学位論文要旨



No 215789
著者(漢字) 渡辺,慶一郎
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ケイイチロウ
標題(和) 低頻度電気刺激キンドリングモデルにおけるセロトニンレセプターの役割
標題(洋)
報告番号 215789
報告番号 乙15789
学位授与日 2003.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15789号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 医科学研究所 教授 真鍋,俊也
 東京大学 講師 宇川,義一
 東京大学 講師 川原,信隆
 医科学研究所 助教授 井上,貴文
内容要旨 要旨を表示する

要約

側頭葉てんかんの複雑部分発作を想定した低頻度海馬キンドリングラットモデルに Fluoxetine, PCPA, さらにセロトニンレセプターの各サブタイプのアゴニストとアンタゴニストを投与して発作閾値と発作重症度を評価した.

SSRIである Fluoxetine を投与すると複雑部分発作は抑制され,PCPAは発作促進的に作用した.サブタイプ別に検討したところ,5-HT1Aレセプターと5-HT2Aレセプターが発作抑制的に作用したため,セロトニン系賦活による発作抑制は両レセプターが関与していることが考えられた.

側頭葉てんかんは精神症状合併率の高いことが知られており,向精神薬が投与される機会が多い.近年臨床場面で多く使用されているSSRIやSDAを投与する場合,前者は適しており,後者は発作増悪の危険があることが示唆された.

研究目的

側頭葉てんかんは,海馬周辺にてんかん原性領域をもつてんかんである.臨床的特徴は複雑部分発作の存在と,高い頻度で躁うつ病や統合失調症類似の精神症状を呈することである.こうした精神症状を治療する際, 発作を悪化させずに適切な薬剤を選択することは,臨床上の課題である.近年の精神科臨床では,うつ病などの抑うつ状態にはSSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitor),統合失調症の幻覚妄想状態にはSDA(Serotonin Dopamine antagonist)が投与され,セロトニン系の調節機能を持つ向精神薬が主流となっている.このためセロトニン系が複雑部分発作発現にどのように影響するかについての知見が重要と考えられる.

側頭葉てんかんの病態研究には,これに特化した動物モデルを使用することが望ましい.Minabe らのグループは低頻度電気刺激キンドリング法を開発し,海馬歯状回を刺激することで複雑部分発作に相当する Stage 1 のてんかん発作を安定して再現する動物モデルを作成した.低頻度電気刺激キンドリング法は,刺激パルス間隔が長いためこの間の脳波観察が可能である.そのため afterdischarge 誘発までに要する電気刺激パルス数が定量可能である.このパルス数(Pulse number threshold : PNT)は発作閾値の指標である.

また誘発された発作波の持続時間(afterdischarge duration : AD)も同時に計測可能であり,発作強度を評価することができる.

セロトニンとてんかんの関係を論じた先行論文は多い.複数のてんかんモデル動物において,セロトニン系賦活が発作抑止的に作用し,遮断あるいは抑制が発作促進的に作用することはほぼ一致して報告されている.ただし,複雑部分発作に特化したモデル動物を用いてセロトニン系の調節を行った報告は極少数であり,これにセロトニン受容体サブタイプの選択的リガンドを系統的に投与した報告はない.そこで我々は低頻度海馬歯状回電気刺激キンドリングラットを用いて,受容体サブタイプのアゴニスト/アンタゴニスト等を投与して発作への影響を調べたので報告する.

対象と方法

約280gの雄 Wister ラットの左右の背側海馬歯状回に電極を3本ずつ刺入し,2Hzの電気刺激を10日間行った.刺入電極より同時に脳波を測定し,発作指標であるPNT(Pulse number threshold)とAD(afterdischarge duration)を計測した.これらが安定していること,また動作停止,顔面のグルーミング,全身の身震い(wet-dog shake),間代成分のない移動歩行といった発作 Stage 1 の特徴が出現していることを確かめて薬理学的実験に供した.投与した選択的セロトニン再取込み阻害剤,セロトニン合成阻害剤,セロトニンレセプターのアゴニスト/アンタゴニストの種類・投与量は表1に示してある.薬剤は全て腹腔内投与とした.なお,苦痛を伴う処置については,麻酔薬を使用してその軽減を図るなど倫理面に配慮して実験を行った.

図1のようにADはてんかん発作波の持続時間によって決定するが,刺激前の脳波と比較して同程度の振幅となるまでの持続時間を測定すると1次性のADと2次性のADが区別される. 1次性ADが終了して2次性ADが開始されるまでの時間を2次性AD潜時として,これも計測の対象とした.PNT,1次性AD,2次性AD,2次性AD潜時の4つの発作指標は全て Wilcoxon's sign-rank test を用いて統計的に検討された.ただし2次性ADと2次性AD潜時の解釈には未だ定説がないため,得られた結果の考察には用いなかった.

結果

蒸留水あるいは溶媒投与は総ての発作指標を変化させなかった.さらに前対照実験と薬理学実験の48時間後に行った後対照実験を比較しても有意な差は認めなかった(いずれもデータ省略).

5-HT

再取り込み阻害剤(Fluoxetine)の投与では,2.0mg/kgの用量でPNTが有意に延長し,1次性ADが有意に短縮していた.合成阻害剤(p-chlorophenylalanine : PCPA)400mg/kg投与では,PNT下と2次性ADの有意な短縮が認められた(いずれも表2).

5-HT1A

アゴニスト(8-OH-DPAT)の投与では各指標の変化は認めなかったが,アンタゴニスト(WAY100635)では0.1mg/kg投与により1次性ADは有意に延長し,0.3mg/kgと1.0mg/kg投与にて2次性AD潜時の有意な短縮と2次性ADの有意な延長が認められた(いずれも表2).

5-HT2

5-HT2A/2Cアゴニスト(DOI)では,3mg/kg投与にて2次性AD潜時が有意に短縮していた.5-HT2Aアンタゴニスト(MDL100907)では,1.0mg/kg投与にて1次性ADの有意な延長が認められた.5-HT2Cアンタゴニスト(SKB200646A)の投与では発作指標の変化は認めなかった(いずれも表2).

5-HT3

アゴニスト(SR57227A)の投与では,発作指標に変化は認めなかったが,アンタゴニスト(Granisetron)では1.0mg/kg投与により1次性ADが有意に短縮し,3.0mg/kg投与にて2次性AD潜時の有意な短縮が認められた(いずれも表2).

結果まとめ

上記の結果を表3にまとめた.2次性AD潜時と2次性ADは前述の通り,結果の解釈には用いなかった.

矢印は有意な増減を表し,青字はてんかん抑制性,赤字は促進性を示している.網掛けは当該実験がないことを示している.

考察

本モデルは側頭葉てんかんの複雑部分発作を想定したものである.SSRIである Fluoxetine を投与すると複雑部分発作は抑制され,PCPAは発作促進的に作用した.今回の実験では,5-HT1Aレセプターと5-HT2Aレセプターは発作抑制的に作用していたため,セロトニン系賦活による発作抑制は両レセプターが関与していることが考えられた.一方5-HT3レセプターは発作促進的に作用しており,上記のメカニズムには重要な役割を果たしてはいないと考えられた.

一方側頭葉てんかんは精神症状合併率の高いことが知られており,向精神薬が投与される機会は多い.複雑部分発作に精神症状が重畳した者に薬物療法を行う上で,本研究は臨床的意義も大きいと考えられた.即ち,抑うつ状態に対するSSRIの投与は,今回の結果から発作増悪の危険は少ないと考えられるため,従来の三環系・四環系の抗うつ薬に比して投与しやすいといえる.また幻覚・妄想などの精神病状態に対するSDAの投与は,従来の抗精神病薬よりも発作増悪の危険が高いと考えられる.Clozapine をはじめとするSDAを,複雑部分発作を持つ患者に投与する場合には慎重を要するだろう.

使用薬剤と投与量

脳波記録と発作指標

(A)と(B)は海馬歯状回に刺入した電極で記録されたラット脳波である.(A)は刺激側で(B)は反対側である.(a)は低頻度(2Hz)キンドリング刺激の開始点,(b)は primary Afterdischarge(1次性AD:pAD)の出現点,(c)はキンドリング刺激の終了点,(d)は1次性ADの終了点である.

この記録ではPNTは(a)から(b)までの刺激回数なので14,pADは(b)から(d)までの時間である.

(C)は(A)(B)の延長である.(e)は secondary Afterdischarge (2次性AD:sAD)の出現点,(f)はsADの終了点である.この記録では2次性AD潜時は(d)から(e)までの時間,sADは(e)から(f)までの時間である.

Fluoxetine とセロトニンレセプターアゴニストの効果

PCPAとセロトニンレセプターアンタゴニストの効果

結果まとめ

審査要旨 要旨を表示する

本研究は側頭葉てんかんの発作発現に対するセロトニン系調節の役割を明らかにする目的で,低頻度ラット海馬キンドリングによる Stage 1 発作(複雑部分発作に相当)を再現する系にて,セロトニン再取り込み阻害薬やセロトニン合成阻害薬,各セロトニン受容体サブタイプのアゴニスト,アンタゴニストを投与して発作への影響を解析したものであり,下記の結果を得ている.

セロトニン再取り込み阻害剤(Fluoxetine)の投与では,PNT(Pulse number threshold)が有意に延長し,1次性AD(afterdischarge duration)が有意に短縮していた.セロトニン合成阻害剤(p-chlorophenylalanine : PCPA)の投与では,PNTの有意な短縮が認められた.

これらの結果から,セロトニン系の賦活は発作の抑制を,抑制は発作の促進をもたらすものと考えられた.

次にセロトニン受容体サブタイプについて検討した.

5-HT1Aアゴニスト(8-OH-DPAT)の投与では変化が認められなかったが,アンタゴニスト(WAY100635)の投与では1次性ADの有意な延長が示された.

5-HT2A/2Cアゴニスト(DOI)の投与では変化が認められなかったが,5-HT2Aアンタゴニスト(MDL100907)では1次性ADの有意な延長が示された.5-HT2Cアンタゴニスト(SKB200646A)では有意な変化が認められなかった.

5-HT3アゴニスト(SR57227A)の投与では変化が認められなかったが,アンタゴニスト(Granisetron)では1次性ADの有意な短縮が示された.

これらの結果から,(1)の発作調節には5-HT1Aと5-HT2A受容体が関与し,5-HT3受容体は重要な役割を果たしていないと考えられた.

以上,本論文は複雑部分発作のモデル動物において,セロトニン系が発作調節に関与しており,なかでも5HT1Aと5-HT2A受容体が重要な役割を果たしている可能性を示したものである.本研究は,複雑部分発作に特化したモデルを用いていること,またセロトニン受容体の各リガンドを系統的に検討していることで,側頭葉てんかんの複雑部分発作の病態解析や,合併する精神症状の薬物療法に有益な示唆を与えたと考えられ,学位の授与に値すると考えられる.

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