学位論文要旨



No 215780
著者(漢字) 角川,博哉
著者(英字)
著者(カナ) カドカワ,ヒロヤ
標題(和) 分娩後乳牛の初回排卵に係わる性腺刺激ホルモン分泌調節に関する研究
標題(洋)
報告番号 215780
報告番号 乙15780
学位授与日 2003.10.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第15780号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京農工大学 教授 加茂前,秀夫
 農業技術研究機構九州・沖縄農業研究センター 部長 假屋,堯由
内容要旨 要旨を表示する

ホルスタイン種の高泌乳牛ではその繁殖効率を高めるため、分娩間隔を短縮させることが求められている。またそのためには分娩後の初回排卵を遅延させないことが重要と考えられている。乳牛では分娩後早期に急激な乳量の増加が起きる一方で、それを補う必要量の飼料を十分に摂取できないために大部分の乳牛は著しいエネルギー欠乏状態にある。また分娩後早期の負のエネルギー状態が分娩後の初回排卵までの日数に影響することも知られている。近年、血中には生体のエネルギー充足度を表す末梢側信号物質が存在し、その末梢側信号物質の濃度変化に対応して脳中枢が視床下部に作用し性腺刺激ホルモン (LH) 分泌を調節するという仮説が考えられている。またラット等では末梢側信号物質の最重要候補はグルコースであると推測されている。乳牛においても分娩直後のエネルギーが著しく不足している状態では排卵誘起に重要なLH分泌が抑制されている可能性が示唆されている。しかしながら、分娩後の初回排卵に関わるLH分泌ならびに末梢側信号物質については明らかではなく、またその分泌調節機構についてはほとんど解析されていない。そこで本論文では、分娩後の初回排卵に関連する血中マーカーを検討するとともに、そのLH分泌調節機構を明らかにすることを目的に実験を行った。

まずグルコースをはじめとする血中マーカーが分娩直後の濃度域から健常域に回復するために要した分娩後日数と分娩から初回排卵までの日数(以下、初回排卵日数)との関連を検討した。すなわち、初回排卵後2週間における各血中成分の濃度の平均±2標準偏差の範囲(健常域)内に、各個体の血中因子の濃度が達するに要した分娩後からの日数と初回排卵日数との相関関係について検討した。13頭のホルスタイン種乳牛から分娩前14日から分娩後約60日まで週に4回採血し、血漿中のグルコース、遊離脂肪酸 (FFA)、ケトン体、尿素体窒素 (UN)、ならびにプロジェステロン濃度を測定した。初回排卵後2週間のグルコース、UN、フリーコレステロール、コレステロールエステルの濃度は分娩前2週間から分娩後初回排卵までの期間の濃度と比較して有意に高く、また初回排卵後2週間のFFA濃度は初回排卵前のそれと比較して有意に低かった。しかしながらケトン体の濃度については、初回排卵前と初回排卵後との間に有意差は認められなかった。さらにこのうち、血中グルコースとFFA濃度については健常域内に復帰するまでに要した日数と初回排卵日数との間に有意な正の相関が認められた。したがって、血中グルコースとFFA濃度が分娩後の初回排卵に関連する因子、末梢側信号物質と考えられた。

次に分娩後の乳牛におけるLHの分泌反応について、GnRH投与によって検討した。分娩後のホルスタイン種経産牛24頭を以下の4群に無作為に選択した。すなわち分娩後10日群(9頭、全例初回排卵前)、分娩後30日群(初回排卵前30日群4頭、ならびに初回排卵後30日群6頭)、分娩後60日群(5頭、全例初回排卵後)の4群にそれぞれ分娩後10日、30日ならびに60日目にGnRHを投与し、15〜30分間隔で投与後8時間まで頸静脈より血液検体を採取した。採取した各検体についてLH濃度を測定し、投与後の最高LH濃度(以下、pLH)ならびに、投与後8時間までのLH放出反応曲線とX軸に囲まれる面積(以下、ΣLH)を算出した。また投与前の血液検体について血漿グルコース濃度を測定し、GnRH投与日におけるエネルギー充足率を日本飼養標準に基づき算出した。10日群におけるpLHとΣLHは、他の3群に較べて有意(P<0.05)に低く、またエネルギー充足率ならびにグルコース濃度も、他群に較べて低かった。またGnRH投与が初回排卵前であった分娩後10日群と初回排卵前の分娩後30日群の全例ではGnRH投与後数日以内に排卵した。したがって、卵巣は分娩後早期であってもLH放出が起これば排卵が可能であることが明らかとなった。すなわち分娩後早期の泌乳牛では、LH分泌が抑制されており、またこのような抑制は血中グルコース濃度に関連すると考えられた。

プロピレングルコールは糖源性物質として牛に投与される。そこで生理的な状態で血中グルコース濃度を増加させる方法としてプロピレングルコールを経口投与し、投与後のLH分泌について検討した。すなわち分娩後9日目の初回排卵前の乳牛7頭から、10分間隔で4時間血液検体を頸静脈より採取した後、プロピレングリコール(プロピレングリコール群、7頭)を経口投与し、投与後さらに10分間隔で4時間血液検体を採取した。なお対照(対照群、7頭)として水を経口投与した。採取した全検体について血漿LH濃度を測定し、LH分泌反応の指標である平均LH濃度、1時間あたりのLHパルス数ならびにその振幅を投与前後で比較した。また血漿グルコース、FFA、インスリン濃度も測定した。投与前のLH分泌反応の指標いずれにも群間の差は認められなかった。プロピレングリコール群の投与後の平均LH濃度と1時間あたりのLHパルス数は投与前に比較して有意(P<0.05)に増加したが、対照群では投与前後の変動は認められなかった。またプロピレングリコール群では投与後、血中のグルコース濃度とインスリン濃度は有意に増加したが、FFAの濃度に変化は認められなかった。したがって分娩後早期の乳牛ではLH分泌が抑制されており、その抑制の解除には血中グルコース濃度が関与すると考えられた。

分娩後早期の乳牛で増加しているFFA濃度も初回排卵日数に関連すると推測されたため、FFAを静脈内投与し、LH分泌反応の変動について検討した。すなわち分娩後13日目の初回排卵前の乳牛6頭に、まず投与前に10分間隔で30分間血液検体を採取した後、FFAを静脈内点滴投与した(FFA群)。また対照として生理食塩水を同様に投与した(対照群5頭)。採取した全検体について血漿LH濃度を測定した。また血漿グルコース、FFA、インスリン濃度も測定した。投与前の平均LH濃度に群間の差は認められなかった。投与中の血中FFA濃度は対照群に比べFFA群が有意な高値を示したが、平均LH濃度、1時間あたりのLHパルス数、ならびにその振幅のいずれについても両群間で差は認められなかった。また血中グルコースならびにインスリン濃度にもFFA投与による影響は認められなかった。したがって分娩後早期の乳牛に認められるLH分泌の抑制には、血中FFA濃度は関与していないことが明らかとなった。

絶食ラットに認められるLH分泌抑制はエストロジェン依存性のLH分泌調節中枢を介することが知られている。そこで正常給餌下と絶食下(排卵日からLH分泌が活発であるとされる排卵後4日目までの絶食)のホルスタイン種雌未経産牛に対してエストロジェンレセプターアンタゴニストであるタモキシフェンを極微量のエタノールに溶解して静脈内投与し、LH分泌反応を検討した。絶食のみでは血中グルコース濃度の軽度低下は認められるもののLH分泌反応の抑制は認められなかった。一方、溶剤とした極微量のエタノール投与によってLH分泌は抑制され、この抑制は給餌下よりも絶食下で強く発現した。またこの抑制はタモキシフェン投与によって解除された。したがって、分娩後早期の乳牛に認められる血中グルコース濃度の低下にともなうLHの分泌抑制にはエストロジェンが何らかの作用を有しているものと推測された。

絶食ラットに認められるLH分泌抑制はオピオイド依存性のLH分泌調節中枢を介することも示唆されている。そこで分娩後早期のエネルギーバランスが負の初回排卵前の乳牛に持続型オピオイドレセプターアンタゴニストであるナルトレキソンを投与し、LH分泌反応を検討した。すなわち分娩後10日目の乳牛5頭に、10mLの生理食塩水に溶解した300mgのナルトレキソン(ナルトレキソン群、n=5)または対照として10mLの生理食塩水(対照群5頭)を静脈内投与した。投与前の平均LH濃度と1時間あたりのLHパルス数に群間の差は認められなかったが、ナルトレキソン群では投与後、平均LH濃度とLHパルス数の有意な増加が認められた。一方対照群では投与前後の平均LH濃度とLHパルス数の変動は認められなかった。したがって、分娩後早期の乳牛では血中グルコース濃度の低下にともなうLH分泌抑制にはオピオイドが関与するものと推測された。

以上の結果から、分娩後早期の乳牛ではエネルギー不足がLH分泌を抑制し、分娩後の初回排卵までの日数が遅延することが明らかとなった。またそのLH分泌抑制に関連する末梢側信号物質は血中グルコース濃度であることも明らかとなった。さらに末梢側信号物質によるLH分泌調節中枢はエストロジェンならびにオピオイドが関与していると推測された。

審査要旨 要旨を表示する

ホルスタイン種の高泌乳牛ではその繁殖効率を高めるため、分娩後の初回排卵を遅延させないことが重要と考えられている。また分娩後早期の負のエネルギー状態は分娩後の初回排卵までの日数に影響し、血中に存在するエネルギー充足度を表す末梢側信号物質の濃度変化に対応して脳中枢が視床下部に作用し、性腺刺激ホルモン(LH)分泌を調節すると推測されている。しかしながら、乳牛における初回排卵に係わる末梢側信号物質、LH分泌ならびにその分泌調節機構ついては不明である。本論文は、乳牛の初回排卵に関連する血中マーカーを検討するとともに、そのLH分泌調節機構を明らかにしようとしたもので、4章から構成されている。

まず13頭のホルスタイン種乳牛を用いて、初回排卵後2週間における各血中成分の濃度の平均±2標準偏差の範囲(健常域)内に、各個体の血中濃度が達するまでの分娩後からの日数と初回排卵日数との関係について検討した。初回排卵後2週間のグルコース、尿素体窒素、フリーコレステロール、コレステロールエステルの濃度は分娩前2週間から分娩後初回排卵までの期間の濃度と比較して有意に高く、また初回排卵後2週間の遊離脂肪酸 (FFA) 濃度は初回排卵前のそれと比較して有意に低かった。さらに血中グルコースとFEA濃度については健常域内に復帰するまでに要した日数と初回排卵日数との間に有意な正の相関が認められた。したがって、血中グルコースとFFA濃度が分娩後の初回排卵に関連する末梢側信号物質と考えられた。

次に分娩後のホルスタイン種経産牛を分娩後10日群(9頭、全例初回排卵前)、分娩後30日群(初回排卵前4頭、初回排卵後6頭)、分娩後60日群(5頭、全例初回排卵後)の4群にわけ、それぞれ分娩後10日、30日ならびに60日目にGnRHを投与し、LH分泌反応を検討した。10日群における投与後の最高LH濃度とLH放出反応曲線とX軸に囲まれる面積は、他の3群に較べて有意に低く、またグルコース濃度も他群に較べて低かった。またGnRH投与が初回排卵前であった全例が投与後数日以内に排卵した。したがって、卵巣は分娩後早期であってもLH放出が起これば排卵が可能であることが明らかとなった。

さらに、分娩後9日目で初回排卵前の乳牛7頭に糖源性物質であるプロピレングリコールを経口投与し、LH分泌反応(平均LH濃度、1時間あたりのLHパルス数ならびにその振幅)を投与前後で対照群(水投与)と比較検討した。プロピレングリコール投与後の平均LH濃度と1時間あたりのLHパルス数は投与前に比較して有意に増加したが、対照群では変動は認められなかった。またプロピレングリコール投与後、血中のグルコース濃度は有意に増加した。したがって分娩後早期の乳牛ではLH分泌が抑制されており、その解除には血中グルコース濃度が関与することが明らかとなった。一方、FFAを静脈内投与してもLH分泌反応に対照群(生理食塩水投与)と差は認められず、血中FFA濃度はLH分泌の抑制に関与しないと考えられた。

絶食ラットに認められるLH分泌抑制はエストロジェンあるいはオピオイド依存性のLH分泌調節中枢を介すると考えられている。そこで正常給餌下と絶食下のホルスタイン種未経産雌牛にタモキシフェン(エストロジェンレセプターアンタゴニスト)を極微量のエタノールに溶解して静脈内投与し、LH分泌反応を検討した。絶食で血中グルコース濃度の軽度低下が観察されたが、LH分泌抑制は認められなかった。一方、溶剤とした極微量のエタノール投与でLH分泌が抑制され、また絶食下で強く発現した。さらに、この抑制はタモキシフェン投与で解除された。ついで、初回排卵前の乳牛にナルトレキソン(オピオイドレセプターアンタゴニスト)を静脈内投与し、LH分泌反応を検討した。投与後、平均LH濃度とLHパルス数に有意な増加が認められたが、生理食塩水投与では変動しなかった。したがって、分娩後早期の乳牛に認められるLH分泌抑制にはエストロジェンならびにオピオイドが関連すると推測された。

以上の結果から、分娩後早期の乳牛ではエネルギー不足がLH分泌を抑制し、分娩後の初回排卵までの日数が遅延することが明らかになった。またそのLH分泌抑制に関連する末梢側信号物質は血中グルコース濃度であることも明らかとなった。さらに末梢側信号物質によるLH分泌調節中枢にはエストロジェンならびにオピオイドが関与していると推測された。

このように本論文は、分娩後の初回排卵に係わるグルコースによるLH分泌抑制ならびにその調節の一端を明らかにしたもので、獣医学ならびに畜産学の学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51196