学位論文要旨



No 215791
著者(漢字) 谷口,真
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,マコト
標題(和) 全身麻酔下で運動誘発電位による術中モニタリングを行うための技術的検討
標題(洋)
報告番号 215791
報告番号 乙15791
学位授与日 2003.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15791号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 講師 宇川,義一
内容要旨 要旨を表示する

研究目的

今日、脳神経外科・整形外科領域の手術の大半は全身麻酔下に行われるが、手術により運動機能障害をきたす危険のある手術の場合、患者の神経機能の悪化をその場で知り、対策をとる事が出来ないという点がジレンマになる。本研究では、全身麻酔下の患者で手術中に運動誘発電位を連続記録する事で運動伝導路の機能を監視する方法、すなわち運動誘発電位の術中モニタリング法について検討する。

通常ベッドサイドで行われる運動誘発電位は、大脳の一次運動野付近を経頭蓋的に刺激し、刺激と対側の上下肢より惹起される筋電図変化として記録される。経頭蓋的刺激には、電気的刺激法と磁気刺激法があるが、刺激に伴う痛みがないことから、覚醒患者に対する検査には後者が用いられるのが普通である。

全身麻酔下で神経領域の手術を行う場合、運動誘発電位にはより広いバリエーションがあり得る。頭部の刺激には、上記経頭蓋刺激以外に、大脳の運動関連領域が術野に直接露出している場合には直接脳表刺激が可能である。記録も、上下肢の筋電図変化のみならず、脊髄が直接術野に露出された場合には、記録電極を脊髄におくことで、大脳刺激により脊髄を下降する電位を記録することも出来る。刺激に伴う痛みも覚醒状態の患者で問題になるほど大きな障害ではなくなる。一方、全身麻酔下での運動誘発電位検査が抱える最大の問題点は、麻酔薬による抑制である。

本研究では、全身麻酔の影響下で安定して運動誘発電位を記録するために以下の3つの実験を行って解決策を検討した。

方法

実験1

4種類の通常外科麻酔で用いられる静脈麻酔薬によってそれぞれ全身麻酔を導入し、外科手術に必要な麻酔深度に至るまでの間、経頭蓋磁気刺激、上肢の表面筋電図反応記録による通常の運動誘発電位を経時的に記録し、それぞれの麻酔薬により運動誘発電位がどの程度の抑制を受けるか、運動誘発電位の術中モニタリングが遂行可能な麻酔の組み合わせが存在するかについて検討した。

実験2

全身麻酔薬の運動誘発電位への抑制がどの様なメカニズムによって発生しているのかを検討するため、全身麻酔下と非麻酔下の患者について、経頭蓋電気刺激が橈側手根屈筋 (M. flexor carpi radialis) の H-reflex に与える促通効果のパターンを比較検討して経頭蓋電気刺激が脊髄運動ニューロンに与える核上性入力の違いを検討した。

実験3

実験2で得られたパターンの違いを考慮して頭部の刺激方法の最適化を試み、単発刺激にかわり高頻度トレイン刺激を用いることで全身麻酔下でも安定した運動誘発電位の記録が可能になることを証明した。

結果

実験1

使用した4種類のどの静脈麻酔薬を用いても用量依存的に進行性の運動誘発電位の抑制が見られ、結局検査した77例中48例で被検者が入眠する前に運動誘発電位は測定不能となった。検査した静脈麻酔薬の中では、etomidate による抑制が最も少なく、被検者の入眠時でも57%の症例で運動誘発電位は記録可能であり、運動誘発電位の減衰度も開始値の65%にとどまった。一方、propofol と thiopental は、他の2剤に比して有意に抑制が強かった。最初のコントロールに記録された運動誘発電位が大きい症例程、また運動誘発電位の誘発に必要な刺激強度閾値の低い例、すなわち検査において相対的に強い刺激が行われた例程麻酔導入まで運動誘発電位が記録される確率が高かった。

実験2

全身麻酔下の患者と、非麻酔下の患者についてそれぞれ正中神経に肘窩で電気刺激を加えて橈側手根屈筋より H-reflex を誘発し、これに適当なタイミングで H-reflex 記録側と反対側の頭部一次運動野近辺に経頭蓋電気刺激を加えて、H-reflex への促通効果を検討した。検査に使われた強度の経頭蓋刺激単独では、麻酔例、非麻酔例共に運動誘発電位は記録できなかったが、その程度の刺激でも H-reflex への促通効果は観察された。すなわち、運動誘発電位の誘発閾値に達しないような弱い経頭蓋刺激や、全身麻酔による抑制性の影響の元でも、少なくとも脊髄の運動ニューロンまでは、経頭蓋電気刺激の効果が届いていることが判明した。ただし、全身麻酔下と非麻酔時では、促通効果の持続時間、促通パターン、促通程度のいずれも大きく様相が異なった。麻酔下では、促通パターンは単相性で持続は最大7ms程度、促通効果のピークは条件刺激のみの場合の平均231%であったのに対し、非麻酔下では、促通パターンが二峰性で持続は15ms以上、最初のピークは両者共通に見られたが、この最初のピークの促通効果も平均591%とはるかに麻酔下より強い促通効果をもたらした。

実験3

開頭手術中に露出された一次運動野で対側の正中神経を刺激したSEPを記録したときに最大のP20-N30反応を示す場所に刺激電極を留置して3-5連発の高頻度陽性矩形波によるトレイン刺激を行うことで、検査した全例で安定して対側の前腕屈筋群の筋電図反応を記録することが出来た。刺激により誘発された筋電図反応の振幅は10-100μV程で、これは同じ記録部位から正中神経を肘窩で電気刺激したときに得られた複合筋電図反応の最大振幅の5%程度に相当した。刺激閾値は、トレイン刺激に含まれる矩形波の数、持続、刺激間隔によって変化した。また、刺激電極が一次運動野にあるときに最大の反応が得られた。トレイン内に含まれる刺激間隔を詰めれば詰めるほど、すなわち刺激の周波数を上げれば上げるほど刺激効果は上がったが、500Hzをこえると刺激効果は急速に減衰した。

考察

麻酔法を種々に変更しても通常の手法の運動誘発電位を全身麻酔下で安定して記録することは困難であった。全身麻酔下でも、経頭蓋電気刺激の効果は脊髄運動ニューロンまで届いていることは確認されたが、運動ニューロンを発火閾値に達せしめるには不十分な程度であった。そこで、従来の単発刺激にかえて極めて短い刺激間隔で数発のトレイン刺激を用いることで、全身麻酔下でも刺激側と対側の上下肢から再現性良く筋電図反応を誘発することが可能であった。今回は、脳表の直接電気刺激についてのみ実験したが、同様の刺激は経頭蓋的刺激法でも可能と推定された。本手法で誘発された筋電図反応は主として皮質脊髄路の単シナプス成分により伝達される神経活動を反映している可能性が高いと考えられた。本モニタリングが手術中の運動機能の安全にどの程度寄与するかについては今後の検証が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、従来は困難とされてきた全身麻酔下の患者に対する運動誘発電位の術中モニタリング法の実現可能性について検討したものであり、下記の結果を得ている。

4種の異なる静脈麻酔薬により全身麻酔を導入し、麻酔導入に際して運動誘発電位の受ける抑制効果の程度、麻酔深度との関係を調べた。結果、どの静脈麻酔薬を用いても用量依存的に進行性の運動誘発電位の抑制が見られ、大多数の症例では患者が外科麻酔の深度に達する以前に運動誘発電位が測定不能になることがわかった。すなわち、現在通常用いられる運動誘発電位検査法をそのまま用いたのではどのような麻酔方法を用いても全身麻酔下での術中モニタリングの遂行が極めて困難と判断するに充分の根拠を得た。

そこで、全身麻酔薬の運動誘発電位への抑制がどの様なメカニズムによって発生しているかを検討するため、全身麻酔下と非麻酔下の患者について、経頭蓋電気刺激が橈側手根屈筋の H-reflex に与える促通効果のパターンを比較検討した。結果、全身麻酔による抑制性の影響の元でも少なくとも脊髄の運動ニューロンまでは、経頭蓋電気刺激の効果が届いていることが判明した。ただし、全身麻酔下と非麻酔時では促通効果の持続時間、促通パターン、促通程度のいずれも大きく様相が異なっており、非麻酔下では単発の経頭蓋電気刺激が脊髄運動ニューロンに多峰性で15ms以上にわたって持続する長い促通効果をひきおこすのに反して、全身麻酔下では単相性で最大7msしか持続せず、最強でも非麻酔下の1/3程度の促通効果を起こすにとどまる事が示された。

全身麻酔下と非麻酔下で同じ単発の経頭蓋電気刺激が脊髄運動ニューロンに与える上述のような効果の違いを考慮して、頭部の刺激方法の最適化を試み、単発刺激にかわり高頻度トレイン刺激を用いることで全身麻酔下でも安定した運動誘発電位の記録が可能になることを証明した。

以上、本研究により全身麻酔薬が運動誘発電位に与える抑制メカニズムが明らかになり、さらに解決策として高頻度トレイン刺激を用いることで、全身麻酔下でも安定して運動誘発電位による術中モニタリングが可能になることが証明された。本研究の成果を基盤とした臨床応用の報告も近年多くの施設から多数行われており、本研究が神経系を扱う外科手術の安全に果たした貢献は大きいと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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