学位論文要旨



No 215786
著者(漢字) 姜,昌一
著者(英字)
著者(カナ) カン,チャンイル
標題(和) 近代日本の朝鮮侵略と大アジア主義 : 右翼浪人の行動と思想を中心に
標題(洋)
報告番号 215786
報告番号 乙15786
学位授与日 2003.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15786号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,光男
 東京大学 助教授 野島(加藤),陽子
 総合文化研究科 教授 三谷,博
 総合文化研究科 教授 並木,頼壽
 一橋大学 教授 糟谷,憲一
内容要旨 要旨を表示する

朝鮮で活動した日本人浪人すなわち「朝鮮浪人」は、近代日朝間の政治史や政治思想史上、非常に重要な役割と位置を占めている。彼らは朝鮮事情に対する該博な知識と豊富な情報を持つ「朝鮮問題」専門家として活躍しながら、「日韓合邦」運動を展開し、朝鮮体験から得た独自の朝鮮認識とアジア論を土台に「日韓合邦」論と大アジア帝国建設論を提起し、正統的な大アジア主義の骨格を形成した。のみならずそのような行動と思想によって、近代日本の思想史において「伝統右翼」とみなされ、彼等の大アジア主義は右翼の対外思想として確固とした位置を占めるようになった。

日本浪人の朝鮮における集団的な政治的行動として、三つの事件を挙げることができる。第一は、1894年東学農民戦争が勃発した時、天佑侠という浪人団を結成し、「東学軍討伐」という日本政府の方針と反対に、東学農民軍を支援するため接触した事件である。第二は1895年三国干渉の後、高宗の妃である明成王后殺害事件に加担した浪人たちの行動である。第三は朝鮮および満州問題を解決するため、1901年黒竜会を結成して、対露戦争論を主唱し、日露戦争以後は朝鮮に渡って、一進会を背後で操縦しながら「日韓合邦」運動を展開したことである。

これらの事件は日本の「日韓合邦」運動の一環であり、非政府民間人の行動にもかかわらず日本の韓国併合史においてきわめて重要な位置を占めている。天佑侠を母胎とする黒竜会は、一進会を前面に押し立てて、「合邦」の雰囲気を醸成したり、一進会会員を統監府や朝鮮政府および地方官庁官員に任命して積極的に活用しながら、「合邦」の前衛にしたりもした。また、各地で情報を収集し、これを伊藤博文統監や日本当局要路に伝え、政策立案に寄与し、さらに伊藤統監が漸進的な併合政策を進めると、これを批判し彼の退陣運動を展開したりもした。彼らを日本本国で支援し操縦する背後勢力は「即時併合」を推進する陸軍軍閥集団であった。

伊藤前統監が1909年10月ハルピンで安重根に射殺されると、この事件を「合邦」の好機ととらえ、黒竜会は一進会に「合邦請願書」を提出させ(1909年12月3日)、あたかも朝鮮人が「合邦」を希望しているかのように装い、併合の雰囲気を作っていった。その後、桂首相・寺内陸軍大臣など軍閥勢力の主導のもとで、1910年8月併合は断行された。

併合の実状は黒竜会や一進会が主張していた「合邦」とはほど遠かった。そのため朝鮮の「合邦」論者たちはだまされたと自嘲するようになり、外からは「売国奴」のレッテルがはられた。それに対し黒竜会はほとんど沈黙を通した。若干のニュアンスの差はあれ、併合は本質的な次元では「合邦」と大同小異とみなされたからである。併合の過程で主体はもちろん日本国家であったが、彼ら浪人たちの舞台裏活動は決して無視できないほど大きかった。また、彼らが一貫して主張する「日韓合邦」論は侵略を偽装・隠蔽する理論的な粉飾手段となり、宣伝道具として機能し、さらに朝鮮人を説得し親日化する道具となった。

一進会と黒竜会は、日本と朝鮮が血統論と文明論の立場で同文同祖の関係にあり、脣歯輔車の運命共同体だという認識を共有している。そのような同類的相互認識を基礎に、彼らは「日韓合邦」論さらには「東夷北狄」民族の大同団結という大アジア帝国建設論を掲げた。

「日韓合邦」論は浪人たちが朝鮮体験を土台にして構築した独自の対朝鮮論で、血統主義と運命共同体論を根拠にして、二つの国が対等な立場で一つに合しようとする主張であった。これは差別や収奪を前提とするものではなく、両民族の相互互恵的な体制だと言う。彼らはまたこれにとどまらず、その外延を「東夷北狄」民族の居住地であった満州と蒙古にまで拡大して大アジア帝国を建設し、しかる後に中国の漢族と連帯して欧米列強の侵略勢力を追い払おうと主張した。これがすなわち大アジア主義の骨格である。彼らの主張はその後日本国家が追求していった軌跡とほとんど一致する。満州国樹立、中国侵略などの過程がそうであり、まさに先取りしたと言っても過言ではない。

黒竜会はみずから国士や志士のように行動し、近代日本右翼の正統と評価されている。また彼らが掲げた大アジア主義は日本右翼の対外思想としてゆるぎない位置を占めている。一方、一進会は「売国奴」と呼ばれ、彼らが掲げた「日韓合邦論」と大アジア主義は「売国思想」と見なされている。侵略と被侵略という相反する両国関係から生じた歴史的評価である。

「朝鮮浪人」は1890年代から本格的に輩出された。彼らは主に青年であったが、国家権力を掌握している長州や薩摩出身はほとんど見あたらず、権力から疎外された地域の人々が大部分である。彼らの多くは旧士族家門の子弟で政治指向性を強く帯びていたが、出身地域の限界のために、あるいは近代国家成立過程で適応できず落伍したものでもあった。その政治的不満と出世欲を満たすために、日本本国ではない朝鮮に渡って政治的活動をしたのである。これは大陸浪人一般の輩出背景と脈を通じる。

一般的に「支那浪人」は同文同種論を掲げ、アジアの同質性を強調し、その団結あるいは日本の中国進出を正当化する。同文同種論は漢字文明と儒教文明の圏域という近親性と人種主義的立場から、黄色人種という同質性を立論の根拠にする。西欧列強を白人種・キリスト教文明・ヨーロッパという総体性で単一化し、東洋を侵略する他者と設定する。

一方、「朝鮮浪人」たちは「朝鮮問題」を中心軸に置いてアジア問題を思考しアジア論を展開する。彼らは血統主義的な一体性と「武」の文明という文明論的な近親性、そしてロシアの東洋侵略による運命共同体論をもって、「東夷北狄」民族の団結・統合を主張する。日本民族・朝鮮民族・満州民族など「東夷北狄」民族の一体化を企図しながら中国を他者化する点は、「支那浪人」のアジア認識とまったく異なる発想であり、言説である。「朝鮮浪人」たちは同一血統論を掲げて大アジア帝国建設を論ずる。この血統主義は感覚的で主情主義的認識に土台を置く。彼らは民権論のかわりに国権論を、国民主義のかわりに国家主義を主張した。個人主義と民主主義を否定し、家族主義や共同体主義という「全体」を中心に思考する認識構造である。そしてこの「全体」は、範域が一国や一民族にとどまらず、恣意的に拡大する蓋然性を帯びている。近代の国際政治が国家を単位としてなされているのにもかかわらず、それを飛び越える範域を設定している点で、これはまさに全体主義的な思惟の一形態である。

彼らは血縁的近親性を根拠に天皇を頂点とする家父長的な血縁共同体を主張した。そして天皇を政治的権力の実体であり、「究極的価値の源泉体」と考える天皇絶対主義者でもある。また天皇支配の範域は観念的営為を通じてその外延を限りなく拡大していく。高度な観念主義的な思想の営為と言えよう。

このように非合理的で反知性的な感覚主義と主情主義、反民権的で反国民主義である国家主義と国権主義、反個人主義的で反個体主義的な共同体主義と全体主義、非民主主義的な天皇絶対主義、非理性主義的な血統主義、愚民観に立脚したエリート主義、超国家主義的な広域地域主義などは、まさに近代日本の大アジア主義の本質であり、具体的な内容である。

「朝鮮浪人」たちが主張する大アジア主義には、欺瞞的で虚偽的で虚構的な側面が多い。先ず、当時の国際政治は一国家単位でなされていたにもかかわらず、彼らが「白人」・西洋・キリスト教文明をひとつの政治単位と設定したこと自体が虚構的である。また彼らが一国エゴイズムを克服あるいは解消した痕跡は全く求めることができない。日本盟主論や日本覇権論を前提に論議が展開する。すなわち彼らは日本の大陸国家化を課題として行動し思考したのであった。だから彼らが掲げる「相互施恵」とは彼らの主張を正当化し、合理化する欺瞞的主張とみなすこともできる。彼らの主張はその後日本当局によって具体的に展開されたが、そうした意味で彼らの行動と思想は日本ファシズムの源流であり、近代日本人の超国家主義的心理構造を先き取りしたと言える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本が朝鮮を植民地化する過程において、朝鮮で活動した日本人民間活動家「朝鮮浪人」の思想と行動を手がかりとして、アジア主義の実態と概念を再検討したものである。従来、その政治的力量と影響力が過小評価されてきたため、実証的研究を欠いたまま論ぜられることが多かった朝鮮浪人に関して、一次史料に基づいた精緻な分析を行い、日韓の最新の研究成果を取り入れて完成された初めての本格的な研究でもある。

竹内好美など従来の分析が、「侵略と連帯」という概念にとらわれ、心情的理解をひきずっていることに疑問を呈し、政治活動家・思想家としての朝鮮浪人の行動と思想を、「支那浪人」のそれと対比しながら実証的に解明し、アジア主義の実態を追求している。日本と朝鮮の関係を巡って生起した、日清戦争と並行する1894年の東学農民戦争、一般に閔妃事件として知られている1895年の朝鮮皇后殺害事件、日韓合邦運動、という3つの歴史的事件を中心にすえて、朝鮮浪人と彼らに呼応する朝鮮人政治活動家の行動と思想を検討している。

第1章「東学農民戦争と天佑侠」では、従来、実証的研究に欠けていた、朝鮮浪人の政治団体「天佑侠」の人的構成と行動を解明し、明治第3世代の青年である彼らが、朝鮮政府に反旗を翻し、日本軍とも衝突する農民軍側に同調と連帯を示すところに、日本とアジアとの連合を企画する思想的特質を見出している。

第2章「明成王后殺害事件と「朝鮮浪人」」では、1895年、朝鮮駐箚公使指揮下に行われた朝鮮の皇后殺害事件に参加した朝鮮浪人の動向を分析し、相互の政治的関係と個々の人物の役割を明らかにして、アジア主義と現実政治との関係性を観察している。

第3章「黒竜会の結成と活動(1901年-1904年)では、黒竜会の人的構成および活動とアジア主義思想との関係が解明された。

第4章「黒竜会と一進会の「日韓合邦」運動」では、韓国では親日派(対日協力者)の売国団体と評価される朝鮮人政治団体「一進会」と黒竜会との関係を分析し、両者の日韓合邦論が、中国周辺部の東夷北狄民族を大同団結させるというアジア主義で通底し、西欧列強に対抗する大アジア帝国構想という点で一致したことが指摘されている。

第5章「「朝鮮浪人」の大アジア主義」では、樽井藤吉ら代表的なアジア主義者の思想的検討の上に、天佑侠のアジア体験と認識の分析を通じて、中国に進出した支那浪人の同文同種という人種主義に対して、朝鮮浪人が同文同祖という血統主義的認識をもっていたことが、同じくアジア主義という範疇の中にありながらも、行動と思想面での差異として発現すると結論的に提示した。

本論文では、従来その実態が明らかでなかった朝鮮浪人の性格を実証的に解明し、それを通じてアジア主義がもっている重層性、多様性を剔出した。近代東アジアの政治史・思想史研究に投じた一石は小さくないものと思料される。よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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