学位論文要旨



No 215799
著者(漢字) 牧山,正男
著者(英字)
著者(カナ) マキヤマ,マサオ
標題(和) 日本型直播稲作に関する水田工学的研究
標題(洋)
報告番号 215799
報告番号 乙15799
学位授与日 2003.11.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15799号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 塩沢,昌
 日本獣医畜産大学 教授 松木,洋一
内容要旨 要旨を表示する

本研究は我が国における直播稲作,いわゆる「日本型直播稲作」の課題に対して,水田工学的な観点からの検討を行ったものである.以下のように序章,1章から7章,および終章の全9章にて構成されている.

今日の我が国では,稲作の省力化,低コスト化を目的として,稲作経営規模を拡大することの需要が唱えられている.しかしながら現行の移植栽培の体系では個々の農家が経営可能な水田面積規模には限界がある.特に移植栽培体系では、育苗,本田準備,移植作業など,春先の短期間に多くの労働を要する.労働ピークとなっている春作業が経営面積の規定条件となっている.その規模拡大への壁を打破するためのキーテクノロジーとして直播稲作の導入が着目されている.

ところが,我が国は零細分散錯圃の農地条件ゆえに,将来的に規模拡大しても1戸あたりたかだか10数ha程度,水田面積も1〜2ha程度が多くなると考えられる.そのために所得の確保のためには土地生産性の維持が求められる.さらに降雨の多さなどの気象条件,また,良食味品種のみが高価で取引される市場条件などの我が国の特性を踏まえると,合衆国などで行われているような粗放的な直播手法は導入しがたい.そのために我が国独自の「日本型直播稲作」の技術確立が求められる.

なお,直播面積は現状では全国で1万haを越える程度(2001年)で,これは稲作面積の0.6%に過ぎないが,微増傾向にある.特に東北地方・北陸地方における湛水直播の普及が見られる.

さて,直播稲作の導入は,多くのケースにおいて大区画化圃場整備と同時に行われるべきだと考えられる.そこで本研究は大区画化圃場整備と直播導入との連携について考えるべく,直播を組み入れた農家の経営形態の確立について,並びに直播導入のための圃場整備水準についての2点を検討することとした.すなわち,第一に日本型直播の現状と需要を把握することを目的とした.具体的には日本型直播およびそれに深く関わる田面均平について既往の研究を概観した上で,日本型直播の面積変化と技術進捗との関係について,および個々の農家の省力化の必要性に注目しながら各経営類型ごとの直播の需要の有無について整理した.また農家が直播を導入するための課題・問題点について把握した.第二に湛水土壌中散播の収量低下に対する水田工学的対処の可能性について検討することを目的とした.収量低下の要因のひとつが苗立密度の過疎にあることを考察し,またそれは田面起伏に強く影響されることを指摘した上で,そうした箇所を回避する観点から,湛水土壌中散播での種子の埋没深に着目した.そしてそれに田面起伏および均平精度の向上が及ぼす影響について,現地試験,室内実験,モデル考察によって検討した.

結果を以下に示す.

1章での既往の研究の整理把握に続き,2章では直播の面積の変化について検討した.全国および県レベルで各時代ごとの技術水準を考慮しながら詳細に分析し、過去から現在に至る直播の動向について検討した結果,全国レベルでの直播面積の変化のみでの普及状況の議論を行うのには限界があることをまず明らかにした.その一方で,県別あるいは地方別に面積変化を分析することによって,年代ごとの技術水準について検証できる可能性を特異的に直播面積が卓越している岡山県を例に示した.さらに近年では、岡山県,福島県などを除けば県内の稲作面積に対する直播面積の割合が1%を越える県は少ないが,概して直播面積は増加傾向にある.そのことについて,東北・北陸地方の面積増が大きいこと,またその要因として,落水出芽法や冬季代かき乾田直播,湛水点播といった技術の進歩に加えて,基盤整備の進捗とそれを契機とした直播の導入,転作カウントの存在,初期投資に対する行政的な助成など,直播を導入しやすい環境が整ってきていることを挙げた.

3章では,まず直播導入に際しては省力化が第一目的で,低コスト化は省力化されて生じた余剰労力を如何に活用するかによって得られるものであることを指摘した.その上で、農家類型を,省力化する際の労働の利用目的に応じて農家類型を「稲作拡充型」,「複合経営拡大型」,「第2・3次産業拡充型」,「余暇増加型」の4類型に分類し,それぞれの直播の導入意義に関して営農の観点から検討した.結果として「稲作拡充型」「複合経営拡大型」の農家にとっては直播導入の有効性が高いこと,逆に「第2・3次産業拡充型」の農家にとっては,農外所得機会が労働の季節差が少ないために労力配分の効果が低いことから,直播導入の意義は低いことを示した.

続いて大規模稲作農家が直播の導入を判断する過程について,従前の栽培法に問題が存在していることを前提にして,(1)春先の省力化によって所得機会が増大できる場合に直播を必要だと発想し,(2)地域条件を踏まえて導入が可能であると判断し,(3)直播の経済性を評価し,特に最大のリスクである「収量が大幅に減少する危険性」が回避可能と判断する,の各段階がすべてクリアされる必要があることを整理した.このうち最大の障壁は直播の低収量性,特に技術の困難さによる収量大幅減の危険性と考えられた.

さらに直播を導入する契機となる農家の経営上の変化について,圃場整備などを契機とした経営の大規模化・法人化,数戸単位での連携,個人単位での規模拡大,世代交代や相続などの個人的な変化の4者に分類し,それぞれについて事例を紹介した.

以上が第一の目的に対する検討である.これらの結果を受けて,以下では我が国においては乾田直播に比べて適地が多いこと,その一方で初期生育に課題が残されていることを踏まえて,対象を湛水直播に限定した上で,第二の目的について検討した.

4章では,安定的かつ均一的な苗立密度を確保する観点から,田面均平精度の問題について論じた.湛水土壌表面散播圃場での調査により,苗立密度の不均一性の存在を把握し,また特に苗立密度が過疎となる箇所において収量の大幅減が生じることを示唆した.さらに散播での適正な苗立密度および播種量について,それぞれ100本/m2,4kg/10aという数値を算出した.これは既報とほぼ一致する結果である.

続いて,苗立密度が過疎となる要因について整理・検討し,落水出芽法による根の土壌進入の促進,鳥害・貝害の回避の点で,田面均平精度の向上が関与すること,また種子を適切に埋没させることでこれらの多くが制御可能であることを考察した.

以下では湛水直播の中でも最も省時間的で,また区画規模にも汎用性が高いが,その反面で種子の埋没深の制御は困難な湛水土壌中散播にさらに対象を限定し,その手法での種子の埋没に対して田面起伏・均平精度が及ぼす影響について掘り下げた.湛水散播での種子の埋没深は,落下速度(落下高さ),種子の質量の他,代かき後の土壌硬度,湛水による抵抗といった田面起伏に関与する要因に影響される.

5章では代かき後の水田における土壌の硬化過程とその田面起伏との関係について現地において測定することとした.軟弱な土壌の硬度評価については過去に例がないが,ここでは測定には簡易なフォールコーンを利用した.その結果,湛水下においては表層硬度はゆっくりと硬化していき,代かきから数日間は種子の埋没が可能な硬度が保たれるのに対し,表層が水面から露出した後の硬化は急速で,コーンの土中への進入深は露出から1日程度でほぼ半減した.散播された種子の埋没深を制御するためには表層硬度の均一化が必要だが,以上の結果から田面起伏に伴う湛水残留の有無,および露出までの時間差のために表層硬度は不均一となることが把握できた.

6章では散播での種子の埋没深に表面土壌硬度,湛水深,被覆種子の質量と大きさ,並びに落下高さが及ぼす影響について,室内実験により検討した.その結果,湛水の抵抗が埋没深に対する大きな要因であること、並びに湛水条件下で種子が適切な埋没深を得られるのは,表面土壌硬度が0.2kPa程度,すなわち練り返された土層が十分に沈下せず,硬度が極めて軟弱なときのみであることを把握した.また湛水条件下で被覆種子の質量や落下高さを増すことによって埋没深を増すことができるのも,同様に表面土壌が軟弱なときに限られること,逆に言えば,湛水条件下において表面土壌が硬化した後には,種子の質量や落下高さを増しても埋没深確保には効果がほとんどないことがわかった.そのため,代かき後,土層が十分に沈下する前に播種するように作業体型を見直すことが考えられるが、その場合は埋没深が深くなりすぎる恐れがある.

7章では現地試験および室内実験の結果を踏まえて「埋没面積率モデル」を作成し,散播された種子が土中に埋没する箇所の面積率が均平精度に応じて如何に変化するかについて検討した.その結果,現行の均平精度基準ではある程度の不埋没を覚悟する必要があるのに対し,均平精度を平均値±2.5cm程度に向上させ,さらに播種時における湛水深を適切に管理することによって,埋没面積率が70%以上の高率となることを示した.

以上のように,本研究では普及度評価や需要,導入される過程について確認することで日本型直播に関する現状および問題点を整理した.その上で,従来の直播技術の検討の中で欠如していた湛水直播に関する水田基盤整備の関与について検討した.その結果,直播での収量低下の大きな要因と目される苗立密度が過疎となる箇所の回避,すなわち初期生育の安定化に対して,従来は仮説的・経験則的に指摘されていた田面均平精度の向上と,それに加えて湛水深管理の精緻化による種子埋没深の制御によって寄与できる旨を示し,またそれに必要な田面均平精度水準について平均値±2.5cm程度以上が必要であることを示唆することができた.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は我が国における直播稲作、いわゆる「日本型直播稲作」の導入に対する課題について、水田工学的な観点から検討したものである。

我が国の農地所有・農業経営の現状では、直播の特性としては合衆国などで行われているような粗放性ではなく、土地生産性の維持が求められる。さらに気象特性や市場特性を踏まえ、我が国独自の「日本型直播稲作」の技術確立が求められる。直播稲作の導入は、多くのケースにおいて大区画化圃場整備と同時に行われるべきであることから、著者は大区画化圃場整備と直播導入との連携について考えるべく、直播を組み入れた経営形態の確立について、また直播導入のための圃場整備水準について検討した。

1章での既往の研究の整理に続き2章では、直播普及面積の動向について検討した。その結果、全国レベルでの直播普及面積の変化のみでの普及状況の議論を行うのには限界があること、しかし県別・地方別にの分析するなら、年代ごとの技術水準について検証できる可能性があることを示した。さらに近年の直播面積の増加傾向は、技術の進歩に加えて、基盤整備の進展や行政的な助成など、直播を導入しやすい環境が整ってきていることによることを指摘した。

3章では、直播導入による低コスト化は、省力化されて生じた余剰労働を活用した結果として、経営全体としてみたときに得られるものであること、また直播導入で生じる余剰労働を何に活用するかに着目して直播導入の意義について検討し、稲作および複合経営の拡大を志向する農家にとって直播導入の有効性が高いこと、逆に兼業化の拡充を志向している農家にはその有効性が低いことを示した。

また、大規模稲作農家が直播の導入を判断する過程について考究し、その最大の障壁は直播技術の困難さによって収量が大幅に減少する危険性にあることを指摘した。

4章では、直播での収量低下回避のためには苗立密度の均一化の確保が重要であることを現地調査結果を踏まえて指摘した。また苗立密度が過疎となる要因のうち落水出芽法による根の土壌進入の促進、鳥害・貝害の回避に対しては均平精度の向上が関与し、また種子を適切に埋没させることでこれらの多くが制御可能であることを考察した。

以下では我が国において適用性が高い湛水直播の中でも特に省時間的で、また区画規模にかかわらず汎用性が高いが、その反面で種子の埋没深の制御は困難な湛水土壌中散播にさらに対象を限定し、その手法での種子の埋没に対して田面起伏・均平精度が及ぼす影響について検討している。

5章では、代かき後の水田における土壌の硬化過程とその田面起伏との関係について、現地において測定したデータに基づいて考察した。湛水下においては表層硬度はゆっくりと硬化していき、代かきから数日間は種子の埋没が可能な硬度が保たれるのに対し、表層が水面から露出した後の硬化は急速で、コーンの土中への進入深は露出から1日程度でほぼ半減した。散播された種子の埋没深を制御するためには表層硬度の均一化が必要だが、田面起伏に伴う湛水残留の有無および露出までの時間差のために表層硬度は不均一となることを明らかにした。

6章では、散播での種子の埋没深に及ぼす表面土壌硬度、湛水深、被覆種子の質量、落下高さの影響について、室内実験により検討した。その結果、湛水の抵抗が埋没深に対する大きな要因であり、湛水条件下で種子が適切な埋没深を得られるのは、練り返された土層が十分に沈下せず、土壌硬度が0.2kPa程度と極めて軟弱なときのみであることを明らかにした。また湛水条件下で被覆種子の質量や落下高さを増すことによって埋没深を増すことができるのも、表面土壌が軟弱なときに限られること、すなわち、湛水条件下において表面土壌が硬化した後には、種子の質量や落下高さを増しても埋没深確保には効果がほとんどないことを明らかにした。

7章では、これまでの結果を踏まえ「埋没面積率モデル」を作成し、散播された種子が土中に埋没する面積率と均平精度との関係について検討した。その結果、熟田の均平精度とされる平均値±2.5cm程度に均平精度を向上させ、さらに播種時における湛水深を適切に管理することによって、埋没面積率が70%以上の高率になることを明らかにした。

以上のように、本研究は普及度評価や、導入過程について確認することで日本型直播に関する現状および問題点を整理し、直播技術の検討の中で欠如していた湛水直播に関する水田基盤整備の関与について検討したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51198