学位論文要旨



No 215798
著者(漢字) 紀藤,圭治
著者(英字)
著者(カナ) キトウ,ケイジ
標題(和) ケモカインによる方向選択的な細胞遊走のメカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 215798
報告番号 乙15798
学位授与日 2003.10.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15798号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 榊,佳之
内容要旨 要旨を表示する

ケモカインは主にある特定の白血球サブセットに対する走化性因子として機能し、炎症部位への細胞浸潤を制御する低分子蛋白質である。また、ケモカインは炎症部位への細胞浸潤を司るだけでなく、T細胞、B細胞および樹状細胞の2次リンパ組織への移行、内皮細胞に対する遊走活性を介した血管新生の誘導、特異的組織への癌細胞の移動、中枢神経系および生殖組織の発生など、目的部位への選択的な細胞移動を制御することにより、様々な生命現象において重要な役割を担っている。

ケモカインによる細胞移動も含め、真核細胞の方向選択的な細胞遊走では、空間的な遊走因子濃度差を認識することで細胞が極性を形成し、この細胞極性の形成は方向選択的な細胞遊走反応において重要な過程である。わずか数%の外的刺激因子の濃度差を細胞が認識し、それをいかに増幅して細胞内の極性形成へと繋げるのか、これについては受容体や細胞内シグナル分子の局在化、負の制御による細胞内シグナル強度差の増幅、など多くの知見が得られている。一方で、細胞が遊走因子の濃度勾配刺激を受け、細胞極性の形成、方向選択的な細胞移動と目的部位での細胞機能の発揮というダイナミックな細胞応答の過程で、遊走因子に対する細胞の反応性がどのように制御され、または変化しうるのかはよく理解されておらず、興味深い課題である。

ケモカイン受容体は種々のサイトカインによりその発現が制御されており、また、ある種のケモカイン刺激は、ケモカイン受容体のヘテロ二量体形成を促し、別のケモカインに対する受容体の応答性を増強させる。このように、ケモカイン受容体はある刺激を受けることで量的または質的な制御を受けている。そこで、受容体の量的または質的な変化を介してケモカインに対する細胞の反応性が変動する可能性を検証するために、CCケモカインサブファミリーに属するMCP-1で刺激した細胞におけるMCP-1結合そのものの変化、および受容体の量的または質的な違いを調べた。MCP-1受容体であるCCR2を発現しているヒト単球由来細胞株のTHP-1細胞を用いた検討で、MCP-1で前処理後に細胞を洗浄しMCP-1自身の結合量の変化を調べると、MCP-1処理した細胞においてMCP-1自身の結合が増加することが見出された。CCR2 mRNA量および細胞表面上のCCR2発現量は、MCP-1処理により変化しなかった。一方スキャッチャード解析から、MCP-1で前処理した細胞において、MCP-1に対する受容体の結合親和性が約6倍増加した。また、CCR2を発現させたHEK-293細胞においても、MCP-1で前処理した細胞でMCP-1自身の結合が増加するとともに、受容体の結合親和性の上昇がみられた。以上より、MCP-1受容体はそれ自身のリガンドであるMCP-1刺激により、MCP-1に対する結合親和性が上昇することが示された。

細胞や刺激因子の違いにより、例えば好中球やDictyosteliumのように細胞移動の方向が遊走因子濃度勾配の変化による影響を迅速に受ける場合と、そうではなく、マクロファージの細胞移動で示唆されているように、ある時間内では一定方向の移動を続けうる場合とがある。そこで、ケモカイン濃度勾配の変化に対する細胞の応答性はつねに一定ではなく細胞移動の過程で変動していく可能性を検証するために、MCP-1濃度勾配でプレ刺激した細胞が、その後MCP-1刺激がない状態で移動するのか、また、濃度勾配の変化がプレ刺激した細胞の遊走反応にどう影響するのかを、ボイデンチャンバーを用いて調べた。15-30分間MCP-1の濃度勾配を予め認識させたTHP-1細胞は、その後MCP-1刺激の存在しない条件下でも遊走反応を示した。これは培地中に残存するMCP-1によるものでないことが、抗MCP-1抗体による阻害を受けないことから裏付けられ、細胞遊走を引き起こすためにつねにMCP-1刺激が存在し続ける必要はないことが示された。さらに、予めMCP-1濃度勾配でプレ刺激した細胞は、調べた範囲ではその後の遊走因子濃度勾配の変化に関わらず同等の遊走反応を示した。最初に認識したMCP-1の濃度勾配により細胞が移動する方向を識別すると、その後ある一定の時間内および濃度の範囲内においては、遊走因子濃度勾配の環境に変化が生じても細胞は最初の濃度差に従ってその濃度が高い方向に向かって移動をするという可能性が示された。また、阻害剤を用いた検討から、MCP-1プレ刺激後のTHP-1細胞の遊走反応は、p38 mitogen-activated protein kinase(p38-MAPK)に依存し、phosphatidylinositol 3-kinase(PI3-kinase)に依存しないことが示唆された。MCP-1により誘導される細胞遊走そのものはPI3-kinaseの阻害剤であるwortmanninにより阻害されることから、遊走因子濃度勾配によるプレ刺激において、細胞がその移動する方向を識別する際にPI3-kinaseが関与しているのではないかと思われる。

以上より、MCP-1刺激を受けた細胞でその受容体の結合親和性が上昇することが示され、また、MCP-1濃度勾配刺激を受けた細胞の遊走反応は、ある一定時間においてその後の濃度勾配変化による影響を受けない可能性が示唆された。MCP-1刺激による受容体の質的変化は、受容体の局在化も伴うとすれば細胞周囲のケモカイン濃度差を細胞が増幅して感知するのを助け、その結果として移動する方向を識別した細胞は、至適濃度より外れたケモカインを産生している環境においても、一定の時間または距離の範囲で最初に認識した濃度勾配に従った方向に移動ができるのではないだろうか。細胞の遊走因子に対する反応性は、このように受容体の質的変化でみられるような正の制御、または濃度勾配変化に対する細胞の反応性でみられるような負の制御を受け、細胞移動においてその移動方向の認識や持続的な細胞移動に寄与しているのではないか、という興味深い仮説が考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、細胞のケモカイン刺激に対する反応性がダイナミックに制御されうる可能性を示した。すなわち前半部分(4.1および5.1)でケモカイン刺激を受けた細胞におけるケモカイン受容体の結合親和性の上昇について、後半部分(4.2および5.2)でケモカイン濃度勾配の変化に対する細胞応答について解析を行った。

ケモカインは生体内において目的部位への選択的な細胞移動を制御することにより、様々な生命現象において重要な役割を担っている低分子の分泌性淡白質である。ケモカインによる細胞移動も含め、細胞極性の形成は方向選択的な細胞遊走反応において重要な過程である。わずか数%の外的刺激因子の濃度差を細胞が認識し、それをいかに増幅して細胞内の極性形成へと繋げるのかについては、多くの知見が得られている。一方で、細胞異動というダイナミックな細胞応答の過程で、遊走因子に対する細胞の反応性がどのように制御され、または変化しうるのかは不明な部分が多く、この点に疑問点を見出し、具体的には以下に述べる2点について検証が為されている。

ケモカイン受容体はある二次的な刺激を受けることで量的または質的な制御を受けている。そこで、受容体の量的または質的な変化を介してケモカインに対する細胞の反応性が変動する可能性を検討するために、CCケモカインサブファミリーに属するMCP-1で刺激した細胞におけるMCP-1結合そのものの変化、および受容体の量的または質的な変動を調べた。MCP-1受容体であるCCR2を発現しているヒト単球由来細胞株のTHP-1細胞において、MCP-1処理した細胞でMCP-1自身の結合が増加することが見出された。CCR2 mRNA量および細胞表面上のCCR2発現量は、MCP-1処理により変化しなかった。一方スキャッチャード解析から、MCP-1で前処理した細胞において、MCP-1に対する受容体の結合親和性が約6倍増加した。また、CCR2を発現させたHEK-293細胞においても、MCP-1で前処理した細胞でMCP-1自身の結合が増加するとともに、受容体の結合親和性の上昇がみられた。以上より、MCP-1受容体はそれ自身のリガンドであるMCP-1刺激により、MCP-1に対する結合親和性が上昇することが示されている。

細胞や刺激因子の違いにより、細胞移動の方向が遊走因子濃度勾配の変化による影響を迅速に受ける場合と、ある時間内では一定方向の移動を続けうる場合があることが知られている。そこで、ケモカイン濃度勾配の変化に対する細胞の応答性はつねに一定ではなく細胞移動の過程で変動していく可能性を検証するために、一度ケモカイン濃度勾配刺激を受けた細胞の遊走反応は、その後の濃度勾配変化による影響をどう受けるのかを調べた。MCP-1の濃度勾配を予め認識させたTHP-1細胞は、その後MCP-1刺激の存在しない条件下でも遊走反応を示した。さらに、予めMCP-1濃度勾配刺激を受けた細胞は、調べた範囲ではその後の遊走因子濃度勾配の変化に関わらず同等の遊走反応を示した。最初に認識したMCP-1の濃度勾配により細胞が移動する方向を識別すると、その後ある一定の時間内および濃度の範囲内においては、遊走因子濃度勾配の環境変化による影響を受けずに細胞は最初の濃度差に従って移動をするという可能性が示されている。

以上より、MCP-1刺激を受けた細胞でその受容体の結合親和性が上昇することが示され、また、一度MCP-1濃度勾配刺激を受けた細胞の遊走反応は、ある一定時間においてその後の濃度勾配変化による影響を受けない可能性が示されている。MCP-1刺激による受容体の質的変化は、受容体の局在化も伴うとすれば細胞周囲のケモカイン濃度差を細胞が増幅して感知するのを促し、濃度勾配変化に対する感受性の低下は、至適濃度より外れたケモカインを産生している環境においても、一定の時間または距離の範囲で最初に認識した濃度勾配に従った安定した細胞移動を可能にするのではないだろうか。細胞の遊走因子に対する反応性は、このように受容体の質的変化でみられるような正の制御、または濃度勾配変化に対する細胞の反応性でみられるような負の制御を受け、細胞移動においてその移動方向の認識や持続的な細胞移動に寄与しているのではないか、といった興味深い仮説が提案されており、方向選択的な細胞遊走のメカニズムを解明する上で重要な知見が得られている。

なお、本論文の前半は西田健一氏および森下馨氏との共同研究で、後半は西田健一氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となり、研究立案と実験および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

以上より、本論文により博士(理学)を授与できるものと認める。

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