学位論文要旨



No 215802
著者(漢字) 小林,高範
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,タカノリ
標題(和) 植物の鉄欠乏誘導性シスエレメントに関する研究
標題(洋)
報告番号 215802
報告番号 乙15802
学位授与日 2003.11.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15802号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 鈴木,義人
内容要旨 要旨を表示する

序論

鉄は高等植物にとって生育に必須な元素である。土壌中においては鉄の大部分は不溶態であるため、植物に吸収されにくい。特に石灰質アルカリ土壌に生育する植物では鉄欠乏は生育の大きな制限要因となる。高等植物の鉄獲得機構は2種類に大別され、これらに関与する主要な遺伝子が次々と単離されてきた。しかしながら、これらの遺伝子の機能については未知の部分が多く残されている。さらに、鉄欠乏によるこれらの遺伝子の発現の制御機構についてはほとんど解明されていない。そこで本論文では、オオムギ根からディファレンシャルハイブリダイゼーション法により単離された鉄欠乏誘導性遺伝子IDS2およびIDS3に関してプロモーター解析を中心とした研究を行うことにより、植物の鉄栄養に関するメカニズムの解明と、鉄欠乏耐性植物の創製への新たな足掛かりを構築した。

形質転換イネによるIDS3遺伝子産物の機能証明

IDS2遺伝子とIDS3遺伝子はジオキシゲナーゼに相同性を持ち、またさまざまなイネ科植物種での発現の有無を調べた結果から、IDS2とIDS3が、それぞれムギネ酸類の3位および2'位の水酸化反応を触媒する酵素をコードしているものと考えられた。IDS3遺伝子産物が2'-デオキシムギネ酸を水酸化してムギネ酸を合成する酵素であることを実証するため、2'-デオキシムギネ酸を合成するがムギネ酸は合成できないイネにIDS3遺伝子を導入した。IDS3のcDNA配列をカリフラワーモザイクウイルスの35Sプロモーターの下流に連結したコンストラクトを導入した形質転換イネを作出した。いくつかのR1系統でIDS3 配列の挿入と恒常的なmRNA の発現を確認した。水耕栽培で根洗液を採取し、分泌されたムギネ酸類を検出したところ、形質転換イネは調べた全系統で鉄欠乏条件下において、2'-デオキシムギネ酸に加えてムギネ酸を分泌していた。これに対して、野生型は2'-デオキシムギネ酸のみを分泌した。これにより、IDS3が2'-デオキシムギネ酸の2'位を水酸化する「ムギネ酸合成酵素」であることがin vivoで証明された。

IDS3遺伝子およびIDS2遺伝子のプロモーター領域の解析:鉄欠乏誘導性・根特異的発現を付与するシスエレメントIDE1、IDE2の同定

IDS2遺伝子およびIDS3遺伝子の発現は、オオムギにおいて鉄欠乏により根特異的に強く誘導される。これらの遺伝子のプロモーター領域をレポーター遺伝子であるβ-グルクロニダーゼに連結し、異種植物に導入して鉄欠乏応答性を検出した。IDS3プロモーター(2243 bp)はタバコとシロイヌナズナの双方で、鉄欠乏条件下で根特異的に発現を誘導した。鉄十分条件下での発現はわずかであった。IDS2プロモーター(1696 bp)を導入したタバコにおいてもこれと類似した発現パターンが観察された。これらのことは、オオムギで鉄欠乏誘導性・根特異的発現を付与する因子が、鉄吸収機構が異なる双子葉植物をも含めた高等植物間に広く保存されていることを示唆していた。また、IDS2プロモーターの欠失解析により、翻訳開始点を+1として数えたとき-272から-91までの配列(-272/-91)がタバコ根における鉄欠乏誘導性発現のために必要かつ十分であることが明らかになった。さらに、この配列(-272/-91)内の欠失解析およびリンカースキャン解析により、IDS2 プロモーターに鉄欠乏誘導性を付与する2つのシスエレメント、すなわち-153/-136領域のIDE1(Iron deficiency responsive element 1)および-262/-236領域のIDE2(Iron deficiency responsive element 2)を明らかにした。本論文により明らかにされたIDE1とIDE2は、高等植物の微量要素欠乏誘導性に関与するシスエレメントとして同定された最初のものである。35Sプロモーターの転写開始点を+1として数えて-46/+8領域を最小プロモーターとして連結した場合、IDE1とIDE2の共存が特異的発現のために必須であり、IDE1とIDE2の相互作用が推測された。主要な発現部位は根の内鞘細胞、内皮細胞および皮層細胞であり、IDE1とIDE2による発現は鉄欠乏誘導性であると同時に根特異的であった。これに対して、35Sプロモーターの-90/+8領域を連結した場合には、IDE2およびこれに隣接する19塩基対から成る-272/-227領域が、IDE1の有無にかかわらず鉄欠乏に応答して根のほぼ全体で発現を誘導した。IDE2の主要な部分はIDE1と相同性を持っていた。また、検索の結果、IDE1 と相同性のある配列がオオムギ、イネ、シロイヌナズナで報告されている多くの鉄欠乏誘導性遺伝子のプロモーターに存在することが明らかになった。このことは、鉄欠乏誘導性のシスエレメントが多くの遺伝子や植物種において保存されている可能性を示している。

タバコにおけるIDS2プロモーターの微量要素欠乏応答性と、微量要素の複合欠乏による鉄欠乏の緩和効果

オオムギでの内生IDS2の発現は、鉄欠乏だけでなくマンガン欠乏や亜鉛欠乏の根でも誘導されることから、IDS2 プロモーターを導入した形質転換タバコにおいて、マンガンや亜鉛などの鉄以外の微量要素の欠乏によっても発現の誘導がみられるかどうかを解析した。タバコにおいては、IDS2 プロモーターによる発現は鉄以外の微量要素の欠乏によっては誘導されなかった。このことは、鉄以外の微量要素の欠乏への応答に関与する因子についてはオオムギとタバコとの間で保存されていないことを示唆する一方で、タバコにおいてIDS2 プロモーターの発現誘導性が鉄欠乏を特異的に検知する指標として有用である可能性を示している。興味深いことに、鉄と同時に他の微量要素を欠乏させた植物体では、IDS2 プロモーターは発現を誘導するものの、その度合は鉄のみを欠乏させた場合よりも低下していた。この植物体では、鉄欠乏症状が緩和されていることが推測された。微量金属元素の複合欠乏に対する植物の応答をさらに詳細に解明するため、鉄と亜鉛、または鉄とマンガンを同時に欠乏させたタバコにおける生重量、クロロフィル濃度、金属(鉄・亜鉛・マンガン・銅)濃度を測定した。鉄と同時に亜鉛またはマンガンを欠乏させた植物体では、鉄のみの欠乏時に比べて良い生育を示し、葉のクロロシス度合が軽減されることが確認された。これらのことから、鉄以外の微量金属元素の欠乏による鉄欠乏症状の緩和効果は、生重量やクロロフィル量のレベルと、遺伝子発現のレベルとの双方で起こることが確認された。鉄と同時に亜鉛またはマンガンを欠乏させた植物体内の鉄濃度は、鉄のみを欠乏させた植物体の場合と同程度であった。したがって、複合欠乏区においては植物体内における鉄の移行性あるいは利用度が上昇しているものと考えられる。この背景には、キレーターの競合の減少が影響しているものと推察している。鉄欠乏状態の植物体内における鉄の利用性は、他の微量金属の存在状態に密接に関係しており、鉄欠乏症状の度合に鋭敏に反映されるものと考えられる。

総合考察

本論文によりIDS3が「ムギネ酸合成酵素」であることが証明されたことから、IDS3遺伝子のムギネ酸類生合成への直接の関与が立証された。また、コムギ−オオムギ染色体添加系統を用いた解析から、IDS2が2'-デオキシムギネ酸とムギネ酸の3位を水酸化する酵素であることはほぼ確実である。これにより、IDS2遺伝子およびIDS3遺伝子の導入がムギネ酸類の分泌量増加をもたらし、イネ科植物の鉄欠乏耐性強化に寄与する可能性が考えられる。IDS2プロモーターの詳細な解析により同定した「鉄欠乏誘導性・根特異的発現」を付与する2つのシスエレメントIDE1、IDE2は、鉄欠乏誘導性遺伝子発現のメカニズムの解明へ向けた重要な足掛かりである。これらのエレメントと相互作用するトランス因子を同定することは今後の重要な課題であり、シスエレメントとトランス因子を巧妙に改変することにより、強力かつ有用な鉄欠乏耐性植物が創製され得ると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

鉄は高等植物にとって生育に必須な元素であるが、土壌中では鉄の大部分は不溶態として存在するため、植物に吸収されにくい。高等植物の鉄獲得機構に関与する主要な遺伝子は次々と単離されてきたが、これらの遺伝子の機能については未知の部分が多く残されている。さらに、鉄欠乏によるこれらの遺伝子発現の制御機構についてはほとんど解明されていない。本論文では、オオムギ根から単離された鉄欠乏誘導性遺伝子IDS2およびIDS3に関してプロモーター解析を中心とした研究を行うことにより、植物の鉄栄養制御の分子機構の解明と、鉄欠乏耐性植物の創製への新たな足掛かりを構築した。

第1章は序論であり、第2章では形質転換イネを用いたオオムギIDS3遺伝子産物の機能証明を試みている。IDS3遺伝子はムギネ酸類の2'位の水酸化反応を触媒する酵素をコードすると推察されていた。これを実証するため、2'-デオキシムギネ酸を合成するがムギネ酸を合成しないイネにIDS3遺伝子を導入した。IDS3を恒常的に発現する形質転換イネを作出し、R1世代での解析を行った。この形質転換イネは調べた3系統すべてが2'-デオキシムギネ酸に加えてムギネ酸を分泌した。これに対して、非形質転換イネは2'-デオキシムギネ酸のみを分泌した。これにより、IDS3タンパク質が2'-デオキシムギネ酸の2'位を水酸化する「ムギネ酸合成酵素」であることがin vivoで証明された。

第3章では、形質転換植物を用いてオオムギIDS3遺伝子およびオオムギIDS2遺伝子のプロモーター領域を解析し、鉄欠乏誘導性・根特異的発現を付与するシスエレメントを同定している。IDS3遺伝子およびIDS2遺伝子のプロモーター領域を、レポーター遺伝子であるβ-グルクロニダーゼに連結し、タバコまたはシロイヌナズナに導入して鉄欠乏応答性を検討した。IDS3プロモーターおよびIDS2プロモーターは、異種植物であるタバコまたはシロイヌナズナにおいても鉄欠乏条件下で根特異的に発現を誘導した。さらにIDS2プロモーターの欠失解析により、翻訳開始点を+1として数えたとき-272から-91までの配列(-272/-91)がタバコの根における鉄欠乏誘導性発現のために必要かつ十分であることを明らかにした。この配列(-272/-91)内の欠失解析およびリンカースキャン解析により、IDS2 プロモーターに鉄欠乏誘導性を付与する新規の2つのシスエレメント、すなわち -153/-136領域のIDE1(Iron deficiency responsive element 1)および -262/-236領域のIDE2を明らかにした。IDE1とIDE2は協同的に発現を誘導した。主要な発現部位は根の内鞘細胞、内皮細胞および皮層細胞であり、IDE1とIDE2による発現は鉄欠乏誘導性であると同時に根特異的であった。IDE2はIDE1と相同性を持っていた。また、検索の結果、IDE1 と相同性のある配列がオオムギ、イネ、シロイヌナズナの多くの鉄欠乏誘導性遺伝子のプロモーター領域にも存在することが明らかになった。このことから、鉄欠乏誘導性のシスエレメントが多くの遺伝子や植物種において保存されている可能性が示された。

第4章では、タバコにおけるIDS2プロモーターの微量要素欠乏応答性を解析し、微量要素の複合欠乏による鉄欠乏の緩和効果を発見している。鉄と同時に他の微量要素を欠乏させた植物体では、IDS2 プロモーターによる発現誘導の度合が鉄のみを欠乏させた場合よりも低下していた。さらにこれらの植物体では、生育阻害、クロロシス、他の元素の蓄積等の鉄欠乏症状が緩和されていた。植物体内の鉄濃度は、鉄のみを欠乏させた植物体の場合と同程度であった。鉄欠乏状態の植物体内における鉄の利用性が、他の微量金属の存在状態に密接に関係していることが推察された。

以上、本論文は鉄欠乏誘導性遺伝子IDS2およびIDS3の機能と発現制御機構についての研究を行い、高等植物において初めて「鉄欠乏誘導性・根特異的発現」を付与する新規のシスエレメントIDE1、IDE2を同定したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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