学位論文要旨



No 215787
著者(漢字) 今野,喜和人
著者(英字)
著者(カナ) コンノ,キワヒト
標題(和) 啓蒙の世紀の神秘思想 : サン=マルタンとその時代
標題(洋)
報告番号 215787
報告番号 乙15787
学位授与日 2003.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15787号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 田村,毅
 総合文化研究科 教授 岡部,雄三
 総合文化研究科 教授 鶴岡,賀雄
 総合文化研究科 助教授 塚本,昌則
内容要旨 要旨を表示する

18世紀フランスを中心に全欧的規模で興った神秘思想の潮流「イリュミニスム」を代表する思想家、サン=マルタン (Louis-Claude de Saint-Martin, 1743-1803) に関する研究である。フランスのロマン主義文学、ドイツのロマン主義哲学に与えた彼の影響についてはしばしば指摘されるが、その著書の難解さ、周辺に存在するオカルティズム的要素が接近をためらわせる原因となって、これまで特に日本では真正面から取り扱われることがなかった。本論では「啓蒙の世紀」と呼ばれるフランスのこの時代に、なぜサン=マルタンという神秘思想家が生まれたのか、大革命による社会と思想の混乱期において自らをどのように定位させたのかを、同時代に向けた彼のまなざし、およびイリュミニスムと関わる他の著作家との比較を通して明らかにする。その過程で啓蒙と反啓蒙、18世紀の合理主義的精神と古代以来の神秘思想の関係が考察されるが、両者の間には単なる対立・衝突だけでなく、様々な相互浸透や混淆が見られることも指摘する。

まず序論で「イリュミニスム」をいわゆる「エゾテリスム」の歴史的一形態として把握するために思想史的な概説と用語の定義を行い、サン=マルタンという思想家の誕生の背景にあるものを描き出した後、「人と作品」について、ごく簡単な紹介を行ってその後の叙述の基礎とする。

本文全体は二部に分かれ、第一部「啓蒙からロマン主義へ」では、「哲学者の敵、神学者の敵」と題した第一章において、サン=マルタンがジャン=ジャック・ルソーという巨大な存在に対して抱いた親近感と違和感を通して、彼の思想家としての自己認識と使命感を明らかにする。啓蒙哲学者とカトリック教会という18世紀の二大対立項のどちらにも敵対する姿勢において共通しながら、ルソーはサン=マルタンにとって、「真理」への道の半ばで立ち止まった人間、神秘思想的方向性は持ちながら神の「恵み」を得られなかった存在として捉えられる。そのような理解の一面性は言うまでもないが、ルソーの矛盾した宗教観を照らし出す一助にはなるだろう。

こうしてサン=マルタンは神秘思想を語るにあたってしばしばルソーの文章を自らの立論へと引き寄せ、時代の支配的思潮に戦いを挑むのであるが、その典型的な例が言語をめぐる議論に見られる。第二章の「言語論における〈啓蒙〉と反〈啓蒙〉」では、ルソーの『不平等起源論』において語られたアポリアが、当時の言語起源に関する議論を如何に規定したかという問題から概観し、主に「恣意性」のテーマをめぐって人間の言語について神秘思想家がどのような主張を行ったかを見る。サン=マルタンの言語観は人間起源説と神授説、感覚論と古典的合理主義、ひいては〈啓蒙〉と反〈啓蒙〉の対立を調停する方向性を持ち、その体系化はクール・ド・ジェブランの論考において完成を見るものの、ロマン主義の言語有機体説に影響を与えたこと以外は将来的には否定されていくものである。だがこれらの論争は神秘思想が百科全書派の哲学と同じ資格で議論に参加し得たことを証明し、18世紀が宗教・哲学・科学・文学の渾然一体となる場を提供した最後の時代であることを示している。

ルソーを援用した神秘思想的言語観の開陳というサン=マルタンの姿勢はエコール・ノルマルにおける「イデオローグ」ガラとの論争で徹底される。フランス革命の教育改革の一環として生まれたこの学校にサン=マルタンは生徒として参加を要請されるが、感覚論哲学の代表者である講師ガラに、宗教的使命感から公開論争を挑むのである。第三章「イリュミニストとイデオローグ」ではこの経緯を明らかにし、啓蒙からロマン主義への結節点に位置するこの論争の思想史的意味を論じる。

イリュミニスムの勃興期はいわゆる「プレ・ロマンティスム」の時代とも重なり合っており、文学・思想史上の移行期に神秘思想は重要な役割を果たした。啓蒙の終焉、ロマン主義の誕生を画すエポックの中でも重要な、シャトーブリアン『キリスト教精髄』出版 (1800年) に対するサン=マルタンの反応を考察するのが第四章である。無神論・唯物論という共通の敵を持つ点で両者の宗教擁護の姿勢はむろん重なり合うものの、サン=マルタンは同書を「真のキリスト教とカトリシズムの混同」という観点から批判し、神秘思想と既成教会の間にある距離を明確な言葉で述べる。サン=マルタンは宗教を文学の中に溶解して希薄化することにも批判的であり、ある意味でイリュミニスムとロマン主義が乖離する地点を既に見通していると言えるだろう。

ロマン主義文学へのサン=マルタンへの影響という点で最も有名なのがバルザックの例であり、第五章では、『セラフィタ』や『谷間の百合』他の作品からその受容の特質が明らかにされる。サン=マルタン思想はバルザックの中で、秘められた信仰の対象というような排他的なものでも、単に時流におもねるための装飾的なものでもなく、彼独自の宗教体系を形作る数多の要素のうちの一つとして存在を主張している。

第一部の最終章「サン=マルタンにおける人間と自然」は、エコロジーと宗教をめぐる現代の議論の中で、彼の言葉がどのような意味を持ちうるかを論じたものである。キリスト教の中にある「自然軽視」や「人間中心主義」が近代西洋科学と手を組んで環境破壊をもたらしたともいわれるが、こうした傾向とも決して無縁でないサン=マルタンの主張をどのように受け止めるべきか、矛盾と対立に満ちたテキストから主旋律を聞き取ることを目指す。人間の力と限界・人間と自然の運命の連帯性を語る彼の言葉は、環境倫理のメッセージにも十分転調可能だと思われる。

第二部は「神秘思想家のフランス革命」と題し、サン=マルタンの革命観を、周辺の「イリュミネ」の反応とも引き比べながら解明する。革命直後に喧伝されるようになった「陰謀説」によってサン=マルタンには革命家の思想的黒幕のように扱われた時代があるかと思うと、反啓蒙=反革命という連想から保守反動の神政主義者というイメージも付与されていて、現在でも明確な実像を結ぶに至っていない。ここではまず、第一章「革命とイリュミニスム」によってフリーメーソンや民衆の信仰のありようと革命の関係を整理し、サン=マルタンも連座しかかった有名な「カトリーヌ・テオ事件」を通して、彼が革命に摂理の発現を見、この思想的大変革の中で自らに与えられた使命を認識するまでを描く。

第二章では1794年に出版されたサン=マルタンの革命論を、ジョゼフ・ド・メーストルの立場と比較の上で明らかにする。大革命に神意を見る点でメーストルと共通しながらも、サン=マルタンは王政の復古やキリスト教会の再建を求めない。彼の関心は実際の政治的綱領ではなく、「宗教戦争」としてのフランス革命にあり、その帰結すべきところは神秘思想の開花に他ならなかった。

サン=マルタンが物した唯一の小説『クロコディル』では、この宗教戦争の本質が空想小説の形で寓意的に描かれる。革命期のパリに現れる怪物「クロコディル」はサン=マルタンが敵対視した啓蒙主義、既成教会、オカルティズムの権化であり、その最終的敗北は神の国実現の前段階たるべき精神革命を象徴するものである。

第四章ではサン=マルタン自身の革命観からいったん離れ、ニコラ・ド・ボヌヴィルという革命家の立場を考察する。ジロンド派と関係の深い政治クラブ「セルクル・ソシアル」の創始者として知られるボヌヴィルの経歴を概観した後、しばしば指摘される「マルチニストの革命家」というレッテルが正鵠を得たものであるかどうか、彼の残したテキストや、当時の資料によって検証する。その結果、サン=マルタンの影響は確かに認められるものの、総じて限定的なものであり、むしろ政敵(特にラクロ)が付与しようとした「狂信家」としてのイメージがこの説の根底にあることが示される。

第五章では、やはり「マルチニスト」の呼称がつきまといながら、ボヌヴィルと対極的な政治的立場を取り、恐怖政治の開始以前に反革命の廉で処刑されたジャック・カゾットの革命観と宗教観を考察する。結論としては、サン=マルタンが属したのと同じ教団に一時期加わったのは事実としても、思想の吸収と言えるべきものは軽微で、様々な点でカゾットの思想はサン=マルタンの神秘思想と隔絶していることを述べる。ここでも迷信性・狂信性を表す符号として「マルチニスム」のレッテルが使われているに過ぎないのである。

終章では大革命の動乱が終わってから、1803年の死までのサン=マルタンの時代評を考察する。千年王国論者や予言者たちの期待とは一線を画していた彼の革命観ではあるが、「大いなる時代」の到来を予感したことへの反作用から、彼は一時期失意の時を過ごす。ナポレオンの登場が再び希望の火を灯しかけるが一時的なもので、晩年は来世の至福への期待を胸に隠棲的な生活を行い、フランス革命による思想変革と、その中で果たすべき自らの役割についての夢想は死後に繰り延べられる。その期待が幾分なりとも実現されたか否かを判定するためには、18・19世紀の思想史、文学史の中にサン=マルタンを正当に位置づけることが不可欠であろう。

審査要旨 要旨を表示する

18世紀後半のヨーロッパ、とりわけフランスで流行した「イリュミニスム」の代表的思想家であり、「知られざる哲学者」と自称したサン=マルタン (Louis-Claude de Saint-Martin, 1743-1803) は、フランスのロマン主義文学及びドイツのロマン主義哲学に大きな影響を与えたことで知られるが、その著書の難解さ、イリュミニスムに纏わるオカルティズムの色彩が災いして、これまで正統的な文学史、思想史からは排除されてきた。本論文は、この特異な思想家に関する日本ではじめての本格的研究であり、「啓蒙の世紀」と呼ばれるフランス18世紀に、なぜサン=マルタンという「神秘思想家」が生れたのか、また彼自身は啓蒙とその帰結-あるいは破局-であるフランス革命に対して自らをどのように定位したのかを、同時代に向けた彼の言説の検討、およびイリュミニスムと関わる他の著作家との比較を通じて解明することを目指している。その過程で啓蒙と反啓蒙、18世紀の合理主義精神と古代以来の神秘思想の関係が考察され、両者の間には単なる対立・衝突のみならず、様々な相互浸透や混交が見られ、それがロマン主義成立の一つの契機になったことが示される。本論文は、サン=マルタン研究であると同時に、18世紀後半から19世紀前半にかけてのフランス精神史の見取り図を描き出す試みでもある。

まず序論で、イリュミニスムの概念を歴史的に概観し、本論で用いる「神秘思想」関係の用語について説明を与えた後、サン=マルタンの「人と作品」について手短な紹介を行う。本論は、2部に分かれ、第1部は、「啓蒙からロマン主義へ」と題して、ルソー、イデオローグの代表的論客ガラ、シャトーブリアン、バルザックの思想と著作との比較を通じて、サン=マルタンの「神秘思想」が啓蒙の合理主義、当時のカトリシスム、さらにはロマン主義と取り結んでいた関係を検討すると同時に、翻って比較の対象である著作家たちの特質を浮き彫りにする。その際、導きの糸になるのは、言語と自然の観念である。「神秘思想家のフランス革命」と題する第2部は、サン=マルタンの革命観を、彼の二つの著作『革命についての手紙』及び『クロコディル』の紹介と分析を通じて考察する。さらにその成果を踏まえて、彼の周辺にいた二人の「イリュミネ」ニコラ・ド・ボンヌヴィルとジャック・カゾットの正反対の革命観を検討し、彼らに帰せられている「マルチニスム」がサン=マルタンの本来の思想とは無縁であることを示して、革命とイリュミニスムの捩れた関係に再考を促す。

本論文は、サン=マルタンの著作はもとより、イリュミニスムに関わる思想家・文学者の著作を渉猟して、サン=マルタンの思想の輪郭を確定するにとどまらず、イリュミニスムという観点から、啓蒙主義からフランス革命を経てロマン主義の勃興に至る時代思潮に新たな光を投げかけることに成功している。広範囲の著作家との対比に力点を置くあまり、サン=マルタンの思想と信仰の核心が必ずしも明確に浮かび上がらず、また立論の主導動機である「神秘思想」に対する論者のスタンスにいささかの揺れが認められるという問題は残すものの、これまでほとんど知られなかった思想家の全容に光を当て、時代思潮との関連を明らかにしたことは、まことに独創的な成果である。以上から審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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