学位論文要旨



No 215779
著者(漢字) 齋藤,智之
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,トモユキ
標題(和) エストロゲンの分子作用機構とその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215779
報告番号 乙15779
学位授与日 2003.10.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15779号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 助教授 反町,洋之
内容要旨 要旨を表示する

緒言

女性ホルモンのひとつであるエストロゲンは、胎生期では脳の性分化に、思春期では女性生殖器の発達や骨端の閉鎖に、成人期では性周期維持や妊娠維持に必須である。更に、骨代謝や精子形成など男性にも極めて重要な性ホルモンであることが、近年明らかになっている。一方、閉経後のエストロゲン欠乏を原因とした、皮膚や女性生殖機能の退縮、動脈硬化症、骨粗鬆症やアルツハイマー型痴呆症などの各種病態にも深く関与することが知られている。このようにエストロゲンは女性の表現型を決めるのに重要な役割を演じているだけでなく、生涯を通じて、性を越えた広範囲な臓器に対して重要な生理作用を及ぼしている。

生体内のエストロゲンはエストラジオール、エストロン、エストリオールであり、これらは主に卵巣の願粒膜細胞、胎盤より合成・分泌されている。エストロゲンは標的細胞の核内に存在するエストロゲン受容体(ER)αあるいはβと結合した後に、転写因子としてゲノムDNA上のエストロゲン応答配列(標的エンハンサー配列)に結合して応答遺伝子の発現を調節する。エストロゲンに応答する遺伝子にはEfp、プロラクチン、プロゲステロン受容体、pS2、c-fosなどの1次的応答遺伝子に加え、更にその下流の2次的、3次的応答遺伝子があり、これら既知あるいは未知の数多くの遺伝子産物の機能介してエストロゲン作用を発現すると予想される。しかしながら、特に応答遺伝子産物の機能やその発現機構など、多彩なエストロゲンの作用機序については、依然として不明な点が多いのが現状である。更に、エストロゲンは乳癌、子宮体癌、子宮筋腫、子宮内膜症などのエストロゲン依存性疾患の発症や増殖を促進する原因因子としても作用するが、その作用機序の多くも依然として不明である。従って、エストロゲンの作用機序を分子レベルで解明することは、エストロゲンの多彩な生理作用の発現機構を説明するだけでなく、エストロゲン依存性疾患の発生・進展機構の解明や、疾患に対する新たな治療方法の開発においても非常に重要である。

そこで、本研究ではエストロゲンの分子作用機構の一端を解明する目的に、機能未知のエストロゲン応答遺伝子、estrogen-responsive finger protein (Efp)の機能発現について解析した。更にエストロゲンの各種分子作用機序に基づいた抑制薬開発の可能性について研究した。

エストロゲンの作用機序の解析-エストロゲン応答遺伝子、Efpの機能解析-

乳腺上皮や乳癌あるいは子宮内膜に対するエストロゲンの増殖作用を担う応答遺伝子はごく僅かの例しか見出されていない。エストロゲンの多彩な作用発現と結びつく応答遺伝子を検索するため、ゲノム結合部位クローニング法を用いたスクリーニングから、RING-finger, B-box coiled coil ドメインをもつEfpが見出された。このEfpやは子宮内膜や乳癌においてエストロゲン依存性に発現しており、エストロゲンの細胞増殖との関連性が示唆されている。そこで、Efpの機能を明らかにすることは、「一種のエストロゲン応答遺伝子の作用によって、エストロゲン作用の少なくとも一部を解明できる」と仮定し、Efpの機能発現について検討を加えた。

はじめに、ヒトエストロゲン依存性乳癌細胞、MCF-7の細胞増殖に対するEfpの発現抑制の影響について検討した。その結果、エストラジオール(E2)により促進されたMCF-7細胞の増殖は、Efp antisenseの添加により用量依存的に抑制された。また、雌ヌードマウスに移植したMCF-7乳癌細胞のエストロゲンに依存した腫瘍増殖は、Efp antisenseの投与によりEfpの発現を抑制することで抑制された。一方、Efp senseは細胞増殖や腫瘍増殖には影響しなかった。

次にMCF-7の細胞増殖に対するEfpの過剰発現の影響について検討した。その結果、Efpを過剰発現するMCF-7細胞は増殖が著明に亢進した。またこの細胞を卵巣摘出ヌードマウスに移植すると、エストロゲン非存在下でも腫瘍を形成した。

以上の結果より、エストロゲン応答遺伝子産物であるEfpは細胞の増殖を促進する方向に作用していることが明らかとなった。また、エストロゲンによる細胞増殖の促進機序の一部には、Efpを介する新たな経路が存在すること、更にEfpが乳癌における癌原因子のひとつとして機能する可能性が示唆された。

エストロゲンの分子作用機構に基づいた、エストロゲン作用抑制薬開発への応用

子宮内膜や乳癌においてエストロゲン依存性に発現しているEfpは、エストロゲンの細胞増殖作用の少なくとも一部を担うことが明らかになった。このことから、エストロゲン作用抑制薬の標的分子の1つは、Efpであると考えられた。そこで、Efpを含めた各種エストロゲン作用発現機構を担う鍵分子を標的としたエストロゲン作用抑制薬の開発を試みた。

エストロゲン受容体を標的としたエストロゲン作用抑制薬開発の検討

子宮内膜症や乳癌などのエストロゲン依存性疾患に対する最も有効な治療法は、卵巣摘出などによってエストロゲンを枯渇させ、エストロゲン作用を完全に欠如することである。しかしながら、この方法は同時に閉経後と同じ状態を惹起することになり、骨量減少など女性の生活の質から好ましい選択ではない。そこで、ERを標的とした「エストロゲンとERとの結合阻害」による、組織選択的なエストロゲン作用抑制を発揮させることが可能であるかについて、新たに開発されたTZE-5323を用いて検討した。

はじめに、TZE-5323のERα、ERβとの結合親和性についてin vitroで合成したER蛋白とE2との結合阻害作用により、また、ERα、ERβを介する転写活性についてERE-CATのレポーターアッセイにより検討した。その結果、TZE-5323はERαあるいはERβとE2の結合を用量依存性に抑制し、E2により促進されたERα、ERβを介した転写活性を用量依存性に抑制することが明らかとなった。更にE2により促進されるER陽性MCF-7乳癌細胞の増殖及びEfpの発現について検討した結果、TZE-5323はE2により促進される細胞増殖及びEfpの発現を抑制した。このように、TZE-5323はERとE2の結合を阻害するため、少なくともEfpの発現を抑制することにより、エストロゲン作用を抑制することが明らかとなった。

次に、TZE-5323がエストロゲン標的組織に対して抗エストロゲン作用を示すかを明らかにするため、子宮についてはエストロゲンで増加する重量と内膜上皮の高さを、乳腺についてはエストロゲンで増加するDMBA誘発乳腺腫瘍の発症率を、骨についてはエストロゲンで維持される大腿骨と腰椎の骨密度を指標にして検討した。その結果、TZE-5323は子宮重量や子宮内膜上皮細胞の高さ及びDMBA誘発乳腺腫瘍の発症を用量依存性に抑制したが、大腿骨や腰椎の骨密度には全く影響を与えなかった。このように、TZE-5323は子宮や乳腺に対しては抗エストロゲン作用を示したものの、骨に対しては抗エストロゲン作用を示さないという、組織選択的な性質のあることが明らかとなった。

最後に、TZE-5323のエストロゲン作用抑制薬としての可能性について、子宮内膜組織を腎皮膜下に移植する実験的子宮内膜症ラットモデルを用いて検討した。その結果、TZE-5323は用量依存性に病巣の移植内膜を縮小させ、病態モデルにおいてもエストロゲン作用を抑制することが明らかとなった。以上の結果から、TZE-5323のようなERを標的とした「エストロゲンとERとの結合阻害」に基づく、組織選択的なエストロゲン作用抑制を応用することにより、子宮内膜症などのエストロゲン依存性疾患に対する治療薬となる可能性が考えられた。

エストロゲン変換酵素、ステロイドスルファターゼを標的としたエストロゲン作用抑制薬開発の検討

閉経後乳癌はエストロゲン産生が低下した閉経後において発症・進展する乳癌であり、その多くはエストロゲン依存性に増殖する。閉経後乳癌の増殖に必要なエストロゲンは、自らの組織内においてエストロンスルフェート (E1S) から供給されていることが明らかにされてきた。ステロイドスルファターゼ (STS) は不活性型エストロゲンであるE1Sを活性型エストロゲンであるエストロン (E1) に変換する酵素であり、腫瘍内ではその活性が著しく高まっていることが指摘されている。そこで、STSを標的とした「エストロゲンの産生阻害」により、エストロゲン作用抑制を発揮させることが可能であるかについて、新たに開発されたTZS-8478を用いて検討した。

はじめに、TZS-8478のSTS阻害作用について検討した。その結果、TZS-8478はヒト乳癌MCF-7細胞に添加したE1SからE1への産生を用量依存的に抑制した。また、E1Sにより促進されるMCF-7細胞増殖及びEfpの発現はTZS-8478により抑制された。更に、TZS-8478はラットの肝臓や子宮のSTS活性を抑制し、E1Sにより増加する卵巣摘出ラットの子宮重量を抑制した。このように、TZS-8478はSTSの阻害に基づくE1SからE1の産生を抑制することにより、in vitroのみならずin vivoにおいてもエストロゲン作用を抑制することが明らかとなった。

次に、TZS-8478のエストロゲン作用抑制薬としての可能性について、ニトロソメチルウレア誘発の閉経後乳癌モデルラットにおける、乳腺腫瘍の増殖抑制作用と作用発現機序を検討した。E1Sにより促進される乳腺腫瘍の増殖をTZS-8478は卵巣摘出と同程度に抑制し、また血漿中E1及びE2濃度を著明に低下させた。このように、TZS-8478はラットにおいてE1SからE1の産生を抑制することにより、乳腺腫瘍の増殖を抑制する作用機序が確認された。以上の結果から、STSを標的とした「エストロゲンの産生阻害」に基づくエストロゲン作用抑制を応用することにより、エストロゲン依存性閉経後乳癌の治療薬となる可能性が示唆された。

総括

エストロゲンの分子作用機構の一端を解明する目的でEfpの機能発現について解析した。Efpは細胞の増殖を促進する方向に作用する機能のあることを明らかにし、エストロゲンによる細胞増殖促進の作用機構の少なくとも一部はEfpを介していることを明確にすることができた。更にエストロゲンの各種分子作用機序に基づいた応用的研究から、ER及びSTSを標的としたエストロゲン作用抑制により、エストロゲンの増殖作用に対する抑制薬開発の可能性を示すことができた。

本研究では、Efpの機能解析からエストロゲンによる細胞増殖促進の作用機構の一部を解明することができた。一方、エストロゲンによる増殖促進機序でのEfpの生理的重要性など、不明な点も多く残された。今後、更にEfpの機能発現機構や疾患における発現などの詳細な解析を通じ、エストロゲン作用抑制薬や病態予防などの応用に貢献できると期待される。また同時に、Efpのみならず機能未知のエストロゲン応答遺伝子の解析が、エストロゲンの分子作用機構の解明に必須であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

女性ホルモンのひとつであるエストロゲンは、雌性生殖器の発達・機能維持のみならず、雄性生殖器や代謝に必須なホルモンであることが、近年明らかとなっている。更に乳癌を始めとした各種病態にも深く関与することが知られている。エストロゲンは標的細胞の核内に存在する特異的受容体(ER)と結合した後に、転写因子としてERがDNA上のEREに結合して応答遺伝子の発現を調節する。しかしながら、多彩なエストロゲンの作用を担うER下流の標的遺伝子群の種類及びその生理機能は不明な点が多いのが現状である。従って、エストロゲンの作用機序を分子レベルで解明することは、エストロゲンの多彩な生理作用の発現機構を説明する非常に重要な課題である。

本研究では、機能未知のエストロゲン応答遺伝子、Efpに着目し、その機能を解析することによりエストロゲンの分子作用機構の一端の解明を試みた。更にエストロゲン作用発現を担う鍵分子を標的としたエストロゲン作用抑制薬の開発を試みた。

第1章は緒論であり、第2章ではin vitro及びin vivoにおける乳癌細胞の増殖に対する、Efp発現量調節の影響について検討した。その結果、Efpの発現低下により乳癌細胞の増殖が抑制され、マウスに移植した乳癌の増殖も抑制された。また、Efpの発現亢進により乳癌細胞の増殖が著明に促進され、エストロゲン非存在下でもマウスに移植した乳癌の増殖を促進した。このように、エストロゲン依存性乳癌の細胞増殖において、Efpは促進機能を有することを見出し、エストロゲンによる細胞増殖促進の機序において、少なくとも一部はEfpを介していることを明らかにした。

第3章では、エストロゲン作用抑制薬開発を目的に、エストロゲン作用発現機構を担う鍵分子であるER及びエストロゲン産生酵素(STS)を標的として、化合物スクリーニングを行った。その結果、TZE-5323はERに対するE2拮抗薬として見出され、実際E2により促進される細胞増殖及びEfpの発現を指標としたエストロゲン作用を抑制した。更にTZE-5323はラット子宮や乳腺に対してはエストロゲン抑制作用を示したものの、骨代謝に対してはエストロゲン抑制作用を示さなかった。また、実験的子宮内膜症モデルの病巣子宮内膜を縮小させた。このように、ERを標的としたTZE-5323は組織選択的なエストロゲン作用抑制剤薬となる可能性を示した。

次にSTSを標的として開発されたTZS-8478は、乳癌細胞に添加したE1SからE1への産生を抑制し、E1Sにより促進される細胞増殖及びEfpの発現を指標としたエストロゲン作用を抑制した。TZS-8478投与によりラット個体でのSTS活性を抑制し、E1Sにより増加する子宮重量を指標としたエストロゲン作用を抑制した。またTZS-8478は閉経後乳癌モデルラットにおいて、血漿中E1及びE2濃度を著明に低下させ、E1Sにより促進される乳癌の増殖を完全に抑制した。このように、STSを標的とした「エストロゲンの産生阻害」に基づくエストロゲン作用抑制を応用することにより、これまでにない新たなタイプのエストロゲン作用抑制薬となる可能性を示した。

以上本研究では、エストロゲン応答遺伝子、Efpの機能を解明し、エストロゲンによる細胞増殖促進の作用機構の少なくとも一部はEfpを介していることを明らかにした。更にエストロゲン作用発現の鍵分子であるER、STSを標的にすることによって、組織選択的なエストロゲン作用抑制薬の開発への応用が可能であることを示し、エストロゲンの組織特異的な作用機構の存在を明らかにすることができた。

以上の本論文は、複雑なエストロゲンの作用機構の一端を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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