける新型加速器建設と新粒子の発見という確定値が与えられたことにより,加速器の技術的条件が誘発された.これら素粒子物理学における学問的な要請および世界的な加速器開発競争という条件と加速器の技術的条件それぞれの関係から行為を誘発されたのが,米国を中心とした物理学者たちであった.

ところが,加速器の技術的条件にSSCのパラメーターが与えられたことによって,財政条件と建設地選択の条件が誘発されることになった.前者の加速器の技術的条件(SSCの技術的条件)と財政条件との関係から行為を誘発されたのが,エネルギー省の委員会や高エネルギー物理学者であった.後者のSSCの技術的条件と建設地選択の条件間関係からは,全米各地の多様なセクターに属する人々の行為が誘発されたものの,建設地選択の条件にテキサスという確定値が与えられたことにより,SSC計画のコストに関わる条件(コスト条件)との関係が誘発されることになった.ところがコスト条件は,素粒子物理学における学問的な要請の条件との関係から,総コストの増加という確定値が付与されていた.したがってコスト条件は,財政条件との関係を導くことになった.仮に財政条件が黒字であれば,コスト条件にたとえ総コストの増加という値が与えられたとしても議会の批判や,エネルギー省による管理強化といったことは誘発されなかった,いいかえれば,両者の関係は顕在化しなかったはずである.ところが財政条件には,あらかじめ財政赤字という確定値が付与されていたため,両者の関係が誘発されることにならざるを得なかったのである.

一方,財政条件とコスト条件は,外国政府の協力という条件を導くことになった.それによって日本のなかでも研究費配分や国際貢献といった条件が顕在化したのである.これにより,日米両政府間の交渉やSSC計画参加の是非をめぐる日本国内での論争が勃発することになったのである.

このようにSSC計画においては,時間が経過するにつれてますます条件の量的拡大が生じた.それにともない,これら個々の条件関係に介在する行為者は,SSC計画にかかわる条件のすべてを統御することがますます不可能になると同時に,そうした統御が可能な単一あるいは少数の行為者が存在できる余地さえなくなっていったのである.

93年の米国議会におけるSSC計画中止という決定は,SSC計画にともなって顕在化した条件関係のうち議会,行政関係者が関与可能な関係のすべてを断ち切るという決断を下したことであった.条件関係を断ち切るとは,たとえ潜在的には条件関係が存在したとしても,具体的行為を行わないこと,いいかえれば条件に確定値を与えないことであり,それがSSC計画を中止するということである.もちろん,それによってSSCという名称の計画に関わる条件関係は表向きには顕在化しないことになったものの,高エネルギー物理学そのものが終わったわけではない.条件関係の構造が変化したのみである.高エネルギー物理学者という行為者は,SSC計画において存在したのとは別の条件関係において行為を誘発され続けているのである.

以上のように,SSC計画を事例として現代社会と科学技術の共進化プロセスを考えた場合,ANTのように自然・人工物を行為者としての人間に対置させる方法では限定的な説明にしかならないのであって,両者を条件とみなした上で,それらの関係を行為者による確定値の決定プロセスとしてとらえる必要があるのである.こうすることにより,以下のような教訓を導くことができよう.1)SSC計画が迷走を続けた理由も,行為者が統御不可能なまでに条件が拡大したこととして説明できること.2)条件の量的拡大を防ぐように複数の行為者が自覚的に行動することによってこうした迷走状態を避けることが可能であり,そこにおいて問題解決につながる意思決定につながること.3)行為者が行為するにあたって自らの位置づけを行い,次の行動指針たるべき条件関係のマップを作成することが必要であること.

以上の非行為者還元論にもとづく説明はSSC計画という単一の事例から経験的に帰納された仮説である.したがって,今後の課題は,第一に本研究で得られた仮説を他の様々なケースに適用することによってその妥当性および限界を検証することである.第二の課題は,社会科学の周辺分野での先行研究との異同を探ることである.そして第一と第二の課題を組み合わせることによって,現代社会と科学技術の共進化プロセスに関する基礎的かつ包括的な視座の確立に努めることにしたい.

審査要旨 要旨を表示する

米国議会において超伝道超大型粒子加速器計画(以下,SSC計画という)の中止が決定されてから10年が経つ.この間,アメリカの科学史・科学社会学研究者を中心にSSC計画の経緯に関する詳細な研究が進んだ.また日本国内においても,SSC計画に関わった物理学者たちの動きを中心とした研究も現れ始めている.しかし,これまでのところ,日本の行政や産業界がSSC計画にどのような対応をしたかに関しては,必ずしも十分に明らかにされていない.SSC計画に関しては,米国から日本に対して関係諸国のなかでも群を抜く巨額の資金協力要請がなされ,しかも日本の協力がSSC計画の命運を左右する可能性をもつと言われていたこと考えれば,日本国内での対応を明確にしなければ,SSC計画の全容を明らかにしたとはいえないであろう.本論文は,先行研究ではこれまで明らかにされてこなかった,米国からのSSC計画参加要請に対して日本の行政と産業界のなかでどのような検討がなされたか,またSSC計画をめぐる日米両政府間の交渉がどのようなものであったかということを,一次史料に基づき歴史的吟味にも耐えるような形で明らかにしている点に,第一の特徴がある.

その際,先行研究に日本国内における対応状況を補完することによって,SSC計画の全容を明らかにしたとしても,それだけでは,SSC計画がなぜ迷走したかについての解明はなしえない.それゆえ,著者の問題意識は,これまでSSC計画中止の責任は誰にあったのかという観点からの分析が多く,それだけではSSC計画は捉えきれないのではないかという点から始まる.さらに,著者は,SSC計画は科学研究のプロジェクトであるため,科学研究者以外にも自然や物質的な側面も考慮しなくてはならないとはいえ,自然や物質的な側面も考慮に入れて科学技術と社会の関係を論じる先行研究の代表格であるアクターネットワーク理論は,SSC計画に対して必ずしも有効な分析枠組みであるとはいい難いと主張する.著者はこうした問題意識に基づいて,SSC計画をみるために必要な新しい分析枠組みの構築も試みている.

本論文は,序章と本論9章からなり,序章から第2章までが理論的検討の部分であり,第3章から第8章までが事例研究,第9章が結論である.巻末には,SSC計画の経緯を示す年表と条件の顕在化過程を表す図が付けられており,全体のページ数はIII+175+XIページである.脚注を含む本論部分は400字詰め原稿用紙に換算して,約470ページに相当する.

序章では,本論文の問題意識が提示されている.ここではSSC計画の発端から中止にいたるまでの経緯がごく簡単に紹介された後,これまで指摘されてきたSSC計画の中止の理由が個別的には妥当性を持つものの,いずれも決定的な理由であると結論付けるには不十分であることが指摘されている.

第1章では,SSC計画に関する先行研究の批判的紹介がなされている.著者は,ホジソンやコルブら米国の研究者による米国内部の事実関係に関しては本論文にとってもきわめて有意義であり,依拠する部分が多いとしながらも,それらがもつ視点に対しては留保せざるを得ないという立場をとる.例えば,本論文では,SSC計画が中止になった理由としてしばしば指摘される米ソを主軸とする東西冷戦(以下,冷戦という)の終結との関係について,米国の研究開発投資額データについて詳細な検討を行い,両者のあいだに直接的な関係が見出せないことを指摘する(第1節).

第2節では,その指摘をもとに,これまでの分析枠組みの一般的特徴をまとめている.すなわち,それらは当該問題に登場する行為者たちの相互行為という観点から捉える方法であり,著者はそれを行為者還元論と名付けている.この方法では,社会事象を捉える基本単位は行為者であるとされていることから,その帰結も当然行為者に求められることになる.ところが,この方法をSSC計画に適用したとしても,結局のところ関係者すべてに責任があったという結論となり,少数または単一の責任者を特定することは困難であることが示される.

SSC計画は科学研究のプロジェクトであり,行為者のみならず,自然や人工物をも念頭におく必要がある.そこで本論文では,自然や物質的な側面も考慮に入れて科学技術と社会の関係を論じた先行研究の代表例として,特にアクターネットワーク理論(以下,ANTという)をとりあげて批判的検討を行っている(第3節).そして,ANTは存在論的対称性,関係論的視点,陰謀論の拒否といった有効な視点を有するものの,他方で自然や人工物を人間との対比で捉えているため,SSC計画の分析にとっては必ずしも有効な概念とはなり得ないと結論付けている.

第2章では,第1章での検討を踏まえて,著者独自の分析枠組みが提示されている.著者はこれを行為者還元論との対比から非行為者還元論と呼ぶ.その特徴は,まず,存在論的対称性,関係論的視点,陰謀論の拒否という観点は継承しつつも,ANTのように自然や人工物を行為者との対比で擬人化して捉えるのではなくて,むしろそれらを人間にとっての環境条件とみなすとともに,社会事象についてその基本単位を行為者とするのではなくて,諸条件から構成されると捉える観点である.ところが,個々の条件は,そのままでは具体的な状態が決定されていない,いわば変数であるため,具体的な状態が決定される必要がある.まさにそこにおいて行為者が必要となる.ただし,具体的な状態を決定すると言っても,行為者が決定すべき条件は,通常,単一であることはまれであり,複数存在する.このような状況を,著者は2つの条件関係を基本単位としたネットワークとして捉える.その上で,2つの条件関係に介在する行為者がそれら2つの変数としての条件に具体的な確定値を与えようとすることによって相互行為が誘発されるのであり,しかも一時的であれ,ひとたび条件に具体的状態が与えられると,それによって別の潜在的条件との関係が導かれることで条件が時間とともに拡大し続けるという,分析枠組みを詳述している.

第3章から第8章までは,上記分析枠組みを用いたSSC計画の再構成である.

第3章では,SSC計画の誕生を促した背景が示される.特に,素粒子物理学理論の展開状況と全世界的な加速器開発競争という2つの条件が,SSCという加速器を誕生させた直接的な条件として指摘されている.

第4章では,上記2つの条件から導かれた加速器の設計条件と,2つの条件との関係において,高エネルギー物理学者や米国エネルギー省の行政官たちがいかなる行動をとったかに関する詳細な記述が行われている.また,SSC計画の誕生とは,まさにこの加速器の設計条件に具体的状態を与えること,すなわちその性能諸元を決めることだったという指摘がなされている.

第5章では,加速器の設計条件,およびそれに具体的な状態が与えられたことによって導かれた建設サイトの選択に関わる条件,そして当時の米国における財政条件などの諸条件との関係において,SSC計画を推進していた高エネルギー物理学者や産業界,ならびに米国議会の議員らがいかなる行為を誘発されたかが詳述されている.

第6章は,国際協力という条件の詳述である.著者によれば,この条件は直接的には財政条件との関係において出てきたものであるものの,他方で加速器の設計条件や産学連携に関わる条件との関係において,いずれの条件にも具体的な状態がすでに付与されてしまっており,容易に動かしがたいという事実から導かれたものであったと指摘する.したがって,それらの関係の中で対応に苦慮していた行為者たちは,まだ具体的状態が確定していなかった,この国際協力という条件に何とか確定値を与えようとしたのである.その結果として,もはや米国の物理学者や行政官,議員のみならず諸外国,とりわけ日本の諸セクターまでもが行為を誘発させられることになったのだとする.

第7章では,社会的意義論争というタイトルのもとで,高エネルギー物理学と他分野との間での論争と,高エネルギー物理学分野内部における論争が生じた理由を,条件関係に基づいて詳述している.SSC計画においては,もっぱら前者の分野間論争のみが強調されるきらいがあるが,特に日本においては高エネルギー物理学の分野の中でもSSC計画に対して異論が出されていたことに,著者は注目している.そして,それを単に物理学者たちの利害関係の表れであったという結論にはせずに,加速器開発競争や国際協力,さらには経済的なコストといった条件関係のなかで必然的に生じた論争であったと結論付けている.

第8章では,92年以降,大量に顕在化した条件によってもはやSSC計画をコントロールできる少数または単一の行為者が不在となった状況について詳述している.具体的には,SSC計画を存続させるか否かをめぐる米国議会での攻防と日米両政府間に設置された合同作業部会での調整を通して,SSC計画に関わる条件がどれも新たな具体的かつ実現可能となり得る見込みがない状態となってしまったことが描かれている.

第9章では,第8章までの議論を踏まえた上で,結論としてSSC計画が迷走したのは,時間とともに条件が増加していったため,それら条件のすべてをコントロールすることができる少数または単一の行為者が不在となってしまったこと,そして93年の米国議会におけるSSC計画中止という決定は,SSC計画にともなって顕在化したこれら複数の条件関係のうち,米国議会と行政関係者が関与可能な関係のすべてにおいて,もはや具体的な確定値を与えようという行為を行わないという決定をしたことであるという結論を導いている.その上で,この結論は著者の分析枠組みである非行為者還元論に基づくものであり,この分析枠組みの有効性とその意義が強調されている.ただし著者は,非行為者還元論の立場からこれまでの行為者還元論を批判しつつも,それが全く意味のない枠組みであるというわけではなくて,むしろ両者は相補的な関係にあるという点に注意を喚起している.そして最後に,今後の課題として,本枠組みはSSC計画という単一の事例から経験的に得られた帰納的仮説であることから,今後はそれを他の事例に適用することによってその一般可能性を探る必要があると同時に,科学社会学の隣接領域における理論と比較考量することによって,枠組み自体の洗練化をはかる必要があると締めくくっている.

以上の内容を持つ本論文には,次のような長所が認められる.

第一に,これまで明らかになっていなかったSSC計画に対する日本政府,産業界の対応について,一次史料を駆使して歴史的吟味にも耐えうる形で記述している点である.これまで断片的な噂話の域を出なかったこれら諸セクターの対応を精確に跡付けたことは,現代科学研究に対する重要な貢献であるといっても過言ではない.

第二に,非行為者還元論という分析枠組みのオリジナリティという点である.これは著者がほぼ独力で構築したものであり,社会を行為者の総和として捉える既存の考え方に対して,それとは異なる枠組みが存在する可能性を指摘した点において,今後の科学社会学に対して一つの大きな問題提起となっている.さらに,これまでの分析枠組みが往々にして犯人探しを行いがちであるのに対して,犯人を特定することができない場合も存在すること,また仮に犯人が特定できたとしても単に責任を追及すればよいというのではなくて,当該行為者がなぜそのようなことを行わざるを得なかったのかという,いわば背景要因を冷徹に探らなければ,同様の問題が再び発生する可能性がありうることを示唆するものとなっている.

しかしながら,本論文にも不十分な点がないわけではない.第一に,著者がその有効性と意義を強調する非行為者還元論に関して,これまでの行為者還元論に比べていかなる意味においてメリットを有するかが,必ずしも必要にして十分な程度まで明らかにされていない点である.著者が新しい分析枠組みのメリットを強調するのであれば,それと同程度に,行為者還元論の不十分な点を究明しなければならず,そのためにはより突っ込んだ先行研究の検討が必要であると思われる.

第二に,これは論文の構成にもよると思われるが,この非行為者還元論について,第2章までにおいてはあたかも理論的検討から導かれたかのように記述されている一方で,結論ではSSC計画という特殊な,単独の事例から経験的に帰納された仮説であるとされており,その位置づけが曖昧である.

また,第三に,非行為者還元論という用語がそのままでは具体的に何を指しているか連想させられる用語ではないという点である.

しかしながらこのような欠点は,本論文の基本的価値を損なうものではない.科学社会学がいまだ揺藍期にあることを考慮すれば,これらの欠点はこの分野における問題点と今後の課題を如実に示したものであるといえる.

以上,本論文は若干の欠点をもつとはいえ,豊富な一次史料とオリジナルな分析枠組みによって,科学社会学研究に十分貢献する成果であると評価できる.

よって,本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる.

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